ひどい話である。

刑務所とは更生を促す場所だと思っていたのだが、
この人の場合、独房に入ったきり、まったく生活訓練がなされなかった。
その状態で社会に放り出されてしまった彼が、
また刑務所に戻るしかないと考えるのも無理はない。

それでも、彼は思いとどまった。
単なる偶然なのか、亡くなった父の導きなのか。
とにかく、彼は刑務所ではなく社会で自立して生活しようと決心した。
そこで、彼は幻聴を訴えて警察署へ駆け込んだ。

まず、警察署に保健所職員が呼ばれた。
彼に『措置入院』という強制入院が必要かどうかを確かめるためだ。
結果として、彼は非常に落ち着いており、措置入院は不要と判断された。
保健所職員は、病院受診および今後の生活のために、
生活保護を受けるようアドバイスをした。

彼はそのアドバイスにしたがって、市役所の保護課を訪れた。
しかし、職員からは、
「住所不定の人には生活保護は出せない。まずは住所を定めるように」
と言われた。
彼には住所がない。
保健所職員が彼を哀れんで尽力し、数日間当院に入院し、
当院住所で申請書を出すという方法を考えた。

当院は、あくまでも病院である。
治療の必要がない人を入院させることなどできない。
彼は前科があるため救護施設には入れない。
保護カードがなく、更生保護施設にも行けない。
住所がないから生活保護も申請できない。
八方ふさがり。

結局、保健所職員が尽力し、「検診命令」という形で当院受診となった。

前科七犯の男がやって来る。
どんな人なのか、診察担当の俺は少し身構えた。

つづく



応援ブログ 読まずに逃すな!!
ある人の話をする。

48歳、前科七犯。
窃盗、詐欺、恐喝など。
18歳から48歳までの30年間で、28年間を刑務所暮らし。
社会生活は2年間だけだが、その期間も暴力団に関わるなど、
まともな社会生活は送ってこなかった。
家族とは絶縁状態。

最後の服役中。
彼は他の服役囚や看守とトラブルを起こし続けるため、
窓もないような独房に一年間入れられた。
独房生活が長引くと、拘禁反応というものが出てくる。
症状は人によって違うが、幻覚が出てきたり、解離を起こしたり。
彼は、白い人のようなものが見えるようになった。
独房生活のまま彼は刑期を終え、社会に放り出された。

出所時。
彼は「保護カード」をもらおうとしたが、服役中の態度を理由にもらえなかった。
詳しいことは分からないが、そのカードがなければ、
出所後に更生保護施設への入所などが難しいようだ。

彼は所持金も3万円しかなかった。
独房生活が長く、刑務所内での作業をほとんどしなかったからだ。
ホテルで数日過ごし、所持金がなくなり、近所のコンビニでも襲おうかと考えた。
刑務所へ戻るのが、自分のできる生活方法だと思ったのだった。

ただ、再度服役する前に、彼は墓参りに行こうと思った。
そして、墓前に立って彼は愕然とした。
墓石に、父の名前が彫ってあった。
父の死亡は、二年前。
彼は辛さのあまり、日付までは読めなかった。
犯罪を繰り返すうちに、彼は家族に見放され、
父の死さえ知らされていなかったのだ。
彼は、犯罪を起こして刑務所へ入るという考えをやめた。

そして。
彼は警察署へ駆け込んだ。
「人を殺せという声が聞こえる!!」
そう訴えて。

つづく




俺のアニキ分。
応援して下さい。
東京ジョー★asジョー松阿弥 THE ROCK'N-ROLL ACTORMAN★
老母を精神科に連れてきた中年女性。

「母がボケてしまって」

老母に話を聞く限りでは、まったくもって問題がない。
中年女性と話を続けていると、見えてくる。

この中年女性こそが、統合失調症患者だったのだ。



この女性が入院して、保護室という部屋に入った。
保護室とは、内側にはドアの取っ手さえもない、つるんとした部屋である。
自殺しようと思っても、その方法が限りなく狭められている。
それから、ナースステーションからも近い。
だから『保護室』という。

ちなみに、この保護室。
患者以外の人、例えば家族が見ると、
「牢屋みたい」
「独房みたい」
というマイナス印象が大きい。
しかし、患者さんの中には、
「これで外部の敵から守られる」
という声や、それに類した意見も多い。


