本日は旧暦の1月28日。和銅五年正月廿八日(712年)古事記は時の天皇である元明天皇に献上されました。何度も改暦されていますから、本来の正月二十八日の時期とは違うかもしれませんが、和銅五年正月二十八日に古事記が献上されたことは何度でも何度でも機会がある度に繰り返し伝えていきたい日本が誇る歴史の一つです。

 

平成二十四年(2012年)竹田恒泰氏主催の東京竹田研究会が月に二回もありましたし、1300年の節目の年でもあったことから、ユリウス暦で換算した日付をタイムリーに教えて頂き、三回も古事記の誕生を祝うブログを書きました。それ以来伝え続けることが大切と毎年ブログに書き続けています。

 

今年古事記は1311歳です。

 

なんといっても神話から続く皇室がある我が国。神話から続く国で現存する国は世界中で我が国しかないのです。これを日本人が伝えずに誰がそれを伝えていくというのでしょう?

 

記紀の編纂は、天武天皇の詔により始まりましたが、それから31年後の完成となりました。御代も三代後となっていました。

 

天武天皇がなぜ記紀編纂をしようとしたのかといえば、国の再建は歴史の再建から始まるからです。天武天皇の兄である天智天皇時代に白村江戦で敗れたこと、また天武天皇が即位する前に壬申の乱を起し即位したという経緯もあり、国の再建は急務だったのです。そしてその一環として行われたのが記紀の編纂でした。

 

一昨年は、旧暦の古事記編纂日が、東日本大震災から10年という節目の日にあたっていました。あの時過去の災害史がクローズアップされたのを覚えている方も多いかと思います。歴史を語ることは後の世の指針ともなることに気づかされた時でもありました。歴史を語り続けていくことは未来のためでもあると再認識させられたのです。そして、昨年は新暦の1月28日は、五代友厚と徳川家康の旧暦での誕生日と重なっていました。両方とも三浦春馬さんの最後の主演、最後に撮影された出演映画の役となった歴史上の人物です。その春馬さんが真剣に考えていた日本製そのものの神話である古事記が新暦とはいえ編纂日と重なり、神話こそは日本製の原点であったとあらためて気づかされました。これは日本で新暦と旧暦が共存していることで起きたこと、気づかされたことで、何度でも伝えていくということは、こういうことでもある、と考えさせられました。

 

またこの時、古事記に登場する言葉、日本的な思考である「言向け和(やわ)し」が「敵国降伏」そのものであることにも気づかされました。国史を辿ると何かあった時原点に立ち戻って新たにその当時に当てはめてきて来たことがわかるのですが、この「言向け和し」の表現を変えたものが「敵国降伏」であり、とても日本的思考の賜物なのです。これも「敵国降伏」がずっと思い込んでいた意味ではなく、日本的言葉であることを知ったからこそ、そして「言向け和し」という言葉も日本的考え方であったことを知ったからこそこの両者が結びついたのでした。そしてこの二つが、今も日本で生かされているように思えてきたのは、最近日本的なものが海外の日本好きな人たちにだんだん浸透してきていることから、もしかしたらこれは現代の言向け和しになるのではないかと思えてきているからです。つまり、昭和天皇がおっしゃった振り子の反動の少ないまま日本的考え方が海外に浸透していくことは、日本を確実に海外の人に知ってもらい理解してもらえる一番の方法ではないかと考えています。下手に自国の文化をごり押しすれば、反発も起きるのは目に見えていますし下手をすればプロバガンダともとられかねませんから、日本を好きでたまらないマイナーな人たちがじわじわと増えていくことで日本についての理解度がだんだん増えていくことは一番理想的な浸透の仕方ではないか、と。

 

ただこれは、意図せずにそうなっているだけであって、私たち自身がきちんと古事記や神話を知るべきであることに変わりありません。

 

京大名誉教授の中西輝政さんは70年代にイギリスへ留学し国際政治を学んでいたそうですが、いくら学んでも理解できなくなってしまった時期があるそうです。そんな時に日本からの没収品と思われる日本書紀に出会い、日本語に飢えていたので読みふけったら国際政治も理解できるようになったといいます。それまで理解できなかったのは、異文化・異文明のなかにあって、知性の目の中心位置がしっかりと分かってなかったからだった。つまり、戦後教育のため日本人としてのナショナルアイデンティティが身についていなかったので、国際政治も理解できなかった。しかし、それまで読んだことのなかった日本書紀を読みその後古事記を読み直したら、国とはなにか、国際関係の本質とはなにかが理解できたと書かれています。つまり日本人としての自己認識ができたことにより、国際政治も理解できるようになったということです。自己認識がいかに大切なことかわかる話だと思います。

