カート・ヴォネガット(著)

 

凄まじい本であった。かなりの大風呂敷を広げた上で、送ったメッセージは一つの点のみという結末だった。かなりメッセージ性の分かりにくい話ではあった。ただ、とてつもない魅力が存在した。

 

要するに、序盤で神格化されていたラムファードも結局、利用されたに過ぎなかったのである。現実世界の住人は全員大した存在ではないのかもしれない。その事実を受け入れた上で、楽しく生活することの意義を問うている気がする。ボアズが割とそういった考え方をしていた。

 

ラストの「利用されてよかった」というセリフは単に、自分の人生を否定したくないがために生まれたセリフであろう。

 

サロもコンスタントの死に際に粋な夢を見させたりと、かなり人間愛に溢れたキャラである。著者も、ちっぽけな人間という存在を愛しているのだろうと感じた。かなり心が楽になり、少し前向きにしてくれる作品である。見事な作品である。SFはやはり面白い。自分はSFが好きなんだと実感できた。

 

 

 

かなり難しい作品である。しかし、平易な文章ではある。まず、フラニーとズーイは似ている部分があると個人的には思う。フラニーは周りの人間の嫌なところに目がつき飽き飽きして世界に絶望している。ズーイは批判的であり、フラニーよりは俯瞰で物事を見れている。自分はフラニーとズーイの間のような人間だと思う。フラニーがズーイの嫌なところを指摘するのだが、その嫌なことをフラニー自身も思いっきりやってしまっているのである。みなさんも同じような経験はないだろうか?つまり、フラニーに同族嫌悪が働いているのである。

 

作中に出てきた「観客に太ったおばさんがいることを意識して生きる」ということを自分なりに想像してみた。やってみるとわかるが、少し心が楽になったのである。もっと軽い感じに人生を考えていいんだよ、とズーイがフラニーに言っている気がした。

 

そして、ズーイは好きな物と嫌いな物の差が激しい。自分とよく似ている。まともな人間がいたら椅子でぶっ飛ばしたくなる、との発言もしている。正直、かなり共感できる。自分だけがこんなおかしな狂人みたいな考え方を持っていると思っていたが、そうではないらしい。結婚しない理由も面白い。旅行する際、窓際の席に座れなくなるとのことらしい。ズーイの皮肉屋なところが垣間見えたシーンである。

 

母親は、「幸福になれなかったら、面白いように頭がきれても、知識を保有していても、意味ない」との発言をした。確かにその通りである。正直なところ、作者の真意はわからない。しかし、本作を読んで自分勝手に解釈していいのではなかろうか。

 

ちなみに、爆笑問題の太田光さんは「フラニーが敬愛するシーモアでさえ完璧ではない」と発言した。真実であろう。人それぞれが違う読み方をしていいのである。

 

 

 

 

原作 士郎正宗
監督 神山健治
シリーズ構成 神山健治
脚本 神山健治、藤咲淳一、櫻井圭記
佐藤大、菅正太郎、寺戸信寿

 

かなり難解な作品であり、名作でもあります。私が一番好きなアニメ作品でもあります。本作の良いところの一つとして、非常に知的好奇心を刺激するところにあります。ジャック・ラカンやJ.D.サリンジャーから引用している部分もあります。

 
「僕は耳と目を閉じ、口を噤んだ人間になろうと考えた」
 
このセリフは、J.D.サリンジャーの小説『ライ麦畑でつかまえて』から引用されています。笑い男マークの英文部分を訳したセリフとなっています。笑い男事件の主犯であるアオイは、村井ワクチンの不正を正そうと奔走します。悪い言い方をすると、正義感の強い青臭い子供です。アオイが、セラノ社長や今来栖、薬島という巨悪に対抗します。本作は複雑な構造で物語が構築されていますが、アオイVSセラノ社長陣営という正義VS悪の構図になってはいます。
 
