親の心子知らず、其の1
こんばんは、マヨラ13です。
最近、励ましをいただいたアメンバーさんや読者さんのブログを拝見させていただいていて
家庭の事や、学校、対人関係で悩んでいる記事が大変多く、自分がお世話になった皆さんに
今まで学んだ事で少しでも参考や励ましになれればと思い、ブログに綴らせていただきます。
家庭環境についてですが、大邸宅に生まれたから幸せか、貧しい家に生まれたから不幸か。
そんな事は絶対に言えない。今の人は、お金があれば幸せと思っている人が多い時代です。
大きな間違いです。財産と幸・不幸は、まったくの別問題です。
裕福で誰もがうらやむような家庭でも、外から見たのではわからない深刻な悩みがあるもんです。
家が貧しくて月謝が思うように払えない人もいるかもしれない。
ほしい物が買えず、寂しい思いをしている人もいるかもしれない。
しかし、過去の多くの人たちがそうだったんです。貧しい事は、ひとつも恥ではない。
よこしまに生きることが恥です。心が貧しいことが恥ずかしいことなんです。
親が貧しいから、親が無学だから、夫婦喧嘩があるから「だから自分は不幸だ」
そうではない「だからこそ、人間らしい世界であり、人間らしい自分になれるんだ」こう思ってもらいたい。
立派な家に生まれたら、理想的に見えるかもしれないが形式ぶった、しきたりや伝統や見栄に縛られた、機械のような世界では、本当の人間らしい生き方は出来ないでしょう。
親の夫婦喧嘩を見ても、自分が怒られても、人にばかにされることがあっても、にっこり笑って、全部、自分を人間として「大きな人間」にしてくれているんだ、自分の「大きな心」をつくってくれているんだ、と思う事です。
そういう苦しい思いをしてこそ、人の気持ちもわかるものです。
人の気持ちがわからない人は、本当のリーダーになれない。
今の社会の不幸は、人の気持ちがわからない指導者が多すぎる事です。
悲しみと苦痛が自分という大地を耕してくれる。そこから「人を幸せにしたい」という美しい心の花が咲くんです。
恋愛論、其の悟、人の身体は小宇宙
こんばんは、マヨラ13です。
「好き」という気持ちに翻弄されて、2人だけの世界をつくろうとするよりも
相手の「尊敬」できるところを学び、自分を高めていくほうが賢明です。
「星の王子さま」の著者であるサン・テグジュペリも
「愛するとは、たがいに見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見る事だ」って言っている。
その意味でも、やはり共通の信念をもっているほうが、長続きする場合が多い。
海外からの女性留学生は「日本の男性は、女性を女性としてしか見ない。一人の人間として尊敬する心が弱いのではないか」と指摘していたそうな。
男性も女性を一人の人間として尊敬し、尊重できるようになってこそ、一人の「自立した男性」と言える。
友達の中には、いつも彼氏、彼女がいないと不安で、別れてもすぐに次の彼氏、彼女をつくる人もいます。
ただ、どんな生き方もその人の自由だし、人それぞれ性格も違う。
しかし、異性だけを絶えず追いかけるような青春では、寂しいと思う。
恋愛をするなら、生涯に一度、最高の大恋愛をすればいいのではないだろうか。
もちろん、そうはならない事もあるでしょう。
しかし、最初から恋愛は恋愛、結婚は結婚と割り切るのは、どちらの相手にも失礼だと思う。
問題はまだ多いだろうけど、未来への無限の可能性を秘めたみなさんです。
焦ってはいけない、急いで年をとる必要もない。
好きな人がいても、それを胸に秘めて「いつの日か、あの人が誇りにしてくれる自分になろう」
「そのために自分を磨こう」と頑張る生き方があってもいい。
相手に伝わっても伝わらなくても、胸の奥のその思いは、時とともに芳醇な果実酒のようになるでしょう。
大人になってからも青春の想い出を香り高く包んでくれるでしょう。
そして皆さんの人格を芳しく、奥行きのあるものにしてくれるのではないだろうか。
長くなりましたが今回のその悟で恋愛論を終了したいと思います。
貴重なお時間お付き合いいただきまして、大変ありがとうございます。
恋愛論、其の四、運に身分は関係無い
失恋して、生きる希望を失った。
何か自分と言う人間の存在全てが否定された気がして
この世の中に自分は必要ないのではないか、とまで思いつめる人がいます。
しかし、盲目的、病的になっては青春の負けです。
何があろうと強く生きなければならない、弱くなってはいけない。
青春は前に向かって進むものです。
横に行ったり、後ろに回って闇の中に隠れてしまってはいけない。
