《マッチ売りの少女》

ゴールデンウィークは連日、里親希望者宅に猫を連れてお見合い回りです。先住猫さんが子猫を威嚇しまくる家もあれば、子猫にパニクって逃げ隠れする家もあります。先住猫がいなくてホッとしていると、小さな子どもさんがしきりに目を擦って赤く腫れて、くしゃみが止まらなくなって…猫アレルギーだと判ったり、家族の中で猫を飼うことを反対している人がいることが解ったり…足を運んでも、その先に進む確率は半分以下です。私はさり気なくもしっかりと、思いがけない展開になった時の家人の対応や表情を見ています。常に心の中に灯しているのは、「不幸な境遇を何とか生き延びてきた命なんだ、幸せになれる道に送り出さねば…」という切望です。
トライアルに進んでもまとまらないこともあるし…里親探しは、コミュニケーション能力や洞察力や聞きにくいことも確認する勇気と相手の身になる包容力も必要な、とても責任の重い、心身が疲れる作業です。
なかなか良縁に恵まれない子は、いじらしくなって、うちの子にしたくなります。しかし、私自身が高齢者の括りに入り、日に日に貧乏になっていく現実を鑑みれば、無責任な絵空事は逃げ口上にもなりません。

3月から不妊予防センターに派遣する獣医師が足りないとの理由で、隔週の開院になってしまいました。収入が半分になったとしても、経費は半分にはなりません。そもそも価格を低く設定して、それでも払えない人達には、支払われないことを承知で手術してきた病院事業です。毎週やっていても、幾らか赤字が出る経営状態でしたから、今後はやればやるほど赤字が膨らむのは確実です。

それでも、できる限りやり続けるのは、2008年4月1日にスタートした時の「不幸になる命を生ませない」という目的を一般の動物病院と変わらないやり方で、低価格で実施している機関が他にないからです。始めた頃は「小さな規模で先駆的なことをやれば、やがて行政が動いてくれる」と想っていましたが…16年経っても、野良猫を増やさないためのスペイクリニックは、日本では未だ一般化していません。不妊予防センターを止めてしまえば、猫が大勢いて、普通の動物病院の手術費用はとても出せない人や、エサ代だけで底をつく生活困窮者が相談する先がなくなります。
人手不足の病院の反対を押し切るようにして来てくれる獣医さんがいる限り、たとえ隔週でも、背負えるところまでの赤字を工面しながら、1日でも長く「捨てる命を生ませない」手術を、1匹でも多くの猫に施していきます。15年前に研修医で来た時、最初の手術で執刀した猫のその後が気になるからと相談され、一緒にそのお宅を訪ねた若い女医さんを、「神経が細やかな動物の身になれる先生になるだろう」と見守りましたが…今や難易度の高い手術にも定評ある外科医に成長して、不妊予防センターでは1日十数匹の避妊・去勢をこなします。

時が磨き、紡いだ軌跡だから、この火を守って、いつか野良猫が無料で避妊・去勢手術を受けられるスペイクリニックができる《聖火》につながることを願っています。その日まで私は…雪降る街角に立つ《マッチ売りの少女》の如く、売れないマッチを差し出し続けるしかないのです。もしも、ある朝、少女が凍え死んでいたら…どうか、志を同じくする人たちは、少女のエプロンのポケットから売れ残りのマッチを取り出して、この夢を灯し続けて下さい。




不妊予防センター、隔週の開院になってからは、毎回12~14匹の手術をこなしています。そのうちの半数が捕獲器で来る野良猫たち。





エサを与えている人も触れない子は、5日間ほど待合室に預かって、服を脱がせて傷の確認をしてからリリース。





人懐っこい子は、里親探し。この子は、初めて猫を飼う若い男性のアパートに引き取られて、「ビギナー同士少しずつ仲良くなってね」とアドバイスして来たのですが、「甘えてくれるようになりました~」と、彼女みたいに大切にしてもらっています。





