Rakuenありす ~自然農園/農薬・化学肥料不使用

Rakuenありす ~自然農園/農薬・化学肥料不使用

孵卵器で孵ったペキンバンタムとポーリッシュの雛ダンテ。
生まれて初めて育児ノイローゼを体験したヒヨコ育て。
ダンテの娘アビーは神経質で、
乱暴者で大食いいたずら坊主の南部かしわ鶏。
棲息生物の方が運営者より強い「Rakuen」日誌です。


鍼灸師
トウリーダー
クリスタルヒーラー
ライター

完全予約制:
鍼灸施術        3,000円より
クリスタルヒーリング  3,000円より
トウリーディング 90分 8,000円

ありす鍼灸治療院/朱鷺(しゅろ)
連絡先 shuro.fate@gmail.com 

2026年1月6日

 

私信というか独り言

 

 朱鷺(shuro)は、ようやくこの年になって、過去の自分とか親との関係とか、親の人格とかに対して、諦めというか「仕方ない」というか「まぁ良いか」というか…ニュートラルになれるような気がしているけど、つまりそれは疲れてどーでも良くなったという感じなので、別に解決はしなかったんだろうと思います。

 だけど、アジア人というか日本人が真面目にこだわるだけであって、西洋人だって先住民族のようなヒトビトだって、過去にトラウマというか傷がまったくない人なんていないんじゃないかと思うから。

 そういう人たちがどうやって生きているのかと言ったら、やはり今現在目の前にあることにのみフォーカスして生きているだけじゃないだろうかと。

 或いは、彼らは例外なく「信仰」があるから、そこに救いというか、心の安寧を見出しているんじゃないかな、と。

 宗教はヤバいけど、「信仰」は心の平和になり得ると思う。

 

 最近、瀬織津姫のことを調べている。そして、日本書紀が当時の天武天皇と持統天皇に寄って創作、捏造されたものだということを知った。

 本来、日本の神々は、アマテル大神という男神と瀬織津姫という女神の一対神を信仰し祀っていた。それを持統天皇が天皇が神の子孫だというでっちあげを行うために、天照大神を女神として、瀬織津姫を祓いの神とした。

 それが史実らしい。

 そして、瀬織津姫は、岩手県に一番多く祀られている。早池峰山神社然り。そして、日本各地の滝の女神は瀬織津姫のことであり、彼女は水の神である龍神である。そして、弁天さまも瀬織津姫を隠すための神である…etc

 エミシの国の女神が瀬織津姫であり、東北の女神であった。そして、その一対神がニギハヤヒの命、アマテル大神である。太陽神は元々男神だったそうだ。

 そういう信仰が、今、心の拠り所のようになっているかも。

 

 過去の傷は、追及している間はし尽くした方が良いと思ってる。

 辿り着けなくても、もしかして「追及」が昇華に繋がることもあるんじゃないかと感じるから。

 それを「ああ、これだったのか」と納得出来る日が来なくても、それはそれで良いんじゃないかと。

 結局、朱鷺(shuro)もその追及熱が冷めて終わっただけだったから。

 そして、人生の最盛期の人々だけだった周囲の人たちが、どんどん年老いて、弱って亡くなっていく様ばかりを最近見ていることで、終焉は穏やかなものでありたいとただ祈るようになった。

 震災であるとき突然亡くなる人、大切な人を失って苦しむ人、そういうものもたくさん目にしてきた。親や兄弟だけでなく、親友を失ってひどい喪失感を味わう人もいる。それが震災ではなくて、本人の自死などに寄っても。

 そういう人生模様を眺めていると、それに寄って振れる自分自身にも疲れてくる。

 ドラマを求めて生きてきたけど、もうドラマは良いかな、と。

 

 結局は、自分自身なんだよね。

 うまく言えないけど、自己啓発とか自分と向き合うとか、そういう何か型にはめたものではなくても、もっと緩く自分を客観視みたいにして、どのように生きていくのか。

 いや、ほんとうにうまく言えないけど。

 もう、後進に託す時期に来ていることだけはひしひしと感じる。

 終焉の準備をする必要性を。

 

 崩壊と終焉。

 今日も島根で地震があったけど、物理的ばかりでなく、精神世界みたいな次元の狭間みたいなところでも、そういうシフトとか変化とかが起こってくるかも知れないね。

 

悟りを開いているハルくん=^_^=

 

 

2026年1月2日

 

年末年始の出来事 ~反省と達成~

 

 2025年の締めとして、唯一良かったと思ったのは、幼なじみの一人と久しぶりにゆっくりと会えたことだ。首都圏在住の幼なじみと、地元にいる幼なじみとが、10年以上マトモに会えていないことと、朱鷺(shuro)自身、地元の幼なじみとはスーパーでばったり会ったときに少し会話する程度しかこちらも恐らく10年くらいはなかったんじゃないかな、ということで。

 30日、15時くらいから、地元のカフェというかピザ屋さんで3人で会うことにした。

 首都圏在住の幼なじみとは毎年、年に2回は必ず会っていたので、だいたいの状況はお互い把握していたのだが、地元の幼なじみが、実のお父さんのことで奔走していたことは初めて聞いたハナシだった。

