「いじめ」について考えていてふと気づいたことがあります。

 

「いじめ」は我が国の神話にも書かれており、世界最古の長編小説といわれている「源氏物語」の始まりが「いじめ」から始まることから、「いじめ」は我が国に昔からあった問題というように書かれているものを読んだことがあります。あたかも他の国には「いじめ」が存在しないかのように。

 

しかし、「いじめ」は古今東西存在するものであって、今では動物の世界にもあることが知られています。つまり、「いじめ」のない世界など存在しないのです。そう考えると、神話にも「源氏物語」にも取り上げられいるということは、わが国は古来から「いじめ」というものにきちんと向き合ってきたのではないか?だから、古来から語られてきたのではないか?と思えるのです。

 

神話とは、民族が語り継ぐための物語が神格化したものといいます。語り継がなければならなかったということは、つまりそれを教訓にするためではないかと考えると、いじめについても語られてきたことは大きいと思うのです。しかしそれでも人間は同じことを繰り返してしまうから、「源氏物語」にも登場したわけです。

 

そしてそうしたことに向き合ったからこそ、十七条憲法も誕生したのだと思うのです。十七条憲法が誕生した背景には、当時の大和で内乱が続いて荒んでいたからだということもあるかと思いますが、だからこそ根本的な規律を求めるために創られたものでしょう。

 

それでも十七条憲法後の時代である「源氏物語」にも「いじめ」は登場するわけです。「源氏物語」はモデルになった皇族や貴族が特定されているような物語ですが、そうした物語に堂々といじめも書かれている、そしてそれが禁止されることもなく多くの人が写し読んできたのです。もしそれが禁止されていたら、今私たちは「源氏物語」そのものを知ることはありませんでした。そこになにか教訓的な意識があったのかどうかはわかりませんが、似たようなことが起きたことが物語にされ伝えられてきたということは大きいのではないかと思います。

 

明治時代になって、五箇条の御誓文や教育勅語等ができたのも、十七条憲法にならったものでした。それをしっかり教えてきたのが戦前の教育であり、修身教育です。それでもいじめというものはなくなりませんでした。しかし、いじめによる自殺者が大勢いるような国ではなかった。それは人としての教えがあることによって、ある程度の抑制力が生まれていたからではないか?と思うのです。そして、たとえいじめが起きたとしても周りが、大きないじめになることを許さなかったと。

 

ところが戦後教育の中で、こうした教えがきちんとされなくなった。また、日本人の顔した日本人以外の人が増えることによって、たとえ教育がされなくなっても日本人が大和言葉で捉えてきたことが捉えられない人が増えてきたがため、また日教組により教師がきちんと子供たちと向き合わなくなったために、いじめが過激化していじめではなくなってしまったのだと思います。自殺者もどんどん増えています。そしてそれは、学校内だけではなく社会でも同様なのです。もうその時点で、これは「いじめ」ではなく「虐待」や「自殺幇助」、あるいは「殺人」そのものであるのに、メディアではこれを「いじめ」と言い続けている、これもまた日本人への「虐待」ではないかと思えるメディア内に、本来の日本人はどれだけいるのでしょうか?

 

日本神話でいじめにあったといえば、大国主命ですが子供の頃は因幡の白兎の話しか知りませんでした。しかし、その先の物語では、大国主命はとうとう死んでしまうのです。しかし、神様の助けで生き返ります。ところが、さらにもう一度死んでしまい、また神様の助けで生き返ります。もう物語はいじめではなく、殺柱(柱は神様の単位)となっています。なぜならもうそれが目的となってしまっているからです。つまりこの物語では、いじめというものは、どんどん大きくなり過剰化しいじめではなくなってしまうと語っているわけです。

 

そして、こうした人間の心理を語りながら、その行動を戒めたのが十七条憲法で、ここには嫉み妬むことについて戒めた十四条があります。

「自分が嫉妬すれば相手も嫉妬し、その終わりがない。自分より才能がある人を喜ばず嫉妬していては500年経っても賢人には出会うことはできず、1000年経っても1人の聖人が出てくることを期待することはできない。聖人や賢人がいなくては国を治めることはできない。」

妬みや嫉妬などは普遍的なものでなくなることはないでしょうが、それを古来から戒めようと努力してきたのが私達の先人の教えですが、これが忘れ去られ、人を嫉み妬むように現在のメディアは報道していませんか?そして私たちの多くがそれに煽られているのが現在の姿に思えます。

 

十七条憲法は最初と最後が「和」について書かれており、第一条では言葉も「和」となっています。つまり人のエゴは抑えなければならない、ということです。なぜなら、皆が自分のエゴで動いたら「和」は生まれないからです。

 

明治の文豪、夏目漱石の代表作の一つに「こころ」という小説があります。これはエゴイズムについて書かれたという人がいますが、そうしたエゴが起こしたことに悩む姿、良心についての物語だと私は考えていました。いずれにしても、「こころ」を読むことで、人はエゴや良心について考えさせられる、そうした本が明治期に書かれていたわけです。