中西教授は、海外で日本書紀や古事記を読んだことは、戦後教育で決定的に欠けていたものがなにか理解できた瞬間だった、そしてその後は自信をもって日本について語れ、堂々と自分の考えを主張できるようになったといいます。古事記をはじめとする日本神話は日本人のアイデンティティを養うのです。誰にだってルーツがあります。誰にも親がいるように、誰にも国があります。そうした認識をすることで、自己認識が確立していくものなのです。古事記には神話から始まる日本の歴史があります。神話とは神話となるぐらい古くからある歴史ということです。天武天皇は、そうした歴史を整理し伝えることによる自己認識の強化で国の再建をしようとしていたのです。そして、戦後の日本は、その自己認識を養うための神話や日本人目線の歴史教育を奪われたわけです。いかにこうした教育が大切であるかは国を失ったユダヤ人たちが自分達の教育を捨てずに教え伝え続けたことからもわかるかと思います。

 

 

 

 

私の中学生の時からの友人が亡くなった夏、一人暗い時を過ごしてなにもやる気が持てないと感じていた時、惰性で本屋に行ってもどの本にも興味を持てなかったのに、なぜか手にとれて元気をくれた本は、日本神話等の日本を下敷きに書かれたファンタジーである八咫烏シリーズの最新作「玉依姫」の本でした。なぜ、その本が私に元気をくれたかといえば、日本的物語で死と再生の物語だったからです。日本の神話には死と再生の物語が繰り返し登場しますし、神社の行事でも死と再生を繰り返しています。一番わかりやすいのは神宮の遷宮ですが、あれは20年毎に再生を繰り返す常若(とこわか)の行事です。現代では死というものが日常から切り離されてるといいますが、誰もが生きていくうえで死と無縁ではいられません。そうしたいつの時代でも当たり前にある事を、神社の行事や神話は見せてくれます。そして、そうしたことがこの物語の中に盛り込まれていたからこそ、私は「八咫烏シリーズ」の「玉依姫」で再生できたのです。それはベースに日本神話、日本的なものがある物語だったからです。

 

この本を機に、著者の阿部里美さんのファンになりました

 

現代的感覚で古典を紐解く作家の大塚ひかりさんは、具合が悪かった時にどの本も受け付けずに読めなくなったそうですが、その時唯一読めたのが古事記だったと書かれていました。日本人に、元気をくれるのが日本神話なのは、それが民族の物語だからかもしれません。だからこそ、ここから知らずに学んだり元気をもらうことができるのです。

 

民族には民族の物語があります。それが神話です。神話にはその民族が表れています。だからこそ、昔からスパイはその国の神話を研究しました。大虐殺時代(いわゆる大航海時代)に来日したフランシスコ・ザビエルをはじめ、幕末の通訳のアーネスト・サトー、そして昭和に日本でスパイ活動をしたゾルゲ、他多くの外国人が日本神話を研究しています。ゾルゲは神話を読んで日本がわかったと言ったそうです。神話は攻略本です。その日本攻略本により、その短所に付け込まれてあらゆる情報戦に駆使されているのが現在の日本でありながら、その攻略本を隠されてきたのが日本と日本人だなんて悔しくないですか?

 

日本で日本人が日本の神話を知らないでは始まりません。記紀のうち、日本書紀は外国向け、古事記は日本人向けに書かれたといいますから、まずは古事記です。

 

古事記の中の言葉にハッとすることもあるかと思います。或いは物語から何かを感じることもあるかもしれません。以下は、私がハッとしたり考えるようになったことです。人に取って考えることは千差万別ですから、多くの人が読めば多くの気づきか生まれることでしょう。

 

 

 

竹田恒泰さんの現代語古事記、お薦めです。

 

 

 

 

 

入門にお薦め『まんが古事記』のふわこういちろうさんがこの絵を使って解説動画を作成しています。

詳細版

 

山口采希さんの古事記の歌「よいっしょ~僕らの物語」とコラボした動画

この方がふわこういちろうさんです。

神武天皇以降を詳しくまとめた『まんが古事記人代編』も出ました\(^o^)/

 

ところで神話は記紀だけではありません。古事記、日本書紀の記紀の他にも風土記他日本各地に神話が伝わっています。民話やおとぎ話、昔話も実は神話の一種です。事実、浦島太郎や桃太郎、一寸法師には古事記に物語の原型やひな形があったりしますが、各地にいくつものバージョンがあります。

 

おとぎ話(昔話)は、日本の長い歴史とともに伝承され残ってきたものですから、そこには日本人の生活・精神・その原初的な意識・国柄あるいは国の魂などが込められているといいます。東日本大震災の時には警告としての昔話が見直されました。そしておとぎ話や昔話には、語り継ぐ言霊としての呪があるのだともいいます。それは語り継ぐお守りのようなもの。だからそこにはいつのまにか神話や神様が紛れているというわけです。