さて。
中年女性は保護室に入った。
しかし、彼女は薬を飲みたがらなかった。
主治医は俺じゃなかったけれど、
たまたま近くにいた俺が説得に行くことになった。
暴れる危険性もあったため、俺以外に若い女性看護師一名、
筋骨隆々な男性看護師二名で病室へ行った。

俺は患者さんへ挨拶をして、それから薬を飲んで欲しいと話した。
彼女は、俺の顔をマジマジと見て、それから鼻で笑った。

「あなたさぁ、なにをニヤニヤしてるの?」

「すいません、そういう顔なので。ところで、あなたには薬が必要だと思います。
普段のあなたより、なんとなく興奮していると思うのですが、どうえしょう?」

「はぁっ!? あんたさぁ」

彼女は俺を凝視して言った。

 
「結婚もせずに、ブラブラして。いい加減、結婚くらいしなさいよ!!」

俺は「エッ!?」と言いそうになる自分を抑えて、

「そういう話は置いといてですね」

と言って威厳を保とうとしたのだが
俺と一緒に行った看護師三名は、明らかに笑いを堪えていた。
笑えよコンチクショー、と思いながら、患者さんを説得して薬を飲んでもらった。



統合失調症の患者さんは、非常に神経過敏になっている。
もしかすると、そういう人には、ある種の特殊な能力が備わっているのかもしれない。
そんな気がした。



ナースステーションに戻ると、看護師三名は爆笑していた。
チクショウ。
おぼえてやがれ。



精神科医になったのは良かったけれど、
そのあと、この人に直接会って報告していない。
東京ジョー★asジョー松阿弥 THE ROCK'N-ROLL ACTORMAN★
まさかのまさか、だった。
彼女は、僕にこう言った。

「ごめん、男、好きじゃないんだ。そういうの、オナベって言うらしい」

お互いに二十歳。
僕は、恋はひたすら想えば叶うものだと信じていたけれど、
彼女は僕なんかより断然クールで、それが女の子だからなのか、
それともオナベという立ち位置によるものなのか、それは分からない。
とにかく、彼女は、クールだった。

彼女の名前は、ユキコ。
大学に入ってからずっと、僕は彼女をユキちゃんと呼んでいた。
身長は、低めのヒールをはけば男子と並ぶほど高い。
ショートカットで、色白で、長いまつげと切れ長の目。
女の子にしてはちょっと低めの声。
いつも白いシャツにジーンズをはいていた。
大学に入ってから同じ学部で知り合って、ユキちゃんとはかなり仲良かったと思う。
二人で飲みに行って酔いつぶれて、お互いの部屋に寝泊まりしたり、
授業を一緒にサボってカラオケやゲーセンに行ったり、
これはもう、僕から「付き合って」と言いさえすれば交際開始なんだと、
そう思っていたからこそ告白したのだ。

それが、まさかまさかの、こんなフラれ方。

ユキちゃんは、その日から、ユウキになった。
心の中でのイメージとしては「ユーキ」。
ユキちゃんを、もっと馴れ馴れしく呼んでいるような、そんなニュアンスで。
別にそう呼んでと頼まれたわけではないけれど、
僕の気持ちの整理をつける目的が半分、いや、七割で、
ユキちゃんになんとなく気をつかったのが三割。
オナベにちゃん付けが正しいのか分からなかったし、君付けは変だと思ったから。


ユウキと呼び出してから、僕たちはさらに仲良くなった、ような気がする。
遊びに行く回数も増えたし、お互いに軽口を叩きあう頻度も増えた。
正直なところ、僕には、微かな恋心が残っていた。
ユウキはというと……、きっと気が楽になったのかな。
そんな関係で、俺たちは学生生活を送った。

ユウキから、好きな人ができたと言われたのは、 二年生の後期。
十一月を過ぎていた。
僕はユウキに連れられて、相手の学部の授業に忍び込んだ。
授業が始まる直前。
ユウキが顔を少しだけ赤くして、前の方の席を指さした。
一番前の席、そこに座っていたのは。