 

明治期は維新によって、西洋のものがなんでも良くて、日本のものは古臭いというような考えにより、多くの人が過去の日本と西洋化に二分された時代であったといいます。そしてそうした中で、古来日本にあった良いところまでも捨て去ろうとしたがために、この時期に教育を受け成長した人に、そうした時代に振り回され精神的に危うくなる人が多かったのだと分析されていたのが、江崎道郎氏の著書でその本を読んだとき納得したものでした。だからこそ、大正から昭和にかけて自殺する著名人(文豪など)が多かったのだと。そしてそれをいち早く憂慮されていたのが明治天皇で、だからこそ五箇条の御誓文や教育勅語、修身教育が生まれたわけです。つまり、十七条憲法と同様、時代がこうしたものを要請して生まれたものというわけです。

 

しかしこうした結果が現れるのは先となります。教科書は何度も改訂され、最高の時代であったのは大正時代だといいますが、その大正時代に教育を受けた人たちが、戦後日本の復興に尽力した人たち。そして、戦争に動いていった人たちは、その前の世代の人たちだと考えると、精神の分断された時代が長く続くのは恐ろしく思えます。

 

本来であればそうした複雑な時代を経て、安寧を享受している現代で自殺者が増えるのはおかしいはずなのです。確かにいつの時代も経済的要因での自殺はありましたから、経済の不安定さが繰り返される現代で、そうした自殺者の増減があるのは残念ながら致し方のないことですけれども、そうではない人たち、そして未成年者たちについては、やはり現在日本の社会が歪で日本であるのに日本人への未来が見えない社会になっているのも大きいのではないかと思うのです。

 

時代は60年や70年周期で繰り返すといいます。こうした時代があるというのは、この時代に成長した人たちが世の中を動かす世代になった時にどうなってしまうのか?恐ろしくなってきませんか?

 

しかしどんなところにも別の側面もあります。こうした時代を乗り越えた人たちは、その時代時代に即した適応力によって、時代を創っていく人たちでもあると信じています。

 

そしてそのためにも、今を少しでもよりよくするためには、やはりこうした時代の負を良いものにしていくための認識が必要なのではないかと日々考えるのです。そのためにはいじめと表現されるものをないものとしないで、暴き、向き合っていくことが急務ではないでしょうか。

 

↓「神様の御用人7」では、天岩戸神話ができた要因は天津神が三貴神のうちの、天照大御神と月読命へ壮絶な嫌がらせをしたことによるという物語となっています。その理由は、後から生まれたにもかかわらず、その生まれから伊弉諾尊が三貴神をそれぞれのトップに据えたことへの嫉妬、妬みなのです。神話には書かれていないことを、ここまで考えた想像力と違和感のない物語は、古来からの物語に即して創られたからだと思います。

そこには、例えば貴族が天皇を、また老中が大名を押し込めしてきたという歴史まで反映しています。歴史を見ればそうした中でも、うまく貴族を使い、あるいは家臣をうまく使って大きな活躍をした天皇も、大名もいるわけです。織田信長などは、独裁の権化のように言われていますが、実は物凄く家臣に気を使っていたと読んだことがあります。そうしたことが忘れ去られたときに、本能寺の変は起きたのかもしれません。歴史をきちんと学ぶことは、こうしたことを学ぶことではないのか?と改めて考えさせられるのです。上記、「源氏物語」でも光源氏が臣籍降下されるのは、こうした嫉妬や妬みの標的にならないよう、父帝が考えた結果でした。つまり、臣籍降下には、こうした効果もあったのだと「源氏物語」は語っているわけです。いつの世もなくならず必ず生まれてしまう妬みなどに、前もって対処してきたことがこうした歴史からも見えてきます。それを今私たちができないはずはないのではないか?と思うのです。

 

 

 

 

三浦春馬さんの死は、こうしたことの集約した社会的事件だと考えています。未だに、その死が不審なままであることや、それが究明されないことがそれを裏付けています。

去年の今日、春馬さんは「からっぽ」というゆずの歌を歌っていました。明るい歌が多いゆずの中で、なぜあのような時期にこの歌を選択したのか?本当に哀しいです。

これが解決できないようでは、日本の闇は晴れません。今大きく時代が変わっていく中で、こうしたことも変わっていくと信じています。人々が祈り願う力は意外と大きいのだということを信じているからです。

 

インスタを貼ろうとしたら貼れなくなっていましたので以前貼ってある私のブログです↓

 

 

なにを言おうとしていたのか?春馬さんが言葉ではっきりなにかに対しての意見を述べたといわれる最後のツィート。これ以降は告知だけとなっていきます

多くの人が語らない中、本広監督が結構三浦春馬さんについて語っていて、異様さが見えてきます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

米大統領選以降大きく変わった

 

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