Rakuenありす ~自然農園/農薬・化学肥料不使用

Rakuenありす ~自然農園/農薬・化学肥料不使用

孵卵器で孵ったペキンバンタムとポーリッシュの雛ダンテ。
生まれて初めて育児ノイローゼを体験したヒヨコ育て。
ダンテの娘アビーは神経質で、
乱暴者で大食いいたずら坊主の南部かしわ鶏。
棲息生物の方が運営者より強い「Rakuen」日誌です。


鍼灸師
トウリーダー
クリスタルヒーラー
ライター

完全予約制:
鍼灸施術        3,000円より
クリスタルヒーリング  3,000円より
トウリーディング 90分 8,000円

ありす鍼灸治療院/朱鷺(しゅろ)
連絡先 shuro.fate@gmail.com 

2026年3月23日

 

放浪記2026

愛媛県お遍路

 

 日付け毎ではなくて、巡った順とそのときどきの些細な出来事と心模様を記録しておく。

 17日は、愛媛県今治市に入って、予約したホテルの近くの二か所のみを巡ってみた。当初は、御朱印もいただかなくて良いし、納札もお寺さんがその処理が大変だという話を聞いて、納めなくても良いかと、朱鷺(shuro)は考えていた。以前は、全国の神社もだいぶ巡って参拝したが、御朱印をいただいたことはなかったし、今でも特に必要性を感じていない。

 御朱印は、参拝した側の行った証拠、納札はお寺さんに対して行った証拠。目に見える証がなくなって、別に良いと思った。

 だけど、一緒に巡礼に付き合ってくれる相方が、せっかくだから、御朱印はもらえるところからはもらってみたい、と御朱印帳も注文してくれた。それなら、別にどうしても要らない、という訳でもないし、と朱鷺(shuro)も賛同して、各お寺さんから御朱印をいただいて歩いた。

 結果として、良かったと思っている。御朱印は、お寺さん、ご本尊、(あとひとつ…)と朱肉で印鑑を押したあと、黒炭でおそらくお名前を書いてくださるのだが、それがとにかく美しい。書いてくださっている筆さばきをみているだけでうっとりするし、その際に、一言二言、書いてくださった方とお話が出来たりする。その交流も思い出だ。

 前に巡礼、満願成就し、高野山に行った方から聞いていたが、御朱印をもらえる時間は17時までと決まっている。参拝はいつでも大丈夫だが、御朱印をもらいたいのなら、17時で終了する必要があると。

 初日は、時間があまりなくて、二か所だけで17時になった。

 17日。

 54番 延命寺

 55番 南光坊

 

 翌日は、ホテルで朝食をいただいた後、行ける一番遠くからホテルに向かって戻るというルートを取ってみた。65番は香川県寄りでだいぶ遠いため、香川県を巡礼する際に、一緒にまわろうということになり、その手前の64番から。そして、60番は難所のため、後日改めてそこだけ行こうということにして、59番へ廻った。

 

 18日。
 64番 前神寺 ここは、石鎚神社があり、神社にも参拝した。

 63番 吉祥寺

 62番 宝寿寺

 61番 香園寺

 59番 国分寺

 58番 仙遊寺 ここは、なかなか良かった。御朱印を書いてくださった方とけっこうお話が出来た。

 57番 栄福寺

 56番 泰山寺

 

 時間的にはまだ廻れたが、小雨が降っていたこととお土産を探すために街を巡るために終了。

 そして、御朱印は一人というか一枚500円、駐車場代として100円から400円程度各所で支払った。駐車場代を取らないお寺さんもあるし、その辺はまちまち。

 もうおぼろげであるが、確か、吉祥寺の駐車場ではなかったか。その脇で果物の無人販売所があった。そこで、柑橘類が安く売られていて、思わず購入。はっさくと文旦。東北ではあり得ない安さ。でも、結局は半分しか持ち帰れなかったけど。