違う学部の。



女の子。




当たり前だけれど。




いや、当たり前なんかじゃない。
当たり前なはずはないんだけれど、うん、納得した。


そして。
ショックだった。
これまた、当たり前だけど。


それから。
ショックと同時に、相手が女の子でホッとしたのも偽らざる気持ち。
男心、意外に複雑。



そんな心境だったけれど、そこはもう、男と男の友情くらいの勢いで、

「良かったじゃん、可愛いじゃん」

そう言うしかなかった。
実際のところ、小さくて女の子ぽいだけで、顔はそれほど可愛くもなかったけれど。



その日から、だと思う。
ユウキとは何となく疎遠になった。
僕は淡い恋心をユウキに抱いていたけれど、 ユウキは小さな女の子が好き。
その事実を突き付けられたから、なのかもしれない。
ユウキがオナベだっていうことを、実感したからかもしれない。
よく、わからない。

そうこうするうちに、僕にも彼女ができた。
彼女の名はサキちゃん。
ユウキと違って小さくて、ユウキと違って目がパッチリしていて、
ユウキと違って、いつもスカートをはいていて。
それから、ユウキと違って、声も高くて、ものすごく女の子ぽかった。
僕は本気でサキちゃんを好きになったし、サキちゃんからも好かれていた、と思う。
だけど、恋愛って、一寸先は闇。
「好きだけど、キョリをおきたいの」
そのあけたキョリに、別の男が入ってくるなんて、思いもしなかった。
僕のサキちゃんは、一夜にして、誰かのサキちゃんになってしまった。
女心は、やっぱり複雑だ。

僕は傷心でしばらく大学を休んだ。
一人暮らしの部屋でボーっとして過ごして、 ゆっくり、ゆっくりと、僕は立ち直った。
元気になると、誰かと話したくなったけれど、
かといって男友だちと話すのは、なんとなく嫌だった。
からかわれるのはごめんだし、同情されるのは最悪だ。
失恋をネタにされたら、そいつをぶん殴るかもしれないし。
だから僕は、久しぶりに話す相手をユウキに決めて、ユウキの携帯に電話をかけた。
「もしもし」
久しぶりのユウキの声。
「久しぶりに、飲みますか」
軽さを装ってそう言うと、ユウキは、
「オッケ。今家だから。いろいろ買ってきて」
と、これまた軽そうに答えた。

久しぶりに会ったユウキは、前より少し髪が伸びていて、
大して整えたりしていないんだけれど、それがまた似合っていた。
僕たちは、缶ビールで乾杯をした。
アルミ缶のクニャンとした音が鳴った。
それから、買ってきたお菓子やらおつまみを食べて、
チューハイを飲んで、日本酒も少し飲んだところで、
僕はもう、良い感じで酔っぱらっていた。
他愛もない話をしている時、何気ないふりをして、
「彼女がいたんだけどさ、結局、ふられたよ~」
そう言った。
何気ない風にしたはずが、ため息と声を混ぜたような口調になった。
ユウキは、しばらくだまって、ふぅと長いため息をついた。

ユウキも、かなり酔っているのかもしれない。
「キスしようか」
そう言ったユウキの目は、切れ長というより、細かった。
色白の頬が、赤かった。
声は多分、いつにもまして低かった。
そんなユウキを見つめる僕も、酔っていた。
心臓は大太鼓を打っていたけれど、なぜか気持ちは冷静だった。
ドクンドクンと心臓が動くたびに、アルコールが脳に運び込まれて、
脳細胞の一つ一つがにぶくなっていく。
そうして、脳全体にアルコールが行きわたったように感じても、
頭の芯、もしかしたら、それは心の真ん中なのかもしれないけれど、
その部分だけはキンキンに冷えて、ギラギラと冴えていた。

ユウキはぎゅっと目を閉じて、僕はまぶたを開けたまま。
くちびるが重なった。
僕は、ユウキの肩を抱いた。
ユウキは、両手を床につけたまま。
僕は、ユウキの背中に手をまわして、強く抱きしめた。
ユウキの体が硬くなったのが分かった。
僕は、自分のくちびるを開いた。
ユウキのくちびるは、瞳と同じで、かたく閉じたままだった。
ゆっくりと、ユウキの右手が僕の胸に当てられて、
それから僕は、ユウキから引き離された。