《東へ西へ》

「餌を与えている野良猫のお腹が大きくなってきたから、避妊手術してもらいたい」という奥さんが、アニマルクラブに飛び込んできたことを聞きました。いつものことなので、ボランティアさんは連絡先を聞いて、私にメールで伝えてくれました。予約が空いているのは5月末ですが、それでは間に合わなくなると思い、5月2週目の手術日に何とか入れて、電話で話すと、猫のお腹はかなり大きくなっている様子です。
聞けば、昨年の初夏にも出産して、そのお宅の庭には、この母猫の他に大きくなった子猫2匹もいて、1匹は女の子だと言います。その子だって、妊娠している可能性大です。子供達の手術も促し、母猫が手術前にどこかで出産して、赤ちゃんがカラスに襲われたりする危険や、昨年のように子猫が大きくなって人馴れしなくなってから連れて来られても、里親を探せなくなることを説明して、早めに捕獲器を貸すことにしました。

数日後、捕獲器に入った猫がパニクって暴れる様子に、奥さんもすっかり動転して、同じショートメールが3回来ました。次は空メールが2回~向こうは用件を伝えたつもりかもしれません。捕獲器の中で何か起きたのか?あるいは知らないうちに何か請け負ったことになっても困るので、電話しました。「大きなケージに移すので、捕獲器にバスタオルを掛けて、アニマルクラブまで連れて来るように」伝えました。「車の中でもすごく暴れた、私も引っ掻かれた、猫のどこからか…血が出ている」と窮状を訴えながら、捕獲器を待合室の中に置くと、泣き出さんばかりの顔で立ち去ったそうです。

「お腹、すごく大きいよ。なんでここまで放っておいたんだろう」「去年も産んだんだもの、また生まれるってわかっているはずだよね」と、ボランティアさん達は首を傾げますが、目の前にありありと突き付けられないと、動き出さない人達がいます。そして、その人達は目の前で起きていたことが、自分の生活にも関わる大ごとだと気づいた瞬間に、心をわしづかみにひっくり返されて、ただうろたえて右往左往するばかりです。誰かが解決してくれることを懇願するしか、解決の術を持たない人達に関わることが、いつも私の一苦労の始まりになります。

私は、今にも産みそうなお腹の大きさを目の当たりにして、もう間に合わない予感がしました。一番大きなケージに、段ボールをくり抜き、座布団と毛布を敷いて産箱を作って入れて、トイレと水入れもセットして、猫を移して、迎えに来てもらいました。
何とか入れた予約日はまだ半月余り先です。でも、3日先に、その前の手術日があります。最後の望みの綱~満タン13匹の予約者の中から、急いで手術しなくても大丈夫な猫をリストアップして、予約を譲ってもらえないかと、お願いしてみました。ありがたいことに、予約日を交換してくれる方が見つかりました。

それなのに…2日後、出産が始まったという連絡がきて、しかも、段ボールを噛み壊し、トイレの中で産んでいるそうです。その様子に慌てふためく奥さんに、「そっとしておいて」とアドバイスするも…細切れの報告は彼女の精神安定剤にもなっているようで、2日経っても「まだ親子でトイレの中にいるんです。このままにしておくしかないのでしょうか」というSOSに、「明日行ってみます」という返事をせざるを得なくなりました。

気の進まない道のりには、不運が付きものです。市内ですが、大分田舎の方でした。国道から住宅地を抜け、田園沿いの道を走り続けました。私が運転する車は、東日本大震災の津波の浸水で前の車がダメになって、地震保険で購入したからもう13年…既に10000キロ走っていた新古車でしたから、さらに1年は古いと想います
去年古川市までお見合いに行った帰り道、ブレーキを踏む度に変な音がして…故障が発覚し、今年の冬はオイル漏れも2箇所見つかって、修理費も高かったので、今年中に買い換えるつもりでした。ところが、この先を考えて自動ブレーキが付いた最新の軽ワゴン車の見積もりを出してもらったら約180万円になり、決心がつきませんでした。
近年の物価高でアニマルクラブの持ち金がどんどん減っているから、私の貯金もなくなると、フード代や医療費が本当に払えなくなるのではないか…と怖じ気づいてしまったのです。

ボランティアさん達が「良い映画だったよ」と話していた『ボブという名の猫』の続編がテレビで放映された時も、録画したのに…最初の方の、猫を抱えて貧乏してる描写を観ただけで、身につまされて気持ちが滅入るので…2回チャレンジしましたが、結局観れませんでした。