 あと、これももうどこのお寺さんだったか覚えていないのだが、小さなお店があって、そこで手作りの杖が無料で置いてあった。「ええ、無料?」と相方と二人でしばらく眺め、これ、良いな…と手に取って握り具合などをみたのだが、さすがに無料って…と、相方が店の方に聞いてくれた。

「近所の方が作って置いてくださっている」とのこと。「委託販売ではなくて、無料なんですね」

 四国はお遍路さんに優しい。きっと、お役立てください、という感じなんだろう。さすがにただもらうのは気が引けて、みかんを一袋買った。

 お遍路ではそれほど山道を歩くことはないのだが、本来は「同行二人」ということで、弘法大師さまと一緒に歩くもの。それが杖なので、持つべきなんだけどね。

 仙遊寺は、なかなか山深い場所にあり、車で行っても細い道をくねくね上らなければならない感じ。60番札所は、もっと細い道なのかも知れないね、と。

 ここで御朱印を書いてくださった女性の方とちょっと話をした。

「1番から順番通りではなく、今治市から始めたので順序がぐちゃぐちゃなんです」と言ったら、「皆さん、それぞれ事情があるし、出来るようにやれば良いんですよ。みんながみんな、そんなにお金と余裕があるわけではないんですから」というようなご返答をいただき、ちょっとホッとした。

 

 19日。

 52番 太山寺

 53番 円明寺

 

 漢字は違うが、「えんめいじ」に始まって、「えんめいじ」で終わった2026の遍路であった。

 

 

2026年3月16日

 

放浪記2026

東北~九州

 

 地元を13:55に飛び立って、九州の空港に到着したのは16時20頃。

 久しぶりに国内線搭乗いたしました。座席数横に4列しかないすっごく小さな紫色の可愛い飛行機です。

 頻繁に体験できるわけではないこともあり、旅行そのものよりも、飛行機に乗ること自体にわくわくしました。座席に座り、飛行機がのろのろと動き出すときもちょっと好きですが、何よりも、滑走路に到着して、ジェットエンジンに切り替わった瞬間、地上を走る乗り物としてはあり得ない速さで景色が動き出したときの高揚感と、ふわっと重力から解き放たれる解放感のようなもの。恐らく、魂が肉体を離れるときは、そういう感じではないだろうと思うので、やはり、この飛行機の離陸の瞬間が一番好きかも知れません。まぁ、だから、遊園地のジェットコースターとかも未だにわくわくするんだろうなぁ。

 福岡空港に到着し、朝バイトのスタッフの皆さんにお土産を買って送るのになかなか時間を要した。まずは博多駅まで出て、駅構内をほぼ端から端まで丹念に歩き回った。いか明太というホタルイカに明太子を詰めたおつまみっぽいものに惹かれてしばらく悩んだけど、人数分を買うのになかなかけっこうな値段になることと、好き嫌いがありそうで、最終的に却下。

 最終的には抹茶饅頭に決めた。買った店で郵便局の場所を聞いて、外へ出た。外でなんとも言えないモニュメントを発見し、思わず撮影。

 レターパックを買って準備していたので、それに詰めて発送。

 思ったより時間を要して、良い時間になり、福北ゆたか線にて。

 

 

2026年3月17日

 

放浪記2026

九州~四国

 

 5時半に九州を出発。運転者も朱鷺(shuro)も未だ身体も頭も半分眠っている状態。

 何度も休憩をはさんでコーヒーを飲みながら、宮島へ渡る港へ。安い駐車場を見つけて(300円)、フェリーに乗船。厳島神社へ渡った。

 鹿が出迎えてくれるよ、と一度行ったことのある相方が言ってたが、到着した港にはそのとき鹿の姿は見えなかった。しかし、やがて神社へ向かって進む公園のあちこちに鹿の姿がちらほら。皆、のんびりゆったりと歩き回り、ほとんどの子が座って眠っていた。

 平清盛像や大鳥居の撮影ポイントで写真を撮り、平家の滅亡に思いを馳せる。朱鷺(shuro)は、義経の平泉下りを調べた辺りから、源頼朝の狂人っぷりに辟易するようになっていた。そして、あちこちで聞く平家の落人や各地に散らばった平家の姫や家臣たちが地元に溶け込んで伝説になっている逸話などに心癒されるようになった。

