先日ツイッターで、スーパーモデルのクリスティ・ターリントンがHistory is identity というツィートをリツィートしていました。アメリカでは周期的に国全体がその歴史を見直す流れがありますが、今またその時期に入っているんだろうと思います。

 

クリスティがリツィートしていたツィート↓このツィートの詳細についてはわかりませんがこの「ヒストリーはアイデンティティ」という言葉がとても印象的でした。

 

 

 

 

 

ヒストリー、つまり歴史(この場合は国史だと思いますが)はアイデンティティとはどういうことかというと、国史を知ることは自己認識だということです。この場合の自己認識は国民、つまり国を表しています。アメリカがそのアメリカの国史をきちんと認識することは、アメリカ(国民)の自己認識を高めるために必要であるということです。過去のない人、自分の過去を自分で知らない人はいませんし、記憶喪失等で自分の過去を忘れたり、記憶障害がある人は精神的に不安定になります。また多重人格者は幼い時のつらい過去を別人格になり記憶を忘れることで乗り切って成長してきた記憶障害の一種が一因となっており、その過去を繋げることが治療となっています。(現在の治療法はわかりませんが、10年以上前に何冊か読んだノンフィクションにはそうありました。)それほど、過去の積み重ねは大切な事であり、その記憶は人が生きて行くうえで重要な自己認識となるのです。そして、人の過去の積み重ねが国史であり、その国史がきちんと伝わってゐなければ、国が多重人格者のように分裂し問題が山積みとなるのは人と同じ事です。人の集まりが国であり、国史も忘れてはならないのです。

 

江崎道朗さんの最新ベストセラー「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」では、明治の文明開化と古来からの伝統に引き裂かれたエリートの話があり、これも多重人格者の症状のまま、現在に至る病となっています。しかも時が経つほどその症状は重くなるのです。

 

 

そうした明治期の混沌とした中出来上がったのが五箇条の御誓文や教育勅語です。これは当時の世情を憂えた明治天皇の発案により創られたものだといいますが、そこには長い国史の積み重ねが生かされていました。

 

 

五箇条の御誓文

 

 

 

 

 

その根底にあるのは、十七条憲法です。十七条憲法を始めて読んだとき、今に通じるその内容に驚いたのですが、これは上の動画の倉山満さんも、また竹田恒泰さんも今も生きている憲法だと仰っていますし、五箇条の御誓文も変わりません。それは昭和天皇の大御心でもありました。それが表れているのが、一年ノ計ハ年頭に在リ・・・元旦の詔、昭和21年の年頭の詔です。私達は、五箇条の御誓文や、十七条憲法についてきちんと知るべきであり、忘れないようにしておくべきなのです。一番いいのは、毎日毎日素読することでしょう。

 

 

大和言葉で紐解く十七条憲法(いつくしきのりとをあまりななをち)

 

 

日本には長い国史があり、その国史の積み重ねの叡智がここぞという時に生かされてきたという歴史もあります。そうした国史を見たうえでの教えが経済面で生かされたのが高橋是清が世界恐慌からいち早く日本を脱出させたことで、これについてわかりやすく解説された伊勢雅臣さんのツィートがありましたので、ぜひこのリンクを全文読んでいただきたいと思います。

 

 

 

三方良しというのは、近江商人が日本中に広げた考え方で、現在日本で有名な企業の元をたどると創業者が近江商人だった、あるいは近江出身だったということがよくあります。ワコールの創業者や、高島屋の始まりも近江です。他にも、大丸、白木屋、伊藤忠商事、ヤンマー、日清紡、東洋紡、東レ、西川産業、トヨタ自動車、日本生命、武田薬品工業、ニチレイ等々があります。そしてそうした近江商人の流れを組む歴史上の人物の一人には、豊臣政権下で活躍した石田三成がいます。三成は近江出身でその知恵を生かして出世したのです。

 

敬天愛人

公共事業の先駆け

北方文化博物館

飢饉普請

 

