2025年11月17日

 

 安岡章太郎が次のように書いています。(申し訳ありませんが、どこに書いてあったのか、わからなくなってしまいました。)

 「‐‐‐やたらに家庭家庭とそれを大事がることは、やはりエゴイズムを無用に膨張させ増幅させる結果となるのではないか。家庭の幸福を願うのも、ほどほどにして置くのが良さそうだ。」

 

 もちろん家庭を全面的に否定しているものではありません。

 「家庭の幸福」を願うのを当然、自然のこととしながら、「ほどほどに」と言っているのです。

 

 この「家庭」というところに「民族」あるいは「国家」はぴったりと収まると思います。

 「ほどほどにして置く」ために必要なのは、(「家族」と同様に)「民族」「国家」を客観視できる教養~人類にとって永久不変のものではなく、その存在の合理性には歴史的限界があるという認識、言い換えれば、絶対的なものではないという認識~です。

 

 

                       2025年11月16日

 

 朝日新聞俳壇、歌壇等からの印象句、印象歌の報告、第632回です。

 反トランプ詠が2首ありました。後ろに掲げます。

 パレスティナ詠、ウクライナ詠はありませんでした。

 

 

【俳句】

 

 

断捨離も・終活もせず・菊作り (鎌ヶ谷市 海野公生)(大串章選)

 

 

(気にはしていることを図らずも暴露。)

 

 

おでん鍋・女将(おかみ)の語る・新総理 (富士市 村松敦視)(大串章選)

 

 

(好評不評どっちだったのだろうか?いずれにしても、ひとこと言わせる個性ではある。)

 

 

駆除されし・母熊の胃が・空(から)なりと (国分寺市 土屋啓文)(小林貴子選)

 

 

(罪なき野生動物を駆除する人間の「原罪」。)

 

 

悪役も・なぜか美形や・菊人形 (名古屋市 三高邦子)(小林貴子選)

 

 

(こういうことに気づける人を尊敬する。)

 

 

【短歌】

 

 

宣戦の・意志を通告・しておいて・仲良くしようは・通りにくかろう

                       (横浜市 宇田五郎)

 

 

(「存立危機事態」との高市発言は、自衛隊に中国軍と戦うよう「出動命令」を出しますと言ったのと同じこと。)

 

 

AIに・出来ぬ仕事の・多かりき・クマの駆除とか・トランプ対策 

                   (姶良市 井之川健児)(高野公彦選)

 

 

(反トランプ詠)

 

 

ノーベル賞・望むと聞けリ・関税で・世界の「平和」・乱せる人が 

                    (東京都 上田国博)(高野公彦選)

 

 

(反トランプ詠)

 

 

 

                        2025年11月15日

 

【Ⅰ 高市首相の「台湾有事」想定】 

 高市首相の「存立危機事態」発言は、いわゆる事態対処法における「武力攻撃事態」と「存立危機事態」との関係についての不十分な理解によるものである。

 それは自衛隊の最高指揮監督者であり、自衛隊の防衛出動(すなわち我が国としての武力の行使、すなわち戦争の開始)を命じる権限を有する総理大臣が、その根拠法を理解していないという極めて重大な事態である。

 しかし、本稿では、そのことは措いておいて、高市首相の発言によって明らかになった高市首相の「台湾有事」の想定、すなわち中国が台湾への武力攻撃に踏み切った場合の高市首相が考えている事態の展開を取り扱う。

 

 それは以下のようなことと考えられる。

1 高市首相が「台湾有事」を「存立危機事態」と考えざるを得ないとしたということは、明らかに「台湾有事」が発生した場合、必然的に我が国が「台湾有事」に巻き込まれると高市首相が判断しているということである。(中国の台湾への武力攻撃を我が国単独で積極的に阻止しようと考えているわけではないと考えられる。)

2 我が国が「台湾有事」に必然的に巻き込まれることとなるのは、「台湾関係法」を有するアメリカ(台湾との間で条約関係にはない)が台湾の防衛のために必ず武力行使に踏み切ると高市首相が判断しているということである。