 義経が平泉へ下った際、紫波町の赤沢で過ごしたのではないか、そして頼朝の追手から北へ逃れたのではないかと思っている。ロマンだね。

 天照大神という女神さまが、実は持統天皇のでっちあげだったと知ってから、源平合戦、源氏が正義であったというのも勝者のでっちあげであろうと思っている。

 宮島で焼き立てもみじ饅頭を初めて食べてみた。焼き立てって、柔らかくてあったかくてベツモノみたいにおいしかった。そこでお土産のお酒も買った。

 お昼は、「梅山」というお店でアナゴ丼を食べた。ご当地料理を検索すると、タイ飯とアナゴ丼が推されているので、ぜひ食べてみたかったのだ。アナゴ丼はアナゴだった。あまりこういう感じでたくさん食べることはないので、「ほほう」という感じで、美味しかったよ。

 その後、あちこち店を覗いて(探し物があったので)、フェリーにて(11:40発)。

 それからしまなみ海道を通って、「今治市村上海賊ミュージアム」に寄った。相方の先祖が四国の名士で、村上水軍の末裔だったという。十数分の歴史を説明する動画を観て、出土した磁器や旗(通行証のようなもの)の展示などを見て回った。

 最後、売店でTシャツを買って、再び海道へ。

 愛媛県、今治市に入り、54番延命寺、55番南光坊をまわった。

 最初の延命寺に着いて、慌てて支度を整えているとき、白衣を身に着けて自転車でやって来たおじさんに、相方が声を掛けてくれた。「あの、わたし達、初めてなんで作法とか教えてもらえませんか」

 相手の方はちょっと驚いた風で「わたしも今年初めてなんですよ」「え、ここがほんとに最初の最初?」「わたしは4日から来て、徳島の1番から始めて…」。

 教えられるほどではないですが、とそれでも彼は基本的な一連の流れを説明してくれて、経文の読み上げの順番などを教えてくれた。更に、納経所の方にお話を通してくださって、そこでも、遍路を始めるにあたってのご説明をいただいた。

 函館のおじさん、感謝です。

 17時過ぎにホテルにチェックイン。ウェルカムドリンクバーを堪能。お風呂は温泉だった。

 

 

2026年3月3日

 

桃の節句は寒かった…

 

 季節の変わり目で気温の変化は確かにあるけど、桃の節句なのにこんなに寒くなくても良いと思う。今まで日中はだいぶあったかい日があって、外作業がはかどっていたのに、今日は気温が上がらず、風が冷たい。まぁ、今日は確かに朝から外に出る気はなかったけどさ。

 朝は、雑用に出かけ(役場に書類提出とか買い物とか金融機関とか)、10時くらいに戻って、炊飯器のスイッチを入れた。

 ガラスの容器に寿司酢を合わせて、砂糖が溶けるようにと、炊飯器の上に危ないバランスで置きながら、他の作業に掛かる。

 稲荷寿司の油揚げは昨日の内に、シイタケ出汁で煮ておいた。

 ハマグリは買わなかったので、タラの吸い物を作り、具は他にワカメと三つ葉、麩。

 買ってきた野菜(ブロッコリー、小松菜、菜の花)を茹でて刻み、柵で買ってきた刺身を切り、カニの身をほぐしている間に、病院へ行かなきゃなので、散らし寿司を早く欲しいと言われ、慌てて卵を焼き、薄切りする暇がなかったので千切って盛り付け。