ボロ車の古ナビは、私を軽自動車がようやく通れる位の、細い土手の上に案内しました。土手の左手下側には住宅が並んでいました。もう少し先の左側に、目的地の旗印が付いています。「えっ!この先に、住宅地に下る道があるの?」と想いながら進んで行きましたが、車が下りられるような道は出てきません。そして…道が二股に分かれる所まで来てしまいました。どちらもさらに細くて、車が通れるような道ではありません。左手は急な上り坂で、右手は下りだったので、分岐点に車を停めて、どうなっているのか…小走りで見てきましたが、どうもなっていません~草茫々です。戻るしかありません。
「えーっ!どうやってバックすんの?」
「真っ逆さまに堕ちてデザイヤー♪」という歌が頭を占拠しています。自分を落ち着かせて励ますしかないから、頭の有線を《応援ソング》のチャンネルに変えて、「頑張れ、みんな頑張れ、雲は流れて東へ西へ♬」と小声で歌って、少しずつ少しずつ切り返して車の向きを変えていきました。
下り坂にバックしながら切り返すので、サイドブレーキをかけたまま、ずるずると下がりそうになりながら…13年間私をあちこちに運んでくれた《相棒》を信じて、《デザイヤーの悪夢》と格闘しました。東へ西へ流れる雲を見つめながら、明るいうちに来れたのが、不幸中の幸いだと感じました。
やっと通りに生還して、奥さんに電話して、道順を尋ねましが、またしてもパニクっていて要領を得ないので、迎えに来てもらいました。通り沿いのすぐ近くから、土手の方へ入った所でした。敷地内に小さな事務所があり、その中に置かれたケージの中~トイレを巣にして、母猫が子育てをしていました。なんと、6匹も産んでいました。奥さんは事務所の前を、おろおろと行ったり来たりしています。私は車から新しいケージを降ろして、「ゆっくり移動しますから、お家に入ってて良いですよ」と声をかけました。母親に警戒されないように、注意してやらなくてはない作業だからです。

最初に、持参した突っ張り棒と菜箸を使って、ケージの外から親猫を洗濯ネットに入れました。次に子猫達を持参したキャリーに移しましたが、4匹目を持ち上げたら、3匹つながってきました。茶トラのへその緒と、キジトラ2匹の足が絡みついていました。その時は胎盤の残物が絡まっているのかと想い、ひとまずキャリーに全員を移して、汚いケージを撤去して、同じ大きさの新しいケージを組み立てました。中に新品のドーム型の大きなベッドを入れて、トイレと水入れをセットして、とりあえず親猫をネットに入れたままベッドに入れました。

汚れたケージを外に出したついでに奥さんを呼んで、バケツにお湯とタオルを持ってくるように、頼みました。くっついている子猫達を拭いてやろうと思ったのですが、バスタオルの上に3匹を取り出してビックリ。汚れで固まっていたのではなくて、まるで干涸らびた小さな蛇のように、へその緒が足に絡みついて、キジトラの一方の後ろ足の長さは半分もないのです。拭いて何とかなる話ではありませんでした。

もうすぐ動物病院は終わる時間です。私は急いで電話して状況を話し、これから診て欲しいとお願いしました。そして、奥さんを呼んで、この病院に連れて行くようにと、スマホで検索して見せました。奥さんは、生後3日目の子猫3匹がつながっているのを見ると、へなへなと地面にしゃがみ込み、手で顔を覆ってしまいました。次に「お父さんに電話!」を掛けていましたが、すぐには戻れないようでした。「病院が閉まるから、とにかく向かって。お父さんとは、病院で待ち合わせれば良いでしょう」と、奥さんと3匹の子猫を入れたキャリーを送り出しました。
事務所の掃除をして、新しいケージの寝心地の良いベッドに、親猫と3匹を入れたところに、旦那さんが帰ってきました。お祖母ちゃんから事情を聞いたようなので、病院に向かってもらおうと事務所の外に出ると、またしても驚愕の現実が、私を待ち受けていました…

