ショーペンハウアー(著), 鈴木 芳子(翻訳)形式: Kindle版

出版社:光文社

5つ星のうち4.5 186個の評価

マイスコア:100

テーマ:内面を磨け

本当の幸福とは、金や地位、名声、男、女などの俗物的なものではなく、「自分が何者であるか」をしっかりと思考することである、と主張している。そして、内側にある幸福は外側にある幸福に勝るともいっている。しかし、美人やイケメンと映画を見たり、デートをしたりする行為も、すごく幸福であるというのが自分の意見である。自分の解釈としては、他人が求めるものが決して自分が求めているかと言われると違うというものである。実際、自分は高い時計や一軒家などは甚だ興味がない。興味があるのは、アニメや漫画、、映画、本などに触れることにより、昨日の自分と違う感覚を身につけることである。つまり、この自分の欲求こそが、自分の内側にある幸福だといえるだろう。そして、同じ状況にたっても、人によって感じ方はそれぞれなので、ある人がある状況を幸福ととらえていても、違う人はその状況を不幸と捉えるかもしれないのである。そして、陽気な人はどんなつらい状況でも、その中で良い部分を見つけようとするので、陰気な人よりも幸福であることが示唆されている。そして、幸福にとっての敵は、苦痛のみではなく、退屈もそうであると述べている。そして、貧困層は苦痛と戦い、裕福な層は退屈と戦っているのである。つまり、裕福な人が幸福かという問いには必ずしもYESであるというわけではないのだ。だから、たまに刺激を求めたり、追い込まれる状況を望む人がいる長年の違和感が解消された。そして、幸福は自分の長所を活かすことで現れるとも言っており、自分の能力をしっかりと見極めることが重要であることは、ショーペンハウアーの時代からわかっていたことなのだ。

 

 

 


劉 慈欣(著), 立原 透耶(監修), 大森 望(翻訳), 光吉 さくら(翻訳), ワン チャイ(翻訳)

出版社:早川書房


テーマ:高度な文明を保有する国への対抗

面白かった。文化大革命の描写から始まり、思想の行き違いにより、父を殺された葉文潔は復讐の念をいだき、地球三体協会のリーダーとなる。その中で、三体人を迎え入れようとする。それに対し、汪淼と丁儀が絶望に打ちひしがれる中、史強が外出に誘い、車で田んぼに向かう。そこで、史強は蝗害が起きている田んぼを見て、「絶望するにはまだ、早い」という内容のメッセージを送る。そのメッセージにより、汪淼と丁儀はこころを持ち直す。こういう粋なシーンは最高である。史強ははじめ印象が悪かっただけに、ゲインロス効果により好感度が爆上がりしたという格好であろう。三体人は三体人で可哀想であり、年がら年中狭い部屋でグラフを見続けるという生活を送っている。三体文明では、「文明が発展する」ことにのみ特化しているため、三体世界での一般人は娯楽も知らず、ただ同じ作業を永遠とやり続けるという生き地獄を経験しているのである。ある意味、ベルセルクのガッツよりきつい状況なのかもしれない。多分もう死んでいるが、反旗を翻した三体人にはリスペクトを送りたい。途中の物理学の説明は少々難解だったので、完全に本作を理解しようとすると途中で読むのをやめようと思ってしまう。だから、ある程度難しい部分は流して読むのが良いと感じられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


佐藤 究(著)

