久しぶりにジョー松阿弥の話をしよう。

俺がジョーの下に配属されるよりいくぶん前の話で、
ジョーがその店に異動になった直後くらいに起こった信じられない出来事だ。

ジョーが店に行ってみたところ、とにかくもう雰囲気が悪くて、仕事ぶりも中途半端。
レジ閉めでも金額間違いが多発し、中にはどう考えても着服じゃないかという事例まで発生。
ジョーが何度熱く指導しても、バイトたちの意識を変えるのは難しかった。
そこでジョーがとった行動、それはもう、バカ、この一言に尽きる。

なんと、ジョーは、ある日突然、




































全員、解雇した。








雇用に関する法律があるため、その日から全員無職ということではなく、
全員を集めて全員に一ヶ月後に解雇するという通達を出した、というのが本当のところ。
これに怒ったバイト数人は自ら辞めていったが、そういう気概さえない連中は、
その後も淡々とやる気のない姿勢のまま仕事を続けていった。
中には気持ちを入れ替えたように見える人もいたようだが、
ジョーの解雇通達どおり、辞めずに残った全員も解雇された。



一ヶ月の間、さすがにジョーだって何もしていなかったわけではない。
アルバイトの募集をかけ、なんとか人員を確保するように努めた。
しかし、そこで人数確保だけにとらわれてしまっては、結局同じことの繰り返した。
ジョーは妥協なく人選を行ない、中途半端に済ませることはしなかった。
その結果、一ヶ月で集まった人数3人。
ジョーがこだわったにしては、多い方なのかもしれない。
店をまわすには、圧倒的に少なすぎるけれど。

全員解雇された翌日からの数日間、ジョーと3人の働きぶりは壮絶だったらしい。
休憩は譲り合い、仕事は取り合う。
当時の店の状況を知る、ある先輩社員が言っていた。

「武道の達人なら、店内の殺気のような張り詰めた空気に気づいたかもしれない」

それほどのものだったようだ。


この話の面白いところは、実はここからだ。
なんと、解雇された人たちの中の2人が、
「無給で良いです」
と店に手伝いに来たというのだ。
ジョーは、ありがとう、とも、ごめんな、とも言わなかったらしい。
ただ2人にエプロンを放り投げ、
「やろうぜ」
ただその一言だけだった。

後に俺が配属された時には、この2人がバイトを仕切るチーフのような立場になっていた。
酒の席で、彼らは当時を振り返り、
「バカに感化されたんでしょうね」
と笑っていた。
熱いバカは、伝染するらしい。



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自分の勤務先病院で、知っている先生に麻酔をかけられ、
知っている先生たちに手術をされるのは変な感覚。

それはともかく、土曜日に全身麻酔で手術して、月曜日から仕事開始しました。
とはいえ、入院は継続して、病室から一階の外来へ通勤するという感じ。
看護師さんたちからは病人に見えない、タフだと言われつつ、
内心では、イテテテテ、と思いながら移動する感じです。
今日、退院しました。
土曜日に緊急手術だったので、3泊4日。
結構、早い退院だと思います。

ま、そのタフさも、過去に勤務していたブックオフで身に着いたんでしょう。
当時の上司が、↓コチラ

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離島にきて3ヶ月。

未だに寂しさになれないけれど、それでも毎日は過ぎていく。

人口3万5千人のこの島で、精神科医はたったの3人。
1人で1万人強の精神衛生を任されているとも言える。
そう考えると、これは結構やりがいのあることである。

最近。
ブックオフ時代のことを思い出すことも多い。
私企業で働いたことがあるという経験は、
精神科医として大いに役立っているのだと感じる。

それはそうと、日本サッカーの本田選手の活躍が凄い。
ビッグマウスで気に食わないと思っていたけれど、
実力もしっかりあって、久しぶりにカッコ良い選手だと感じた。

ビッグマウス。
それは宣言であり、予告であり、自らの中での誓いにも似た意味を持ち、
自分をより高みに連れて行ってくれるものなのかもしれない。

医師になろうと決めた時。
いろいろな人に話しまくった。
よくよく考えてみると、あれもビッグマウスと感じられたんだろうな。

俺のよく知る人に、もう一人、ビッグマウスな人がいる。
どういう形で高みの姿を見せてくれるのか、楽しみだ。

それが、この人。
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彼が退院して一カ月したころ。

病院で彼を担当した保健所の人と会ったので、
気になっていた例の男性がどうしているか聞いてみた。

母の愛というものの深さをしみじみ感じる話だった。

 
保健所職員は、やはり彼を放っておくわけにもいかず、
何度も彼の実家へ電話をかけたそうだ。
そして、彼の現状を話し、どうか彼に会ってほしいと頼んだそうだ。
当初、彼の母は、
「うちの息子ではない」
「とうの昔に勘当した」
そういって、彼を強く拒絶していた。