おとぎ話(昔話)は今ある私達が、語り継ぐべきものなのです。長い間には少しずつ変わっているところもあるかもしれません。だからといって、大幅に改変してしまうのはよくありません。ありのままに語り継ぎましょう。それでもそうして語り継ぐ中にはアレンジが生まれるかもしれませんけれどもそれも本質が変わっていなければいいかとも思います。そうして伝えられてきたものをまとめ編纂したのが古事記や日本書紀でもあるからです。

 

最近日本神話や昔話がベースとなっている読み物がとても多いと感じています。神話教育が復活している今、むしろ大人の方が神話を知らないのではないかと思うのですが、多くは若者が対象とされるアニメ・漫画・ライトノベル等には神話にもかかわるおとぎ話(昔話)がアレンジされたものが多くあるのです。この数の多さは、こうした物が積み重ねられてきた歴史的背景・文化的背景がなければ生まれず、またそれを楽しめませんから、もしかしたらもう心配する必要はないのかもしれない?などとも考えることもあります。ただ、こうしたことに興味のない人にもきちんと浸透してほしいものだ、とも思うのです。

 

私が日本神話に興味を持つようになったのは、2011年頃からでしたが、2011年からだけでも既に10年以上経ち、日本も随分変わりました。

 

以前は、古事記について書いてもそんなに反応のなかったこの無名ブログも、だんだん反応が大きくなっています。興味を持つ人が増えているのだと感じ喜ばしいと考えています。

 

2012年は、古事記編纂1300年、そして2020年は日本書紀編纂1300年として、日本神話への注目はある程度高まってきました。神話についての出版物も続いています。そして、神社への興味を持つ人は増加しています。2012年前後には小さいながらも古事記編纂1300年イベントがありました。本来は日本を挙げてイベントにするのが相応しいものですから、日本書紀編纂1300年も大きな行事になってほしかったのですが、そうはなりませんでした。次の編纂1400年の時にはきちんと多くの人が認識しているようにできるかどうかは、現在の私達がいかに伝えていくかにかかっているかと思います。

 

古事記については多くの方々が語っています。

 

 

 

パワースポットから神社や神話への興味を持たれる方も多いと思います。上記の動画でチラッと語られていますが、神宮などの、岩などが囲われている所はパワースポットではなく、そういう飛び出たものなどは悪いものが集まりやすいので囲んでいるそうです。パワースポットと思って手をかざしている方、止めて下さいね。

 

基本の古事記を知ったら、古事記を探究する楽しみもあります。古事記は全て阿波のお話?阿波古事記、四国はとても興味深い場所です。

 

 

神話を知ると近所の神社や日本各地の神社へお参りするのがより一層楽しくなります。「まんが古事記」のふわこういちろうさんが、神様の系図にアレンジされてます。御朱印ブームとなっていますが、せっかくですから神社ではぜひ神様やご由緒なども知っていただきたいと思います。なお、ふわこういちろうさんの動画は古事記と神社を中心にアップされています。

 

現在、追い切れないほど神社や神様漫画、アニメ、ノベル、またゲームがありますが、古事記また日本書紀をはじめとする日本神話を知ることでそうしたものもより一層楽しめ、また新たな興味も湧いてくるかと思いますし、こうした作品が次々に生まれることでその原点に興味を持つ人が出てくる、良い循環に入っているのではないか、と最近では考えています。

 

私達が伝えて行く物語、それが「古い事の記(ふるいことのふみ)」、「古事記(ふることぶみ/こじき)」であり、「日本書記」でもあるのです。

 

数年前神社に良くポスターが貼られていた『ぎんぎつね』はほのぼの神社アニメ(漫画)です。漫画は昨年完結しました。

アニメの続編まで作られ、舞台化もされた『ノラガミ』は終盤に向かっているのか凄い展開で続きを待っているところです。

八咫烏シリーズは現在二部に入っています。

『神様の御用人』の人気で同様の物語のノベルがずいぶんありますよね。

次々にヒット作を生み出す新海誠監督は大学の文学部出身で日本の古典がそのベースにあることがよく知られており、それが顕著に表れているのが『言の葉の庭』です。そして直近の作品は全て神話や神社が背景にあります。

 

古事記は日本や日本人のルーツを辿る第一歩(^O^)/

 

 

 

お子さんも大人も楽しめる古事記

古事記を楽しめるかるた

 

古事記の歌を作った山口采希さんが、唱歌の「神武天皇」を歌っています。記紀の神話から始まる物語の神話の終わり、そして天皇の始まりの物語となるのが「神武天皇」です。つまり今上陛下のご先祖様です。古事記や日本書記を知ると日本の始まりを知ることが出来ます。2月11日の建国記念の日、紀元節が何の日かというと神武天皇が即位された日で、その日が日本の建国の日となっています。ただの休日ではないのです。、

国力を高めるための第一歩は日本を知ること。その基本は日本神話。

 

 

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