2025年11月8日

 

 高市首相は昨日(11月7日(金))の(衆)予算委の立憲岡田克也議員の「台湾有事」に関する質問に答えて、「戦艦を使って、武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になりうるケースだと考える」「単に民間の船を並べて通りにくくすることは存立危機事態には当たらないと思うが、実際に戦争という状況の中での海上封鎖であり、ドローンも飛び、いろんな状況が起きた場合は別の見方ができる」「武力攻撃が発生したら、これは存立危機事態にあたる可能性が高い」と述べたとのことである。

 無意味で不毛な議論だと思う。

 そもそも政府として、いわゆる「台湾有事」を「存立危機事態」(後注参照)だとしたことはこれまでなかった。政府部内の組織的統制があるところではそのような見解が通る余地はなかったためと思われる。

 火をつけたのは、退任後の安倍元首相(現役首相の時には決してそのような不用意な発言はしなかった)、そして麻生元首相であり、台湾へのリップサービスの意味合いが強いものと考えられる。

 高市首相も就任前の総裁選においてその動きに乗る発言をしてしまっており、この問題の微妙さ、複雑さの認識不足のまま、昨日の国会答弁はそれにこだわったのではないだろうか。

 

 いわゆる「台湾有事」が我が国の武力行使につながるのは次のような場合であり、その他の場合は、たとえ台湾で何らかの軍事衝突があったとしても、我が国が武力行使に至ることは考えにくいと思われる。

 すなわち、台湾に発生した親中派と反中・独立派の内戦への介入、あるいは台湾の直接支配を目的に、中国が軍事行動(台湾空爆、台湾上陸、台湾海上封鎖等)を開始し、それを阻止すべくアメリカ軍が介入(海上封鎖解除、前線の中国軍攻撃、大陸の中国軍基地攻撃等)し、対応して中国が日本にある米軍基地を攻撃、さらに我が国のアメリカへの同調を予測して我が国(南西諸島に限られることなく日本全体が対象となる)を攻撃するという場合である。(以下、「我が国対応台湾有事」とする。)

 高市答弁も、その言葉遣いからして、この「我が国対応台湾有事」を想定していると推定できる。

 

 さて、「我が国対応台湾有事」は我が国が武力を行使する場合として法令で定められている「(我が国に対する)武力攻撃事態(武力攻撃が発生する明白な危険が切迫している事態も含まれる)」「存立危機事態」という2つの事態のうちのいずれに該当するであろうか?

 事態の重大性は、「我が国対応台湾有事」が「(我が国に対する)武力攻撃事態」をもたらすところにあり、それなくして「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」(「存立危機事態」の定義の一部)が生じるわけではない。

 したがって、「我が国対応台湾有事」は、「存立危機事態」ではなく、武力攻撃危険切迫の事態を含む「(我が国に対する)武力攻撃事態」なのである。

 逆に言えば、「(我が国に対する)武力攻撃事態」を予測しえない事態、例えばアメリカ軍の非介入の事態は、台湾における軍事衝突の発生を「台湾有事」としたとしても、「我が国対応台湾有事」とはならないのである。

 「(我が国に対する)武力攻撃事態」を離れて「台湾有事」が「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」であると説明するのは無理であり、舌を嚙まないではいられない。

 

 結論的にいえば、高市答弁は、「(我が国に対する)武力攻撃事態」のうちの「武力攻撃危険切迫の事態」を「存立危機事態」と混同した間違いである。

 そして、間違いをもたらした原因は、「集団的自衛権」の部分的解除を狙って、具体的なケースをあげて説明できない「存立危機事態」という、安倍内閣によって出ちあげられたカラの概念を自分も正当化しようとのこだわりにあると考えられる。

 そういう意味では高市首相は犠牲者であり、今回の対応ぶりを維持しようとすれば、国会答弁に行き詰って政権の命取りになりかねない。

 防衛省、内閣官房、内閣法制局等、そして防衛大臣小泉、官房長官木原は高市首相をよく支えられるであろうか?

 

(注:「存立危機事態」とは、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」(いわゆる「事態対処法第2条(定義)」)であり、この事態への対処として我が国は武力の行使ができることになっている。)