3 その際、アメリカ軍は台湾防衛のため必ず在日米軍基地を使用すると判断しているということである。(日米安保条約上、事前協議の対象となるが、日本は許諾するということである。)

4 中国はアメリカ軍からの攻撃を阻止するため在日米軍基地を攻撃し、また自衛隊がアメリカ軍と共同行動あるいは支援行動をとるとの判断のもとで中国は日本の自衛隊基地を攻撃することとなると判断しているということである。

5 すなわち、中国により我が国への直接攻撃が行われるということである。

6 以上の一連の事態は一気、一瞬のうちに発生すると考えられ、「台湾有事」の発生は直ちに我が国への中国の直接攻撃となる。これを排除、終結させるため、我が国への中国の直接攻撃の前でも、敵基地攻撃の実施は憲法上許容されると判断しているということである。

 

 言うまでもなく、上記の2のアメリカの介入の有無は不確定である。アメリカは明言してはいない。

 アメリカの介入がないとした場合、上記の一連の事態は不成立となる。

 その場合、それは果たして内閣総理大臣が自衛隊に対して防衛出動を命じる事態(武力の行使、戦争の開始)となるだろうか?

 我が国への中国の直接攻撃は予想し得ず、法律の定める要件からして、なりがたいと考えるほかないであろう。

 

 アメリカの介入があるならば、日本が巻き込まれを回避するためにアメリカの行動に対して拒否的に動かないかぎり(そのようなことは想定しがたく)上記の一連の事態が成立し、日中は全面戦争に突入することになる。

 その場合は惨害が日本全土に及ぶことを覚悟しなければならない。極東全体の大戦争に発展する懸念も生じる。

 多くを語ることを要すまい。我が国が全力を挙げてなすべきことは米中の軍事的衝突の阻止、この一点に尽きる。

 

【Ⅱ 今回の事態の収拾策】

 高市首相の不用意な発言によって、日中双方が望んでいない両国関係悪化のエスカレーションが始まっている。

 不幸な事態につながることがないように、早急に事態の収拾が図られなければならない。

 そのためには、次のような趣旨を国会答弁(質問主意書に対する答弁書を含む)その他のかたちで発表し、高市首相のメンツを維持しつつ、答弁を事実上撤回することが適当だと考えられる。

 すなわち、「高市首相の答弁中の「存立危機事態」とは、防衛出動につながるいわゆる事態対処法における「存立危機事態」を言ったものではなく、台湾海峡での軍事衝突となれば我が国の基本的立場である「台湾海峡の平和と安定」の実現を損なうことになるという懸念をやや強い表現で表明したものである。誤解を呼ぶ表現をとったことについてはお詫びする。」

 「雨降って地固まる」という結果を切望する。

 

 

                       2025年11月10日

 

 憲法前文の第1パラグラフにこうある。

 「日本国民は、‐‐‐政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、‐‐‐この憲法を確定する。」

 高市首相の「台湾有事」が「存立危機事態」でありうる旨の発言、すなわち「台湾有事」に自衛隊の出動がありうるという発言、すなわち日中戦争の可能性を示唆する発言によって、ふだんは忘れているこの憲法前文の意義を再認識することになった。

 

 自衛隊の出動は自衛隊の最高指揮監督権を有する内閣総理大臣が命ずるものであり(自衛隊法第7条、第76条)、我が国の戦争開始は、国会の承認を要することにはなっているが事後承認の場合もあり、事実上内閣総理大臣によって判断される。

 憲法前文はこのルールを否定するものではなく、したがって憲法前文における「政府の行為」とは、通常の適法な政府の行為を意味するのではなく、「国民主権のもとで定められた法令を無視した、違法な政府の行為」と理解される。

 そしてもし高市首相の発言どおり「台湾有事」を「存立危機事態」と認定し、自衛隊の出動命令を発するようなことがあった場合には、以下に説明するように、それは「違法な政府の行為」に該当することとなる。

 憲法前文に即していえば、「(国民主権のもとで定められた法令を無視した、違法な)政府の行為によって再び戦争の惨禍が起る」ことになるのである。

 高市発言は、憲法の二大眼目である平和主義と国民主権のいずれにも反するものなのだ。

 

