天岩戸とは、日本神話に登場する最も知られいる話です。それは、高天原にやってきて天照大御神と誓約をした須佐之男命が高天原で勝ち荒んで暴れまわり、最後には機織女が死んでしまいます。それまでは須佐之男命をかばった天照大御神は、天岩戸に引きこもり高天原も葦原中国(あしはらのなかつくに=地上)も真っ暗になってしまい、ありとあらゆる禍がはびこってしまいます。そこで、八百万の神が集まって、天岩戸の前でにぎやかなお祭りをして笑いさざめき、天照大御神になにが起きているのだろう?と思わせ、岩戸が開いたところを、さらに押し開けてでてきていただき、光が戻った話をいいます。

 

以前は天岩戸とは、何か起きたときこそ笑いが必要だ、とか、皆で協力し合って解決することが肝要だ、とか考えていたのですが、ある時から、なぜ八百万の神は、こうなるまでほおっておいたの?と考えるようになりました。本当は、こうした大事になる前に須佐之男命を止めるべきだったのだと思うようになったのです。

 

神話は、民族の短所や欠点が出てきます。もちろんいい面も出てきますが、この短所、欠点に注目すべきでしょう。だからこそ、ある国を攻略しようとする時、スパイがまずすることは、その国の神話を読み解くことだといいます。つまり、日本を狙っている人達は、記紀神話を読み解いています。そして、一番注目される「天岩戸」神話に出てくるのは、何か事が起きれば一致団結するが、そうなるまでは見て見ぬふりをして、小さなことが大きくなるまで誰も助けないということでした。つまりここで助けられなかったのは天照大御神です。そして、須佐之男命も、本当はそこまで大暴れするまでに止められたはずなのに誰も止めず、しかし最後には罪を全て背負わされて高天原から追い出されますから、ある意味被害者かもしれません。

 

つまり、天岩戸神話の一番の教訓は、見て見ぬふりをするのは止めないと大事になる、ということではないかと最近考えています。

 

北海道旭川で起きた、少女の痛ましい事件もそうです。しかも旭川では、以前にも同様の痛ましい事件が起きているのにその教訓が生かされていません。

 

拉致被害者らの事件もそうです。これは何十年も続いています。もしかしたら自分や自分の周りの人たちが同じような目にあってもおかしくない事件でもあるのに、どうしてこのことに対して無関心でいられるのかわかりません。

 

日本だけでなく、新疆(ウイグル)で起きていることに対しても同様です。

 

そして日本中で起きている不審死、これは以前から問題視されていましたが、時たま有名人や政治家、財界人にも起きてきました。そして昨年夏以降も有名人に続いて起きました。素直にニュースを聞いているだけでもおかしな事件でしたのに、なぜか誰もがそのことに触れません。

 

日本はこんなことでいいのでしょうか?

 

全て根幹は同じのように思えてならない。

 

一人一人の力は小さいかもしれないが、それでもなんとかその力を大きくする方法を考え、こうしたことが起きないようにするべきではないのか?学校のいじめ問題などというが、まず大人が問題解決しない限り、大人社会の縮図の学校での事件もなくならないだろうと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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