監督

デヴィッド・フィンチャー
脚本 ジム・ウールス
原作 チャック・パラニューク


物質的には何不自由ない生活を送っている「僕」が、今とは違った人間になりたいと望み、行動する物語です。日本人も物質的には何不自由ない生活を送っていると思います。むしろ、物質が多すぎるような気がします。サブスクリプションで公開されている映像などはとんでもない数となっています。物に関しても、Amazonでワンクリックで購入でき、みなさんの家の中も物で溢れかえっていると思います。そんな物の中で送る生活はどこか主人公の「僕」と同様に「何か物足りない」という思いが錯綜します。そんな「僕」にタイラー・ダーデンが現れ、生活が一変します。

 
「お前は物に支配されている」
 
タイラー・ダーデンは、そう「僕」に言い放ちます。働いている方々もそうではないでしょうか?必需品ではない物を購入するために、働く。文字列にすると、かなり虚しい感じになります。
 
「我々は消費者だ。ライフスタイルに仕える奴隷。殺人も犯罪も貧困も誰も気にしない。それよりアイドル、テレビ、ダイエット、毛生え薬、インポ薬にガーデニング…。何がガーデニングだ!タイタニックと一緒に海に沈めばいいんだ!」
 
我々は本当に目を向けるべき問題に目を向けず、己の快楽に従って物を消費しているのです。では、どうすれば良いのか?タイラー・ダーデンはこう言い放ちます。
 
「ワークアウトは自慰行為だ。男は自己破壊を!」
 
つまり、「見た目を良くしたり見栄を張るために体を鍛えたりするのはクソだ」と言うことだと思います。ここでいう自己破壊は、ファイトクラブで人と殴り合うです。
 
「痛みを感じろ。苦しみと犠牲が尊いんだ。痛みから逃げるな。人生最高の瞬間を味わえ」
 
映画『羊たちの沈黙』にも似たようなメッセージがあったと思います。簡単にいうと「人生で起きる苦痛を愛せ」ということだと思います。「現実逃避せず、しっかり現実と向き合え」という意味にも聞こえます。苦痛があることにより、生きている実感を得られるという解釈もできます。
 
「いつか必ず死ぬって事を恐れず心にたたき込め!すべてを失って真の自由を得る」
 
「僕」とタイラー・ダーデンが車で爆走するシーンで、死を一瞬でも意識したとは思います。その時抱いた気持ちがかなり重要なのではないかと思います。死を意識することにより、一日一日がかけがえのないものだと感じ、大切に生きることに繋がるでしょう。「すべてを失って真の自由を得る」というセリフも納得できます。「岡目八目」という言葉があります。第三者には、当事者よりもかえって物事の真相や得失がよくわかるという意味です。全てを失うことで、強制的に第三者の立場となり今まで見えてこなかった真実が浮かび上がるのです。私もそういった経験があるので、非常に共感できます。
 
そして、実は「僕」=タイラー・ダーデンだったことが判明したのです。タイラー・ダーデンの暴走を止める役割に徹してきた「僕」でしたが、タイラー・ダーデンはもうひとりの「僕」だったのです。映画で見る限り、「僕」とタイラー・ダーデンは真逆の性格を有しています。しかし、我々もいつもの自分の人格と対局の人格を有しているのだと思います。普段は表出していないだけだと思います。
 
ラストシーンでは、「心配するな。これからはすべて良くなる」と「僕」が発言して、「僕」とマーラは共に手を繋ぎ、この世を散ります。二人の表情もどこか安心したかのような表情をしています。死を目前にして、安堵したのでしょうか?
 