ユウキと目が合った瞬間、ユウキが何か言った。
「ゴ……」しか聞こえなかったけれど、ユウキが言いたかった言葉は分かる。
なぜなら僕も、そのあとに「ゴ……」としか声が出なかったから。
僕は下を向いて、目の端でユウキを見ていた。
ユウキも、うつむいていた。

数分、もしかしたら数十秒かもしれない。
ちょっとした沈黙の後、ユウキが顔を上げるのが分かった。
それに合わせて、僕もユウキを見た。
また、目が合った。
何か言わなきゃ。
そう思った僕が口を開きかけた時。

「オェッ」

ユウキはそう言って、顔をしかめて、それから少しはにかんだ。
僕は、ユウキのその顔を見て、立ち上がった。
そして、洗面所まで行って、わざと大きな音でうがいした。
遠くの方で、ユウキの、

「ひどっ」

と言う声、それから笑い声が聞こえてきた。

しばらくお互いに笑いあって、ユウキがポツンと言った。

「同性とキスするのって、やっぱり抵抗あるし、キモチわるい、ね」

僕には何となく、ユウキはユウキで、辛いことがあったのかもしれないと思った。



僕は、心も体も、完全に男。
ユウキは、本当は女の子のユキちゃんで、
だけどオナベで、
だから、オナベのユウキ。

ユキちゃんと付き合いたかった僕は、ユウキとキスをした。

恋心は、消えた。

ユキちゃん、さようなら。



友情は、残った。

ユウキ、今後とも、よろしく。


(終)





小説家になりたいって話も、この人にはしたなぁ。
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九州大学時代の話。

女友だちが自転車で帰宅していた。
前のカゴにバッグを入れていた。

風が吹いた。
彼女のコンタクトレンズが落ちた。
今よりはるかにコンタクトレンズが貴重だった時代。
彼女はコンタクトを探すため、自転車をとめた。

やっとのことでコンタクトレンズを見つけて自転車に戻ると、
カゴに入れていたバッグがなくなっていた。

バッグの中には、財布も携帯電話も、
一人暮らしの部屋のスペアキーも入れていた。
自転車の鍵と一緒にしている家の鍵で部屋に入った。
スペアキーで誰かが家に来るかもしれない。
そういう不安を抱えながら夕方を迎えた。
日常から、非日常へ突き落とされた気分だった。

部屋の電話が鳴った。
恐る恐る出ると、見知らぬ男性の声で、
「バッグを拾った者です。○○というバス停に置いておきます」
と言われた。
怖くて、久留米に住む実家の父を呼び出して、二人でバス停に向かった。
バッグは無傷で置いてあった。
財布も、携帯電話も、鍵もあった。

彼女の生活は、日常に戻った。


そして。


日常生活が一ヶ月ほど経った頃。
彼女が部屋にいると、玄関のチャイムが鳴った。
覗き窓から見ると、見知らぬ男が立っていた。
チェーンロックをしたまま、彼女はドアを少し開けた。
男は、黒い手帳を見せて言った。

「お話を聞かせてください」

男は警察官だった。
そして、彼女は吐き気をもよおすような事実を知った。



数日前、ある男が不法侵入で逮捕された。
公務員だった。
男の家を捜索すると、多くの家の合鍵が出てきた。
それから、卒業アルバムや学生証のコピーも。
男は、女性からバッグを盗んで合鍵を作り、
親切な人物を装ってバッグを元に戻す、という手口を繰り返していた。
そして、その合鍵を使って、女性の家に侵入していた。

男は、女性を襲うことは決してしなかった。
ただ、有給休暇をとっては、不在の家に忍び込み、そこで生活をするだけ。
女性が仕事中、あるいは学校で授業を受けている間、
男は被害者のベッドで寝て、飽きたら卒業アルバムなどを物色した。
冷蔵庫の中のものを少しずつ、ばれない程度に食べた。
腹いっぱいになったら、シャワーを浴びた。
体を拭いたタオルは、そのまま洗濯機へ入れた。
女性の歯ブラシで歯を磨いた。
バレるかバレないかのスリルを感じるため、所々に痕跡を残した。
被害に遭った友人は、警察に教えてもらったことを身震いしながら語った。

そして、こう言った。

「帰宅して、『あれ? わたし卒業アルバム見たっけな?』とか、
『あれ? 歯ブラシ、ほったらかしだ……』と思うことがあったんだよね……」

それらは全て、男が敢えて残したものだった。


たまに書く、本当にあった、本当の怖い話。

女性の皆さんは、本当に気をつけて。


その歯ブラシ、貴女しか使っていないという自信がありますか?