青春は物事を悲観的に、センチメンタルにとらえてはいけない。
それは敗北者の論理です。
「ああ、私の良さが分からないとは可愛そうな人だなw」と笑い飛ばすくらいでいい。
ロックフェラーと言えば、歴史上、かつてないほどの財産を築いた実業家です。
彼は貧しかった青年時代、初恋の女性に結婚を申し込んだが拒否された。
その理由が面白い。
娘の母親が「あんな将来性のない男にむすめをやるような事はできません」
と言ったそうですw。人は案外、見る目がなかったりするんです、また彼がこれで発奮したのかもしれませんね。
失恋がなんですか「こんなところで潰れてしまう弱い自分じゃないよ」と自分を励ます。
今はその人が「世界で一番」のように思えるかもしれないが、これから出会う100人の中でも一番か
1000人と比べても一番か、一万人の中でも一番かというと、そうは言い切れないでしょう。
また、自分がどんどん成長していけば、人を見る目も変わってくるもんです。
時を同じく失恋した人もいるでしょう。また傷ついて「もう自分はダメなんだ」と思ってる人もいるかもしれない。
けれど絶対に自分はダメだなどと思ってはいけない。
宇宙全体の宝を集めたよりも、かけがえのない自分です。
たとえ、今はどんな境遇にあったとしても人は必ず立ち上がる事が出来ると信じている。
自分が押しつぶされそうな苦しみの底の底で、初めて人生と命の真髄が心にしみ通ってくる。
だから苦しんだからこそ生きなければならない。前へ前へ進むんです。
もっと素敵な自分になればいい。
苦しんだ人だからこそ、そうなれる。
顔をあげて自分は一生懸命生きているんだから本当は勝利者なんです。
沈み込んで変な方向へ行ってはいけない。
「悲しければ泣けばいい、一度涙で全部洗い流すくらい泣けばいい」涙の川を渡る。
恋愛論、其の参、起きて働く果報者
こんばんは、その参に続きました。
青春時代に異性に憧れ、好意をもち、胸を熱くするのは自然な事で人生の一つの段階です。
お互いがキラキラした夜明けの新しい太陽が昇るような、新しい時代に入るようなものだ。
もとより恋愛の悩みといっても、十人十色。
性格も違うし、環境も違う、こうすれば必ず解決する。というような誰にでも当てはまる法則はないでしょう。
また、人を好きになるのも、きれいだなと思うのも自由。
お付き合いするのも自分の意思であり、本来人がとやかく言うものではないかもしれない。
でも男性はナイトの精神で、女性は毅然と。
もちろん全てのケースの当てはまるとは思いませんが、年上の人、例えば大学生と付き合っている人の中には
本当に彼女のためになる恋愛をしているのかなと心配になる人もいます。
結局、心身ともに傷つくのは女性が多いのですから。
多くの女性は男性の積極的攻撃にはもろい。
感電したみたいになってしまう、ぼーっとなって、冷静な判断が出来ない傾向がある。
だからこそ、女性は毅然として自分を守る権利があるし、その気持ちが分からない男性であれば、相手にする価値もない。
しかし、いったん付き合い始めると、何かを拒否する事は相手への不誠実のように思えてくる。
だから恋愛は、ある意味で「ブレーキのない車」に乗ってしまうような面がある。
降りたいと思っても降りられない。
後悔しても車は止まらない、自分は「自由」のつもりでいて、最大に不自由な自分になっていることが多いです。
自分を粗末にしてはいけない。不健全な道に入ってはいけない。健全な道を行ってほしい。
すばらしい恋愛は、実は、誠実で成熟した「自立した個人」と「自立した個人」の間にしか生まれない。
自分を磨く事が大切なんです。
相手に嫌われたくないので合わせてしまう。という傾向
相手に媚びて、恋愛をするのは惨めだ。それは、思いやりでも、心の深さでも、愛情でさえもない。
自分の望まない付き合いをするくらいなら、嫌われた方がいい。それくらいの毅然たる自分であっていい。
本当の愛情は、もたれあいではなく、確固とした「自立の個人」の間にしか生まれないんです。
浅く安っぽい人間には、安っぽい恋愛しか出来ない。
本当の恋愛をするなら、本気で自分を作る、それは相手に合わせる事でも、見栄をはったり、表面をとりつくろう事でもない。
また、愛情があれば、相手の望まない事を無理強いするはずもないし、責任の取れない無責任な冒険をすることはないはずだ。
その意味で、男性はナイト(騎士)の精神で女性に接するべきである。
女性に甘えるのではなく、ある面では父親のよな慈愛の眼を持つと言うか、相手の一生の幸せを第一に考えてこそ真の男性であり真の愛情です。