個人的に一番好きな映画です。なぜか不思議とやる気が出る作品でもあります。

 

 J・D・サリンジャー(著)

 

噛み砕いて言いますと、主人公であるホールデン・コールフィールドがひたすら文句を言って、最後に「ライ麦畑で遊んでいる子どもたちが、崖から落ちそうになったときに捕まえてあげる役になりたい」と言って終わる物語です。ただそれだけの物語なのですが、個人的にはかなり好きな物語です。普段我々は考えても仕方のない悩みや考え事をしてしまうと思います。ただ、その悩みや考え事は人にいうほどでもない些末な事柄だと思います。その些末な事柄を色々考えて、悩んでいるホールデン・コールフィールドを主人公に据えることによって、本作が若者にたくさんの共感を得ています。それが、本作を名作たらしめる大きな要因だと思います。他作品だと何かしらのメッセージを残したりすると思います。本作にはそれがありません。しかしながら、「自分以外にも、こうやって些細なことで悩んだり考えたりする人がいるんだな」と思えることができます。ある意味、若者にとって「救い」の作品だと感じます。どうしても自分一人で悩んでいると、「なぜ自分だけ…」みたいな思考に陥りがちだと思います。しかし、周りもそれなりに悩んで生きているんだということを本作で知ることになります。不思議と、「人生こんなもんだよな」と変な納得感を感じる作品です。

 

先程、メッセージ性がないと本作を評しましたが、名言はいくつか存在します。最後に、名言とその名言に対して私が感じたことをセットで紹介していきたいと思います。

  • 「たいして興味のないようなことを話しだしてみて、

    はじめて、何に一番興味があるかがわかる。」

趣味でも、ひたすら色々試してみて、初めて自分に合うものが見つけられます。
  • 「死んでから花をほしがる奴なんているもんか。一人もいやしないよ。」
死人に対しても、皮肉めいたセリフを残すひねくれた性格が顕著に出ています。ちなみに、これは褒めてます。
  • 「何でもそうだが、あんまりうまくなると、よっぽど気をつけないと、すぐこれ見よがしになってしまうものだ。そうなったら、うまくも何ともなくなる。」

結果が出て調子に乗ってやらかす人いますよね。私もそうかもしれません。
  • 「人っていうのはいつだって見当違いなものに拍手をする。」
人に媚びる際、見当違いなものに拍手する傾向があると思います。
  • 「いつだって僕は、会ってうれしくもなんともない人に向かって「お目にかかれてうれしかった」って言ってるんだから。生きていたいと思えば、こういうことを言わなきゃならないものなんだ。」

嘘も方便ということわざもあります。そうした発言をすることも状況次第では必要だと感じます。
  • 「未熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある。」
名言ですね。刺激のない日々でも、その生を肯定して生きていたいですね。
  •  「僕は耳と目を閉じ、口を噤んだ人間になろうと考えた。」
アニメ『攻殻機動隊』でも引用されているセリフです。このセリフを実際に言っていたら、グレている子供にしか見えないですね。
  • 「おかしなもんだけど、誰にもわかんないようなことを言いさえすれば、相手はたいてい、こっちがやってもらいたいことをやってくれるもんさ」
向こう側が勝手に察してやってくれるということでしょうか?
  • 「完全な無名人になる勇気を持てない自分にうんざりしてるんだ」
誰にでも承認欲求は存在します。
  • 「幸いなことに、その中の何人かが、自分の悩みの記録を残してくれた。君が望むのなら、君はそこから学ぶことができる。それとちょうど同じように、もし君に他に与える何かがあるならば、今度はほかの誰かが君から学ぶだろう」

学びは人とのつながりによって、紡がれ伝えられていきます。私もその学びの輪の一欠片を担いたいと感じております。
  • 「ある種のものごとって、ずっと同じままのかたちであるべきなんだよ。大きなガラスケースの中に入れて、そのまま手つかずに保っておけたらいちばんいいんだよ。」

変化しないのが無難ということでしょうか?
  • 「あなたは世界中で起こる何もかもが、インチキに見えてるんでしょうね。」
個人的に本作で一番の名言です。どうしても嫌なことや辛いことばかり続いてしまうと、全てのものが汚く見えます。世界にはインチキなところもあるけど、素敵なところもあると考えることが重要なのかもしれません。
  • 「誰にもなんにも話さないほうがいいぜ。話せば、話に出てきた連中が現に身辺にいないのが、物足りなくなって来るんだから」
「失って初めて存在の大切さに気づく」ということは、頭ではわかっていますが、実際に失わないと完全に理解はできないように思えます。
 

 

樺沢紫苑(著)

 

