佐藤 究(著)

出版社 KADOKAWA


テーマ:過酷な環境下で生き抜く


素晴らしい作品である。凄惨な出来事がかなり起こる。初めにルシアという女性が出てくる。兄を銃殺され、その中で悲しみに暮れる中、メキシコを出ることを決意する。北上すると、アメリカがあり、本来はそこに行きたいが、見張りがたくさんおり、渡米は難しい。だから、南に進んでいく。その中で、後のコシモの父親(ヤクザ、土方興三)に出会う。二人とも日本にわたってコシモを出産。薬中のルシアと、DVを起こす興三。荒んだ生活によって、コシモは廃れ、二人を殺す。コシモと、後の麻薬密売人の末永、麻薬カルテルのリーダーであるバルミロが出会い、物語が展開していく。自分がコシモだったら、過酷な生活に耐えるだろう。高校行くお金がない場合は、バイトして日銭を稼ぐ。大学まで行くことは無理だろう。ただ、自分ならできるところまでもがくだろう。そして、性格が死ぬほど悪くなっている。ただ、そこで得た狡猾さはかなり人生のなかで大事だと思われる。ただ、金持ちは狡猾さがないのが欠点である。多分、要領の良さも貧乏の方がいい。ただ、トレードオフなので、メリットデメリット両方考えると、金持ちの方が圧倒的有利である。一方、ルシアもルシアでかなりきつい生活を強いられている。メキシコ時代は、飲食店のウェイターで日銭を稼いでいた。もし、自分がルシアなら、まず薬物に手を出さない。われわれ人間は身近なストレス解消法を求める。自分は、人間関係が荒んでいる場から家に帰宅した際に、スマホでYouTubeを見たりする。しかしながら、実際のところ、一番ストレス解消にいいのは、人に相談することであり、もしくはスマホを鞄にしまってゆっくり読書したり、すぐさま睡眠をとることである。私は、最初ルシアが薬物にはまるのを馬鹿にしていたが、案外自分も同じようなことをしているのである。科学的に、ストレスを解消する必要性が出てくる。この作品への思いが強すぎて、物語としてコシモがまだ生まれていない段階なのに、かなりの量の感想をかいてしまった。興三に関しても、自分ならそもそもヤクザにならない。だって、興味ないから。社会に貢献していないから。コシモも状況がかなり辛いとはいえ、殺しはしてはいけない。ただ、一ついえるのは、どの登場人物たちもかなり人生の選択肢を間違っているが、自分で選択肢を選んでいるのである。その部分は、過干渉の親の元で育った人々などが学ばないといけない部分である。コシモは、バスケの試合を観戦しようとする際、金がなく、感染できない事態に陥った。こういったシーンを見ると、自分の今の状況に感謝しなければならない。日本では最低限の生活が保証されているからである。一番心にささったシーンは、戴圭明が処刑されるシーンである。戴圭明は、末永の臓器売買の顧客である山垣を横取りした。その際、末永の偽名であるタナカという名前を使用して信用させた。しかしながら、末永はバルミロとつながっている。だから、末永はすぐバルミロに助けを依頼し、結局戴圭明はバルミロから拷問を受けた。戴圭明は自分を過大評価して、うまく金儲けができるという思い込みがあった。林修先生の言葉を使用するなら、「情報不足、慢心、思い込み」の三点が戴圭明の敗因と言える。ビスマルクも「賢者は歴史から学ぶ。愚者は経験から学ぶ。」といっている。しかし、私が思うに本当の愚者は、自分の経験にすら学ばない、もしくはその時学んでいても、忘れている場合が存在する人のことだと思う。戴圭明は物事の繋がりに思い至らなかった。つまり、思い込みである。自分も似たような失敗をしたことがあるから気を付ける必要がある。作中では、遠慮近憂という中国の故事が使われている。遠く慮なければ、近くに憂いがある、という意味である。それこそが、戴圭明が黒社会で信用されなかった理由である。つまり、黒社会の上司は戴圭明の愚かさに気づいていたのである。自分も自分の愚かさに年上の人間には気づかれているのかもしれない。物語のラストシーンで、なぜコシモはパブロの妻と娘に会いに行ったのかはよくわからない。コシモのせいでパブロがコシモに加担し、バルミロにパブロが殺されたので、多少良心の呵責がコシモにあったのかもしれない。ちなみに、パブロは作中一番好きだった。だから、救われてほしかった。パブロの実家も貧乏であり、ぎりぎりの状態でナイフ職人になった。元々、ナイフに興味があったらしい。パブロは最後までコシモに正道を外れないようフォローしていた。作中唯一の良心である。それに比べて、矢鈴は酷い。己の都合で、違う方向に車を走らせるという愚の骨頂ともいうべき行動を起こしている。話を戻すが、最後パブロとコシモの共作のナイフをパブロの妻と娘に渡して物語は終焉へと誘われる。なんというか、コシモは作中ずっとサイコパスだったが、ラストで人間味が出たので良かったと思う。なかなか重厚な作品であった。本作みたいな作品にまた出会いたい。