スタンドアローンコンプレックスという電脳化された人間の個性が失われていく事件がありますが、それに対する対抗策として草薙素子が「好奇心を持つこと」を提案します。例えば、IT企業の社長は絶対にITや企業の経営に興味を持っているからモチベーションが上がり、肩書という名の個性を獲得できています。
 
我々も同じようなことがいえるのではないでしょうか?私は映画やアニメ、小説などが好きですが、それらに好奇心を持つことで、色んな媒体から受けた影響は計り知れないものだと感じます。その影響によって、自らの内面や考え方が変わり個性を獲得することができたのだと思います。みなさんも自らの好奇心に従って色んなことに挑戦していくことが、あなたをあなたとたらしめるのではないでしょうか?
 

2019年

■SSストーリ-原案・監督:塩谷直義

■脚本:深見真

■シリーズ原案:虚淵玄

■アニメーション制作:Production I.G

 

テーマ:政界の闇

 

2:37から始まるジムでの描写が一番好きである。こういった描写あると、ジムでのモチベーションが上がる。しかも、そのシーンでの須郷はランニングマシンで走っている。須郷は、狡噛の匂いがする人物である。

 

征陸が「後ろめたいことをしているやつは、他人のために怒れないものさ」との発言をしていたが、すごく的を得ているように思える。その発言により須郷は国防省襲撃の容疑者から外れたのである。征陸は折れない人間の強さをもっている。

 

須郷はフットスタンプ作戦で救援物質を投入すると聞かされていたが、実はVXガスを投入されたのだった。つまり、須郷の部隊は捨て駒だったのだ。そして、本事件は真相を知った大友の妻である燐による犯行だった。須郷をおとりに使ったのは許さない。厚生省と他の省庁では権力争いが激しかったので、なんとしても作戦を成功させる必要があったため、非人道的なVXガスを使用したのだった。

 

花城フレデリカは須郷に外務省への昇進を勧めたが、須郷は「今の仕事に正義と信念を感じる」といい、断るシーンで物語は終焉を迎えた。征陸の発言による影響が須郷の人生の選択を変えたのだ。完璧な終わり方である。

 

本作では常守朱という正義感の塊はいなかったが、最後に正義を全うする男の姿が描かれていた。復讐は改めて何も生まないことを知った。むしろ、復讐したせいで、燐は殺されているので、マイナスである。夫の存在が唯一の生きがいであったのだろう。そういった人間にならないよう気をつけよう。須郷は不運だった。自分でも同じ状況になったら色相が濁って潜在犯になっているだろう。大友が犯人と思ったら違った。PSYCHO-PASSはミステリー面でも一筋縄ではいかない。

 

 

 

 

原案:虚淵玄

映画脚本: 冲方 丁、 深見 真

制作会社: プロダクション・アイジー

 

テーマ:すべての事象をAIが支配することへの批判

 

映画『PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.1 罪と罰・Case.2 First GuardianCase.・3 恩讐の彼方に__』を全て見ているわけではないので、少々内容の理解に戸惑った。序盤から中盤あたりは本作を見るのが苦痛であったが、終盤にかけて面白くなった。久々にPSYCHO-PASSを見たので嬉しかった。

 

ラスボスである砺波の目的は、北方領土に独立国家を築くことである。そのために、シビュラシステムとは違う別のAIのシステムで法を施行するために、文書を強奪しようとしたのである。そして、戦闘により、雑賀教授などの命が失われた。雑賀教授の遺言として、「もっと多角的に物事を見ろ」などといった内容を発していた。自分も多角的に物事を見れるよう、参考文献を見ることにした。

 

慎導篤志も自殺前、「正しいというものは時代とともに変わっていくが、真実は変わらない」と発言している。正しさという概念は、あまり重要な概念ではないような気がした。真実をうまく見定めて自分の意思決定やプライベートの行動を変えていきたいと感じる。

 

砺波の気持ちは分からなくもない。ただ、全てをAIに任すのはかなりリスクが生じる気がする。犯罪を犯していないのに、犯罪係数によって裁かれる部分に関しては、反対である。罪を犯した状態で、シビュラシステムが作動するのが良いと思う。ドミネータのモードの一つである リーサル エリミネーターが相変わらずかっこいい。