 我が国自衛隊の防衛出動が実行されれば、たとえ国会承認を得られなくとも、裁判で違法との判決が出されようとも、すでに我が国は中国との間で交戦状態に突入しており、双方に莫大な損害が発生し、事態はさらに発展しているやも知れず、取り返しがつかない。

 現時点にいたっても誤った法律解釈に気づいていない高市首相は、反中感情が先走った「とっても危ない首相」と断じざるを得ない。

 

(以下の説明は前回報告とかなり重複します。)

 「台湾有事」が我が国の武力行使の判断にとって重大な事態になりうるのは、それが「(我が国に対する)武力攻撃事態」に発展することが予想されるからこそである。

 「(我が国に対する)武力攻撃事態」への発展を予想することなしで(後注参照)、「台湾有事」(その中核的な意味でのそれは、海上封鎖を含む中国による台湾への軍事行動であり、アメリカ、日本その他の国の動きは含まない。)それだけを、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」(「存立危機事態」の定義(「事態対処法」第2条第4号))と説明することは不可能である。

 

 すなわち、「台湾有事」によって我が国自衛隊の出動命令を発しうるのは、それが「(我が国に対する)武力攻撃事態」(この定義には武力攻撃の前の「武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められる事態」が含まれる(「事態対処法」第2条第4号)。)と認められる場合であり、「存立危機事態」であるがゆえとするのは、法律の適用を誤ったものであり、当該出動命令は違法ということになる。

 また、「台湾有事」が「(我が国に対する)武力攻撃事態」と認められるのは後注に掲げた中間項の存在が要件となり、それへの判断を欠いた「(我が国に対する)武力攻撃事態」の認定も誤りである。(高市発言はこの点においても「台湾有事」が直ちに自衛隊の防衛出動に結びつくがごとく語られており、高市首相の法解釈の根本的誤りか理解の不十分があると思われる。)

 高市首相が「台湾有事」を自衛隊の出動命令に結びつけたいのであれば、後注にあげた中間項の可能性に言及した上で、それを「武力攻撃事態」(のうちの「武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められる事態」)とせざるをえないはずであり、現時点でそれを行うのは無理であろう。

 

(注:「台湾有事」が「(我が国に対する)武力攻撃事態」に発展することが予想されるには、中国による台湾への軍事行動に対するアメリカ軍による阻止行動、中国軍とアメリカ軍との交戦、日本国内の米軍基地への中国軍の攻撃、アメリカ軍の支援活動を実施する(と見なしての)中国軍の我が国自衛隊への攻撃(それぞれその発生の高い可能性を含む)という中間項の存在が前提となる。)

 

 

                      2025年11月9日

 

 朝日新聞俳壇、歌壇等からの印象句、印象歌の報告、第631回です。

 パレスティナ詠、ウクライナ詠、2句3首ありました。後ろに掲げます。反トランプ詠はありませんでした。

 

 

【俳句】

 

 

月今宵・長引いてゐる・猫会議 (多摩市 金井緑)(小林貴子選)

 

 

(春の宵に限らず、猫は夜遊びが好きなようだ。)

 

 

ちちははの・間にわたし・七五三 (東京都杉並区 漆川夕)(長谷川櫂選)

 

 

(思い出の句と読んだが、どうだろうか?)

 

 

プーチンを・担いで来たり・老菊師 (千曲市 たじまたける)(長谷川櫂選)

 

 

(ウクライナ詠)

 

 

蛇穴に・入らずいくさを・続けたる (東京都世田谷区 野上卓)(高山れおな選)

 

 

(ウクライナ詠?)