出版社 KADOKAWA


テーマ:過酷な環境下で生き抜く


素晴らしい作品である。凄惨な出来事がかなり起こる。初めにルシアという女性が出てくる。兄を銃殺され、その中で悲しみに暮れる中、メキシコを出ることを決意する。北上すると、アメリカがあり、本来はそこに行きたいが、見張りがたくさんおり、渡米は難しい。だから、南に進んでいく。その中で、後のコシモの父親(ヤクザ、土方興三)に出会う。二人とも日本にわたってコシモを出産。薬中のルシアと、DVを起こす興三。荒んだ生活によって、コシモは廃れ、二人を殺す。コシモと、後の麻薬密売人の末永、麻薬カルテルのリーダーであるバルミロが出会い、物語が展開していく。自分がコシモだったら、過酷な生活に耐えるだろう。高校行くお金がない場合は、バイトして日銭を稼ぐ。大学まで行くことは無理だろう。ただ、自分ならできるところまでもがくだろう。そして、性格が死ぬほど悪くなっている。ただ、そこで得た狡猾さはかなり人生のなかで大事だと思われる。ただ、金持ちは狡猾さがないのが欠点である。多分、要領の良さも貧乏の方がいい。ただ、トレードオフなので、メリットデメリット両方考えると、金持ちの方が圧倒的有利である。一方、ルシアもルシアでかなりきつい生活を強いられている。メキシコ時代は、飲食店のウェイターで日銭を稼いでいた。もし、自分がルシアなら、まず薬物に手を出さない。われわれ人間は身近なストレス解消法を求める。自分は、人間関係が荒んでいる場から家に帰宅した際に、スマホでYouTubeを見たりする。しかしながら、実際のところ、一番ストレス解消にいいのは、人に相談することであり、もしくはスマホを鞄にしまってゆっくり読書したり、すぐさま睡眠をとることである。私は、最初ルシアが薬物にはまるのを馬鹿にしていたが、案外自分も同じようなことをしているのである。科学的に、ストレスを解消する必要性が出てくる。この作品への思いが強すぎて、物語としてコシモがまだ生まれていない段階なのに、かなりの量の感想をかいてしまった。興三に関しても、自分ならそもそもヤクザにならない。だって、興味ないから。社会に貢献していないから。コシモも状況がかなり辛いとはいえ、殺しはしてはいけない。ただ、一ついえるのは、どの登場人物たちもかなり人生の選択肢を間違っているが、自分で選択肢を選んでいるのである。その部分は、過干渉の親の元で育った人々などが学ばないといけない部分である。コシモは、バスケの試合を観戦しようとする際、金がなく、感染できない事態に陥った。こういったシーンを見ると、自分の今の状況に感謝しなければならない。日本では最低限の生活が保証されているからである。一番心にささったシーンは、戴圭明が処刑されるシーンである。戴圭明は、末永の臓器売買の顧客である山垣を横取りした。その際、末永の偽名であるタナカという名前を使用して信用させた。しかしながら、末永はバルミロとつながっている。だから、末永はすぐバルミロに助けを依頼し、結局戴圭明はバルミロから拷問を受けた。戴圭明は自分を過大評価して、うまく金儲けができるという思い込みがあった。林修先生の言葉を使用するなら、「情報不足、慢心、思い込み」の三点が戴圭明の敗因と言える。ビスマルクも「賢者は歴史から学ぶ。愚者は経験から学ぶ。」といっている。しかし、私が思うに本当の愚者は、自分の経験にすら学ばない、もしくはその時学んでいても、忘れている場合が存在する人のことだと思う。戴圭明は物事の繋がりに思い至らなかった。つまり、思い込みである。自分も似たような失敗をしたことがあるから気を付ける必要がある。作中では、遠慮近憂という中国の故事が使われている。遠く慮なければ、近くに憂いがある、という意味である。それこそが、戴圭明が黒社会で信用されなかった理由である。つまり、黒社会の上司は戴圭明の愚かさに気づいていたのである。自分も自分の愚かさに年上の人間には気づかれているのかもしれない。物語のラストシーンで、なぜコシモはパブロの妻と娘に会いに行ったのかはよくわからない。コシモのせいでパブロがコシモに加担し、バルミロにパブロが殺されたので、多少良心の呵責がコシモにあったのかもしれない。ちなみに、パブロは作中一番好きだった。だから、救われてほしかった。パブロの実家も貧乏であり、ぎりぎりの状態でナイフ職人になった。元々、ナイフに興味があったらしい。パブロは最後までコシモに正道を外れないようフォローしていた。作中唯一の良心である。それに比べて、矢鈴は酷い。己の都合で、違う方向に車を走らせるという愚の骨頂ともいうべき行動を起こしている。話を戻すが、最後パブロとコシモの共作のナイフをパブロの妻と娘に渡して物語は終焉へと誘われる。なんというか、コシモは作中ずっとサイコパスだったが、ラストで人間味が出たので良かったと思う。なかなか重厚な作品であった。本作みたいな作品にまた出会いたい。

