2025年10月28日
高市首相の所信表明の中に、「防衛費の「対GNP比2%水準」の今年度中の前倒し達成」と「いわゆる「防衛3文書」の来年中の改定」がある。
その前倒し達成することとなる増額の中身、3文書の改定の内容については触れられていない。
それらについては10月20日自民維新の連立合意文書から窺うことができる。
自民維新連立合意文書にはこうある。
「 我が国の抑止力の大幅な強化を行うため、スタンド・オフ防衛能力の整備を加速する観点から、反撃能力を持つ長射程ミサイルなどの整備および陸上展開先の着実な進展を行うと同時に、長射程のミサイルを搭載し長距離・長期間の移動や潜航を可能とする次世代の動力を活用したVLS搭載潜水艦の保有にかかる政策を推進する。」(筆者注:「スタンド・オフ防衛能力」とは敵国ミサイルの射程外から発射することができるミサイル防衛能力、「次世代の動力」とは原子力、「VLS」とはミサイル発射装置である。)
この合意には明らかに「拡大抑止」「敵基地攻撃能力」の強化拡充の考え方がはらまれている。
「拡大抑止」「敵基地攻撃能力」こそ高市軍拡の実質的内容を示すキーワードである。
内容に入る前に、まず、本稿は、刑法の正当防衛の考え方を援用することによって自衛隊を合憲とする1972年10月14日政府見解(以下、「自衛隊合憲政府見解」とする。)を可(よし)とする立場に立つものであることを申し上げておく。
すなわち、
「憲法第9条が、我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするため必要な措置を取ることを禁じているとは到底解されない。一方、この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容される。」(2014年7月1日「国の存立を全うし、国民を守る切れ目のない安全保障体制の整備について(国家安全保障会議決定、閣議決定(注:第2次安倍内閣))」から引用。そして、同閣議決定で「これが‐‐‐従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的論理であり、‐‐‐この基本的論理は、憲法第9条の下では今後とも維持されなければならない。」とされている。)
さて、「拡大抑止」について考える。
そもそも「抑止」とは、相手国が我が国を攻撃した場合にはいわゆる「倍返し」をするという威嚇により相手国の攻撃意図をあらかじめ挫(くじ)いておくという考え方である。(「抑止」には「防衛力による抑止」も考えられるが、一般に「攻撃力による抑止」のみに「抑止」という言葉があてられており、本稿でもそれによっている。)
日米安保条約のもとで、日本の自衛隊はもっぱら日本の防衛にあたり、「抑止」はアメリカに依存する(いわゆる「核の傘」)というのが従来の考え方であった。
それに対し、「抑止」をアメリカに全面的に依存するのではなく、日本も「抑止」の一端を担うというのが「拡大抑止」である。
自民維新連立合意文書の「我が国の抑止力の大幅な強化を行うため」というのは、すなわち、この「拡大抑止」の考え方に立っていることを示している。
アメリカの「核の傘」に日本による抑止力を加えるということであって、「核」による威嚇に加えうる威嚇とは何なのであろうかという疑問を生じさせ、論理的には日本の核武装までをも許容する道を開くこととなる。
「抑止」の追求が今日の核危機の時代を呼んだのであり、「抑止」の道が軍拡の道であることは歴史的にも明らかなはずだ。
そして、「自衛隊合憲政府見解」はそもそも「抑止」のための武力の保有を許容しておらず、「自衛隊合憲政府見解」によれば「抑止」のための武力の保有は憲法違反である。
「正当防衛」的自衛のための武力保有に限って許容されているのであり、限りなき軍拡競争を導き、我が国の軍事大国化を招きかねない「抑止」のための武力保有を憲法9条が認めるはずがない。(「拡大抑止」を推進しようとする高市内閣は、少なくとも「抑止」のための武力保有が合憲であるとの政府見解をまとめる義務があるが、立論はできないはずだ。)
次に「敵基地攻撃能力」についてである。
「敵基地攻撃能力」の保有の目的として、「抑止」のほかに、「急迫、不正の事態への対処」が考えられる。
敵基地で我が国に向けられたミサイルの発射ボタンが押される寸前である場合にこれを阻止する攻撃、発射直後まだ敵基地からミサイルが離れていない場合における攻撃などが考えられる。
もし、「敵基地攻撃能力」が純然たる「急迫、不正の事態への対処」を目的とするならば、「自衛隊合憲政府見解」に従えばそれは合憲である。
しかし、我が国が「急迫、不正の事態への対処」を目的として「敵基地攻撃能力」を保有したとしても、相手国にとってはそれが先制攻撃に使われる場合があるものとして脅威と考えざるを得ないであろう。
相手国はその脅威に対抗する能力を保有しようとするであろう。
その結果「敵基地攻撃能力」が不十分となる我が国は、それを超える「敵基地攻撃能力」を保有する必要に迫られる。
「敵基地攻撃能力」の保有は、「抑止」のための軍備と同様に、軍拡競争不可避の道なのである。
たとえ合憲でも戦略上保有するべきではないというのが合理的結論であろう。
「防衛費の「対GNP比2%水準」の今年度中の前倒し達成」と「いわゆる「防衛3文書」の来年中の改定」の実質的内容の主要な部分として、以上のような憲法違反で、限りなき軍拡競争の道に我が国を導き入れる「拡大抑止」と「敵基地攻撃能力」の推進があるのである。
そしてそれは、同盟国のより大きい軍事的責任分担と巨額の武器輸出を図っているアメリカ・トランプ政権の目標とも完全に一致する。
高市政権がトランプに歓迎されるのはあまりにも当然と言わねばならない。
高市政権の軍拡路線と対米追随を厳しく追及し、その撤回を図らねばならない。