 

 

【短歌】

 

 

改憲し・教育勅語・徴兵制・治安維持法・そして戦争 

                   (朝霞市 岩部博道)(高野公彦選)

 

 

(自民維新連立高市新政権の誕生がもたらす懸念。)

 

 

えんぴつは・2Bがすきだ・白鳥と・ちょっと太った・きつつきみたいで 

                  (春日井市 吉田朱花)(永田和宏選)

 

 

(大人が忘れてしまった世界がここにある。)

 

 

戦車かと・見紛(みまが)うような・コンバイン・二反ばかりを・とっとと済ます 

                 (竹田市 伊藤信一郎)(佐佐木幸綱選)

 

 

(近寄れば驚く。農業は変わってきている。)

 

 

ゼレンスキーの・米国援助への・感謝知り・吾が税金に・誇り覚える 

                    (アメリカ 大竹博)(高野公彦選)

 

 

(ウクライナ詠)

 

 

生きたかった・兵士の数が・「戦果」という・酷き言葉に・置き換えられる

                   (観音寺市 篠原俊則)(永田和宏選)

 

 

(ウクライナ詠)

 

 

ガザのロバ・あんなに大きな・耳澄ませ・聞いているんだ・夜の虫の声 

                   (大和郡山市 四方護)(川野里子選)

 

 

(パレスティナ詠)

 

 

                      2025年11月8日

 

 高市首相は昨日(11月7日(金))の(衆)予算委の立憲岡田克也議員の「台湾有事」に関する質問に答えて、「戦艦を使って、武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になりうるケースだと考える」「単に民間の船を並べて通りにくくすることは存立危機事態には当たらないと思うが、実際に戦争という状況の中での海上封鎖であり、ドローンも飛び、いろんな状況が起きた場合は別の見方ができる」「武力攻撃が発生したら、これは存立危機事態にあたる可能性が高い」と述べたとのことである。

 無意味で不毛な議論だと思う。

 そもそも政府として、いわゆる「台湾有事」を「存立危機事態」(後注参照)だとしたことはこれまでなかった。政府部内の組織的統制があるところではそのような見解が通る余地はなかったためと思われる。

 火をつけたのは、退任後の安倍元首相(現役首相の時には決してそのような不用意な発言はしなかった)、そして麻生元首相であり、台湾へのリップサービスの意味合いが強いものと考えられる。

 高市首相も就任前の総裁選においてその動きに乗る発言をしてしまっており、この問題の微妙さ、複雑さの認識不足のまま、昨日の国会答弁はそれにこだわったのではないだろうか。

 

 いわゆる「台湾有事」が我が国の武力行使につながるのは次のような場合であり、その他の場合は、たとえ台湾で何らかの軍事衝突があったとしても、我が国が武力行使に至ることは考えにくいと思われる。

 すなわち、台湾に発生した親中派と反中・独立派の内戦への介入、あるいは台湾の直接支配を目的に、中国が軍事行動(台湾空爆、台湾上陸、台湾海上封鎖等)を開始し、それを阻止すべくアメリカ軍が介入(海上封鎖解除、前線の中国軍攻撃、大陸の中国軍基地攻撃等)し、対応して中国が日本にある米軍基地を攻撃、さらに我が国のアメリカへの同調を予測して我が国(南西諸島に限られることなく日本全体が対象となる)を攻撃するという場合である。(以下、「我が国対応台湾有事」とする。)

 高市答弁も、その言葉遣いからして、この「我が国対応台湾有事」を想定していると推定できる。

 

 さて、「我が国対応台湾有事」は我が国が武力を行使する場合として法令で定められている「(我が国に対する)武力攻撃事態(武力攻撃が発生する明白な危険が切迫している事態も含まれる)」「存立危機事態」という2つの事態のうちのいずれに該当するであろうか?

 事態の重大性は、「我が国対応台湾有事」が「(我が国に対する)武力攻撃事態」をもたらすところにあり、それなくして「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」(「存立危機事態」の定義の一部)が生じるわけではない。

 したがって、「我が国対応台湾有事」は、「存立危機事態」ではなく、武力攻撃危険切迫の事態を含む「(我が国に対する)武力攻撃事態」なのである。

 逆に言えば、「(我が国に対する)武力攻撃事態」を予測しえない事態、例えばアメリカ軍の非介入の事態は、台湾における軍事衝突の発生を「台湾有事」としたとしても、「我が国対応台湾有事」とはならないのである。

 「(我が国に対する)武力攻撃事態」を離れて「台湾有事」が「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」であると説明するのは無理であり、舌を嚙まないではいられない。

 