ただ、アウトプットすれば良いという本ではございません。特にネガティブのアウトプットの代表例である「悪口を言う」という行為は、百害あって一利なし、と主張しています。ストレス発散のために悪口を言うという行為をしていると思いがちですが、実は悪口を言うことによって、却ってコルチゾールというストレスホルモンが分泌され、逆にストレスになることが明らかになっています。これは、驚きの結果です。

 

そして、人と話す際、話の内容よりも笑顔で話すことの方が重要だと主張されています。

 

「見た目や態度は、口ほどにものをいう」

 

そういうことらしいです。

 

そして、成長曲線はアウトプット量で決定すると主張されています。

 

本書で一番驚いたのは、「教える」ことが最強のアウトプット法だということです。つまり、セミナーなどで一番成長しているのは、生徒ではなく講師だということです。

 

そして、怒りをコントロールする方法まで、本書に掲載されています。怒りは発散するのではなく、受け流すことが推奨されています。怒っている状態はアドレナリンが分泌されている状態であり、交感神経が優位になっているらしいです。だから、副交感神経を優位にすることで、怒りは収まるらしいです。副交感神経を優位にする方法として、息を5秒吸って15秒はくことを3回繰り返すことが推奨されています。私はよく怒ってしまう人間なので、怒りの感情が強い時に試してみました。驚くことに、怒りの感情が体感でいうと、10分の1にまで減りました。今後も使用していきたいと思います。

 

 

 

 

 

樺沢紫苑(著)

 

「今我慢すれば楽しい生活が待っている」

 

みなさんもそういった思考に陥ってはないですか?私は陥っていました。

 

筆者は「今を楽しむ」ことの重要性を説いています。そして、辛いことが続くと能力が下がることも主張されています。それは、コルチゾールという物質が分泌され、意欲やモチベーションが下がるからです。そして、最終的にコルチゾールが多すぎると脳の容量が縮小するのです。我慢して頑張る人が成功するのではなく、楽しむ人が成功する、と主張されています。

 

では、実際に「楽しむ」ために何をすればよいのか?それは、とても小さなことで良いらしいです。本書で例に挙げられているのは、「いつもと違う味のカップラーメンを食し、その食した感想をSNSに投稿する」というものです。何も、大金を使って豪華な遊びをしなくても良いのです。そして、植物を育てることも勧められています。忙しい方には、サボテンを購入して育てることを推奨しています。頻繁な水やりが必要ないからです。

 

「お金がないと楽しめない」

 

そういった考え方から脱することが重要なのだと気づきました。

 

本書の影響で、私も観葉植物を2鉢ほど購入し、育てています。今後は、運動を自分の中の遊びリストに入れていきたいと感じます。

 

 

 

村上春樹(著)

出版社:講談社

 

テーマ:死は生の一部

 

平易な文章で書かれており、かなり読みやすい本である。ただ、あまりにも何が伝えたいのか不明だったので、インターネットで調べてみた。

 

「死は生の対局としてではなく、その一部として存在している」

 

これが、本書の主要メッセージである。つまり、私たちは生と死を分けて考えるが、死は生に内包されている概念である、というメッセージらしい。我々は死というものを何処か自分とは関係のないものと信じている節がある。しかし、死は人類全員に訪れるものなのである。

 

本書では、かなり死をほのめかす描写が多かったり、自殺する登場人物が複数人出てきたりする。ワタナベにとって死は珍しいものではなかったのだ。そう考えると、本書をバイブルにする人がいてもおかしくないと感じられる。ただ、それだと本書に性描写が多いことの説明がつかない。セックスの描写を本書に出すことによって、人と人とのつながりを強調したかったのだろうか?真相は闇の中である。

 

 

 

 

 

樺沢紫苑(著)

出版社:飛鳥新社

 

テーマ:朝散歩することの重要性

 

私が著者について何も知らない状態で本書を聞いていたら、かなりの高評価であっただろうが、よく動画でも見るし、著者の本は既にたくさん購入して読んでいる。いつも著者が主張している内容を文書化した本であった。特段驚きというものはなかった。

 