 

常守はPSYCHO-PASS全シリーズで一貫して主張しているのが「シビュラシステムは否定しないけど、法は必要である」という内容である。ただ、私は主人公と違う意見である。法も結局、人が作成すると、利己心のための法を作成する可能性が高いので、AIの方が公平であると言えるだろう。最後、シビュラシステムに欠陥であることを日本中に知らしめるために、ライブ中継の映像内で主人公は禾生壌宗を打つのである。それにより、主人公は収監される。主人公なりの正義を全うしたのである。

 

狡噛は砺波のことを正しい、と表現している。「正しいというものは時代とともに変わっていくが、真実は変わらない」という発言に繋がっていくのではないかと思う。

 

個人個人の意見や主張、主義が行動に現れた作品だった。どの意見が正しいかなんてシビュラシステムですら判定は不可能であろう。人の意見を聞いても、それはその人にとって正しいのであって、自分にもあてはまるかというと別問題である。ポジショントークでしかないのだ。

 

※余談

インターネットで調べたところによると、PROVIDENCEは摂理や神という意味らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 


ヴィクトール・E・フランクル (著), 山田 邦男 (翻訳), 松田 美佳 (翻訳)

 

本作は、『夜と霧』で有名なヴィクトール・E・フランクルの著書です。筆者自身の強制収容所での経験を生かして本作が書かれています。端的に申しますと、宗教と科学(心理学)が混ざったような本でした。良書です。ところどころ、難しい言葉で色んな概念を話す箇所があったので、理解が難しかった部分もありました。

 

一貫して筆者が主張しているのは、タイトルの通りで、「それでも人生にイエスと言う」というメッセージです。どんな辛い状況にあっても、決して人間としての尊厳や誇りを失わず、自分の人生を肯定する筆者の意志の強さが伺えます。

 

いわゆる外面的成功ではなく、内面的成功に目を向けることの重要性も本書で説いています。自分が社会でどういう立ち位置にいるかよりも、自分が今の立ち位置で何を為せるかに注目すべきなんだと認識しました。

 

ニーチェの虚無主義という立場は世間で広く認知されています。簡単に言うと、「全ては無意味だ」という立場です。自分も虚無主義の立場に近い人間だと思います。ただ、自分の場合、全ては無意味だけど、その無意味な世界の中である程度楽しく生きれば良いのではないかという考え方をしています。著者のヴィクトール・E・フランクルは、虚無主義という立場を受け入れつつも、それでもなお人生には意味があるという立場をとっています。そこに筆者の意志の強固さがうかがえます。

 

本書の解説の方も読ませていただきました。その中で、意志は三種類存在すると主張されています。

  • 快への意志
  • 力への意志
  • 意味への意志
以上の3つです。「快への意志」は悪い言い方をすると、快楽に溺れることだと思います。「力への意志」は人よりも優れていたいという欲求だと感じます。そして、3つ目の「意味への意志」は、人生から自分が「どう生きるのか」と問われている側であることを認識し、その上で行動していくことだと解釈しました。
 
前述した自分の考え方だと、「快への意志」と「力への意志」はあるけど、「意味への意志」はないように感じられました。自分から「生きる意味は何なのか」と問いているのではなく、自分が問われている側なんだという主張は、かなり難解な主張ですが、不思議と胸にしっくりくる感じはします。
 
我々人間は人と比較されて生きています。学歴や名誉、容姿や財産などの要素で比べられます。その要素で比べられ、「お前は優れている」「お前は劣っている」と言われることもあるでしょう。しかし、そういった周りの批評に屈せず、自分の足元を見て自らの内側の部分を育てていったり、自分の人生をより意味のあるものにしたり、どれだけ辛い状況下にあっても自らの人生に「YES」という一言で肯定することが重要なのではないかと感じました。
 

