こんにちは!
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息子
現在、中学3年(情緒クラス)。自閉症スペクトラム障害。
6歳で強迫性障害(この時、WISCの検査で発達障害であることが判明。) → 薬物療法 → 薬剤過敏の副作用で悪化 → 精神薬減断薬完了 → 復活!!
行きたい時に学校に通う不登校児。(ゆたぼんかっ)
アニメ・カラオケ・SASUKE・クイズ・相撲・サッカーのオタクさんです(笑)
母(だいちゃん)
シングル・アラフィフ・ワーママ。
いつもはもの凄くくだらなくてふざけてるけど、好きなジャンルは「哲学・倫理学」
一人でも、どこでも、土食ってでも生きていけるような、たくましいリア充さんです(笑)
最近、プロテインとみかん🍊と俳優・井浦新くんにハマっている
さて、今日は…
【不登校・小学5年生の時。。。】
今日は
【不登校】小学校5、6年生の時の過ごし方
について書いていこうと思います
不登校をしている子をお持ちのママさんパパさん、
本日もお疲れ様でございます
今日は先日↓↓の続きで
我が家が当時どう過ごしていたか?
なんてことを書いてみようかなと思います。
じゃ、小学校5、6年生いきまーす
小学5年生では
運命の出会いがありましたー
小学1年生で
突然、強迫性障害を発症し
発達障害と診断され、
向精神薬(抗精神病薬)の薬物療法を選択し、
小学2年生で
薬剤過敏の副作用で状態が激的に悪化
向精神薬(抗精神病薬)の減断薬をスタートしました。
小学3年生は
元々の二次障害
+
薬剤過敏による副作用
+
減薬による離脱(禁断)症状
で、記憶が無くなるほど大変な毎日でした。。。
小学4年生
このあたりから、
息子の脳内も少しづつ落ち着いている時間も増え、
とはいっても、
向精神薬(抗精神病薬)の離脱(禁断)症状は
すぐには無くならず、まだまだ大変な日々も続いていました。
しかし、
療育センターや放課後等デイサービス
に通うことが出来るようになり、
徐々に社会での経験を重ねることが出来るようになり
自己研究も少しづつ出来るようになっていきました
そして、小学5、6年生です
この年、息子の通う通級の先生が変わりました。
そして、息子はグンと成長し始めます
とても恵まれた環境で、
こんな確率ってなかなか無いんじゃないか…
って思うくらい
実は、通級の担任の先生は…
発達障害の当事者さん(多分)
だったのです。
先生の口から
「僕当事者です。」というワードを
聞いたわけではないのですが、
話の流れから察すると
確実に当事者さんでした
なので、
私、
もう、
安心しきって
「息子の事、よろしく頼みまーーーーーーす」
みたいな感じで
完全にお任せ状態
初めのうちは、
相談に乗ってもらっていた
スクールソーシャルワーカーさんとか
「ちょっとあの先生どうなのよ」
みたいに、
フツーの人だと
イライラさせられちゃうポイントが
その通級の先生のコミュニケーションには
あったみたいなんですが、
私…
途中で気づいちゃいました
「もしや、通級の先生、、、、当事者さん?」
そして、いろいろお話させていただき、
恐らくそう(当事者)であろう
というような会話をさせてもらったことを覚えています。
とても
誠実で
まっすぐで
嘘が無くて、
ちょっと不器用で
真面目で
熱くて
信頼できる先生でした。
あ、ちょっとうっかりミスとかあったけど
(発達あるあるなんで笑)
息子も、
今まで感じたことのない
安心感と
「理解してもらっている」
という実感を
得ていたと思います。
この思春期の入り口の年齢で
この通級で先生に出会えたことが
息子にとって
とても大きな影響があったんじゃないかな。
あぁ、先生、
当時は本当にどうもありがとうございました
小学5年生、6年生と
この通級の先生と
安心できる環境下で
様々な経験をさせてもらいました。
そして、週に通う日数も
通う時間もどんどん増えて
いきました。
また学校外でも
療育センターや
放課後等デイサービスへ
一人で電車に乗って
通えるようになり
どんどんと
出来ることも増えていきました。
精神的な成長・安定が
ハッキリと感じられた
小学校の最後の2年間でしたね。
そんなこんなで
息子はすっかり回復し
中学へ入学となるのでした
やったぜ
母より
私の思い
プロフィールや特性、支援や悩みについてなど
★”不登校でも問題ない~今を生きる子供に絶対に必要なこととは”
二次障害(強迫性障害)・薬剤過敏・副作用・向精神薬の減断薬・離脱症状などについては、全て 【まとめ記事】 にまとめてあります