庭に2匹の猫がいました。親猫が昨年生んだ子達です。茶トラが男の子で、キジトラが女の子でしょう。私の目が、母親と遜色ない位に大きい娘のお腹に釘付けになりました。手術の予約は2週間先~間に合わない、と直感しました。こんなに大きいなら、なぜ、せっかく譲ってもらった昨日の手術の予約に、「母猫の代わりにこの子を入れて下さい」と言う、機転が利かなかったのでしょうか?
旦那さんを呼び止め、「病院に行ったら、早めに避妊手術してもらえないか、聞いてみた方が良いと思います。アニマルクラブに入れた予約の日まではもたないと想いますよ。多少お金かかっても、ここでまた子猫が生まれたら大変だから」と伝えました。

やっと帰路に向かう時、お祖母ちゃんがお茶とお菓子をくれました。「面倒かけたね~おらいの人達も、もっと早くやんねっけねがったのさ~」と、一番まともなことをおっしゃっていました。地に足をつけて東へ西へ、人生経験を積んだ人は正解を知っています。スマホで提供を受け、やってもらえるサービスを探すばかりでは、頭にも心にもポイントは貯まらないと感じました。
その夜、「3匹の子猫は離してもらって、成長と共に足がどうなっていくのかを見ることになった」と報告を受けました。そして、やはりこの時季はどこの動物病院も混んでいて、「近々の避妊手術の予約は取れなかった」ことも聞きました。
2、3日後、奥さんは捕獲器を借りに来て、翌日娘猫が入ると、恒例の大慌てで連れて来ましたが、「6匹の子猫は元気に育っています」と嬉しそうでした。そして、捕獲器からケージに移して、娘猫を返した翌朝、「お産が始まりました。今度はベッドの中で生んでいます」という報告がきました。5匹生んだそうです。次のステージは、母と娘が生んだ合わせて『11匹の猫』の里親探しです。
この子達がワクチンを受けて里親探し会にデビューするのは、7月です。夏は東へ西へ、お見合い回りに奔走です。一苦労は、延長戦に入りましたが、子猫の可愛さに促されて、パニック奥さんが少しずつ落ち着いて、暖かい目で見守れるようになってきたことが救いです。



私としてはこの箱の中でなら落ち着いて出産できると準備したのに、生む前に壊されて、隣のトイレでお産を始めたそうです。





へその緒と足がくっついた子猫達は、病院が終わる前に送り出すことで精一杯で、写真を撮る暇もありませんでした。お母さん、ケージを取り替えて、大きなフカフカのベッドに入れたら、今度は気に入ったみたいです。





間違って上がってしまった土手で、必死の進路変更~見守っていたのは、東へ西へ流れる雲と、誰にも気づかれずに咲いている花だけでした。






《ガンバの大冒険》

活動を段々と縮小していくと決めたのだから、私も相談者には、「引き取ることはできませんが、」と前置きしてから、できる協力を伝えるようにしています。
子猫を保護した男性に、「入れておくケージやトイレは貸しますから、里親が見つかるまでは面倒を見て下さい」とお願いして、ケージにはベッドや水入れも入れ、風邪気味だと言うから、内服と目薬も渡しました。せっせと薬を飲ませ、1日3回目薬も点けて、大分良くなったと聞いていたのに…1週間後、「ケージを返しに行きます」と連絡が来たので、子猫に里親を見つかったのかと想って尋ねたら、耳を疑う答えが返ってきました。「うちでもいつまでも預かっておけないし、そちらでは引き取らないって言うし、警察に電話して取りに来てもらったんです。警察の人に渡そうとしたら、子猫、走って逃げて行きました」
えっ!そんな判断するんだ~と、呆気にとられ、怒りもこみ上げてきましたが、ケンカしても猫は助からないから、「お腹空いたら、また戻って来るかもしれないから、ケージはまだ返さないで、姿を現したら、食べ物で釣って入れて、連れて来て下さい。こちらで猫を預かれる人を探しておきますので」と伝えました。
翌朝もその翌朝も、「冷えてるなぁ、風邪がまたぶり返してるかも…」「雨音がする、どこかで濡れているのだろうか…」と、会わぬまま消えてしまった子猫を案じて、嫌な目覚め方をしました。あの男性に「子猫は姿を見せませんか?保護できる人を見つけたました。」と、受け入れを保証するショートメールを送るくらいしかできません。
3日目、彼から「子猫が戻って来たので、ケージに入れました」という電話がきました。この人とて、子猫が逃げる様を目の当たりにして、自分の判断を悔いていたのかもしれません。現代を生きる人達の失態の根本にはいつも、腹を割った相談ができないコミュニケーション不足と、譲歩し合う思いやりの欠如があるような気がします。