そうとわかって石田三成を見直すと、その旗印「大一大万大吉」もなるほどと頷けるのです。これは、石田三成の代名詞のように有名ですが、これは「一人が万人のために、万人が一人のために力を尽くせば天下が安泰になる」という意味が込められたもの。これも三方良し的考え方といえると思います。

<大=天下>

<一=一人の人間>

<大万=万人=多くの人々>

<大吉=幸福=安泰、平和>

 

 

 

 

そして高橋是清の経済政策について知ると、かつての(地方の)国造りを行い領民に慕われた大名らの政策に重なってきますし、そしてさらに遡っていくとそこには仁徳天皇の民のかまどがあります。

何度でも伝えたい「民のかまど」の詔

 

民のかまどとは、仁徳天皇が高き場所から周りを見回したところ、食事の煮炊きで出るかまどの煙が少なかったことから、民が貧窮していることに気づかれ3年間年貢、つまり税の徴収を止めさせた故事で、日本では昔から伝えられてきたお話です。昭和天皇が御幼少の頃、国史の勉強の際になぜ民のかまどの民は貧窮したのか?と先生が質問したところ、ご学友が誰もお答えできない中、その前の御代から長い戦が続いたことにより民が疲弊したというようなことをお答えになられたといいます。事実そうなのですが、まだそこまで教えられていなかった皇太子が、その前にあったことから点と点を結びつけてお答えになられたことに先生が驚きまた喜ばれたというように書かれていたと記憶しています。私はその昭和天皇の逸話を知った時、なぜ民のかまどのような状況になったのか考えようとしたことが一度もなかったので恥ずかしくなり、またそのようなことを幼い時から考えられた昭和天皇に感銘を受けたものです。

 

 

歴史は点ではなく線であり、その線も1本ではなく多数の線が繋がり交差して伸びていくものなのです。つまり民のかまどには、その前の歴史があるように、その後の歴史もあるのです。

 

 

仁徳天皇の民のかまどの後実談とはこうです。仁徳天皇は民のかまどの煙が増えた三年後も税の徴収を再開せずさらに三年、つまり六年もの間税の徴収をしませんでした。

私達は「おおみたから」宝物です(^O^)/

そしてそうして民を富ませた翌年には「治水の詔」を出し、インフラを整えるための大土木工事を行ったのです。これは水の氾濫を抑え稲作をより良くするためのものでしたが、そのような大土木工事を行ったことがなかった時代に、そうしたことを行う事が出来たのはこの6年間で、民を信頼させた仁徳天皇の大御心による力が大きかったのです。

 

貨幣経済ではなかった当時とは経済政策が違った形ではありますが、これは高橋是清が行った政策と同じではありませんか?税の徴収を止めたり減額したりしたりは仁徳天皇以来、長い日本の歴史の中では何度も行われてきたことなのです。日本は古来から自然災害が多い国でしたから、このような復興政策の歴史が積み重ねられてきた国であり、実はそれにならい時代に合わせた政策を行ったのが高橋是清だというのが、本来の姿なのです。

 

 

 

神武天皇に始まり、仁徳天皇に至る古代日本のインフラと稲作発展の歴史がわかりやすい「よみがえる神武天皇」↓

 

御幼少の頃からしっかり国史を学ばれた昭和天皇は、終戦の時、日本の復興には300年かかるだろうと仰られています。それも国史をしっかり学ばれたからこその思し召しだったのです。そしてその通り、未だに日本は独立国としての体を成していません。ミサイル攻撃を受け戦争状態になっている現在の自覚を多くの国民が持っていないことはとても恐ろしいことだと思います。

三百年先、千年先を見据える目・・・神武天皇2600年祭の日に

 

 