 

 

我々は、スマホに洗脳されている。いわば、ギャンブル依存症と同じ脳の働きをしてしまっている。そして、ギャンブラーがギャンブルする時間より、一般人がスマホに触る時間の方が当然長いので、気を付ける必要性が出てくる。昔の時代より、よりデジタル機器との付き合い方がシビアに求められる時代になったと感じる。私はちなみに、平均7時間スマホを使用している。某精神科医曰く、一日2時間にとどめるべきとおっしゃっていたが、なかなか難しいので、まずは、平均時間を一週間に一時間ずつ徐々に減らしていき、無理ない範囲でスマホと付き合っていきたいと考えている。とりあえず私は、カラーフィルタをつけてモノクロにし、TwitterやInstagramも消すことにした。YouTubeのアプリに関しては、消したのだが、結局Google ChromeからYouTubeを起動することも多々あるので、気を付けたい。とはいっても、気をつけて洗脳は治るものではないので、スマホは大体の時間帯鞄の中に投げ入れることにした。一番のスマホの弊害は、不安を煽ったり、集中力がなくなったり、うつ状態になりやすかったりすることではなく、時間をたくさん吸い取られることにあるらしい。確かに、一日最長11時間とかスマホを触っていた頃とかあったが、論外である。休みの日は朝10時ぐらいに起きるとして、夜2時に寝るとする。16時間ぐらい起きている時間の中、11時間ほど時間をスマホに費やしているのである。一日の68%をほぼ無駄な意味のない動画に時間を費やし、残りはあと32%である。恐ろしい。それに加えて、PCやゲームをするとなると生活として終わっている。ジムを契約することの重要性はかなり高いといえる。そして、スマホが近くにあるだけで集中力が落ちるのだそう。フェイスブックの使用者はそうではない人に比べて、人生に対しての満足度が低いらしい。フェイスブックに限ったことではないだろう。SNSはやるだけ本当に無駄であることが再認識した。かくゆう私もストレスマックスの状態で帰ったあと、よくスマホとにらめっこしていたものだ。ストレス発散方法として、当時の私は悪口を言いまくり、一日5時間ぐらいアプリの雑談部屋に逃げ込んだり、ネットカフェの10時間パックを購入したりと非常に無意味で堕落した生活を送っていた。これも、全ては実用書を読んでいないことによる情報不足(知識不足)なのである。知識がないから、こういった無意味で堕落した毎日を送る羽目になるのである。だから、普段から実用書で知識をつけておく必要があるのである。前述の方法は、ストレス発散方法として間違っているのである。結果、運動が一番効率の良いストレス発散方法なのである。運動というのは、なんでもいいのである。ウォーキングでもいいのである。本書で出てくる46歳の不動産ディベロッパーは仕事から帰宅するとヘトヘト状態なのである。しかし、心を落ち着かせる一番いい方法はランニングをすることだと認識しているので、ランニングを行うのである。これと同様の話を何百ものパターンで著者は「運動がどれほどプラスに働くのか」を聞いてきたらしい。「脳を鍛えるには運動しかない」というタイトルの本があることから、運動は間違いなくプラスに働くものであることは間違いないだろう。大事なのは、「どんな運動でもいいからやること」だと主張している。本書では、そんなデジタル社会における解決策も提示している。まず、プッシュ通知をオフにすることを勧めている。スマホを完全にやめるという完璧主義な思考に陥るのではなく、スマホとの付き合い方を模索していくことが素晴らしい人生への片道切符へとつながるのではないだろうか?