※余談です。

自分は黒澤明監督の『生きる』という映画が好きなのですが、その原作であるトルストイが書いた『イワン・イリッチの死』が本書でも引用されていたのが個人的に嬉しかったです。

 

 

 

 

 

 

パウロ・コエーリョ(著), 山川 紘矢(翻訳), 山川 亜希子(翻訳)

出版社:KADOKAWA

 

5つ星のうち4.3 4,222個の評価

☆5

 

テーマ:直感を信じる

 

かなり良かった。サンチャゴは初め羊飼いになることを自分で決めている。両親からは神父になりなさいと言われている。親からの期待をはねのけて、羊飼いという道を選んだことは称賛に値すると言える。

 

本作には、たくさんの線や鉤括弧をつけさせてもらった。「他人がどのような人生を送るかについては口出しするのに、自分の人生については何も考えを持っていない」というセリフがある。これは、自分にも言えるセリフであろう。結局惰性で選んではないだろうか、と内省してみる。

 

「すべてはひとつ」というセリフは、本作でかなり強調されている。今ブログで書いている文章も意味がないように思えるが、日々の習慣が大きな成果を生むと、別の本でも書かれていたので、必ずつながっているだろう。読むだけでは意味がない。行動に移したときに初めて生かされる。この言葉を胸に行動していきたい。

 

 

 

小野 不由美(著), 山田 章博(イラスト)

出版社:新潮社

 

5つ星のうち4.7 263個の評価

 

上巻と比べると、少し苦労が少ないように感じた。人間苦労しないことに越したことはないのだが、物語としてのアクセント要素として欲しいところである。

 

下巻では、人を信じることをテーマとして描かれている。楽俊にも、自分の利益があるうえで陽子についていっている上に、陽子に対し王になってほしいという思いが強いためか、何かと論をこじつけて陽子に王になるよう勧めている。とても気持ち悪い。物事にはメリットとデメリット、双方あるということを認識できていない。本当に優しい人間というのは、双方の選択肢のメリットやデメリットをそれぞれ自分の意見と関係なく述べ、相手に選ばせることができる人間であるといえる。もし、自分が陽子ならかなり迷うだろう。王になるのか、ならないのか。双方のメリットとデメリットを考えたときに、家に帰る選択肢を私はとる気がする。元々「王になりたい」という意志や、「トップとして企業をまとめたい」という気持ちが強い人なら、王になるだろう。

 

やるべきことを選択したら、後悔しないと楽俊は言っているが、絶対に違うといわせてもらう。べき思考に陥っているので、陽子は楽俊の意見を気にする必要性は全くないといえる。楽俊は認知の歪みが働いている。

 

「愚かな自分から目を逸らしたら、きっとどこまでも愚かになる。」(p.230)

 

私が一番刺さったセリフである。人は必ず愚かな部分を持っている。完璧な存在などいないのである。それをふまえた上で、愚かな部分に目をそらすと一時的には楽だが、真綿で首を絞めるように後々苦労するのだ。

 

しかしながら、愚かな部分にそもそも気づいていない場合が往々にして存在する。私の場合、それは完璧主義であるという点だ。元々、そういった気質であることは無意識的にわかってはいたが、特別問題視はしていなかった。しかし、その結果優柔不断になり、諸に実生活に影響してしまった。

 

「完璧な選択など存在しない。あるのはトレードオフだけだ。」

 

これは、グレッグ マキューンという方が書いた『エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする』という本に書いていた。よりよい選択肢を選ぶことも大切だが、一番大事なのは自分で選び取るというところであろう。他にも自分の愚かな部分は多数あるだろう。ただ、その反面いい面も多数あると感じる。これは、うぬぼれでも何でもなく、今記事を読んでいるあなたにも同じことがいえるはずだ。だからこそ、良い面も愚かな面も直視することが重要であるといえる。

 

 

 

小野 不由美(著), 山田 章博(イラスト)

出版社:新潮社

 