セロトニン的幸福、オキシトシン的幸福、ドーパミン的幸福という概念を著者が作り出し、優先順位としては、前述した通りの並びである。我々はドーパミン的幸福にかなり囚われていると個人的には感じた。私が知った新しい情報としては、著者は元々仕事から帰ってきたら酒を飲んでストレス発散をするというなんとも不健康な生活を送っていたらしい。それにより、自分ではストレスは感じていなかったが、医師の診断によると、「突発性難聴」であることが示唆された。そこから、3つの幸福の理論を生み出したという経緯を知れたのは嬉しかったが、新しく知った情報がその情報しかなかった。同じ著者の本ばかり購入して読んでいると、そうした弊害も出てくるのだと感じた。

 

 

 

 

樺沢紫苑(著)

 

テーマ:インプットとアウトプットはセット

 

ただ、漫然と読んだり、聞いたりするのは良くないという意見が記載されている。読んで、聞いて、記憶に定着させることが本当のインプットであるという主張がなされている。つまり、月に何十冊も何百冊も読んで、アウトプットせずしていたら、時間とお金だけが浪費されるので、むしろマイナスであることが示唆されている。

 

私は昔、よくラノベや小説、アニメばかり見ていた。ただただインプットしまくっていたので、本当に勿体ない事をしてしまったと感じている。脳の容量が決まっているので、自分にとって不必要な情報を入れることの無駄を指摘している。そして、インプットする際は、アウトプット前提(AZ)で行う必要があると発言している。アニメの内容も自分にとって大事な作品はアウトプットしなくてもなんとなく覚えているけど、他のアニメはほとんどの記憶が抜け落ちている。しかし、感想を投稿した作品に関しては覚えている。アウトプットの重要性はメンタリストDaiGoさんも主張していた気がする。

 

筆者は「暖簾のように生きることが大事」だと何回も強く主張している。普段意識するようにしているが、偶に意識し忘れるので常に意識するようにしていきたい。

 

そして、「情報と知識の割合を3:7にすべし」と主張している。情報は数ヶ月すると劣化し、無価値なものへと消化されていく。ネットで情報を集めるのではなく、読書によって、知識を身につけ、アウトプットして知恵へと消化することの重要性を説いている。私の中学時代の教師の方も、ただ学ぶだけでは意味がないという話をされていた。テスト前だけ勉強して、テストが終わったら、その記憶は遥か彼方へと消えていく。つまりアウトプットをしていないから、そういったことが起こるのではと感じた。

 

 

 

 

言わずと知れた名作アニメです。第四次非核大戦の影響によって、難民が発生した世界で、その難民問題を利用して合田一人が事件を起こします。合田は国民と難民との間に対立を起こす材料として、個別の11人というテロ組織を利用しました。個別の11人を利用するために、思想誘導ウイルスをばらまきます。

 

ウイルスの感染は以下の2つの条件です。

  • 義体化率が高い(生身の割合が低い)
  • 義体化以前に童貞であった
1つ目の条件は感染対象がコントロールしやすく個体の能力も高いことから理解できますが、2つ目の条件はかなり不可解です。しかし、合田の素性を知ると理解できます。
 
「かくいう私も童貞でね」
 
合田の迷ゼリフです。個別の11人を英雄としてみなしていた合田は自らの特性をウイルスの感染条件に入れることで、自らも英雄として周りに見られたかったのではないかと考えます。自己愛や他者からの愛を受け取る機会がなかったからこそ、ねじれた形で自らの欲望を実現しようとしたのだと考えます。
 
ウイルスによって思想誘導されたクゼはウイルスに気づき、除去することに成功します。クゼには難民の救済と復讐という相反する思いが存在していました。最終的には死んでしまいますが、彼は彼なりの信念を貫き通して行動を起こし続けました。
 
1期はサイバーパンクの要素がかなり強めですが、2期は社会的な問題にメスを入れた作品となっています。双方、別のベクトルで作成された作品ですが、かなりの良作です。
 

 

呉勝浩(著)

 

テーマ:つかめない男

 

鈍器で殴られたような読後感である。スズキタゴサクは物語を読み終えた後でも、つかめない人物である。最後まで、「スズキタゴサク」であった。類家がかなり良かった。類家の残忍な部分を強調するだけ強調して、最後に「この世界は捨てたものじゃない」とメッセージを残すパターンは、テンプレの展開だが、食らってしまった。似たようなセリフを聞いたことがあっても、状況次第では食らってしまうのである。