自分が親となり、娘をもてば、どんな気持ちがするか。その娘が恋愛をしたら、相手の男性にどんな態度をとってもらいたいか、そういう父親の気持ちがわからないようでは、人を愛する資格はないのではないのだろうか。
そして、だれか一人でもいいから何でも話せる相談相手の友達を持つ事が大切だと思う。
恋愛においては「自分のことは自分ではわからない」と自覚しておいた方がいい。
客観的に見てくれ自分の事を思ってくれる人のアドバイスに耳を傾けた方が賢明です。
秘密にしたい気持ちは分かるが、秘密にした分、危険も増えて行く。いわんや友達とも付き合わなくなるようであれば、それは心配です。
ともあれ、今どんなに楽しいように見えても、また自分はどんなに真剣のつもりでも、成長の軌道から外れては遊びとなってしまう。
遊びは、どこまでいっても遊びである。
どんな大きな数字でも、ゼロをかければ、結局はゼロになってしまう。
そのような付き合い方は悲しいものです。
恋愛論、其の弐、人は閉じこめられると自分の中の扉が開く
続きました、その2です。
テレビや雑誌では、恋愛を人生の目的のように描いたり、ゲームか遊びであるかのように取り上げがちです。
例えば、「高校生が真面目に勉強した」では記事にはならないが
「高校生がいかがわしい事や出会い系をやった」となるとマスコミも飛びつくw
「私も早く彼氏彼女を作らなきゃ」という焦りみたいなものもあるのです。
というような世間の軽薄な風潮を気にする必要もないし流されてはいけない。
それは大人社会の「ゆがみ」の反映であり若い人たちの本当の幸福など考えないで利用だけしている「商売」なんです。
それを見抜かなければならない、乗せられてはいけない。
かけがえのない青春です、かけがえのない自分です。
マスコミに踊らされ、操り人形のようになるのは愚かで、自分がかわいそうだ。
毅然と我が道を行き、恋愛さえうまくいけば、他の事はどうでもいいという「恋愛至上主義」になったり
どんどん深みに入って傷つくことも美しいと言わんばかりの「無責任な恋愛論」にだまされてはいけない。
ほとんどの恋愛は、後になれば、幻のようなものです。しかし、仕事や勉強は幻ではない。
家も土台をいい加減に作っては使い物にならない。米も研がないで炊いてはまずい。
手を抜いた分、後の結果は明らかです。まだ社会で生活も出来ないのに大人ぶるのは愚かな事です。
今、やるべき事をやりきっている。そう頑張っている人でこそ、将来のすばらしいドラマにふさわしい自分をつくれるのではないでしょうか。
せっかく将来開花しようとそている大切な「芽」を摘んではいけない。
恋愛だけになると自分の可能性を摘んでしまう人が、あまりにも多い。
将来は、こんな道に進みたい。と思っていても今、目の前にある楽しい恋愛に流されてしまい、気が付いた時には手遅れになっていた。何をやりたいのかわからなくなってしまった、と言う場合もあります。
日常生活は地味です。平凡です。毎日の努力は苦しいし、楽しい事ばかりあるはずもない。
それに比べると、恋愛には「ときめき」があり、ドラマがあるように思える。
自分が小説の主人公になったような気がする。
しかし、面白くないからと言って歩むべき軌道を外れて恋愛に飛び込んでも、それは逃避です。
夢を見ているようなものだ。夢は見ている時は本当だと思っている。
しかし、恋愛に逃避しても、実際には楽しいことばかり続くはずがない。
むしろ、だんだん苦しい事、悲しい事が増えて来る。
どんなに逃げても、自分からは逃げられないからです。
弱い自分のままでは、どこまで行っても、苦しみしかない。
自分で自分を変えないで喜びはないのです。
幸福はだれかが与えてくれるのではない。恋人が与えてくれるのではない。
自分が自分で幸福になっていく、そのためには、自分を大きく育てるしかない。
自分の成長や可能性を犠牲にして、恋愛をしても絶対に幸福はない。
十代に頃は、まだ視野も狭く、自分を本当に生かす道を見つけていない。だから恋愛が最高のように思ってしまう。
第一、何かから逃避するような恋愛では、相手に対しても、自分に対しても失礼でしょう。
焦らず今は自分をうんとすばらしい人間に磨いて下さい。
自分の楽しみだけを追い求めるのはエゴイストです。
エゴイストに本当に人を愛する恋愛が出来るのだろうか。
また反対に本当に一人の人を愛すれば、その人を通して、人全体を愛する自分へと拡大していくものです。
もっと強く、もっと高く、もっと深い自分になるんです。
恋愛も結局は、その人にふさわしい恋愛しか出来ない。友情も同じです。
その3も明日時間があれば続きますw
