 結論的にいえば、高市答弁は、「(我が国に対する)武力攻撃事態」のうちの「武力攻撃危険切迫の事態」を「存立危機事態」と混同した間違いである。

 そして、間違いをもたらした原因は、「集団的自衛権」の部分的解除を狙って、具体的なケースをあげて説明できない「存立危機事態」という、安倍内閣によって出ちあげられたカラの概念を自分も正当化しようとのこだわりにあると考えられる。

 そういう意味では高市首相は犠牲者であり、今回の対応ぶりを維持しようとすれば、国会答弁に行き詰って政権の命取りになりかねない。

 防衛省、内閣官房、内閣法制局等、そして防衛大臣小泉、官房長官木原は高市首相をよく支えられるであろうか?

 

(注:「存立危機事態」とは、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」(いわゆる「事態対処法第2条(定義)」)であり、この事態への対処として我が国は武力の行使ができることになっている。)

 

 

 

                     2025年11月6日

 

 10月27日参政党が参議院に「国旗損壊罪」を創設する刑法改正案を提出した。

 その条文は次のとおりである。

 「第94条の2 日本国に対して侮辱を加える目的で、日本国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、2年以下の拘禁刑又は20万円以下の罰金に処する。」

(我が国には国旗のほかに国章にあたるものはないので、「その他の国章」は空規定と思われる。外国の国旗その他の国章の損壊等を罰する既存の条文をそのまま引き写したことによる単純ミスであろう。)

 

 さて、「日の丸」に親しみを感じ、あるいは崇敬の念をいだく多くの国民が存在することを考えれば、彼らに不快、嫌悪を感じさせる「日の丸」の損壊等は、礼儀として控えられるべきだとは思う。

 しかし、それを刑法犯として処罰することについては、次のような理由から賛成できない。

 

1 「日の丸」が一般国民の間に普及するようになったのは、我が国が近代国家として世界政治の場に登場するようになった明治時代以降のことである。長い歴史を持ち、世界に誇るべき内容を有する日本文化全体を象徴するものとしては、「日の丸」は軽量で、上すべりの感があり、不十分で、考えにくい。

 

2 近代国家としての日本を象徴する「日の丸」は、近代国家として成長発展を遂げた日本を象徴するのとあわせて、「日の丸」が戦時に多く活用されたこと等を背景として、国民統治(支配、強制)、軍国主義という日本の否定的側面を象徴する性格をも帯びている。

 

3 「日の丸」を特定の政治的主張のシンボルとして使用する個人、組織がある。それらに対する批判がそのシンボルに向けられることは十分にありうることである。それを封じる効果を「国旗損壊罪」の創設が持つおそれがある。

 

4 会場正面に掲げられた「日の丸」に登壇する人間が頭を下げるという偽善的慣習がいつの頃からか一般化している。そのような悪しき慣習が「国旗損壊罪」の創設によって強められ、半ば義務化されるようなこととなることを懸念する。

 

5 すでに犯罪とされている外国の国旗等の損壊等(公訴には外国政府からの請求が要件)は、我が国の外交に支障を与えるおそれがあるのに対し、「日の丸」の損壊等は人々の感情を害するにとどまり、それによる損害を想定することができない。

 

 報道によれば、かねてより「日の丸」の損壊に対してそれを罰しようとの動きはあり、自民党、維新の会には同調の動きもあるとのことなので、刑法改正案は成立するかもしれないとのことである。寒心に堪えない。

 

 

 

 

                       2025年11月5日

 

 目的の観点からだけで言えば、自衛隊の存在を合憲とする政府見解(1972年10月、以下「1972年政府見解」とする。)の論拠に従えば、「抑止目的としての武力の保有」は明らかに違憲である。

 1972年政府見解は、わかりやすく言えば、必要最小限度の正当防衛目的の武力(以下「正当防衛武力」とする。)の保有、行使は憲法第9条もさすがに禁じているとは考えられない、というものであり、それ以外の目的の武力の保有が許容される余地はまったくないからである。