 祖父母の分だけを先に作った。

 そして、お稲荷様分の稲荷寿司と散らし寿司、お雛様分、ご先祖様分、それからヒトの分を盛り付け。

 今年はカニまであって豪華だよ。下地には菜の花、ブロッコリー、小松菜、シイタケ、いくら、そしてカニ。

 上に盛り付けるのは、ぶり、サーモン、蒸しエビ、エンガワ、鯛、ソイ、マグロ。

 最近、雀が家の周囲にいて可愛い。鶏のエサを食べにやって来ているようだが、雀の数が減っている昨今、これだけの数(数十羽はいるよ♪)が見られるのは嬉しい。

 今日は、ミッチはブリとサーモンの切れ端を食べたし、鶏もタラとカニの殻(少し身が残っていた)を食べた。

 桃の節句を皆で祝ったよ。

 

(数日前はこんなに天気が良かったのにさ)

 

 

2026年3月1日

 

終活

 

 ほんとうは、この「終活」って言葉、あんまり好きじゃないけど、便利なので使う。

 いつか、ある日突然、この世を去る可能性が高くなってきたように思って、覚悟というか、和多志が消えた世界を考えるようになった。

 若い頃、そんなことを考えると泣けてきたものだが、今は近い現実なので涙は出ないし、感傷的な気持ちにもならない。自分のことは、たぶん、もう、良いのだ。考えているのはまさに自分が消えた世界のこと。

 心配というか、気掛かりなのは物質的な問題としてRakuenのこと。土地のことと、鶏のことだ。数年放置で立派な森になることが分かっているあの土地を、誰か管理してくれる人がいるだろうか、ということと、このまま残してしまうであろう鶏の世話に関して。

 だけど、考える度に思う。

 この世界から、視ていた「和多志の目」が消えるだけのこと。残されたもの達を心配し、憂う必要はないのだ。

 終活とは。

 「場」を整えることに他ならない。

 

 今日は、Rakuenの蔓植物駆除の作業をしながら、ものすごく辛かった。身体が、ではなくて、精神的にだ。最近に限ったことではないのだが、もう何年も膠着状態のことがあって、それが苦しい。毎日、常に、心の奥底にへばりつくようにそれは存在している。

 それが、恐らく、Rakuenのこと以上に心残りとなることが分かっていること。

 

 

2026年2月12日

 

反省部屋

 

 なんか、怪しいハナシになりそうだ。地下牢とか、拷問部屋とか。

 実際、虐待に近いかも知れない。むしろ、殺処分した方が良いかも知れないが、そういえば、ニンゲン以外の生き物にとって、「自死」とはどういう位置づけなんだろうか。

 動物にだって、自死という選択肢がまったくないとは言えない。アポトーシスだって自死だし、自ら…ではなくても、母親が、子どもを哀れに思って毒殺することがあるのだ、という事実を、シートン動物記で知った。あれは、衝撃だった。確か…「スプリングフィールドのキツネ」という記録。ニンゲンに捕らわれた子ギツネを、母親は必死に取り戻そうとした。繋いだ鎖を噛み切ろうとしてみたり、鎖を地面に埋めて見えなくなったら大丈夫かと土で埋めたり、彼女が出来るありとあらゆる方法を試した。しかし、我が子は決して連れ帰れないと悟ったとき、母キツネは、ニンゲンが撒いた毒の餌を持って来て、子どもに与えた。

 母は、その餌を置くとそのまま立ち去り、二度と戻らなかったという。それを食べた我が子が必ず死ぬことを知っていたから。

 それから、自死とは違っても、死期を悟ると墓場に向かうという象…だっただろうか。或いは、家ネコでも、死が迫るとヒトの前から姿を消すし、(野生)動物は決して自らの生を諦めたりしないってことはない。

 ということはさておき。

 ダッキーが、ダンテをイジメていることを、数日前に発見した。朝、エサを与えるときはなんともなかったが、お昼過ぎにちょっと行ってみたとき、ダンテの姿が見えず、驚いて名前を呼んで探した。すると、なんと、ダンテはハウスの南側、入り口とは反対方向の端に立てかけてあったガラスの板の隙間に入り込んでいた。そこから助け出して、そのとき持って行った餌を与えてみたが、ダッキーが、ダンテを追い払う姿を目撃。朱鷺(shuro)は、ブチ切れた。その場で、ダッキーを追い回すこと数分、捕まえて、トニーとジェーンの檻の中に突っ込んだ。間髪入れずに、ダッキーはトニーとジェーンに攻撃され、泣き叫んだ。

