マヨラサーティーン 土方の始末書 -12ページ目

其の三、誕生日会はいつものアイツが違う奴に見える

「自分は変わらない」というのは、すごくむずかしいですね。

とくに「自分に思い当たることがないのに、急に冷たくされた」というような時にはどうしたらいいか。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

本当は、勇気を出して聞いてみるのが一番いい。

案外、向こうではそんなつもりがない場合だって、いっぱいあると思う。

傷つくのを恐れて、疎遠になったまま、相手のほうも、寂しく思っていたということだって実際あるんです。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

人間関係は「鏡」みたいなものだから、自分が「もう少し優しくしてくれたら、自分も何でも話せるんだけどなぁ」

と思っていると、相手だって「もう少し何でも話してくれたら、自分ももっと優しくできるんだけどなぁ」

と思っているそんな場合が多いのです。


裏マヨラサーティーン 土方の始末書

だから「自分から話しかける」ことです。

それでも冷たくされたら、本当は人間としてみじめなのは、相手のほうです。自分じゃない

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

人の心は、どうしようもない場合がある。

変わる場合もある。

その時にどうするか。

人は変われど、われは変わらず」でいきましょう。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

冷たくされても、自分は人に冷たくしない

裏切られても、自分は裏切らない

裏切る方がみじめです


自分の心を大きなクギで傷つけているようなものだそれが自分ではわからない

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

其の二、友達がケガしたらすぐに病院へ

空気は見えない。心も見えない。しかし、見えない心の中に、喜びも悲しみも、美しさも醜さも、光も闇も全部ある。

見えない心と心をつなげるのが友情です。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

それは利害ではない。立場でもない。かけ引きでもない。表面的なお付き合いでもない。

本当の人間同士の真心で結びあった間柄です。

人生において最も美しく、強く、尊いもの。それが友情です。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

友情がみんなの財産です。どんなに偉くなり、金持ちになっても、友人のない人生はわびしく、寂しい。

また独りよがりの偏頗(へんぱ)な人生になってしまう。

とくに青春時代の友情ほど尊く、美しいものはない。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

大人になってからの付き合いは、多くの場合、利害や打算があり、一時的な立場上のものになりがちである。

中学、高校時代には、そういう余計なものがない。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書


広大な宇宙のなかの小さな地球に、同じ時代に、ともに生まれた。


しかも人類六十八億のなかで、何もくどくど言わなくても心が通じ、何の構える必要もない、純粋無垢な絆で結ばれた関係は、そうめったにあるものではない。

今、一緒に学んでいる、というだけで、深い縁(えにし)があるのです。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

そのなかで「本当の友人だ」という人もいるでしょう。

その友人を大事にしてほしい。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

また今、親友と呼べる友がいない人は、あせることはない。

将来、最高の友人ができるために今はいないんだ、と決めていけばいい。

今は自分を立派につくっていけばいいのです。

将来、世界に友人ができる人もいるでしょう。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

ともあれ、友情というのは自分で決まるのです。

相手じゃない。自分がどうかです。

いい時はいいが、何かあるとすぐに別れてしまうというのではなくて、自分は変わらない。貫いていく。

卒業する時も、「私は一生、君を忘れない。どんなことも相談してくれ。私も相談したいんだ」

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

という度量というか、心のゆとりを忘れないでもらいたい。


裏マヨラサーティーン 土方の始末書

其の一、男が揃えばどんな場所でも戦場になる

こんばんは、マヨラ13です。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

昔、だれかが言っていた。

「男は、友達がいれば金持ちと同じだ。だから私は金持ちだ。」

女性だって同じでしょう。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

良い友達がいれば、人生の喜びは二倍になる。

それが本当に「豊かな人」です。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書
「友情は喜びを二倍にし、悲しみを半分にする」

というドイツの劇作家、詩人シラーの言葉は、今も変わらないでしょう。


問題は「どうしたら、そういう友情がつくれるか」

両親を自分で選ぶことはできないが、友人は自分で選べるわけだから、大事なことです。

「友達がいるから学校は楽しい」という人もいます。

「友達はいる。でも心から話せる親友はいない」という人もいます。

「友達は競争相手だ。友達が勉強しているのを見ると、あせってしょうがない」

裏マヨラサーティーン 土方の始末書
こういう気持ちもあると思います。

また「今まで親しくしていた友達が急に冷たくなった」

「友達に裏切られた」

「友達に無視され、とてもつらい」

という悩みもあります。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

青春の心は寒暖計のように敏感だ。

ある時は、すべてがバラ色に見えたかと思うと、すぐに「自分くらいダメな人間はいない」と落ち込んでしまう。

それはそれで青春の特質だから、かまわない。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書


大事なことは、どんなに苦しいことがあっても「負けない」ことです。生き抜くことです。

友人のこと、恋愛のこと、交通事故とか親の病気とか、目の前が真っ暗になるような、悲しい事件に遭遇することもあるでしょう。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書
しかし、後になってみると、みな夢のようなものになるのです。

