推古天皇12年4月3日(604年5月6日)、聖徳太子は自らお作りになられた十七条憲法を発表されました。本日は旧暦では4月3日です。改暦が何度もありましたので単純に旧暦にあてはめていますが、西暦でももうすぐ5月ですからこのような春の時期のことだったのでしょう。
 
今年は非常時でなので違うかもしれませんが、この時期となると5月3日が憲法記念日なので毎年憲法関連の行事が増えます。しかし十七条憲法が発布された日こそ憲法記念日として相応しい日ではないでしょうか。5月3日は、現在の憲法について話題が毎回盛り上がりますが、それよりも日本の叡智である十七条憲法を見直し考えることの方が有意義ではないかと思います。そうすることで、自ずと見えてくることもあるでしょう。
 
日本が近代憲法を作成するにあたって、井上毅がまず何をしたのかといえば日本古来から伝えられてきたことを見直すことから始めました。何事も混迷を深めたら原点に戻ることが肝要です。日本の原点といえば、神話から続く我が国の物語であり、憲法の原点といえば十七条憲法にほかならないからです。我が国の歴史の根本に、十七条憲法はいつも存在し、そして、明治期には大日本国憲法や、五箇条の御誓文、そして教育勅語の参考にもされました。
 
十七条憲法は通常「じゅうななじょうけんぽう」と読まれていますが、大和言葉では「いつくしきのりとをあまりななをち」と読みます。下の写真は日本書紀の書き下し文のページですが、本文も全て大和言葉で読むのが実は正しいのです。なぜなら、「いつくしきのり」と「けんぽう」から受ける印象は全く変わってくるからです。十七条憲法は作られた当時の叡智の結晶であり、大和言葉で書かれたものです。ということは大和言葉で読まないとその意味も読み違えてしまうということになります。
110723_2249~01.JPG
 
例えば十七条憲法の第一条にある「和を以て貴しと為し」も「わ」と「やはらぎ」では全然印象がが違います。
 
「一に曰く、和(やはら)ぐを以って貴しとし、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(ひとみなたむら)有り。亦達(またさと)る者少し。是を以て、或いは君父(きみかぞ)に順はず。乍隣里(またさととなり)に違(たが)ふ。然れども、上和(かみやはらぎ)ぎ下睦(しもむつ)びて、事を論(あげつら)ふに、諧(かな)ふときは、事理自(ことおの)づからに通ふ。何事か成らざらむ。」
 
現代語ではこうです。
 
『一にいう。和を大切なものとし、逆らうことがないようにしなさい。人は集団を作るもので、悟れるものは少ない。だから、君主や父親に従わず、近隣の人達ともうまくゆかない。しかし、上の者も下の者も協調・親睦の気持ちを論議するなら、おのずと物事の道理に適い、何事も成就するものである。』
 
では『和』とはなんでしょう?

スマホの明鏡国語事典によれば、
1.仲良くすること。互いに相手を尊重し、助け合う関係にあること。
2.争いをやめて仲良くすること。
3.二つ以上の数を加えて得た数値。
4.日本、または日本のもの。
 
これは日本人皆が考えている「和」そのものの意味ですが、これでは足りません。竹田恒泰さんは「日本人はなぜ日本のことを知らないのか」において「和」の意味について解説されています。
 
「聖徳太子が冒頭に示したのは『和の精神だった』。『和』は自己の主体性を保ちながら他者と協調することであり、自己の主体性を失って他者と協調する『同』とは似て非なるものである。」
 
つまり、ただ同調しても『和』にはならないのです。確かに自分を失ってしまっては、相手が良くても、自分が良くない。その反対でも、同じこと。これでは不協和音のもとです。しかし、自己の主体性を保つ和であれば、お互い対等となります。だからこそ論議せよ、と第一条に書かれているわけです。『和』の考え方は、聖徳太子がそれまでの歴史をみてたどり着いた叡智の結晶ではないかと思うのですが、そうしたことがきちんと教えられなくなってしまったのが現代の日本でだからこそ、辞書の「和」の説明も肝心なことが抜けているのではないかと思います。そしてこうしたことが同調圧力などということを生じさせてもいるのかもしれません。
 
そして第三条にある「君をば天(あめ)とす、臣をば地(つち)とす」の言葉からは、古事記が浮かび上がってきます。第二条の「三宝を敬へ」から、十七条憲法には「神」、「神道」が出て来ないという人がいるようですが、この文面と内容に貫かれているのは第一条から全て日本的考え方、つまり神道の考え方があることがわかります。だからこそ「神」という言葉をわざわざ載せる必要もなかったのです。天と地とは自然を敬い社会の中心とする考え方です。そして自然を敬うとは、家族・共同体が中心となるということでもあります。そしてそれが大きくなったものが国家であり、だからこそ日本語では「国の家」という漢字の組み合わせで表すようになったのです。国父といえば天皇となり、それが日本の形の基本となっています。なにもこれは我国だけのことではなく、法皇はパパと言われており、古来より何処の国も国は家族として成り立っていたのです。ところがそうして成り立った国で現存している国が日本だけとなってしまっているのが世界の現状です。
 