そのあと、俺はブックオフで勤務して、
流れ流れて今は精神科医になった。
当時の上司みたいなアニキがコチラ。
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いや、違うか。
アニキみたいな上司か(笑)





俺の本家ブログはコチラ。
とりあえず俺と踊ろう
日勤の就業時間が終わって一時間半ほど経ってからのこと。
病棟で心肺停止があった。

たまたま病院に残っていた医師三人で急いで駆け付けると、
これまた、たまたま病棟にいた医師により心臓マッサージが行なわれていた。

病棟は右往左往。
それもそのはず。
当院は精神科単科の病院である。
基本的に、重い体の病気がある人は受け入れない。
自殺以外の心肺停止が起こることなど、まれ中のまれ。
数年に一回だろう。

ところが、その数年に一回が、俺の当直中に起こってしまった。
駆け付けた俺も心臓マッサージに参加。
その間に、手のあいた人が家族に連絡をとる。
AEDを装着したが、AEDからは心臓マッサージを続けろとの指示。
麻酔標榜医を持つ先生にさえ、挿管は無理。
バッグでの換気が続けられた。

救急病院への搬送は、誰も考えなかった。
心肺停止発見時の状況からして、救急車を呼んで、
それから搬送したとしても、意味があったとは思えなかったし、
今でも、その判断は正しかったと確信している。

心臓マッサージは、実際にやってみると分かるが、楽なものではない。
一人で数分間もやれれば大したもので、汗だくになる。
そして、疲れると心臓マッサージ効果が悪くなるので、次々に交代する。
俺は最初の数分間を一人でやったので、汗だくになってしまった。
白衣とワイシャツを脱いで、Tシャツ一枚になって心臓マッサージに参加した。

交互に心臓マッサージをする中。
俺の番で、肋骨が折れた。
ミシボキッという嫌な感触が手に伝わってきた。
そんなことには構っていられなかった。

三十分が過ぎても、一時間経っても、
遠隔地にいる家族はなかなか到着しなかった。

家族の到着は二時間後。
その間、六人で心臓マッサージを交代で行なった。
モニターの波形は、まったくの反応なし。
正直なところ、あれはもう、儀式だったのだろう。

主治医が奥さんに、「この状態からは蘇生が難しい」ということを数回説明。
しかし、なかなか受け容れてもらえない。
それもそのはず。
主治医が、最後に一言、「どうされます?」と聞くからだ。
家族に、心臓マッサージをやめて死亡宣告をするか、
まだ続けるかの判断を迫るのは、酷ではないかと思った。

突然。

まったくの素人である娘さんが心臓マッサージに参加した。
押す場所も、押し方も、まったく違う。
その光景を見て、看護師数名が鼻をすすった。
すると、奥さんも、心臓マッサージに参加した。
一度に二人が、違う場所を押す。
人体を知る者からすると、なんという無意味な心臓マッサージ

しかし。
誰がそれを止められるだろう。
止めるのは、医師しかない。
「自分が心臓マッサージを続けていたら」
医学知識のない遺族に、そう後悔させないためにも、
最後の宣告・決定は医師がすべきではないかと思った。

俺は脱ぎ捨てたワイシャツと白衣を着た。
それから、奥さんの肩に手をあて、
「ご主人さんも、もう、だいぶ頑張られたので」
そう言って、彼女を引き離した。

それから。

俺は、なぜか、また心臓マッサージを始めてしまった。
蘇生術を終わらせきれない気持ち。
奥さんが最後のマッサージ担当というのはどうなのだろうか、という考え。
それ以外にも、うまく表現できない想い。
心臓マッサージを続けている俺の目の端で、
患者さんのお父さんが、首を横に振った。
奥さんが、重くて長いため息をついた。

結局、心肺停止が確認されてから死亡確認まで、二時間半だった。



後日譚ではあるが。
患者さんは、多剤耐性の結核を患った人だった。
現在、排菌は確認されていないが、それはあくまでも、
以前に検査した時には菌が出ていなかったというだけ。
心臓マッサージで胸郭を押しまくったせいで、菌が出たかもしれないし、
そんなことは全然ないのかもしれない。
分からない。
怖いし不安でもあるが、確かめる術もなく、一方で大丈夫だろうと楽観的でもある。