私も、これからどうなるのかと思った。生きていけるのかと、お先真っ暗だった。

しかし、生き抜いて、今の自分がある。あの時の苦労も、今となっては夢のようなできごとです。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

どんなにつらいことがあっても、あきらめないで、前へ前へ生き抜いていけば、みな夢となって消えていくのです。

それが大前提です。だから、カラッと生きるんです。そのうえで、友情について考えてみよう。

其の志、何回見てもラピュタはいい

大事なのは「じっとこらえて今に見ろ」の精神です。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

青春はあせってはならない。

今十代の人たちの真価が問われるのは十年後、二十年後、三十年後です。

もちろん私もまだまだその途中です。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

その時にどうかです。その時に自分の使命を果たしたかどうかです。

すべての人には、自分でなければできない、自分の使命がある。

使命がなければ生まれていません。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

世界にはたくさんの山がある。高い山、低い山。

世界にはたくさんの川がある。長い川、短い川。

しかし、みな山であり川であることには違いはない。


穏やかな万葉の奈良の山もあれば、勇壮な阿蘇がある。壮大な白雪のヒマラヤもあります。

それぞれに美しいし、味がある。川も、鮭の故郷となる石狩川もあれば、詩情の千曲川もある。

対岸が見えない大黄河があり、アマゾン川がある。その川にしかない魅力がある。

人間も、それぞれの使命があって存在するのです。


裏マヨラサーティーン 土方の始末書

君には君でなければできない、君の使命がある。必ずある

そう確信し、自分に誇りをもってもらいたい

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

それは、じっとしていたのではわからない。

何でもいい、何かに挑戦することです。その努力の積み重ねのなかから自然に方向性が決まってくるものです。

だから、今、自分がやるべきことは何なのか、それを避けてはいけない。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

「目の前の人生の山を登れ」ということです。

山に登れば、ともかく足は鍛えられる。鍛えられら分、次のもっと大きい山に挑戦できる。

この繰り返しです。そのための生命力を自分の中からわきたたせていくんです。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

登った山頂から、もっと広い人生が見えてくる。自分だけの使命も、だんだんとわかってくるのです。

使命があるんだということを忘れない人は強い。どんな悩みがあっても負けない。

悩みを全部、希望のエネルギーに変えていけるのです。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

人生というのは、山を越え、また山を越え、また次の山を越え、そして一番高い山を越えた人が勝利者となる。

逆に、山に登るのを避けて、谷へ谷へと、低いほうに降りていく人は、人生の敗者となる。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

山に登るか、谷に降りるか、極端に言えば人生は二通りです。

中には、山に登る途中で、同じ所をぐるぐる回っている人もいます。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

其の参、松茸のお吸い物ってアレ ホンモノよりうまいよね

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

理想的には、大学に進学することに大賛成です。

その方が実力をつけやすい環境になるし、より大勢の人に貢献していくうえで役に立つ場合が多いからです。



裏マヨラサーティーン 土方の始末書
しかし、自分の道を行くことも自由です。

何かに自分の道を見出し、使命を感じていけば、それも当然でしょう。

大事なのは親に心配をかけないことです。

そして「自分はこれでいくんだ」という自分らしい夢をもって、挑戦していってもらいたい。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

勉強は進学するためだけにあるんではない。自分を豊かにするためにある

「学ばずは卑し」という言葉があるが、人間の人間らしさというものは「学ぶ」ところにある。

しかも今は、高度な情報社会です。一生涯、つねに学んでいかなければ、すぐに遅れてしまう。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書
一生涯、勉強。一生涯学ぶ。これが、これからの指導者の要件です。

今の世の中の行き詰まりは、じつは指導者自身の行き詰まりにある。

「学ばない」からです。たとえば、若い世代の意見を、じっくり聞いて学ぶ

学んだら実行する。そういうゆとりというか、幅というか、人間としての度量がなくなっている。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

十代の今こそ、生涯にわたる「学び」のエネルギーを蓄える時です。

頭脳の鍛錬の土台づくりです。

だから「人と比べてどうかではない。自分らしく、精一杯に学びに学べ」

バカにされても、悔しい思いをしても、へこたれないで進め」と重ねて言っておきたい。

そういう「心」のある人は、もう半分勝ているんです。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

自分は自分らしく生き抜くところに、自分としての価値がある。

自らを輝かせていく、そして周囲を照らしていく

これが「個性」であり「独創性」です。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

「ウサギとカメ」の話がありますが、ウサギの人もいるし、カメの人もいると思うんです。

だけど最後は、あせらず、休まず、歩みきった人が勝つと思います。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書

ゴールに向かって、自分で自分をあきらめないことです。


アトランタオリンピックの男子マラソンの最終走者は、アフガニスタンの高校生でした。

「僕の目標は一位や二位になることじゃない。アトランタに来て走ることだった。」

「途中でやめようなんて思わなかった。アフガニスタンで人々がちゃんと生きていることを見せたかったんだ。」と

戦火に荒廃した祖国の人たちのために走り抜いた彼の姿は感動的でした。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書