まさかのまさか、だった。
彼女は、僕にこう言った。

「ごめん、男、好きじゃないんだ。そういうの、オナベって言うらしい」

お互いに二十歳。
僕は、恋はひたすら想えば叶うものだと信じていたけれど、
彼女は僕なんかより断然クールで、それが女の子だからなのか、
それともオナベという立ち位置によるものなのか、それは分からない。
とにかく、彼女は、クールだった。

彼女の名前は、ユキコ。
大学に入ってからずっと、僕は彼女をユキちゃんと呼んでいた。
身長は、低めのヒールをはけば男子と並ぶほど高い。
ショートカットで、色白で、長いまつげと切れ長の目。
女の子にしてはちょっと低めの声。
いつも白いシャツにジーンズをはいていた。
大学に入ってから同じ学部で知り合って、ユキちゃんとはかなり仲良かったと思う。
二人で飲みに行って酔いつぶれて、お互いの部屋に寝泊まりしたり、
授業を一緒にサボってカラオケやゲーセンに行ったり、
これはもう、僕から「付き合って」と言いさえすれば交際開始なんだと、
そう思っていたからこそ告白したのだ。

それが、まさかまさかの、こんなフラれ方。

ユキちゃんは、その日から、ユウキになった。
心の中でのイメージとしては「ユーキ」。
ユキちゃんを、もっと馴れ馴れしく呼んでいるような、そんなニュアンスで。
別にそう呼んでと頼まれたわけではないけれど、
僕の気持ちの整理をつける目的が半分、いや、七割で、
ユキちゃんになんとなく気をつかったのが三割。
オナベにちゃん付けが正しいのか分からなかったし、君付けは変だと思ったから。


ユウキと呼び出してから、僕たちはさらに仲良くなった、ような気がする。
遊びに行く回数も増えたし、お互いに軽口を叩きあう頻度も増えた。
正直なところ、僕には、微かな恋心が残っていた。
ユウキはというと……、きっと気が楽になったのかな。
そんな関係で、俺たちは学生生活を送った。

ユウキから、好きな人ができたと言われたのは、 二年生の後期。
十一月を過ぎていた。
僕はユウキに連れられて、相手の学部の授業に忍び込んだ。
授業が始まる直前。
ユウキが顔を少しだけ赤くして、前の方の席を指さした。
一番前の席、そこに座っていたのは。


違う学部の。



女の子。




当たり前だけれど。




いや、当たり前なんかじゃない。
当たり前なはずはないんだけれど、うん、納得した。


そして。
ショックだった。
これまた、当たり前だけど。


それから。
ショックと同時に、相手が女の子でホッとしたのも偽らざる気持ち。
男心、意外に複雑。



そんな心境だったけれど、そこはもう、男と男の友情くらいの勢いで、

「良かったじゃん、可愛いじゃん」

そう言うしかなかった。
実際のところ、小さくて女の子ぽいだけで、顔はそれほど可愛くもなかったけれど。



その日から、だと思う。
ユウキとは何となく疎遠になった。
僕は淡い恋心をユウキに抱いていたけれど、 ユウキは小さな女の子が好き。
その事実を突き付けられたから、なのかもしれない。
ユウキがオナベだっていうことを、実感したからかもしれない。
よく、わからない。

そうこうするうちに、僕にも彼女ができた。
彼女の名はサキちゃん。
ユウキと違って小さくて、ユウキと違って目がパッチリしていて、
ユウキと違って、いつもスカートをはいていて。
それから、ユウキと違って、声も高くて、ものすごく女の子ぽかった。
僕は本気でサキちゃんを好きになったし、サキちゃんからも好かれていた、と思う。
だけど、恋愛って、一寸先は闇。
「好きだけど、キョリをおきたいの」
そのあけたキョリに、別の男が入ってくるなんて、思いもしなかった。
僕のサキちゃんは、一夜にして、誰かのサキちゃんになってしまった。
女心は、やっぱり複雑だ。