驚いたのは、第一発見の看護師さん(当然、多剤耐性の結核患者ということは知っている)が、
とっさにマウス・ツー・マウスで患者さんに息を吹き込んだということ。
感染防御という観点からは、まったく褒められた行為ではないが、
その献身的な行動を表現するには、『白衣の天使』という言葉以外は思い当たらない。












医者になる前の上司。
上司と書いてアニキと読む、的な。
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とりあえず俺と踊ろう
両脇を林に挟まれた田舎道を車で走りながら、ふと昔のことを思い出した。

子どもの頃。
小学5年生か6年生くらいだったろうか。
田舎の小学校に通う僕は、家まで一直線に帰ることは少なかった。
平々凡々な毎日の帰り道をいかに刺激的にできるか。
小学生の僕たちは、そんなことばかり考えていたのかもしれない。
だから、学校から家までの間にある川や林を、
遠回りだと分かっているけれど、敢えて通って帰ることが多かった。

そんなある日。
弟から、林の中に白骨死体があると聞いた。
実際に行ってみると、林道から少し離れた場所、
草や岩に隠れた位置に白いものが見えた。
それは、確かに、人間の頭蓋骨、シャレコウベに見えた。
友人たちも、僕も弟も妹も、その頭蓋骨には近づかなかった。
それでも、僕たちは連日のように、その頭蓋骨を見に行った。
誰も近づかず、石を投げてみたり、棒切れを投げてみたりした。
頭蓋骨に当たって向きが変われば、全体像が見えるかもしれない。
そんな期待を抱きながら、僕らは物を投げ続けた。
しばらくすると飽きて帰ることが多かった。
時には、誰か一人が急に怖くなって「わーっ」と言いながら逃げ出し、
恐怖が伝染して皆が一斉に叫びながら逃げ出すということもあった。
そうやって日々頭蓋骨のもとへ通い詰めながらも、
僕らは誰一人として頭蓋骨には近づかなかった。
そこには、なんとも言えない怖さがあった。


その怖さの正体を、僕は今さらながらに考えてみた。
もう20年以上も前の話だが、だからこそ当時の自分の気持ちが分かる気がする。
僕たちは、いや、少なくとも僕は、
本物の頭蓋骨を間近で見ることに恐怖していた。
これは紛れもない事実だ。
だけど、それ以上に、
「その頭蓋骨は、実は単なる石だった」
という現実を突きつけられることの方が怖かったんじゃないだろうか。
それが頭蓋骨だと信じて通う日々は刺激的だった。
平凡に倦んだ僕の心は、その刺激の虜になっていたのだ。
だから、その刺激のもとである頭蓋骨が、
実は単なる石であることを知りたくなかったんだろう。
あの時、恐らく誰もが、半信半疑よりは信じる方に近い側にいたけれど、
それでも、怖さに似た「疑い」を多かれ少なかれ持っていたと思う。
だから、途中からは近づくことが何となくタブーになっていた気がする。
ある意味で、あの頭蓋骨は僕たち皆の財産だったのだ。


僕の中での頭蓋骨ブームは、あっさりと終わりを告げた。
きっかけは、妹が父親に頭蓋骨の話をしたことだった。
妹は、小学校低学年なりの無邪気さで、
頭蓋骨の話を聞いた父親が面白がってくれたり、
怖がってくれたり、そういう反応を期待していたのだと思う。
ところが、林の中に頭蓋骨があるという話を聞いた父親は真剣な顔で、
「それはどこだ」「それは本当か」「それが本当なら警察に連絡しなければ」
というようなことを言った。
子どものファンタジー的な楽しみを解さない父親の顔と声に、
妹の顔がこわばっていたことを覚えている。
「警察」という言葉があまりに現実的で空々しかった。
僕たちの頭蓋骨は、警察が調べるようなものじゃなかったのだ。
石や棒切れを投げて、本物かどうかを手探りする。
投げたものが当たって頭蓋骨の向きが少し変わる、それだけで皆が息を飲む。
そういう類のものだったのだ。
近づいて調べるなんてことはしてはいけないものだった。
そして僕は、大人である父の冷静で冷酷な言葉を聞きながら、
なぜだか、あの頭蓋骨が単なる石であることを確信したのだった。
それ以来、頭蓋骨の場所へは行かなかった。
ダウン症について

