日勤の就業時間が終わって一時間半ほど経ってからのこと。
病棟で心肺停止があった。

たまたま病院に残っていた医師三人で急いで駆け付けると、
これまた、たまたま病棟にいた医師により心臓マッサージが行なわれていた。

病棟は右往左往。
それもそのはず。
当院は精神科単科の病院である。
基本的に、重い体の病気がある人は受け入れない。
自殺以外の心肺停止が起こることなど、まれ中のまれ。
数年に一回だろう。

ところが、その数年に一回が、俺の当直中に起こってしまった。
駆け付けた俺も心臓マッサージに参加。
その間に、手のあいた人が家族に連絡をとる。
AEDを装着したが、AEDからは心臓マッサージを続けろとの指示。
麻酔標榜医を持つ先生にさえ、挿管は無理。
バッグでの換気が続けられた。

救急病院への搬送は、誰も考えなかった。
心肺停止発見時の状況からして、救急車を呼んで、
それから搬送したとしても、意味があったとは思えなかったし、
今でも、その判断は正しかったと確信している。

心臓マッサージは、実際にやってみると分かるが、楽なものではない。
一人で数分間もやれれば大したもので、汗だくになる。
そして、疲れると心臓マッサージ効果が悪くなるので、次々に交代する。
俺は最初の数分間を一人でやったので、汗だくになってしまった。
白衣とワイシャツを脱いで、Tシャツ一枚になって心臓マッサージに参加した。

交互に心臓マッサージをする中。
俺の番で、肋骨が折れた。
ミシボキッという嫌な感触が手に伝わってきた。
そんなことには構っていられなかった。

三十分が過ぎても、一時間経っても、
遠隔地にいる家族はなかなか到着しなかった。

家族の到着は二時間後。
その間、六人で心臓マッサージを交代で行なった。
モニターの波形は、まったくの反応なし。
正直なところ、あれはもう、儀式だったのだろう。

主治医が奥さんに、「この状態からは蘇生が難しい」ということを数回説明。
しかし、なかなか受け容れてもらえない。
それもそのはず。
主治医が、最後に一言、「どうされます?」と聞くからだ。
家族に、心臓マッサージをやめて死亡宣告をするか、
まだ続けるかの判断を迫るのは、酷ではないかと思った。

突然。

まったくの素人である娘さんが心臓マッサージに参加した。
押す場所も、押し方も、まったく違う。
その光景を見て、看護師数名が鼻をすすった。
すると、奥さんも、心臓マッサージに参加した。
一度に二人が、違う場所を押す。
人体を知る者からすると、なんという無意味な心臓マッサージ

しかし。
誰がそれを止められるだろう。
止めるのは、医師しかない。
「自分が心臓マッサージを続けていたら」
医学知識のない遺族に、そう後悔させないためにも、
最後の宣告・決定は医師がすべきではないかと思った。

俺は脱ぎ捨てたワイシャツと白衣を着た。
それから、奥さんの肩に手をあて、
「ご主人さんも、もう、だいぶ頑張られたので」
そう言って、彼女を引き離した。

それから。

俺は、なぜか、また心臓マッサージを始めてしまった。
蘇生術を終わらせきれない気持ち。
奥さんが最後のマッサージ担当というのはどうなのだろうか、という考え。
それ以外にも、うまく表現できない想い。
心臓マッサージを続けている俺の目の端で、
患者さんのお父さんが、首を横に振った。
奥さんが、重くて長いため息をついた。

結局、心肺停止が確認されてから死亡確認まで、二時間半だった。



後日譚ではあるが。
患者さんは、多剤耐性の結核を患った人だった。
現在、排菌は確認されていないが、それはあくまでも、
以前に検査した時には菌が出ていなかったというだけ。
心臓マッサージで胸郭を押しまくったせいで、菌が出たかもしれないし、
そんなことは全然ないのかもしれない。
分からない。
怖いし不安でもあるが、確かめる術もなく、一方で大丈夫だろうと楽観的でもある。

驚いたのは、第一発見の看護師さん(当然、多剤耐性の結核患者ということは知っている)が、
とっさにマウス・ツー・マウスで患者さんに息を吹き込んだということ。
感染防御という観点からは、まったく褒められた行為ではないが、
その献身的な行動を表現するには、『白衣の天使』という言葉以外は思い当たらない。












医者になる前の上司。
上司と書いてアニキと読む、的な。
東京ジョー★asジョー松阿弥 THE ROCK'N-ROLL ACTORMAN★





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