 

類家がラストにメガネをとって、「顔を洗ってきます。」と出ていくシーンがある。清宮が初めて類家のことを人間だと思った瞬間である。私が一番好きなシーンである。類家は「この世の中なんて滅びてしまえ」と思ってはいるが、最後のボタンは押さない、と清宮は発言している。つまり、最後のボタンを押したスズキタゴサクと対比しているのである。

 

中盤では、類家とスズキタゴサクという人物を同じ部類だと暗に示すシーンが、たくさん散りばめられている。それらのシーンを基に、どんでん返しを行ったのである。欲望が形で見えるスズキだからこそ、端から見たら親切に思える行為も、自分を利用しているにすぎないと気づいてしまうスズキが存在していたのである。悲しき犯罪者ではあるが、41人ほど殺しているので、同情する余地はない。

 

スズキは類家から「本当は生きるに値する可能性もあるのに、その可能性を全く追わない。薄く気づいているのにもかかわらず、そうしている。それは、あんたの嫌う嘘ではないか?」と指摘をうける。指摘を受け、スズキは何かを口にしようとして、口を閉じた。素晴らしいシーンである。スズキの心に何かが刺さった瞬間であると思う。今までスズキが逮捕されてから、ずっと対峙してきた天才の類家の発言だからこそ、刺さったのではないか?

 

スズキが微罪で捕まってから、事の全容がわかるまで一日という時間にも満たなかったが、スズキと類家の間に何かが生まれたのではないか?実はスズキは自らずっと否定してきた他者との繋がりを初めて類家という天才との間に築いたのではないか?

 

明日香もスズキを単に利用していたのではない可能性もあるということを類家は示した。序盤~中盤はすさまじい天才同士の心理戦だったが、最後は二人の間で繋がりができたのではないか?

 

誰でもスズキのように卑屈になる日もあるし、利用されて人間不信になることもある。私も厭世的な傾向にあるので、どちらかというとスズキみたいな思考回路をしているのかもしれない。ただ、私も類家同様、最後のボタンは押さないだろう。そういう意味では類家が自分に一番近いといえるが、あそこまで頭脳明晰ではない。だからこそ、私は類家が好きなのであろうといえる。面白い作品だった。間違いなく、類家とスズキタゴサクは死ぬまで忘れない二人であろうと思う。自分自身の厭世的な部分を少し修正してもいいのではないか?そう感じた。完全に心を入れ替えて、ポジティブに、なおかつ、人を信用して生きようとは全く思わないが、無気力で、自分の人生はどうでもいいという思考を少し変えても良いのではないかと感じた。

 

 

 

 

オノレ・ド・バルザック(著)

 

良作である。ラスティニャックが出世一辺倒に考えるのではなく、デルフィーヌ・ド・ニュシンゲン男爵夫人と愛情を育んだり、ゴリオが死んで泣いたりと、人間らしさを出してくるのが良かった。ラスティニャックという人物を一言で表そうとさせないあたり、漫画『亜人』の主人公である永井圭とキャラクター構築の仕方が似ている。

 

ゴリオは優しそうに見えて、実は愛を押し付けているだけのエゴイストだという解釈は面白かった。主人公が葛藤しながら行動しているので、非常に魅力的な物語が展開された。デルフィーヌ・ド・ニュシンゲン男爵夫人が一番あくどい気がする。本当はゴリオのことを金づるにしか思っていないのに、ゴリオに「愛情がある」とゴリオやラスティニャックに言う辺り、かなり腹黒である。その点、姉のアナスタジー・ド・レストー伯爵夫人は自分がやっている行動が悪どいことを認識して行動し、ゴリオに対しても、きっぱりと拒絶反応を示しているから、見ていて気持ちが良い。

 

個人的にヴォートランが一番好きである。かなりの皮肉屋であり、利己的である悪役ポジションだが、良いことを言うときもあるので、見ていて飽きないキャラである。やはり面白い物語を構成する上で、それぞれのキャラが魅力的であることが必須条件らしい。