 

 

 

マイスコア:80

テーマ:時間旅行

面白い映画でした。マーティが1955年頃のロレインに惚れられて、情事に持ち込まれそうになった所は皮肉が効いていてよかったと思います。ジョージは気づいていないが、ジョージが学生時代ビフたちにいじめられているのをマーティに目撃されるというのはかなり恥ずかしく、父親としての威厳もなくなるのではないかと感じてしまいました。タイムパラドックスについても考慮してみましたが、特に矛盾点があるという訳ではないので、問題はないと感じられました。ジョージは学生時代いじめられていましたが、大人になると小説家として大成しており、ビフは学生時代かなり幅を利かせており、いじめも行っていましたが、大人になるとジョージにこき使われる立場になっていました。勧善懲悪という要素も含んでいる作品であるといえます。ただ、現実世界では、人格に難がある人でも大成するというパターンは往々にして起こります。当たり前ですが、現実では映画みたく簡単にうまくいくとは限らないでしょう。それでも、こうして映画に興じ、現実逃避に浸る時間もあって良いのではないでしょうか?

 

監督 ロバート・ゼメキス
出演者 マイケル・J・フォックス
クリストファー・ロイド
トーマス・F・ウィルソン
リー・トンプソン
クリスピン・グローヴァー
クローディア・ウェルズ

 

 

 

 

 

 

 

テーマ:宮崎駿の集大成

 

個人的に、二面性のある青サギが好きです。眞人を騙そうとしたり、協力したりするので、見ていて飽きないキャラです。二番目の母である夏子は、眞人を気遣いながらも、下の世界のときには「あなたなんて大嫌い」と言い放ちます。つまり、母親からの愛情が欠如している状態です。それを無意識に元々感じてか知りませんが、眞人は自分で自分の側頭部を石で傷つけます。眞人は両親からもっと心配してほしかった、もっと自分のことを見てほしかったといえます。みなさんもご存知の通り、同監督の別作である『千と千尋の神隠し』でも、千尋は両親からあまり愛されていない描写があります。やはり何かつながるものを感じます。大伯父が眞人に13個の石を託し、世界の命運を握らせるという超展開には多少困惑しましたが、宮崎駿の作品数が13個なのを考えると、本作は宮崎駿の集大成としての意味合いがあるといえます。そう考えると、本作は宮崎駿が監督として残す最後の作品だといえるでしょう。悲しいですが、後に引き継ぐ宮崎吾朗氏に期待するとしましょう。

 

 

 




マイスコア:80


テーマ:善悪の中で揺れ動く


映画館で鑑賞してきました。とても長い映画で、206分ありました。しかし、物語に入り込んで鑑賞をすることができました。 


ロバート・デ・ニーロ演じるウィリアム・ヘイルが事件の黒幕でした。善人を演じていましたが、中身は利己的であることが終盤で明かされます。「お前のためを思って」というセリフはヘイルが多用していましたが、自分を良い人に見せるための演技でした。そう考えると、ヘイルはとても気持ち悪い人間です。


アーネストも犯罪に加担しますが、根が良い人なので、かなり心が揺れ動きます。その部分が本作の一番の見どころなのではないかと感じられます。


それに対して、ケルシー・モリソンはアーネストと同じく犯罪を犯しますが、考え方がサイコパスじみているので、アーネストみたく心が揺れ動いたりしません。ただ、狂っているキャラクター性は嫌いではないので、見ていて飽きないといえます。


アーネストは、自分の子供を殺された時点で、ヘイルと縁を切ることを決めます。つまり、アーネストが一般市民に戻ることを示唆しています。これは、マーティン・スコセッシ監督の別作品である『グッドフェローズ』にも繋がります。『グッドフェローズ』でヘンリー・ヒルはギャングの一員でしたが、最終的に身の危険を感じ、一般市民へと戻っています。


キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンは原作が存在する映画でした。そんな本作でも、監督の手によって作品の色が変わるということを改めて認識しました。




 

プレイ状況:全クリ済み

 