「頑張ったね~よく逃げた。そして、よく戻ってきた!」と迎え入れたので、名前は『ガンバ』くんに決定。グレーで豹みたいな柄も入った洋猫系で、大きくなりそう~やはり、やんちゃ坊主でした。風邪症状はひどそうでしたが、注射をしたら、めきめきと元気になりました。食欲も旺盛だし、エイズ・白血病検査も陰性。風邪が治ったところでワクチンも受けたから、里親探しにlet's go~自分で運命を切り拓いたたくましい少年を、家族に迎えてくれるお宅を募集します。






「ぼく、たくさん冒険してここに行き着いたよ。今度は、安全安心なお家の中で、存分に暴れん坊したいなぁ~」





《フジコ・ヘミングさんからのメッセージ》

還ってくる命があれば、逝ってしまう命もあります。目覚ましスマホのニュースで、フジコ・ヘミングさんの訃報を知りました。

今年になってから、たまたま点けたテレビで、車いすに乗ってステージに向かうフジコさんの姿を見て、「随分年を取ったなぁ、それでも演奏してる、凄いなぁ」と感じたところでしたから、「来るべき時が来しまった」という気がしました。

まだ朝早くて、猫の掃除や水替えに取りかかるには、少し時間があったので、フジコさんからいただいたお手紙やファックスを出してきて、懐かしく読み返しました。
全身全霊をかけてピアノを弾いたように、世界平和や動物愛護を生涯のテーマとして生きた人だったと、改めて痛感しました。私は東京で開催されるお別れの会には行けないだろうけれど、フジコさんが願っていたことを皆さんに伝えることが、せめてもの恩返しのような気がしました。

不妊予防センターができたのもフジコさんのおかげだし、エコーを買うことができたのもフジコさんのおかげ…宮城県でコンサートがある度に、ご寄付をいただき、楽屋をお訪ねして気さくな素顔を垣間見れたことも、かけがえのない思い出です。何度かやりとりした手紙やファックスには、フジコさんのありのままの思いや願いが綴られていました。
特にパリからのお便りは、日本を離れて少し開放感もあるのか…無邪気な少女のようにピュアでハートフルでした。活字にしないで、その筆跡のまま、公開します。どうか、一人でも多くの方が、この志しを継いでくれますように…。




パリからのFAXその1



パリからのFAXその2




フジコさんからのお便りは、活動に疲れた時のビタミン剤。「似たようなこと思ってる。同じこと願っている。それをありのままに伝えている。だから、良いんだ~」
お洒落なポストカード、猫の表情が変わる遊び心が効いたカード…みんな宝物です。





1999年 仙台でコンサートが開催された時。 初対面でみんな緊張している。そして、みんな 若かったね~







《推し活を追い風に》


昨年の10月末に、すぐ近くで地区のフェスティバルが開催されたのですが、私は股関節の痛みがひどくて100メートル歩くのも苦痛だったので、顔も出しませんでした。アニマルクラブからは、みきちゃんがハンドマッサージや足揉みサロンを出店~活動資金を稼いでくれました。そこへ、石巻高校の生徒会長が現れて、「文化祭の収益をアニマルクラブに寄付する」と予告していったそうです。

そして…11月に人工股関節を入れる手術をして、見違えるように回復した私の元に、馬場会長が78232円を届けに来てくれたのは、ちょうど、クリスマスプレゼントのタイミングでした。「なぜアニマルクラブにくださったのか?」と尋ねると、「有名な大きな団体を支援する人は他にも大勢いるから、地元でボランティアで長年活動を続けているアニマルクラブを支援しようと思った、自分の家にも猫がいるし…」って答えでした。未来を担う若人達からの寄付だと思うと、猫の治療費なんかで一瞬に消えてしまうのは惜しい気がしました。