しかし、やはり母親。
このまま見捨てるわけにもいかないから、
とりあえず実家へ戻ってきなさいということになり、
保健所職員とともに、彼は実家へ帰った。

母にしてみれば。
息子は前科七犯。
世間様に何回も迷惑をかけてきた息子。
息子が刑務所で服役中に、父親は死んだ。
獄中の息子には、そのことを知らせることさえしなかった。
一生、縁を切ろうと思っていた。
そんな息子と、十年以上の時間を空けての再会。


母は、息子を見るなり、

「よう帰ってきた。よう帰ってきた」

そう言って、号泣した。


保健所の職員さんも胸が詰まったらしい。
やはり、母親は母親なのだ。


家族会議が開かれ、彼を見捨てたはずの兄弟たちも、
彼が今度こそ改心するつもりなのであれば援助をしようと申し出た。
結局、彼は兄弟を頼って他県へ行ったとのことだった。


母の愛、兄弟の絆。
そういったことを感じた後日譚であった。



それから。



この一連の話のきっかけは、彼が何気なく先祖の墓参りに行き、
そこで父親の死を知ったことから始まったものだった。

亡くなった父親の導きのいうものも、あったのかもしれない。





人と人のつながりは、運命なんでしょう。
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そのまま、彼は歩いて二時間の距離にある警察署へ駆け込んだ。
市長宅前で自殺すると言っていたのに。
警察署で彼は、
「助けて下さい。どうして良いか分かりません」
と泣きついた。
警察とは、そういう人を助ける機関ではない。
結局、警察は保健所職員を再度呼び出した。

そこで、彼は署員と保健所職員から、
更生保護施設に行って更生することが必要と諭された。
彼の反応は、
「説教はもうたくさんです!!」
そう一方的に叫んで、部屋から出て行ったそうだ。

保健所職員が警察署から帰ろうとすると、
ロビーで彼が待ち構えていた。
「お世話になったから、挨拶だけでも」
そう言って保健所職員に言葉をかけたらしい。
それから、
「助けて下さい。もう一回、あの病院に入院させてください」
と泣きついてきた。
保健所職員は、初診時も同席していたし、ケア会議にも参加し、
ついさっきも「説教はもうたくさん」と言われたばかりである。

職員は、改めて彼に語りかけた。
「あなたは、たくさんの人から助けてもらったのです。
長い時間話し合って、やり直すための道筋も作ってもらった。
それなのに、あなたは、我慢はイヤ、努力もイヤという態度しか示さない。
もう、これ以上の手は貸せない。病院に入院できるはずもない。
更生保護施設に行くか、実家に頭を下げて帰るか。
いずれにしても、道は示しました。あとは、あなたが決めて下さい」

それから彼がどうなったのか。
今のところ、誰も知らない。

結局、彼は「自殺する」とでも言えば病院が止めてくれると思ったのだろう。
ところが、呆気なく退院させられてしまった。
おそらく、彼は今までずっと、同じような手段で切り抜けてきたのだ。
自殺すると言ったり、実際にカミソリの刃を飲んだり、針を飲んだりしていたようだ。
カミソリも針も、「紙に包んで飲むから、怪我はしないんです」とのことだった。

いわゆる人格障害の部類に入る人だったのだろう。

それから、刑務所は、もう少し更生に力を入れて欲しい。
何年か懲らしめて外に出すだけでは、あまり意味がない。
再犯を繰り返すだけだ。


ところが、一ヶ月後、驚きの結末を聞いた。







ジョーアニキ伝説はしばし待たれよ!!
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線の細い彼は、俺の目を見てこう言ったのだった。
「結局、市は何もしてくれなかった」
そして、こう続けた。
「今から市長の自宅前に行き、自分に火をつけて自殺します。
私が死ぬことが、市の教訓になりますよ。
私みたいな人に手助けをしないと、これからも死人がたくさん出ます」
俺の我慢も限界だった。