昭和天皇が戦後復興の最初にお参りされたといわれる近江神宮に祀られている天智天皇は、白村江戦いで敗れた後、国の防備を固めることに注力し、その弟君の天武天皇は国の内部を整えることに注力し、さらにその歴史教育にも目を向けて記紀の編纂を始めさせました。その編纂が終わったのは古事記はその三代後、そして日本書記はさらに次の御代のことです。そして、天皇の記録はその後も続けられていくことになるのです。記紀は神話から始まりますが、神話とは遙かなる昔のことが神話のようになっているというだけで、神話も国史なのです。神話だから現実ではない、などと考えるのは愚かなことです。それを証明したのがシュリーマンです。シュリーマンは神話を信じて発掘調査を行い様々な遺跡を発見しています。だからこそ、イギリスの歴史家トゥインビーは「10歳ぐらいまでに(あるいは12,3歳までに)その民族の神話を教えられなかった民族は例外なく100年後必ず滅んでいる」と言っています。現在、神話から続く国で現存している国は世界中で我が国しかありません。そして同じくトゥインビーは、「ある国を滅亡させるにはその国の先人達が気概を示した歴史を教えなければよい」とも言っているのです。つまり、神話を教えないということは、先人達が気概を示した歴史を教えないことにもあたりますから、この二つはセットなんだと思います。そして、ここでふと気づいたのが、古事記本がたくさんありますが、それが神武天皇が誕生したところで終わっているものが多いことです。実は古事記全体の作りはよく考えられているのですが、それは全体を読まなければわからないと思います。そしてなんといっても、仁徳天皇の話や日本武尊の話は、神武天皇以降に登場するのです。古代のカリスマ天皇雄略天皇はさらに後になります。多くの古事記本が、神話で終わっているのは序文で読むのを止めているようなものなのです。

古事記1300年の秘密

トップが変われば下も変わる

 

 

天皇の記録の最新版である昭和天皇実録が話題となっていますが、その問題点は早すぎる刊行です。なぜ早すぎる刊行が問題かといえば、昭和天皇の関係者がご存命中に出すということは、その影響から多くを語ることが難しい点と歴史というのは百年ほどしないとその全体像が判明しづらいことによります。例えば911のテロに関してまだ16年しか経っていないにもかかわらずその見方は大きく変わっています。そして、大東亜戦争に関しても日本のみならず世界の見方も変わっていることが江崎道朗さんの話や奥山真司さんの話から伺えます。

 

昭和天皇崩御から三十年経たずに昭和天皇実録を出してしまったのは宮内庁が宮外庁であるからというのは竹田恒泰さんが常々仰ってらっしゃることです。これもまだ日本の復興が終わっていないことの表れといえるかと思います。

 

 

 

歴史に関しては、我々日本人は自ら探究し伝えて行くしかありません。幸いなことに日本には古来からの文献があり、多くの書物が現在も発行されています。戦後の書物の中には反日思想が盛り込まれてしまったものが多くありますが、そうでないものもありますし、現在多くの方々が本当の日本について語り伝えようとしています。そうした流れの一翼を一人一人が担っていく流れになってきたのです。

 

そうして個々が自己認識を確立した時、我が国の国としての自己認識も強固になっていくのではないかと思うのです。祖国がそうした強固な自己認識を持つことは国の維持と安寧な営みをするために欠かせないことです。

 

History is identityは我国の課題でもあるのです。

 

 

歴史の積み重ねを改めて明治天皇が知らしめようとされ、昭和天皇も伝えようとされた五箇条の御誓文が戦後忘れら去られてきたことが日本の現状を象徴していますが、そうした中、そういう教えを誰にでも分かりやすく歌にしているのが山口采希さんです。しかし、NHKのみんなのうたで流れそうな歌ばかりなのに、現状では絶対に紹介されない山口采希さんの歌の数々。ところが現代は動画の時代ですから、動画で見聴きできるのは幸せなことです。

 

 

明治天皇御製と五箇条の御誓文を歌にした「五つ星きらめく」

 

 

教育勅語を歌にした「大切な宝物」

 

古事記を歌にした「よいしょ!僕らの物語」

 

 

また吉木誉絵さんが別名で書かれ歌う同じく古事記を歌にした「ひとつの物語り」もあります。

 

 

 

歌の力は大きいですから、こうした歌を広めていくのも、我々のアイデンティティを強固にする一翼だと思います。