2026年1月6日
私信というか独り言
朱鷺(shuro)は、ようやくこの年になって、過去の自分とか親との関係とか、親の人格とかに対して、諦めというか「仕方ない」というか「まぁ良いか」というか…ニュートラルになれるような気がしているけど、つまりそれは疲れてどーでも良くなったという感じなので、別に解決はしなかったんだろうと思います。
だけど、アジア人というか日本人が真面目にこだわるだけであって、西洋人だって先住民族のようなヒトビトだって、過去にトラウマというか傷がまったくない人なんていないんじゃないかと思うから。
そういう人たちがどうやって生きているのかと言ったら、やはり今現在目の前にあることにのみフォーカスして生きているだけじゃないだろうかと。
或いは、彼らは例外なく「信仰」があるから、そこに救いというか、心の安寧を見出しているんじゃないかな、と。
宗教はヤバいけど、「信仰」は心の平和になり得ると思う。
最近、瀬織津姫のことを調べている。そして、日本書紀が当時の天武天皇と持統天皇に寄って創作、捏造されたものだということを知った。
本来、日本の神々は、アマテル大神という男神と瀬織津姫という女神の一対神を信仰し祀っていた。それを持統天皇が天皇が神の子孫だというでっちあげを行うために、天照大神を女神として、瀬織津姫を祓いの神とした。
それが史実らしい。
そして、瀬織津姫は、岩手県に一番多く祀られている。早池峰山神社然り。そして、日本各地の滝の女神は瀬織津姫のことであり、彼女は水の神である龍神である。そして、弁天さまも瀬織津姫を隠すための神である…etc
エミシの国の女神が瀬織津姫であり、東北の女神であった。そして、その一対神がニギハヤヒの命、アマテル大神である。太陽神は元々男神だったそうだ。
そういう信仰が、今、心の拠り所のようになっているかも。
過去の傷は、追及している間はし尽くした方が良いと思ってる。
辿り着けなくても、もしかして「追及」が昇華に繋がることもあるんじゃないかと感じるから。
それを「ああ、これだったのか」と納得出来る日が来なくても、それはそれで良いんじゃないかと。
結局、朱鷺(shuro)もその追及熱が冷めて終わっただけだったから。
そして、人生の最盛期の人々だけだった周囲の人たちが、どんどん年老いて、弱って亡くなっていく様ばかりを最近見ていることで、終焉は穏やかなものでありたいとただ祈るようになった。
震災であるとき突然亡くなる人、大切な人を失って苦しむ人、そういうものもたくさん目にしてきた。親や兄弟だけでなく、親友を失ってひどい喪失感を味わう人もいる。それが震災ではなくて、本人の自死などに寄っても。
そういう人生模様を眺めていると、それに寄って振れる自分自身にも疲れてくる。
ドラマを求めて生きてきたけど、もうドラマは良いかな、と。
結局は、自分自身なんだよね。
うまく言えないけど、自己啓発とか自分と向き合うとか、そういう何か型にはめたものではなくても、もっと緩く自分を客観視みたいにして、どのように生きていくのか。
いや、ほんとうにうまく言えないけど。
もう、後進に託す時期に来ていることだけはひしひしと感じる。
終焉の準備をする必要性を。
崩壊と終焉。
今日も島根で地震があったけど、物理的ばかりでなく、精神世界みたいな次元の狭間みたいなところでも、そういうシフトとか変化とかが起こってくるかも知れないね。
悟りを開いているハルくん=^_^=



