俺は彼の目を見据えて言った。
「あなたね、それは脅迫ですよ」
彼は表情を変えずに、
「脅迫じゃないです。市が何もしてくれなかった結果です」
と言った。
俺は、自己責任感の感じられない萎びた表情の彼を、半ば睨みながら、
「人にナイフを突き付けるのも、自分にナイフを向けるのも、
自分の要求を通すためにするのなら、それはね、脅迫なんですよ」
と諭した。
しかし、彼には通じず、
「市が何もしてくれなかった結果です。脅迫ではありません」
と繰り返すばかり。
「それはね、脅迫ですよ。脅迫なんですよ。
あなたが何と言おうと、脅迫なんです。
それにね、市が何もしてくれないと言いますが、
私たちは午前中に二時間話し合って、あなたの今後を考えて、
あなたが望む暮らしに向けてどうしたら良いのかを探したんです。
その場に市の職員も二人いたんですよ。
そして、その結果が更生保護施設なんです」
そう強く言う俺に対して、彼はやはり同じ表情で、
「更生保護施設には行きたくありません。
市が何もしてくれなかったから、私は市長宅の前で焼死します。
そして、それが市の教訓になるんです」
そう言った。
俺はもう馬鹿の相手には疲れてきていたが、最後の気力を振り絞った。
「市の教訓ねぇ……。あなたみたいな人には関わらないという教訓にはなるかもしれません」
怒り出して暴れるかと思ったが、彼は淡々と荷物をまとめた。

結局、彼は退院した。
一応保健所の電話番号を書いたメモを渡したが、
彼はそれを俺たちの目の前で黙々と破り捨てた。
病院敷地内から彼が出て行ったのを確認して、俺は警察へ電話した。
市長宅前で焼身自殺すると言っている人が退院したから、
あとは警察のほうで対応して下さい、ということを伝えた。



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彼の今後の方向性に関して、ケア会議が開かれた。
参加者は、俺、指導医、病棟師長、ソーシャルワーカー二名、
市役所保護課職員二名、保健所職員一名。
午前中、二時間ほど議論を重ねた。

彼の生活能力のなさが問題だった。
まずは一人暮らしをできると認められなければ、
単身生活のためのアパートの手配はできないと保護課は言う。
それは当然だ。

そこで、まず一人暮らしの能力を身につけるために、
更生保護施設を行くべきであろうという結論に達した。
その施設が入所を拒否するようなら、それからまた別の道を模索する。
とにかく、まずはその施設入所にトライすべきである。
一人暮らしの能力があると認められたら、
生活保護もアパートの手配もできるということであった。
その後、本人を呼んで、俺、保健所職員、保護課職員それぞれから、
今後の方針に関して一つ一つ説明し、彼は同意した。

午後。
彼が「退院する」と言い出した。
もともと、医療的には入院の必要のない人である。
止める理由は一つもない。
とはいえ、理由は聞いておきたい。
彼を面談室へ呼び出した。
俺以外に、指導医、病棟師長、ソーシャルワーカーが同席。

退院したい理由を問うと、彼はこう答えた。
「最初に聞いていた話と違う。納得がいかない」
彼の言っている意味が分からなかった。
午前中、二時間もかけて彼の今後を話し合い、彼に結論を伝え、
それに彼は同意したはずではなかったのか。
そこで、何が納得いかないのかを聞いた。彼は、
「生活保護課の職員からは、病院に入院したら生活保護ももらえて、
アパートも手配してもらえるという風に聞いていた」
と答えた。
俺は、その件に関しては午前中に説明したように、
まずは更生保護施設で一人暮らしの能力を身につけてからということを説明した。
すると、彼はこう言った。
「更生保護施設には行きたくない。顔見知りに会いたくない」
なんというワガママ。
結局、自分では何一つ努力したり我慢したりしたくないのだ。

そして、彼が最後に放った一言が、俺の怒りに火をつけた。


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やって来たのは、拍子抜けするくらい線の細い、気弱そうな男だった。
診察した限りでは、入院が必要なほどの精神病症状はなかった。
しかし、彼を入院させずに放りだすと、彼は何か罪を犯す。
そして刑務所に戻る。
それは、別に医療者や病院には関係のないことだ。
とはいえ、彼から被害に遭う人がいることも確か。

俺、指導医、看護師数名、保健所職員とで一時間半ほど、
彼の今後の処遇をどうするか、喧々諤々の議論が交わされた。
結論として、俺たちは彼に入院を勧めた。
精神病があるかどうか、診断目的での入院である。
彼は、それに同意した。

俺は彼に病棟内で他の患者ともトラブルなく過ごすようにと伝えた。
すると、急に彼の顔が曇った。
そして、
「入院しません。通院します」
と言い出した。
理由を問うと、
「独房での生活が長かったから他の人とうまくやれない」
とのことだった。
「雑居房では生活できない。個室が良い」
なんともムシの良い話ではあるが、
とりあえずは様子を見るために、個室での入院となった。

事件は、二日後に起こった。

つづく



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