ヴィクトール・E・フランクル (著), 山田 邦男 (翻訳), 松田 美佳 (翻訳)

 

本作は、『夜と霧』で有名なヴィクトール・E・フランクルの著書です。筆者自身の強制収容所での経験を生かして本作が書かれています。端的に申しますと、宗教と科学(心理学)が混ざったような本でした。良書です。ところどころ、難しい言葉で色んな概念を話す箇所があったので、理解が難しかった部分もありました。

 

一貫して筆者が主張しているのは、タイトルの通りで、「それでも人生にイエスと言う」というメッセージです。どんな辛い状況にあっても、決して人間としての尊厳や誇りを失わず、自分の人生を肯定する筆者の意志の強さが伺えます。

 

いわゆる外面的成功ではなく、内面的成功に目を向けることの重要性も本書で説いています。自分が社会でどういう立ち位置にいるかよりも、自分が今の立ち位置で何を為せるかに注目すべきなんだと認識しました。

 

ニーチェの虚無主義という立場は世間で広く認知されています。簡単に言うと、「全ては無意味だ」という立場です。自分も虚無主義の立場に近い人間だと思います。ただ、自分の場合、全ては無意味だけど、その無意味な世界の中である程度楽しく生きれば良いのではないかという考え方をしています。著者のヴィクトール・E・フランクルは、虚無主義という立場を受け入れつつも、それでもなお人生には意味があるという立場をとっています。そこに筆者の意志の強固さがうかがえます。

 

本書の解説の方も読ませていただきました。その中で、意志は三種類存在すると主張されています。

  • 快への意志
  • 力への意志
  • 意味への意志
以上の3つです。「快への意志」は悪い言い方をすると、快楽に溺れることだと思います。「力への意志」は人よりも優れていたいという欲求だと感じます。そして、3つ目の「意味への意志」は、人生から自分が「どう生きるのか」と問われている側であることを認識し、その上で行動していくことだと解釈しました。
 
前述した自分の考え方だと、「快への意志」と「力への意志」はあるけど、「意味への意志」はないように感じられました。自分から「生きる意味は何なのか」と問いているのではなく、自分が問われている側なんだという主張は、かなり難解な主張ですが、不思議と胸にしっくりくる感じはします。
 
我々人間は人と比較されて生きています。学歴や名誉、容姿や財産などの要素で比べられます。その要素で比べられ、「お前は優れている」「お前は劣っている」と言われることもあるでしょう。しかし、そういった周りの批評に屈せず、自分の足元を見て自らの内側の部分を育てていったり、自分の人生をより意味のあるものにしたり、どれだけ辛い状況下にあっても自らの人生に「YES」という一言で肯定することが重要なのではないかと感じました。
 

※余談です。

自分は黒澤明監督の『生きる』という映画が好きなのですが、その原作であるトルストイが書いた『イワン・イリッチの死』が本書でも引用されていたのが個人的に嬉しかったです。