 追いかけまわしてちょっと息があがったせいもあり、怒りで興奮していた朱鷺(shuro)は、声に出したかどうか覚えていないが、ダッキーを罵って、ハウスを後にした。

「何か勘違いしてるがな、ダッキー。お前は仕方がないから生かしておいているだけであって、このハウス自体、そもそもダンテのために建ててもらったんじゃ、お前が大きい顔して良い場所じゃないんだよ」

 ハウスは、ダンテとさっちゃん、ナミちゃんのための城。その子ども達は、雌であれば、卵を生産してもらうための付属品であって、雄は正直、別に要らない。まぁ、ダンテがいつまでも、ママ、ママ言ってあんまり雌に交尾しないから、有精卵にするための要員としてダッキーを生かしているだけ。トニーとジェーンに至っては、別にいつ処分しても良いくらいなのだ。

 その後、夕方に再度行ってみたら、ダッキーは檻の扉の隙間から逃げ出したみたいで、外に出ていた。再び追いかけまわして捕まえて、再度、反省部屋に突っ込んだ。

 しかし、鶏ってほんとうに意味が分からない生物だ。オス同士の喧嘩は、とにかく顔を突くらしい。鶏冠が血塗れになることが多い。だから、ダッキーは支えの柱の隙間に頭を隠してじっとする。それを後ろから執拗に攻撃するトニー。とにかく「執拗」。普通の肉食動物だって、食べるとき以外、こんなにしつこく相手を攻撃しない。クーデターは、相手を殺すまで攻撃するもんなんだなぁ。

 ダンテは、追い払いはしても、ダッキーを必要以上に攻撃はしない。だから、ダッキーがどこかに身をひそめるってことはないのだ。しかし、ボスの座を奪うってのは、相手を殺すってことなんだろうな。

 その日はそのままダッキーを反省部屋に置いて終わった。

 翌朝、反省が見られたら(?)出してやろう、殺されていたら、まあ、それまで。と思って行ってみると、また、こいつは自力で檻から出ていた。鶏冠がある程度傷だらけで、ダンテが特に怯える様子はなかったので、その後はそのままにしている。

 ダッキーにとって、永遠にボスになれず、こうやって他の雄に襲わせたりするのは、処分するより良いことだろうか? ということなんだが。まぁ、生き延びてハウス内を自由に歩き回れるなら、未だ、生きてて楽しいのかも知れないな。(つまり虐待か死か? という択一なのだが)

 ダンテには絶対逆らえない、小さいチャボ程度の雄が欲しいと思った。今度、またダンテを襲ったら、ダッキーは処分するかも知れないが、面倒なので、また反省部屋行きだろうかね。

 

(気が付くと、ハウス内に入り込んでいる雀の群れ)

(そもそも、ダンテ、さっちゃん、ナミちゃんのため)

(外の餌場に来る雀を狙うために潜むカフェちこ)

 

2026年2月2日

 

魂が燃える瞬間

 

 実は、ずっと昔から(きっと、朱鷺(shuro)が、未だ鳥類ですらなくて、三葉虫とかアンモナイトだった頃から)(いやいや、何言ってんだよ、そもそもダーウィンの進化論を信じてないくせに!)(サムシンググレート説に一票!)テレビを観たり、何かを見聞きしたとき、カアッと身体が熱くなる瞬間がある。

 それは、例えば2011年の震災のとき。ボランティアで被災地をまわりながら、いや、行こうと思ったときからそういう熱は続く。

 例えば、医療(とは限らないけど)裁判の弁護士さんの奮闘を観たとき。

 例えば、真実を追求するために駆けずり回る記者、或いは警察の報道(或いはドラマ)を観たとき。

 朱鷺(shuro)も「何かしなくては!」「何かしたい!」「何か欲しい!」と焦燥に駆られる。

 戦場でのみ心燃やせるやつは戦場へ帰れ、みたいなセリフをかつて好きだった漫画で読んだことがあるが、まさにそれに近いかも知れない。

 有事の際にのみ、生きている気がする。これをこの時間までに完成させる、とか、体力の続く限り出来るだけ多くの人を治療する、だとか。そういうときに魂が燃える気がする。

 それは医療に限らず、ドキュメンタリーの作成とか、お弁当を100個作るとか、そういうことでも良いのだ。

 