素晴らしいゲームでした。今作は、エージェントスタイルと応龍スタイルの双方を使用することができ、とても爽快感のあるバトルが楽しめました。個人的にはエージェントスタイルの蜘蛛で雑魚敵を一掃できるのが気持ちよかったです。例年の龍が如くなら、四天王は不動産やキャバクラの経営、建築会社などにいましたが、今作は闘技場に存在したので、非常に面白かったです。桐生のバトルの強さがそのまま四天王戦に活かせるので、非常に良かったです。亜門涯が一番苦戦しました。異常に強いので、亜門涯戦だけ難易度をBEGINNERに戻した方が良いのかもしれません。肝心のストーリーの方も面白かったです。桐生が涙するシーンも良かったです。花輪は初め不信感があるキャラでしたが、非常に魅力的なキャラであることがわかり嬉しかったです。獅子堂はかなりの野心家であり、個人的には嫌いではないです。何としても這い上がってやろうという意思を感じます。結局仲間は駆けつけるので、なんともいえないですが、真島、冴島、大吾、桐生、渡瀬、鶴野がいる所に単身で突撃するあたり、かなりイカれています。花輪の正体が分からずじまいで、物語が終わったので消化不良な感じもありますが、全体的にレベルの高いゲームであることは間違いないです。次作である龍が如く8で今作の事の顛末の真相が聞かされるのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

アニメで本作を知り、漫画を読み始めました。結果、自分好みの漫画でした。とりあえず最新刊である11巻までを読みました。

 

表現は多分間違っていますが、全体的に空気が渇いている漫画です。主人公である九郎は飄々としており、感情的にならない人物でもあります。自分は割と感情的な人間なので、九郎に憧れていたりします。それでいて、淡々と任務をこなしていくので、かっこ良さが際立ちます。自堕落な人間でもあり、働くことを嫌っています。ただ、忍びとしての能力は素晴らしいものを保有しているので、見ていて飽きないです。

 

九郎が山田に殺されたので、非常にショックです。既存の展開を構築していないので、読んでいて飽きないです。

 

九郎の死後、十郎が新たな主人公として抜擢されます。十郎は九郎より意地汚く、利己的です。たまに一般常識とのズレを感じるシーンがあるので、十郎も見ていて飽きないタイプの人間だといえます。

 

そして、何よりこのバトル漫画、現実世界でも実現可能なところが良いです。魔法を使ったり、超能力を使うシーンはほぼなく、基本的に己の肉体と剣や武器などで戦います。全体的に登場人物のほとんどが情に流されず、淡々と戦いをするので、Fate/Zeroのような空気感を味わえます。その空気感の中、ギャグシーンを入れているので、非常にシュールな笑いを提供していることになっています。それに加えて、アンダーニンジャというタイトルもアングラの匂いがして、とても好みです。

 

最新刊では、UNと結託するか否かのところで話が終わっています。早く12巻を読みたいものです。

 

 

 

 

マイスコア:80

不思議な作品でした。コメディを展開する時もあれば、官能的な表現もあったり、タンポポがゴローと共に努力をするシーンもあったり、泣くシーンもあったりします。結構色々な要素が混ざっている作品ではあります。ゴローは桃太郎方式で、仲間を次々とラーメン屋に呼び込みます。ゴローはタンポポに惚れているので、タンポポのために奔走するのです。ただ、結局タンポポとゴローは結ばれず、物語は終わります。切ない物語でもあります。印象的だったのは、ラーメン屋から去る時のゴローの表情です。本作を見ればわかりますが、非常に良い表情をしています。山崎努さん演じるゴローが切なくもあり、ただこれからの人生を前向きに捉えているかのような表情をしています。白服の男と白服の男の情婦の話はよくわかりませんでした。卵の黄身を何回も口移しして繰り返すシーンや、女性の乳に粉状のものをふりかけ、それを男性が吸ったりするシーンがあります。正直、何のためにそのシーンを挿入しているのかがわかりませんでした。白服の男は最後撃たれて死んで、白服の男の情婦は泣いているのですが、いまいち感情移入できませんでした。上司連中が同じメニューを頼む中、ヒラが違うメニューを頼むシーンはなかなか痛快であり、上司連中が滑稽に見えました。マナー講座のシーンでは、マナーの先生まで太った外人に影響されて、音を立てながらパスタを啜る所がありました。心の中で、「お前も啜るんかい」とツッコミながら、楽しく拝見していました。なんだかんだ良い作品だったのではないかと思います。