聖徳太子といえば、仏教を敬ったことで有名ですが、皇太子という立場は宮中祭祀を司る天皇の替わりも務められたということも意味します。推古天皇という女性天皇であった当時その代わりの務めは多かったことが推察できます。もちろん、天皇しかできない祭祀の替わりはできなかったでしょうが、皇太子であったということはご代拝も含め、宮中祭祀で重要な位置にいたことは間違いないかと思います。つまり聖徳太子そのものが祭祀王のような存在であったわけですから、神の言葉がないからといって十七条憲法が神を語っていないということにはならないのです。むしろ、十七条憲法は古来からの叡智に満ちた神道的考えに貫かれた祝詞であるといえますし、実際大和言葉で読めば「のり」となります。
 
仏教の釈迦は人であり、仏教は個人のためのものです。聖徳太子は神道だけでは個人がないため、個人の為である仏教を入れたのです。しかし、だからこそ聖徳太子は仏教を敬えとはいっても、仏教の解説本で僧に近づいてはならないと説いています。僧とは(自分の解脱のために)家族を捨てる者でしたから、そのような者に近づいてはならないとしたのです。それは、そのような者に近づいて影響され、家族を捨てるような人になってはならないという事です。(後に日本化した僧は妻帯するようになり、仏教そのものも神道と融合していきます)十七条憲法は儒教の影響を受けているという人もいますが、儒教の教えでは第一は礼ですが、十七条憲法では第一が和となっており、日本独自の考え方が貫かれたものだということが表れています。
 
 
最近出版された「世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀」の十七条憲法より四文字熟語で読む十七条憲法(本書の巻末には全文と解説も記載されています。)
 
第一条 「以和為貴」和を以(も)って貴しとなせ
第二条 「篤敬三寶」あつく三宝(仏法僧)を敬え
第三条 「承詔必謹」みことのりを受けては必ずつつしめ
第四条 「以禮為本」うやまうことを根本とせよ
第五条 「絶餐棄欲」むさぼりを絶ち欲を棄てよ
第六条 「懲悪勧善」悪を懲らしめ善を勧めよ
第七条 「人各有任」人各々任あり
第八条 「早朝晏退」朝早く出仕し遅くに退せよ
第九条 「信是義本」まことはことわりのもとなり
第十条 「絶忿棄瞋」心の怒りを絶ち表の怒りを棄てよ
第十一条 「明察功過」功過を明らかに察せよ
第十二条 「国非二君」国に二君なし
第十三条 「同知職掌」職掌を知れ
第十四条 「無有嫉妬」嫉妬あるなかれ
第十五条 「背私向公」私に背き公に向え
第十六条 「古之良典」古の良典を用いよ
第十七条 「不可独断」独断不可
 
こちらの本では漢字一文字一文字を解説しています。「憲」とは絶対に守らなければならないもの、また「法」とは人々が努力して守るべきものであることから、「憲法(いつくしきのり)」とは絶対に守るべきものであり、かつ、努力して守らなければいけないものである、と書かれています。そして、明治憲法と戦後の日本国憲法は同じ「憲法」が使用されているけれども英語の「constitution」を翻訳した造語でもともとは「律法」や「律令」と訳されていたものだったといいます。ところが、合衆国憲法やフランス憲法の訳文を出す際にこの「憲法」の字をもちいたことから、明治憲法が作られる際にも「憲法」の字が用いられることになりました。しかし、「constitution」は英仏同じ単語ですが、仏革命の際にできた言葉で共同体のための基本条項という意味合いだったといいます。だからこそ共同体が変わればそれに応じて変わっていくものでどんどん変更されていくのが言葉の上からも明確であるものだと。そしてそういう意味では明治憲法も日本国憲法も本来は「律令」や「律法」を表記したほうが十体に即していたのではないかといいます。
 

確かに、日本でも律法や律令は何度も出されてきている歴史があります。しかし「憲法」は明治になるまで「十七条憲法」しかありませんでした。この内容を読めば、これは普遍的なものであり、「万古不易」の変えてはならないもの、人の決まりであるといえます。

 
 
現在語でわかりやすい解説の十七条憲法動画

 
以下、ウィキペディアより↓
夏四月丙寅朔の戊辰の日に、皇太子、親ら肇めて憲法十七條(いつくしきのりとをあまりななをち)を作る。
 
一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。
 
二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝とは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。則ち四生の終帰、万国の禁宗なり。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか枉(ま)がるを直さん。
 
三に曰く、詔を承りては必ず謹(つつし)め、君をば天(あめ)とす、臣をば地(つち)とす。天覆い、地載せて、四の時順り行き、万気通ずるを得るなり。地天を覆わんと欲せば、則ち壊るることを致さんのみ。こころもって君言えば臣承(うけたま)わり、上行けば下靡(なび)く。故に詔を承りては必ず慎め。謹まずんばおのずから敗れん。
 
四に曰く、群臣百寮(まえつきみたちつかさつかさ)、礼を以て本とせよ。其れ民を治むるが本、必ず礼にあり。上礼なきときは、下斉(ととのは)ず。下礼無きときは、必ず罪有り。ここをもって群臣礼あれば位次乱れず、百姓礼あれば、国家自(おのず)から治まる。
 