その1カ月前、私は石巻市立病院のベッドの上にいました。手術後の2日間は体を固定されて、身動きが取れなくてしんどかったけれど、3日目からは退屈で仕方ない12日間を過ごしました。その時、一気に書き上げた物語は、19歳で召集され、2年間看護学校で学んだ後、衛生兵として満州に派遣され、終戦後の5年間はシベリアに抑留された伯父から聞いた『戦時下の青春』でした。

伯父はフットワークの軽い、明朗快活な人で、捕虜時代の話すら淡々と、時にユーモラスに語れる人でした。とても若々しく健康で、てっきり100歳を超えて長生きすると誰もが信じていましたが…99歳、検診で見つかった心臓病の治療で入院して、呆気なく亡くなってしまいました。その半年前にたまたま、雨が止むまでの暇つぶしに聞いた話を元に書いた物語を出版する費用に、高校生が文化祭で稼いだお金を充てることにしました。

伯父は「人を殺すのは嫌だったから衛生兵を志願した」と言っていました。シベリア抑留時代は、農作業を手伝ったロシアの民間人とも気さくに付き合い、作業中にこっそり隠しておいたジャガイモを茹でてもらったり、スープをご馳走になったり…日本への帰還が決まった時には、その係を買って出て、「帰国が最後になろうとも、帰ることが決まったのなら、安全な仕事をして命を守ろうと判断した」と言っていました。選択肢が非常に狭かった時代~抗うのではなく、生き延びる道を模索し続けた前向きな柔軟さを、コミュニケーションがやや苦手な人も多そうな…現代の若者に伝えたいと思いました。

新聞部部長でもある馬場くんに、現代の青少年には解りにくいところがないか、原稿の校正をお願いしました。まめに赤を入れてもらって、今は時代考証の目的で、戦時下の物を集めて、個人で平和資料館を持ち、毎年夏にテーマを設けて、かつての状況を調べて公表して、その生活を伝える物品を展示して、平和を守っていくことがいかに大切かを訴え続けている、元教員の佐々木慶一郎さんに読んでもらっています。


挿絵を担当してもらう、イラストレーターの柴本礼さんからは、各章のラフが送られて来るようになりました。「ここはどんな地形?」「どんな景色が見えたのかしら?」「伯母さんはどんな人?」と矢継ぎ早に質問が来るので、何と応えたら良いのか、閉口する場面もありますが…それだけ、熱が入って、嬉しい限りです。

そして、私の頭に浮かんだ今回の本のテーマ~人のたけしと猫のたけしの命の交錯が生んだ奇跡を、石巻高校の浅水さんに話したら、見事そのイメージをポスターに描いてくれました。

50年間走り続けて、廃車になりそうなアニマルクラブを、十代の高校生が『推し活』してくれているのです。ここからエンジンがかかるかどうかは、燃料を調達できるかどうかにかかっています。…皆さんも、どうか、この本『たけやん』のことや、アニマルクラブの活動を広めて、助けてくれる人を増やす『推し活』にご参加下さい。

9月26日から10月6日、イオンモール石巻で開催する、『パネル展&残していくペットのための遺言書ワークショップ』に、より多くの人を動員できるように、予告を早めに流します。パネル展のポスターも、浅水さんが、ほんわか可愛らしく描いてくれました。

私はもう、まな板の鯉です。人事を尽くして天命を待つしかありません。






浅水さんは、1年生だった2月に、「猫にまつわる社会問題」の地域探求で、アニマルクラブに取材の申込みをしてきました。これまでも色々な学校から、授業の課題で、アニマルクラブを見学したい、話を聞きたいという申し入れは何度もありましたが、正直言って、今後ボランティアで来てくれる学生さんになら時間を割いて仕事も教えますが、課題をこなすために協力する余裕はないので、全て断ってきました
しかし、浅水さんの、用意周到な質問ファイルや
「今の私達にはアニマルクラブ石巻さんの活動や抱えている問題をたくさんの人に伝えることが出来ると思っています」という自信に満ちた態度に、会ってみたいと思いました。
正解でした。アニマルクラブが抱えている問題を、社会に投げかける一役を担ってくれました!





2024年5月5日