 

2026年2月1日

 

伯母の実家へ提案

 

 本来は、こうやってお互いに情報交換をして、どうやって解決していこうかと一緒に模索したかった。最初に従姉があんなメールをしてこなければ、せめてもう少し温度のある物言いをしてくれれば、朱鷺(shuro)はいくらでも協力した。あの時点でもっと法律的なことを調べたり、妹と協力して弁護士に聞いたりしただろう。

 

 しかしこれは、伯母の実家の誰かがほんとうに弁護士に相談してくれたと過程して、の提案になるので、それすらしていなかったら問題外ではある。

 

 朱鷺(shuro)の妹が無料法律相談で弁護士に聞かれたことの一つ。「保証人」について。

 保証人と言っても、実は種類があって、身元引受人だの連帯保証人だのいろいろある。そして、責任の範囲がものすごく違う。だから、葛飾区の担当課にその辺をしっかり聞きたくて連絡を取ったら、現在は「保証人」はない、との回答だった。

 しかし、これにも落とし穴があって、妹が連絡を取ったときの対応者と、朱鷺(shuro)に電話をかけてきた担当者は、明らかに別人だった。その担当課の方は、妹には一度しか電話していないと言い、片付けの要請勧告は受け取ってもらえないと出せない、という言い方だった。

 対して、妹が話した相手は、再三に渡って「さっさと片付けて欲しい」と電話をしてきた。仕事がものすごく忙しい彼女は、そもそも自分が勝手に緊急連絡先に登録されていることも知らなかったし、保証人は伯母の実家の弟と実家の従妹であるとしか聞いていなかった。だから、保証人の方へ連絡取って欲しいと言ったら、「連絡先が分かりません」と言われたそうだ。

 そこで、二人で驚愕した。保証人の連絡先が分からない? ナニそれ。

 そして、片付けを拒否されるようになって困り果て、本人に片付けて欲しい、そうでなければ退去していただくことになる、という勧告は、本人に通知して欲しいと言ったら、「そういうことは出来ません」つまり、入居者に退去して欲しいとは言えない、と答えたそうだ。

 最後に、担当課の彼に朱鷺(shuro)が言われたのは、こちらの「窓口を一本化して欲しい」。

 それはごもっともなことだと思った。そもそも、朱鷺(shuro)には、伯母に対して何の権利も義務もない。このまま朱鷺(shuro)が口出ししていたら、妹から引き継いだ従妹が混乱することになるだろう、と、今後は従妹に一任します、と連絡を入れて、葛飾区との連絡は絶った。

 だから、伯母の実家の弟さんの相続人の方々は、まずは、葛飾区に「保証人」について、確認してはどうかと思う。

 

 そして、二点目。

 担当した人に寄って言うことが違っていた「保証人」が、もしも、「ない」となったら。

 支払い義務があるのは伯母のみである。そうしたら、伯母の実家は手を引いてしまえば良いのだ。

 しかし、もしも、保証人は伯母の弟と従妹の名前になっている、と言われたら、その「保証人」の種類に寄っては支払い義務が生じる。そのときは、伯母の妹(母)に、手伝って欲しいとお願いすれば良いではないか?

