昨年御代替わり直後の5月6日のブログですが、メディアの言葉遣いの酷さが、昭和から平成に変わった時進んだのと同様、昨年の御代替わり直後からもう一段階進んだことをあげました。機会あるたびに少しずつ日本を変えていこうとしていることが予想された通りに行われたのです。1年経った今、上皇陛下、上皇后陛下を「陛下」ではなく「さま」と敬称をなしにするのが当たり前とされていますが、これを変えていくのは私達一人一人の言葉遣いにかかっているのではないかと思います。

国を奪うのは言語を奪うことから始まります。かって植民地にされてきた国々、あるいは移民に乗っ取られた国々は言葉を奪われ、公用語に植民した国々の言葉が使用されていることが多いです。そしてその国では、その植民した国の言葉でしか学べないことも多いのです。例えばインドでは、植民したイギリスの英語、フィリピンでは米語での教育が中心となっていることが知られています。シンガポールも英語が使用されていますし、アフリカ諸国にはフランス語が公用語となっている国が多くあります。南北アメリカ大陸やオーストラリア大陸、ニュージーランドの元々の言葉はどこへ行ったのでしょう?

 

我が国が過去併合国に、その国の言葉と我が国の言葉の二か国語を教えたような教育は植民政策ではありえません。

 

幸いにして、我が国はずっと同じ言語を使用してきましたし、それは戦後も変わりませんでした。しかし我が国が戦後占領政策を受けた時、我が国の言葉を破壊しようとじわじわと色んな方法がとられました。漢字を変えたり、使用できる漢字を減らしたりもしましたし、敬語も使わせないように色々な変更を段階的に行ってきたのです。そしてそれにはもっともらしい表現をして、ほんとの目的を私たちにわからないようにして進められてきました。そしてその段階的に進める方法の一つに御代替わりがあったのです。

 

こちらの冊子は薄い本ながら、普段教わることのない皇室敬語がきちんと掲載されています。敬語を使いこなすのは大変ですが、誰でもすぐにできるのが敬称を用いることですから、私はまず最初に敬称を覚えるのが皇室敬語の第一歩だと考えています。若い頃敬語は面倒だと考えていたことがありますが、社会人となれば敬語は社会の知恵なんだということがわかるようになります。年齢差や立場の違いがあっても、意思の疎通ができるのは日本に敬語があるからです。現代においても立場によって敬語どころか人として話をすることさえできない国があることを考えれば、長く続く国の歴史の中で敬語というものを生み出したその叡智は凄いものだと思います。若い頃、目上の人には気おくれがあってなかなか思うように話をすることができませんでしたが、もし敬語をきちんと使いこなせていたら、もしかしたらもっともっと話ができたのではないかと今になって考えるからこそ若いうちにきちんと敬語を使えるようになることは重要だと思います。なんといっても若いうちは間違えても正してもらえる機会がありますが、年を重ねるごとに間違いはスルーされるようになってしまうから、若いうちにこそ間違いを重ねるべきなのです。

 

天皇と皇室への敬称をきちんと覚えよう

 

思考は言葉から生まれることから、言葉遣いが大切であるということが脳科学から最近では解明されています。言霊という言葉がありますが、これは思考が言葉から生まれることをうまく表現したものであると最近考えています。つまり普段使用している言葉に、人は潜在的に操られているのだということです。そうしたことを古来からの知恵で伝えてきたものが言霊という表現なのではないかということです。

 

最近「復刻版初等科国史」や「復刻版初等科修身」とあいついで出版されていますが、その本を開くと美しい言葉遣いの文で書かれており、戦前の教科書の美しい文体に驚かされるのと同時に、普段から美しい言葉に接することがいかに大切であるかを改めて考えさせられます。取り上げられている項目に、「ことばづかい」と「礼儀」がありますが、なぜこれらが大切なのかわかりやすく書かれています。

 

上記修身の四年生の項目「ことばづかい」。

 

つつしみの心を持ち、行儀よくするためには、まず、平生のことばづかいに、気をつけなければなりません。ことばづかいがぞんざいであれば、人がらがわるく見えます。私たちは、目上の人を尊び、ていねいなことばをつかうようにしたいものです。

とりわけ、皇室の御事については、最もつつしんで、ことばをもちいなければなりません。

つつしみ深い心をことばにあらわすのが、私たち日本人のすぐれた点です。

また、友だちどうし、お話する時にも、ことばづかいに気をつけることが、大切であります。いつも、はきはきしたことばで、元気よく、ものをいわなければなりません。しかし、元気よくしようとして、ことばがらんぼうになったり、人の話を聞かないで、自分だけ話しかけたりして、相手をおもしろくない心にさせるのは、よくないことです。