(先の安保法制の改正(2015年9月)による「存立危機事態」の場合の武力行使の認容は、直接侵略ではなくても我が国の存立が危うくなる事態が考えられ、その事態への対応は正当防衛が当然であるのと同様に当然であるとの理解によるものである。ただし具体的な存立危機事態として公的に認定した事例があるわけではない。)

 

 ところが「抑止目的」とされていても、「抑止」以外の他の目的との重複もあり、そのための具体的な武力の内容は実に幅が広く、また「1972年政府見解」でいう「必要最小限度」は状況次第で確定しがたく、目的の観点ではなく武力の内容からアプローチした場合、憲法判断はなかなか困難になってくる。

 まず、「抑止」には性格が大いに異なる2つの「抑止」があるとされている。

 1つが、「懲罰的抑止」と言われるもので、攻撃を仕掛けてきた場合には相手が耐えられない打撃で報復すると相手を威嚇する「抑止」で、「報復威嚇的抑止」といったほうがイメージしやすいように思える、いわゆる「倍返し」にあたるイメージのものである。(以下では「報復威嚇的抑止」とする。)

 もう1つは、「拒否的抑止」と言われるもので、攻撃を仕掛けてきても、また占領を継続しようとしても、こちら側は強力な抵抗を展開するので、莫大なコストを要して割に合わないと相手に認識させる「抑止」で、「攻撃無効化抑止」といったほうがイメージしやすいように思える。(以下では「攻撃無効化抑止」とする。)

 

 そして、「攻撃無効化抑止」については、そのための具体的な武力の内容が「正当防衛武力」と一致することになる。

 十分なる「正当防衛能力」の保有は、「攻撃無効」という認識を相手国に惹起することとなり、「抑止」を実現することとなるからである。

 このため、導入された特定の軍備が「抑止」目的であるから違憲だとの指摘は、その軍備は「正当防衛武力」だとの弁明によってかわされることとなる。

 これによって「攻撃無効化抑止力」を構成する武力の内容は、「必要最小限度」の範囲内かどうかという問題を除けば、ことごとく、「正当防衛武力」だとして「1972年政府見解」により合憲とされる余地があるのである。

 「敵基地攻撃能力」「反撃能力」(例えば、長射程ミサイル、長距離戦闘爆撃機、空母、原潜)も、「先制攻撃」を意図したものと認識されて相手が脅威と捉えることとなる危険性のあるもので(後注参照)、「必要最小限度」の範囲を逸脱するものだが、必要な「正当防衛武力」だとの強弁によって理屈上合憲とされうる。

 一方、「報復威嚇的抑止」のための武力の保有は「正当防衛武力」である範囲を超えるものであり、弁明の余地なく、純然たる「抑止目的」と判断されるため、「1972年政府見解」からしても明らかに違憲である。

(注:「敵基地攻撃能力」「反撃能力」については、敵基地がもっぱら日本攻撃用に限定されるものではなく、言い換えれば日本攻撃用と特定される敵基地があるわけではなく、その敵基地は他国攻撃用でもあると考えられることから、「敵基地攻撃能力」「反撃能力」は日本による他国支援のための武力であるとの相手の認識を呼ぶことにもなる。)

 

 以上からすれば、「抑止目的としての武力の保有」は違憲との判断から保有できない武力としては、「報復威嚇的抑止」の目的以外ではありえない「核」が該当することは明らかだが、その他の武力に関しては「必要最小限度」か否かという状況判断次第ということになりそうである。

 もちろん、核武装が許されないことは極めて重要な現行憲法第9条の効果(後注参照)だが、「正当防衛武力」の名のもとに「行け行けどんどん」の安易な軍備増強論がはびこり始め、「必要最小限度」の枠がゆるみきっている現状からすれば、憲法第9条のみをたよりに日本の平和主義の原則を貫いていこうとするのは極めて不十分といわなければならない。

 

 総括すれば、諸国に無用の脅威を与えて軍拡競争に陥ることを防止するため、また国際紛争への我が国の無用の巻き込まれを回避するため、「正当防衛武力」といえどもそれに具体的な歯止めをかける、追加的な法的手当が検討されなければならないと考えられる。