 そして、一緒に伯母の直系親族にも負担をお願いしてみれば良いのだ。

 

 弁護士さんが言ってたそうだが、そもそも、葛飾区が、伯母自身をすっとばして伯母の実家に支払いを請求することが間違っているそうだ。裁判すれば、区が負けますと。

 

 この提案も、情報も、まずは伯母の実家が、「支払いは血のつながった妹がすべき」「一人では大変だろうから相談にきた」という言い方をして家に訪ねてくるようでは、共有しようがない。だから、まずは、法的なことを調べてください、なのだ。

 

 

2026年1月31日

 

Rakuenと野鳥たち

 

 野鳥と言っても、カラスと雀と、あと、夏にブルーベーリーとかを食べに来るオナガみたいな鳥くらいなのだが。

 カラスは毎日、朱鷺(shuro)が鶏にエサをやりに外に出た途端、やって来る。いつもではないが、廃棄食材を堆肥場近くに投げてやると、サーっと舞い降りて持ち去る。量が多いと、近くのどこかに埋めて何度もやって来ては持ち去っていく。カラスが、エサを地面に埋めるとは、最初はちょっと驚いた。

 廃棄食材がないときは、存在を主張しまくって、甘え鳴きをしてみたり、ものすごく低空飛行をして「ここにいるよ」アピールをする。最初の内はそれがすごくしつこかったが、最近では、無い時はほんとうに何も無いのだと悟ったようで、一定時間騒いだあとは、諦めてどこかへ飛んでいくようになった。

 そして、雀。

 近年、雀が減っているとはよく聞く。実際、ほんとうに少なくなったと感じていた。カラスに巣を襲われたりするらしい。

 雀だけではなく、巣立ったばかりの鳶に絡んでいる姿もよく見かける。雑食性で節操のないカラスは、実はあんまり好きではない。猛禽類の方が断然好み。なので、鳶に絡むカラスには怒りがわく。

 ということで、昨年のいつ頃かなぁ、雀が、鶏に撒いたエサを食べに来ている姿を見掛けたことがあって、それ以降、雀のためにハウス内ばかりでなく、ハウス周囲にエサを撒くようになった。夏場はそれで良かったが、冬になって、特に今年の1月に入って、積雪が半端なくなった。外にエサを撒いても雪に埋もれてしまう。

 そこで、ガラスの板(サッシ)を地面に置いて、雪が積もったときは手足で掃けて、そこにくず米を撒いておくようにした。

 最近では、だいたいの時間になると雀たちが近くで待っていて、朱鷺(shuro)が、そこにエサを撒いて、ハウス内に入って、鶏にエサをやったり水を替えたりしている間に集まって食べているようになった。

 それから昨年の秋くらいからだろうか。雀がハウス内に入り込んでくるようになった。最初は、扉を開け放していたからだったっようだが、寒くなる頃には、閉めていてもいつの間に入っているようになった。それから、夕方、追い出すのも面倒になって、十数羽が飛び回っているのをそのままにして扉を閉めても、翌朝には消えていることもあった。

 いったいどこから出入りしているんだろう、と不思議に思っていたら、ある日発見した。

 扉がはまっている上に、雀が通りそうな隙間が空いているのだ。

 ああ、なるほど…。ここから好きに出入りしているんだな。

 しかし、雀は昔から好きな鳥で、なかなか馴れてはくれないのが寂しいが、寒い夜にはハウスに居れば良いさと思って、今でも出入り自由状態。

 そして、ハウス内に残っていた子たちは、最初は朱鷺(shuro)がハウスの中で作業していると、大騒ぎで飛び回って逃げようとしていたのだが、ここ数日は、視界に入らない陰の方で地面に下りて、鶏と一緒にエサを食べる個体が出てきた。

 外のエサ場は、朱鷺(shuro)が顔を出すと一斉に逃げて行ってしまうが、クロム達の方へ行ってる間にまた集まって食べている。そして、必ず見張りの子がどこかしらに留まって周囲を警戒している。

 いくつの群れがやって来て食べているのか分からないが、雀たちは仲間同士でエサがあると分かると呼びに行くそうなので、数十羽くらいは来ているように思う。

 

 そして、先日、ハルくんが何らかの鳥を獲って食べていた。パッと見て雀じゃなかったので、まぁ、良いか…と思った次第であります。雀以外もエサ場に来ているのを見たことあるし、猫はハンターですから仕方がないでしょう。