『ダウン』は、1866年にイギリスの医師であるJ.ラングドン・ダウンが
最初にこの症候群について論文を書いたことからつけられた。
決して英語の“down”から来ているものではない。
ダウン症は、染色体が通常より1本多いことで起こる。
知的発達の遅れ、心疾患などを伴うことのある先天性症候群である。
21番目の染色体が1本多いタイプがほとんどで、
21トリソミー(21番染色体が三本あるということ)と呼ばれることもある。


ここではダウン症について医学的な治療法やリハビリの方法について述べるわけではありません。
そのような大事な話はヤフーで『ダウン症』を検索すれば沢山出てくるし、
ダウン症児を持つご家族が作られたホームページも沢山あります。



さて、意外に思われるかもしれませんが、受精したからって妊娠するわけではありません。
受精した後に着床しなくては妊娠とは言えないからです。
で、男女とも全く問題のない二人が排卵日に性交しても、実は受精する確率はかなり低いのです。
4割とも2割とも言われています。
次に着床ですが、これは受精したうちの3割前後がうまく着床すると言われているようです。
そして、うまく着床したとしても、そこから10ヶ月ほど順調に成長しなくてはなりません。
推定によると、全妊娠の50%が自然流産に終わり、
その半数が染色体異常によると示唆されています(ラングマン人体発生学 第8版)。
これらの確率をくぐり抜けて生き延びて生まれてくるのが、赤ちゃんです。
ダウン症などの先天的異常のある接合子(精子と卵子が受精したもの)は、
着床してもなかなか成長せずに、先に述べた自然流産に終わることがほとんどです。
特に母体の状態が悪い場合は、ダウン症の子は生まれてくることができません。
接合子は外部の環境に非常に敏感だからです。
母親がアルコール中毒だったり麻薬漬けだったりすると、正常な接合子でさえ、
もの凄い悪影響を受けてしまいます。
異常接合子ならばすぐに死んでしまうでしょう。
異常接合子はかなり良い環境でないと、成長して生まれてくることができないのです。
つまり、

ダウン症の赤ちゃんは、お母さんの体がかなり良い環境だったから生まれてくることができた

ということです。
お母さんの体を良い環境にするためには、お母さんの健康に細心の注意を払い、
お母さんは栄養をしっかり摂ったり、アルコールやタバコの煙に注意したり、
そういったことをしっかりしなければなりません。
お父さんや周りの人の協力も不可欠です。

妊娠期間中にお母さんやお父さんが、
お腹の中の赤ちゃんのことを凄く大切にしてあげたから、
ダウン症の子は流産せずに生まれてくることができる


のです。
決して遺伝ではないし、妊娠期間中に不規則な生活をしたり、
お腹の子に愛情を注がなかったりした結果ではありません。
むしろ、その逆なんです。

ダウン症の赤ちゃんは、お母さんの体の中の様子を見て、
「このお母さんなら、この家族なら、こんなに素敵な環境を整えてくれる人たちのもとでなら、
ボクは生まれてもちゃんと育ててもらえるんじゃないだろうか」

そんな風に考えているんじゃないでしょうか。
赤ちゃんに意識があるかどうかは分かりません。
でも、私はこんな風に考えています。

「ダウン症の赤ちゃんが生まれてくるご家族は、
お腹の中の赤ちゃんに人一倍愛情を注いでいる方が多い」
これは確かにそうかもしれません。

これを逆手にとって、
「じゃあ、愛情を余り注がなければダウン症の子は生まれないのか」
と考えてしまう人は子どもを持たない方が良いだろうと、私はそう思います。

追記:ダウン症に限らず、先天的疾患を抱えた胎児は子宮内で死亡することが多い。
先天的疾患を抱えても生まれることができる子というのは、
やはり母体の環境が良いからだと思う。




俺は、上司から愛情を注がれ育った。
古本屋から精神科医へ。
そんな奴は、日本中で俺一人だろうし、そんな部下を持った人もこの人だけ。
東京ジョー★asジョー松阿弥 THE ROCK'N-ROLL ACTORMAN★




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