 また、「正当防衛武力」の内容として、近視眼的な軍事的効率だけの観点を脱却した、他国に脅威を与えないという意味で軍拡促進的でない、一般国民用シェルターの整備をはじめとする「ハリネズミ防衛体制」の充実が真剣に検討されるべきではないかと考えられる。(そのための防衛費の拡大であればやむをえまい。)

(注:現行憲法第9条の効果のもう1つの柱は、攻守同盟条約(双務的集団的自衛権を内容とする軍事同盟条約)の締結権を否定していることである。)

 

 

 

                        2025年11月2日

 

 朝日新聞俳壇、歌壇等からの印象句、印象歌の報告、第630回です。

 パレスティナ詠、ウクライナ詠、反トランプ詠、いずれもありませんでした。

 

 

【俳句】

 

 

蓑虫(みのむし)や・愛新覚羅・溥儀のこと (神戸市 山口誠)(高山れおな選)

 

 

(なぜ「蓑虫や」なのかわからないが、この作句法は応用ができそう。「○○や・熊で活躍・進次郎」とか。)

 

 

そぞろ寒・強き言葉は・酔ひ易(やす)く (多摩市 田中久幸)(小林貴子選)

 

 

(政治的警句と読んだ。)

 

 

連立の・手形乱発・稲雀(いなすずめ) 

           (福島県伊達市 佐藤茂)(小林貴子選)(長谷川櫂選)

 

 

(なぜ「稲雀」なのかわからないが、たしかに自民維新連立合意書にはいろんなことが書いてある。)

 

 

冷房に・耐えて「国宝」・三時間 (吹田市 小山安松)(長谷川櫂選)

 

 

(映画館慣れしていない人たちも「国宝」を観に行ったがゆえの現象。)

 

 

長き夜や・独り言にも・嘘の有り (横浜市 瀬古修治)(大串章選)

 

 

(冷徹な自己反省。)

 

 

【短歌】

 

 

五十年の・いびきを妻に・言い立てられ・我が家も今日から・連立解消

                  (大和郡山市 四方護)(高野公彦選)

 

 

(他にも「連立解消」作品あり、「連立解消」は多くの人を刺激したようだ。)

 

 

盗みたる・米を配りて・村人を・餓死より救いし・侠客(きょうかく)ありき 

                  (安中市 岡本千恵子)(高野公彦選)

 

 

(国定忠治だろうか?幕府側からすればならず者かもしれないが、上州のウイリアム・テルと筆者は見ている。)

 

 

 

 

 

 

                      2025年10月28日

 

 高市首相の所信表明の中に、「防衛費の「対GNP比2%水準」の今年度中の前倒し達成」と「いわゆる「防衛3文書」の来年中の改定」がある。

 その前倒し達成することとなる増額の中身、3文書の改定の内容については触れられていない。

 それらについては10月20日自民維新の連立合意文書から窺うことができる。

自民維新連立合意文書にはこうある。

「 我が国の抑止力の大幅な強化を行うため、スタンド・オフ防衛能力の整備を加速する観点から、反撃能力を持つ長射程ミサイルなどの整備および陸上展開先の着実な進展を行うと同時に、長射程のミサイルを搭載し長距離・長期間の移動や潜航を可能とする次世代の動力を活用したVLS搭載潜水艦の保有にかかる政策を推進する。」(筆者注:「スタンド・オフ防衛能力」とは敵国ミサイルの射程外から発射することができるミサイル防衛能力、「次世代の動力」とは原子力、「VLS」とはミサイル発射装置である。)

 この合意には明らかに「拡大抑止」「敵基地攻撃能力」の強化拡充の考え方がはらまれている。

 「拡大抑止」「敵基地攻撃能力」こそ高市軍拡の実質的内容を示すキーワードである。

 

 内容に入る前に、まず、本稿は、刑法の正当防衛の考え方を援用することによって自衛隊を合憲とする1972年10月14日政府見解(以下、「自衛隊合憲政府見解」とする。)を可(よし)とする立場に立つものであることを申し上げておく。