手紙を書くのも、話をするのと同じことです。ことばづかいに気をつけるのはもちろん、文字もていねいに、はっきりと書くことが大切であります。

手紙を受け取った時には、決してそまつにせず、返事のいるものは、すぐに出すようにしなければなりません。返事を出さないのは、話しかけられて、返事をしないのと同じことです。

したしくなると、私たちは、行儀よくすることを忘れて、何事も、ぞんざいになりやすいものですが、これは、よく気をつけなければならないことであります。したしい仲にも、おたがいに行儀よくしあって、いつまでも仲よくつきあうようにつとめましょう。

 

五年生の項目「礼儀」。

 

世の中は、礼儀が大切であります。私たちは、つつしみの心を失わず、礼儀を正しくしなければなりません。礼儀が正しくないと、人にいやな気持を起させ、自分は品位をおとすことになります。

細井平洲という人は、若い時から、礼儀正しくすることにつとめました。年を取るにつれて人がらはいよいよ高くなり、一度平洲にあった者は、時がたっても、その上品なようすが目に残って忘れられなかった、という話が伝わっています。

わが国では、昔から礼儀作法が重んじられ、外国の人から、日本は礼儀の正しい国だ、といわれて来ました。時勢がうつり、人がかわっても、礼儀作法の大切なことには、かわりはありません。私たちは、いっそう注意して、大国民としての品位をおとさないようにつとめましょう。

人の前に出る時は、髪や手足を清潔にし、着物の着方などにも気をつけて、身なりをととのえなければ失礼になります。

食事をする時は、みんなで楽しくたべるように心がけ、食器の類を荒々しく取り扱ったり、さわがしく物音をたてたりしないようにしましょう。また、室の出はいりには、よくおちついて、人のさまたげにならないようにし、戸障子のあけたてなども、静かにしましょう。

汽車・汽船・電車・自動車などに乗った時には、人にめいわくをかけないようにするのはもとより、行儀の悪いふるまいをしたり、いやしいことばづかいをしたりしてはなりません。特に集会には、この心がけが大切であります。大勢の中で、人の顔かたちや身なりなどをあざ笑ったり、とやかくいったりするのは、つつしみのないことといわなければなりません。

約束を守るのも、また礼儀であります。約束は、かるがるしくしてはなりませんが、一度約束したならば、かならずそれを守らなければなりません。約束を果たさないのは、うそをいったことになって、相手にめいわくをかけます。

私たちは、ふだんのおこないに気をつけて、礼儀正しくし、世界の人々の手本となるように心がけなければなりません。

 

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また最近私達の礼法も変えられようとしていますが、例えば立ち姿、礼の姿勢など普通のことから戻していかなければならないと思います。

 

とても美しく流れるような動きの小笠原流礼法の動画。ここまではできなくても、立ち姿、礼の姿勢の基本形が確認できます。

 

ただし、この美しい立ち姿をもって、現皇室を批判する方がいますがこれが基本形でありますけれども、皇室の洋装での立ち姿には西洋式が融合しています。それは以下のブログにまとめてありますが、明治時代に洋装が入ってきた時に一緒に入ってきたものです。ただ、これと現在急激に蔓延しているコンビニ他いろんな場所での立ち姿は別物だと私は考えています。なんといっても美しくなく、「お腹い痛い」立ち方となっている上にそのままお辞儀までしているからです。

立ち居振る舞いの美しさ…お辞儀と立ち方

 

竹田恒泰さんの礼儀作法の著書

 

 

最後に、江崎道朗さんが以前講演でおっしゃっていたことを。

 

日本には民、つまり国民が皇室(日本)を支えるという伝統があるはずです。この伝統を我々が引継いでいけば日本の未来は盤石でしょう。しかしこの伝統を我々が引継がなければ、日本のこれからは危ういことになります。
 
皇室に対してあげつらう人達は「皇室がどうあるか?」ということを言っているけれども、そのあげつらっている人達自身はどうなんでしょう?すべきことを、国民としての責務を果たしているのでしょうか?そもそも「皇室が(人が)どうあるべきか?」ではなく、「我々国民(自分自身)がどうあるか?」が重要ではないのか?

 

皇室がどうあるべきか?

ではなく

我々国民がどうあるか?
 

この言葉は、皇室のことに限らず、現在の非常事態に対してあげつらうことに対してもあてはまることです。つまり、「政府がどうあるべきか?ではなく、我々国民がどうあるか?」とも置き換えられます。我々国民から選ばれた人が政治家になっていることを考えてみれば、真剣に政治に立ち向かわなければならないのだと考えるのです。

 

 

毎日順調に減少しています。頑張りましょう\(^o^)/