恋愛論、其の参、起きて働く果報者 | マヨラサーティーン 土方の始末書

恋愛論、其の参、起きて働く果報者

こんばんは、その参に続きました。

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青春時代に異性に憧れ、好意をもち、胸を熱くするのは自然な事で人生の一つの段階です。

お互いがキラキラした夜明けの新しい太陽が昇るような、新しい時代に入るようなものだ。

もとより恋愛の悩みといっても、十人十色。

性格も違うし、環境も違う、こうすれば必ず解決する。というような誰にでも当てはまる法則はないでしょう。

また、人を好きになるのも、きれいだなと思うのも自由。

お付き合いするのも自分の意思であり、本来人がとやかく言うものではないかもしれない。

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でも男性はナイトの精神で、女性は毅然と。

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もちろん全てのケースの当てはまるとは思いませんが、年上の人、例えば大学生と付き合っている人の中には

本当に彼女のためになる恋愛をしているのかなと心配になる人もいます。


結局、心身ともに傷つくのは女性が多いのですから。

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多くの女性は男性の積極的攻撃にはもろい。

感電したみたいになってしまう、ぼーっとなって、冷静な判断が出来ない傾向がある。

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だからこそ、女性は毅然として自分を守る権利があるし、その気持ちが分からない男性であれば、相手にする価値もない。

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しかし、いったん付き合い始めると、何かを拒否する事は相手への不誠実のように思えてくる。

だから恋愛は、ある意味で「ブレーキのない車」に乗ってしまうような面がある。

降りたいと思っても降りられない。

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後悔しても車は止まらない、自分は「自由」のつもりでいて、最大に不自由な自分になっていることが多いです。

自分を粗末にしてはいけない。不健全な道に入ってはいけない。健全な道を行ってほしい。


すばらしい恋愛は、実は、誠実で成熟した「自立した個人」と「自立した個人」の間にしか生まれない。

自分を磨く事が大切なんです。

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相手に嫌われたくないので合わせてしまう。という傾向

相手に媚びて、恋愛をするのは惨めだ。それは、思いやりでも、心の深さでも、愛情でさえもない。

自分の望まない付き合いをするくらいなら、嫌われた方がいい。それくらいの毅然たる自分であっていい。

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本当の愛情は、もたれあいではなく、確固とした「自立の個人」の間にしか生まれないんです。

浅く安っぽい人間には、安っぽい恋愛しか出来ない。

本当の恋愛をするなら、本気で自分を作る、それは相手に合わせる事でも、見栄をはったり、表面をとりつくろう事でもない。

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また、愛情があれば、相手の望まない事を無理強いするはずもないし、責任の取れない無責任な冒険をすることはないはずだ。


その意味で、男性はナイト(騎士)の精神で女性に接するべきである。

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女性を尊敬し大切に守っていく姿勢を忘れてはいけない。


女性に甘えるのではなく、ある面では父親のよな慈愛の眼を持つと言うか、相手の一生の幸せを第一に考えてこそ真の男性であり真の愛情です。

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自分が親となり、娘をもてば、どんな気持ちがするか。その娘が恋愛をしたら、相手の男性にどんな態度をとってもらいたいか、そういう父親の気持ちがわからないようでは、人を愛する資格はないのではないのだろうか。

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そして、だれか一人でもいいから何でも話せる相談相手の友達を持つ事が大切だと思う。

恋愛においては「自分のことは自分ではわからない」と自覚しておいた方がいい。

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客観的に見てくれ自分の事を思ってくれる人のアドバイスに耳を傾けた方が賢明です。

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秘密にしたい気持ちは分かるが、秘密にした分、危険も増えて行く。いわんや友達とも付き合わなくなるようであれば、それは心配です。

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ともあれ、今どんなに楽しいように見えても、また自分はどんなに真剣のつもりでも、成長の軌道から外れては遊びとなってしまう。

遊びは、どこまでいっても遊びである。

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どんな大きな数字でも、ゼロをかければ、結局はゼロになってしまう。

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そのような付き合い方は悲しいものです。