 すなわち、

「憲法第9条が、我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするため必要な措置を取ることを禁じているとは到底解されない。一方、この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容される。」(2014年7月1日「国の存立を全うし、国民を守る切れ目のない安全保障体制の整備について(国家安全保障会議決定、閣議決定(注:第2次安倍内閣))」から引用。そして、同閣議決定で「これが‐‐‐従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的論理であり、‐‐‐この基本的論理は、憲法第9条の下では今後とも維持されなければならない。」とされている。)

 

 さて、「拡大抑止」について考える。

 そもそも「抑止」とは、相手国が我が国を攻撃した場合にはいわゆる「倍返し」をするという威嚇により相手国の攻撃意図をあらかじめ挫(くじ)いておくという考え方である。(「抑止」には「防衛力による抑止」も考えられるが、一般に「攻撃力による抑止」のみに「抑止」という言葉があてられており、本稿でもそれによっている。)

 日米安保条約のもとで、日本の自衛隊はもっぱら日本の防衛にあたり、「抑止」はアメリカに依存する(いわゆる「核の傘」)というのが従来の考え方であった。

 それに対し、「抑止」をアメリカに全面的に依存するのではなく、日本も「抑止」の一端を担うというのが「拡大抑止」である。

 自民維新連立合意文書の「我が国の抑止力の大幅な強化を行うため」というのは、すなわち、この「拡大抑止」の考え方に立っていることを示している。

 アメリカの「核の傘」に日本による抑止力を加えるということであって、「核」による威嚇に加えうる威嚇とは何なのであろうかという疑問を生じさせ、論理的には日本の核武装までをも許容する道を開くこととなる。

 「抑止」の追求が今日の核危機の時代を呼んだのであり、「抑止」の道が軍拡の道であることは歴史的にも明らかなはずだ。

 そして、「自衛隊合憲政府見解」はそもそも「抑止」のための武力の保有を許容しておらず、「自衛隊合憲政府見解」によれば「抑止」のための武力の保有は憲法違反である。

 「正当防衛」的自衛のための武力保有に限って許容されているのであり、限りなき軍拡競争を導き、我が国の軍事大国化を招きかねない「抑止」のための武力保有を憲法9条が認めるはずがない。(「拡大抑止」を推進しようとする高市内閣は、少なくとも「抑止」のための武力保有が合憲であるとの政府見解をまとめる義務があるが、立論はできないはずだ。)

 

 次に「敵基地攻撃能力」についてである。

 「敵基地攻撃能力」の保有の目的として、「抑止」のほかに、「急迫、不正の事態への対処」が考えられる。

 敵基地で我が国に向けられたミサイルの発射ボタンが押される寸前である場合にこれを阻止する攻撃、発射直後まだ敵基地からミサイルが離れていない場合における攻撃などが考えられる。

 もし、「敵基地攻撃能力」が純然たる「急迫、不正の事態への対処」を目的とするならば、「自衛隊合憲政府見解」に従えばそれは合憲である。

 しかし、我が国が「急迫、不正の事態への対処」を目的として「敵基地攻撃能力」を保有したとしても、相手国にとってはそれが先制攻撃に使われる場合があるものとして脅威と考えざるを得ないであろう。

 相手国はその脅威に対抗する能力を保有しようとするであろう。

 その結果「敵基地攻撃能力」が不十分となる我が国は、それを超える「敵基地攻撃能力」を保有する必要に迫られる。

 「敵基地攻撃能力」の保有は、「抑止」のための軍備と同様に、軍拡競争不可避の道なのである。

 たとえ合憲でも戦略上保有するべきではないというのが合理的結論であろう。

 

 「防衛費の「対GNP比2%水準」の今年度中の前倒し達成」と「いわゆる「防衛3文書」の来年中の改定」の実質的内容の主要な部分として、以上のような憲法違反で、限りなき軍拡競争の道に我が国を導き入れる「拡大抑止」と「敵基地攻撃能力」の推進があるのである。

 そしてそれは、同盟国のより大きい軍事的責任分担と巨額の武器輸出を図っているアメリカ・トランプ政権の目標とも完全に一致する。

 高市政権がトランプに歓迎されるのはあまりにも当然と言わねばならない。

 高市政権の軍拡路線と対米追随を厳しく追及し、その撤回を図らねばならない。