小野 不由美(著), 山田 章博(イラスト)
出版社:新潮社
5つ星のうち4.7 263個の評価
上巻と比べると、少し苦労が少ないように感じた。人間苦労しないことに越したことはないのだが、物語としてのアクセント要素として欲しいところである。
下巻では、人を信じることをテーマとして描かれている。楽俊にも、自分の利益があるうえで陽子についていっている上に、陽子に対し王になってほしいという思いが強いためか、何かと論をこじつけて陽子に王になるよう勧めている。とても気持ち悪い。物事にはメリットとデメリット、双方あるということを認識できていない。本当に優しい人間というのは、双方の選択肢のメリットやデメリットをそれぞれ自分の意見と関係なく述べ、相手に選ばせることができる人間であるといえる。もし、自分が陽子ならかなり迷うだろう。王になるのか、ならないのか。双方のメリットとデメリットを考えたときに、家に帰る選択肢を私はとる気がする。元々「王になりたい」という意志や、「トップとして企業をまとめたい」という気持ちが強い人なら、王になるだろう。
やるべきことを選択したら、後悔しないと楽俊は言っているが、絶対に違うといわせてもらう。べき思考に陥っているので、陽子は楽俊の意見を気にする必要性は全くないといえる。楽俊は認知の歪みが働いている。
「愚かな自分から目を逸らしたら、きっとどこまでも愚かになる。」(p.230)
私が一番刺さったセリフである。人は必ず愚かな部分を持っている。完璧な存在などいないのである。それをふまえた上で、愚かな部分に目をそらすと一時的には楽だが、真綿で首を絞めるように後々苦労するのだ。
しかしながら、愚かな部分にそもそも気づいていない場合が往々にして存在する。私の場合、それは完璧主義であるという点だ。元々、そういった気質であることは無意識的にわかってはいたが、特別問題視はしていなかった。しかし、その結果優柔不断になり、諸に実生活に影響してしまった。
「完璧な選択など存在しない。あるのはトレードオフだけだ。」
これは、グレッグ マキューンという方が書いた『エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする』という本に書いていた。よりよい選択肢を選ぶことも大切だが、一番大事なのは自分で選び取るというところであろう。他にも自分の愚かな部分は多数あるだろう。ただ、その反面いい面も多数あると感じる。これは、うぬぼれでも何でもなく、今記事を読んでいるあなたにも同じことがいえるはずだ。だからこそ、良い面も愚かな面も直視することが重要であるといえる。