大阪府吹田市万博記念公園を歩く5~【太陽の塔】の内部に潜入して観てみよう!~の巻 | あもん ザ・ワールド

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君へと届け 元気玉

放浪日:2018年9月8日

【大阪万博公園】にある【太陽の塔】を色んな見方をして楽しんでいます

『はぁ~よく寝た~』と言っているみたいでしょw

もしかして、寝起きで機嫌が悪かったの?w

見方を変えると(*´Д`)この顔に観えなくもない

さてさて、2018年に再生進化を遂げた“太陽の塔”です

この日は内部に再生された展示空間に潜入します!

塔の内部観覧は建築基準法に則り一度に入場できる人数に制限があります

塔内は一方通行のため、時間制限を設けていることから事前予約制となっているのです


追突防止のシールが太陽の塔でしたw

“太陽の塔”は過去・現在・未来を貫いて生成する万物のエネルギーの象徴であると同時に、生命の中心・祭りの中心を示したものです

この場所は地上、地下、空中の3層に渡る空間展示で

博覧会のテーマである“人類の進歩と調和”を最も表現する場でした

太陽の塔は“人間の尊厳と無限の進歩と発展”を表現したもので

高さ約70mの太陽の塔は大屋根を貫いて聳え立ち

左右に腕を広げて来場者を迎えました


太陽の塔の施工費は約6億3千万、工期は2年と4か月と公開されています

えっつ!?太陽の塔は地下展示と空中展示を繋ぐ通路だったの?

内部はエレベーター塔として使われ、腕の部分がエスカレーターだったのか!

片腕がエスカレーターで、片腕が避難階段だったのか!!

太陽の塔は3つの顔がありますが、当時は4つ目の顔である“地底の太陽”が展示されていたそうです

“地底の太陽”は高さ約3m、全長11mにもなる巨大な展示物であったとされていますが

博覧会終了後の撤去作業から50年近く経った現在も行方が分からない状態となっています

誰かがこっそりと保存しているのでしょうかね?

2018年には見事に再生されておられました

地下展示のテーマは“根源の世界”でした

人間の命の根源である物質の神秘的展示

人間の命を繋げた狩猟時代のドラマ展示

人間の命を物語った神の呪術的展示

展示物は全て本物であり、約2500店の民族資料が集められたそうです

当時の展示がプロジェクトマッピングで見事に再生されておりました

そしてメイン展示となる“生命の樹”です

改めて言いますが、ここは“太陽の塔”の内部です

生命の樹の高さは約41mで、木の幹や枝には大小さまざまな292体の生物模型が取り付けられています

樹の根元にはアメーバー等の単細胞生物が表現され

原生類、三葉虫、魚類、両生類、爬虫類、恐竜、そして哺乳類と上へ上へと表現されていました

真っ赤な内装は生命の血を表現しているようで

どの生き物も“生き生きと生きること”を楽しんでいるようでした

“未来のために今を生きている”と感じられ

様々な形態に変化しつつも根源にあるのは“命”であって

“命を繋げるために命がある”とも感じられましたね

無限の進歩と発展にまずは、命を知り、尊厳すると言う事なのでしょう

生命の樹の頂には青白い未来の光がありました

そこには何も存在していません

そこに命を置くのは現代の我々の役割ですから

創造とは、それを創った人だけの表現ではないと思います

創った人は創造のきっかけを創っただけであって

あくまで創造を完成させるのは、それを観て感じた人々です

そこには何億通りの答えがあって、それぞれで答え合わせをするもの

創造物とはそうして仕上がっていくのだと思います





約50年前に岡本太郎さんが創りはじめたこの創造物は

永い眠りを終えて、現代にまた創造を始めました

新たな創造をしていくのは“大阪万博を知らない世代”であるのが面白い所ですね

時間制限もあって写真撮影も禁止でしたが、とても充実し満足した時間でした

皆さんもあもんとはまた違う創造を楽しんで観てください

そして、あもんもまた違う創造を楽しむために“太陽の塔”に戻ってくるでしょう

さて、園内には【EXPO‘70パビリオン】という博物館があります

この博物館は大阪万博の博物館であります

エキスポタワー部材のひとつです

大阪万博閉会後、パビリオンは撤去されましたが

この様に一部だけ残して保管展示してくれています

なんですか!この建物は!w

面白過ぎるこの建物!是非ともこの建物を保存展示して欲しかった!

館内は有料ではありますが、写真撮影自由です

あもんは以前も訪れたことがありますが、再来してみました

まずは大阪万博の模型から観てみましょう

手前にあるのがエキスポタワーでしょうね

1990年まで現存していたらしいですが、今は無いのが残念です

あのキューブから展望ができたのでしょう

それはまるで宇宙旅行の気分だったに違いありません

太陽の塔が小さく見えるぐらい大きな大屋根だったのですね

大屋根の設計はあの偉人建築家“丹下健三”さんです

太陽の塔の創造者“岡本太郎”さんは

太陽の高さを70mと決めて、この大屋根に穴を開けることを提案したそうです

そこで、丹下さんと岡本さんが“もめた”という記録があります

天才二人による“もめた”とはどんな戦いだったのでしょうね~

きっとパニっくったのは、周りにいる人々であって

結論にたどり着くまではかなりのご苦労があったと思います

丹下さんの弟子が岡本さんを説得に行ったら、岡本さんに洗脳されて帰ってきたと言う噂もあります

こんなお洒落さんが歩いている楽しい博覧会だったのですね~

当時の日本人は外国人を実際に目にするのがほとんどの人が初めてだったそうです

とりあえず、外国人を見つけたら、サインを貰っていたそうですよw

 

ということで、続きます