5つ星のうち4.6 336個の評価

☆5

 

テーマ:過酷な環境下で生き抜くあきらめない精神を持った女性の物語

 

とても面白かった。元々、苦労話が好きな自分だから、性に合ったのかもしれない。世の中にはだます人と騙される人が存在し、陽子は騙されていた。ケイキに異界に連れてこられたり、県知事のところに連れていかれそうになったり、達姐に女郎宿に売られたりと、散々な目に合う。その影響で善意で飴をくれたかもしれない母子に対し拒絶し、治療を受けることを拒む。すごくリアルに物語を描かれている。

 

現実世界にも、いい人のふりをして近づき、裏で陰口やら嫌味を言う人もいる。だからこそ、陽子みたいに人間不信になっているせいで、善意で助けてくれる人にすら冷たく当たろうとするのは非常にわかる。だからこそ、すごく共感を持てた話であった。

 

p237の「親が子供を失くすのは、親自身が哀れなだけ」という発言には、今まで違和感で感じていたものが、取り除かれたような感覚になった。ラストシーンである陽子に対しての学校のクラスメイトや親の総評も面白かった。陽子の親も結局、他の親御さんに唆されて、陽子に対しての評価が、歪められている。たとえ身内であっても、その人自身の評価というものは状況次第で変わっていくことを知った。

 

陽子は、クラスメイトから偽善者だの八方美人だのと、いなくなった瞬間に好き放題言われている。その事実を踏まえた上で、それすら超越できるような人間になることが重要かと思われる。

 

陽子は「笑ってみたかったが、笑えない、泣きたい気もしたが、涙は枯れている」という表現が使われていた。精神が追い詰められた人間に起きる感情の平板化が起きているのであろうと考察する。

 

最後に、陽子は「もう、どうでもいいことだ。じきに全部が終わるのだから。」と投げやりな発言をして物語は終焉する。この考え方が吉とでるか、凶とでるか。下巻が見ものである。

 

 

 

 

テーマ:友情

 

個人的にはとても好みの映画でした。5人ともそれぞれ違う個性を持っており、スクールカーストでの立ち位置も全然違います。

 

ただ、全員に共通するのは親との間で問題が起きているという点です。それらの問題をあけすけにみんなで話し、本音をぶつけ合います。

 

ブライアンが「僕たち月曜日に学校で会った時どうする?」と切り出します。非常に良い切り出し方でした。ブライアンは自分がスクールカーストが低めだからこそ、切り出したのだと考えます。アンドリューが切り出すメリットは全くありません。それぞれスクールカーストというものに縛られているため、どうしても体裁を気にしてしまうのは致し方ないと思います。

 

しかし、補習授業を通じて明らかに5人の心が何かしら変化したのは確かです。とてもつたない絆が築かれたのかもしれません。ただ、人と関わって本音をぶつけ合うだけで、人の輪は紡がれていくのだと感じました。

 

本作で引用されたセリフがあります。

 

「若者が変わろうとしている時、説教をしても何も効果はない。自分の変化はちゃんと分かっているから」

 

上から説教したりアドバイスしたりして悦に入ったりマウントをとってくる人が、世の中にいます。ただ、本人たちはわかっているのです。本作の5人のように補習授業で先生が教示しなくても、本人たちが勝手に問題を解決しているのです。

 

ヴァーノン先生も結局のところ生徒を都合よくコントロールしたいだけなのが、ブライアンに見破られます。子供大人関係なく我々は完璧な存在ではないのです。「可愛い子には旅をさせよ」。日本にも素晴らしいことわざがあります。

 

そういった素晴らしい言葉を胸に生きていけば良い人生が送れるのではないでしょうか?

 

監督 ジョン・ヒューズ
脚本 ジョン・ヒューズ
製作 ジョン・ヒューズ
ネッド・ターネン
出演者 エミリオ・エステベス
ポール・グリーソン
アンソニー・マイケル・ホール
ジャド・ネルソン
モリー・リングウォルド
アリー・シーディ