その努力は本物ですか?
皆様こんにちは。心理セラピストのAkiです。さていきなりですが質問です。Q1「成功のために努力しますか?」「当たり前」なこと何聞いてんねん!!(関西弁)みたいな話ですが少しこの「当たり前」について考えていこうと思います。というわけで言い方を少し変えますね、Q1.5「もし努力せずに成功するとしたらあなたは努力しますか?」努力が大切じゃないとか必要ないとかそういう話ではありません。夢とか成功のために頑張ることってとても大切だと思います。その頑張りや努力したことは記憶に鮮明に残るでしょう。逆にすぐにちゃちゃっと出来てしまっては記憶に残りづらいです。でもそれって「成功」のための努力ですよね。だから「成功」がゴールならばQ1.5の答えはしない寄りの答えもしくは努力することが楽しいからするのような努力に肯定的な答えが即答されるはずです。でも即答できない時人はどのような思い込みがあるのでしょうか。そもそも「努力」って何でしょうか?私にとって努力とは少し遠回しな言い方ですが「人生において成功した時に振り返って見えた足跡」みたいなものと思っています。つまり努力って言葉は本来過去に使う言葉なんですよね。勿論未来でも使える言葉なんですけれどそれって少し怖い可能性を秘めることがあります。「目標のすり替わり」です。Q1,5をもう一度見て下さい。そもそも努力って何のためにするのって話です。成功のためですよね?だからもし努力しなくても成功するのが確定しているなら努力する必要はないはずです。それでも特に日本人は努力することが美徳、そもそも「成功」より「努力」が大切みたいな状態になっているわけです。変な話ですよね(笑)そのためいつの間にか努力=目標になっているため努力し続ける=目標が叶っているみたいな訳のわからないことが起こってしまっています。そしてさらに努力=苦痛であることみたいな本来必要のない尾ひれもついて苦痛を伴いながら頑張ろうという日本人の美徳が完成してしまいます。勿論それが好きならそれでもいいんだけど結構皆さん苦しそうですよ。そしてその苦しさが不幸自慢大会になりそれが足並み揃えたい日本人の文化に更に不幸のループを加速させるという話は逸れましたけれどこういうことが今起こっています。努力って苦しい時もあるけど成功のために無心でやってるものだから本来楽しいもののはずなのにね。そりゃあ記憶に残したいために多少は苦しくても良いかもだけど今多いのはそもそも成功などのゴールをあやふやにして苦しい努力を延々とやって苦しむゲームをやっているケースね。でも大体そういうことを言うと本人は本気で努力しているわけですから怒ります、ガチギレするでしょう。本気で努力しているのに成功しない時、人は心の奥底で葛藤しています。今回は努力が美徳と思いこんで努力し続ける為に成功しないケース。そして少し途中で脱線した話で出てきた足並み揃えるために成功といった大きく変化が起こることを避けるケース。他にも色々ありますが皆様はあてはまりましたか?当てはまっていたとしてもいつでも人は気づいた時から変われますよ。ではでは(^^)/