五に曰く、饗を絶ち欲することを棄て、明に訴訟を弁(さだ)めよ。(略)
 
六に曰く、悪しきを懲らし善(ほまれ)を勧むるは、古の良き典(のり)なり。(略)
 
七に曰く、人各(おのおの)任(よさ)有り。(略)
 
八に曰く、群卿百寮、早朝晏(おそく)退でよ。(略)
 
九に曰く、信は是義の本なり。(略)
 
十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違うことを怒らざれ。人皆心あり。心おのおのの執れることあり。かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。(略)
 
十一に曰く、功と過(あやまち)を明らかに察(み)て、賞罰を必ず当てよ。(略)
 
十二に曰く、国司(くにのみこともち)・国造(くにのみやつこ)、百姓(おおみたから)に収斂することなかれ。国に二君非(な)く、民に両主無し、率土(くにのうち)の兆民(おおみたから)、王(きみ)を以て主と為す。(略)
 
十三に曰く、諸の官に任せる者は、同じく職掌を知れ。(略)
 
十四に曰く、群臣百寮、嫉み妬むこと有ること無かれ。(略)
 
十五に曰く、私を背きて公に向くは、是臣が道なり。(略)
 
十六に曰く、民を使うに時を以てするは、古の良き典なり。(略)
 
十七に曰く、夫れ事独り断むべからず。必ず衆(もろもろ)とともに宜しく論(あげつら)ふべし。(略)
 
 
上記の第三条などは、「みことのり」とはありますが、これに限らず為政者が指示することに従うことが書かれています。しかも文頭と文末に二回も同じことが書かれており最後は従わなければ敗れるとまであります。これは現在の世界の状況に当てはめればわかりやすいかと思います。アメリカなどは、引きこもり疲れで、それに反対するデモ集会が開かれていますがこれが意味することは再度クラスターが起きるということです。日本でも、家にいてくださいというのにわざわざ遠出をしてクラスターを発生させている人達がいますが、つまりそれが「敗れる」ということです。もちろん国によっては為政者が悪い国もあるかもしれませんが、日本は幸い天皇陛下がいる限り悪い為政者がいても長居はできずに来た国ですし、このような時期に協力しないほど馬鹿げたことはありません。
 
第四条では、礼について書かれていますが、ツィーター他ネット上には礼を失した人がたくさんいます。たとえ正しいことを言っていたとしても礼のない人の言葉を敬うことはできません。文末に「礼があれば自ずから治まる」とありますが、これが日本本来の道なんだと思います。こうしたことは古来から教えられてきたことですが、明治時代になって義務教育になると修身の教科書でも教えられてきました。「復刻版修身の教科書」を見ると、目次に「ことばづかい」や「礼儀」の項目があります。脳科学においては、人に発したものは全て己に帰ってくるものでもありますが、こうした面から考えても「礼」を大切にすることは重要なことの一つであるということをもう一度考えたほうがいいと思います。
 
上記の(略)とされているところには、なぜそうしなければならないかの説明があります。例えば、十四条の嫉み妬むことの戒めはこうなります。
「自分が嫉妬すれば相手も嫉妬し、その終わりがない。自分より才能がある人を喜ばず嫉妬していては500年経っても賢人には出会うことはできず、1000年経っても1人の聖人が出てくることを期待することはできない。聖人や賢人がいなくては国を治めることはできない。」
妬みや嫉妬などは普遍的なものでなくなることはないでしょうが、それを古来から戒めようと努力してきたのが私達の先人の教えです。これを読んでいるとある国が頭に浮かんでくるのですが、その国のことを考えると、このような言葉を残し今も伝えられている日本はつくづく有難い国だと思います。
 
 
十七条憲法は人としての教え、決まり事です。だからこそ万古不易の変えてはならないものであり、時代に関係なく当てはまるものとなっています。
 
十七条憲法は「十七条憲法」という言葉だけでなく、全文を我が国全体で知るべきものです。このような叡智を知らずにいることほど惜しいものはありません。特に企業や政治家などは毎日暗唱すべきだと思います。そして官僚をはじめとする公務員こそは、これを毎日暗唱して確認すべきものではないかと思います。そもそもこれは当時の官僚や公卿向けに書かれたものなのですから。
 
現在のような非常時こそ十七条憲法をあらためて読みなおし、その叡智を見直すべきではないかと思います。
 
いや、こうした非常時にこそこうした叡智が確認できる時であり、だからこそ見直されるときではないかと考えています。
 
 
参考:平成29年4月8日日本国史学会、田中英道東北大学名誉教授講義、他
以下
 
十七条憲法が記載されている原典、日本書紀
 
住職の視点で書かれた聖徳太子と十七条憲法
 
五箇条の御誓文から十七条憲法にまでさかのぼる日本の民主主義についてわかりやすく解説された本
 
 
 

 
 
 
 
 

困難な時代に人々を励まし一つにしてくれる言祝ぎの歌にワンフレーズついて最強の言霊歌、君が代