僕は傷心でしばらく大学を休んだ。
一人暮らしの部屋でボーっとして過ごして、 ゆっくり、ゆっくりと、僕は立ち直った。
元気になると、誰かと話したくなったけれど、
かといって男友だちと話すのは、なんとなく嫌だった。
からかわれるのはごめんだし、同情されるのは最悪だ。
失恋をネタにされたら、そいつをぶん殴るかもしれないし。
だから僕は、久しぶりに話す相手をユウキに決めて、ユウキの携帯に電話をかけた。
「もしもし」
久しぶりのユウキの声。
「久しぶりに、飲みますか」
軽さを装ってそう言うと、ユウキは、
「オッケ。今家だから。いろいろ買ってきて」
と、これまた軽そうに答えた。

久しぶりに会ったユウキは、前より少し髪が伸びていて、
大して整えたりしていないんだけれど、それがまた似合っていた。
僕たちは、缶ビールで乾杯をした。
アルミ缶のクニャンとした音が鳴った。
それから、買ってきたお菓子やらおつまみを食べて、
チューハイを飲んで、日本酒も少し飲んだところで、
僕はもう、良い感じで酔っぱらっていた。
他愛もない話をしている時、何気ないふりをして、
「彼女がいたんだけどさ、結局、ふられたよ~」
そう言った。
何気ない風にしたはずが、ため息と声を混ぜたような口調になった。
ユウキは、しばらくだまって、ふぅと長いため息をついた。

ユウキも、かなり酔っているのかもしれない。
「キスしようか」
そう言ったユウキの目は、切れ長というより、細かった。
色白の頬が、赤かった。
声は多分、いつにもまして低かった。
そんなユウキを見つめる僕も、酔っていた。
心臓は大太鼓を打っていたけれど、なぜか気持ちは冷静だった。
ドクンドクンと心臓が動くたびに、アルコールが脳に運び込まれて、
脳細胞の一つ一つがにぶくなっていく。
そうして、脳全体にアルコールが行きわたったように感じても、
頭の芯、もしかしたら、それは心の真ん中なのかもしれないけれど、
その部分だけはキンキンに冷えて、ギラギラと冴えていた。

ユウキはぎゅっと目を閉じて、僕はまぶたを開けたまま。
くちびるが重なった。
僕は、ユウキの肩を抱いた。
ユウキは、両手を床につけたまま。
僕は、ユウキの背中に手をまわして、強く抱きしめた。
ユウキの体が硬くなったのが分かった。
僕は、自分のくちびるを開いた。
ユウキのくちびるは、瞳と同じで、かたく閉じたままだった。
ゆっくりと、ユウキの右手が僕の胸に当てられて、
それから僕は、ユウキから引き離された。

ユウキと目が合った瞬間、ユウキが何か言った。
「ゴ……」しか聞こえなかったけれど、ユウキが言いたかった言葉は分かる。
なぜなら僕も、そのあとに「ゴ……」としか声が出なかったから。
僕は下を向いて、目の端でユウキを見ていた。
ユウキも、うつむいていた。

数分、もしかしたら数十秒かもしれない。
ちょっとした沈黙の後、ユウキが顔を上げるのが分かった。
それに合わせて、僕もユウキを見た。
また、目が合った。
何か言わなきゃ。
そう思った僕が口を開きかけた時。

「オェッ」

ユウキはそう言って、顔をしかめて、それから少しはにかんだ。
僕は、ユウキのその顔を見て、立ち上がった。
そして、洗面所まで行って、わざと大きな音でうがいした。
遠くの方で、ユウキの、

「ひどっ」

と言う声、それから笑い声が聞こえてきた。

しばらくお互いに笑いあって、ユウキがポツンと言った。

「同性とキスするのって、やっぱり抵抗あるし、キモチわるい、ね」

僕には何となく、ユウキはユウキで、辛いことがあったのかもしれないと思った。



僕は、心も体も、完全に男。
ユウキは、本当は女の子のユキちゃんで、
だけどオナベで、
だから、オナベのユウキ。

ユキちゃんと付き合いたかった僕は、ユウキとキスをした。

恋心は、消えた。

ユキちゃん、さようなら。



友情は、残った。

ユウキ、今後とも、よろしく。


(終)





小説家になりたいって話も、この人にはしたなぁ。
東京ジョー★asジョー松阿弥 THE ROCK'N-ROLL ACTORMAN★