 彼女の一人暮らしのお父さんは、しかし、しっかりした方で、奥さんを亡くした後は、嫁いだ娘に迷惑を掛けないようにと、自らの死後のことを託せる相手をしっかりと選定し、銀行の通帳を預けて死後処理をしてくれるように頼んであったそうだ。

 今現在、そのお父さんは施設に入居しているのだが、彼女は、それまで住んでいた団地の引き払い処理を、掃除から手続きまでほぼ一人でこなし、お父さんが信頼して死後処理をお願いしたご夫婦にはそのまま引き続き、それをお願いし、現在に至っているとのこと。

 それが唯一良かったかな、と思ったことで。

 年末には最大の失敗をやらかしてしまった。

 毎年、12月31日には、水の神様にお神酒をあげて、その年一年の感謝をするように、と言われていたのに、昨年は年末にそれをすっかり忘れ切っていた。

 新年の朝、神棚とお稲荷さんのお神酒をお供えする段になって、お酒が5本あることに気付き、「ぎゃああああああっ、水の神様にお供えしてない~っ」となった。

 仕方がないので、元旦の朝、昨年一年ありがとうございました、今年もよろしくお願いします、と水の神様にお酒をあげた。

 ああああああああ、やらかしてしまった~っ

 そして、元旦には、恒例のイオンの初売りに出かけ、帰宅して家でちらし寿司ランチ。そのとき、稲荷寿司も作って、お煮しめと一緒にお稲荷様にお供えした。

 なんだか、年末年始の気の切り替えみたいなのを感じられずにいる間にどんどん時間だけが過ぎている。

 そして、懸案事項として、昨日の朝と今朝の夢見の悪さ。

 元旦の朝は、母と険悪になった夢を見た。

 今朝は、娘を亡くした夢を見た。

 家族不和とか病や死別の暗示かとちょっと恐れおののいたが、恐らく、これはけんか相手も亡くした相手も、そのものの人物というよりは、朱鷺(shuro)自身なんであろうとふと感じた。

 静かなる終焉と崩壊の始まりだった2025年。

 2026年は、もっと物理的に目に見える形で何らかの波乱が始まるのかも知れない。

 

 だからと言って、何かに備えるというよりは、やはり今現在目の前にあることに尽くしていく以外ないのだけれど。

 

 

 

2025年12月26日

 

狭間

 

 上司と部下の間で苦労する中間管理職とか、夫と姑の間でどちらからも責められる嫁というか。或いは、学会の中で講演会を企画して、会場手配や駐車場の確保、講演してくださる先生への配慮、必要経費などで四苦八苦してるのに、さっぱり参加者が集まらなくてそちらにもいちいち個別に連絡を取らなければならなかったときのように。

 なんだか、日常でも家族間でも友人間でも、狭間にいることが多い。

 これがストレスになっているのは、うまくいって欲しい、みんなが満足して欲しい、とそういう自己肯定を根底にした欲があるからなんだろう。

 手放せば良いのかも知れないな。

 手配したことと結果を切り離せば良いのかも知れない。

 

 そもそも人生は、光と闇の狭間、善と悪の狭間、そういうところを常に行ったり来たり。完全なる善も完全なる悪もないのがニンゲン。どちらかに完全に偏ってしまったら、それはニンゲンの範疇ではない。神か悪魔(鬼?)になってしまう。

 そういえば、ふと思ったが、西洋では神と対極にあるのが悪魔になるが、日本では、神様がそもそも完全なる善ではないから、対極となるであろう鬼も、完全なる悪ではないんだよね。怪談みたいに、どこか理解出来るような優しい闇というか。

 日本は、曖昧の文化だよねぇ。

 

 

2025年12月24日

 

心配しなくても大丈夫

 

 今年は、無駄な心配が多い年だった。

 相手に、朱鷺(shuro)のことを忘れられているのではないか、或いは朱鷺(shuro)は辿り着けないのではないか、という心配とストレスを抱いたことが…10月に一度、今月二度(同じ日に小さな似たような心配もあった)。

 だけど、三度(小さな心配とストレスも)とも余計な心配だった。すべてうまくいった。誰も朱鷺(shuro)を忘れて等いなかったし、落ち着いて対処すれば普通にたどり着けたのであった。

 その、最後の三度目の心配は本日だった。

 クリスマスケーキといつも使っている調味料を毎年同じ店から配達していただいていた。今までは、クリスマス前日辺りに届けていただいていたので、イブの当日に頼んだのは久しぶりだった。

 早いときは日中に届いてたのだが、今日は17時近くなって辺りが暗くなっても来る気配なく、おや、まさか忘れられてる…? とちょっと不安になった。店に電話を入れても、留守電。

 ただ、遅いときはほんとうに遅い時間に来てたこともあったので、混んでるのかな…とも思っていた。

 そして、やはり18時半頃、配達に来てくれた。ウチが最後だったとしても、会社に戻って19時である。なんだか、申し訳なかった。来年は、ナビで調べて取りに行こうかと思った。

 今年は、なんだか、そういう年なのかも知れない。

「心配要らないよ」

 というメッセージ。

 ありがとう、神様。

 感謝です。

 

2025年12月23日

 

クソどーでも良い日常

 

 今日は、朝から料理をしていた。

 まず、クリームシチュー。これは、りんかが昨夜鶏ハムを作っていたので、その煮汁を使ったもの。今回、鶏ハム4種類も作ってくれたので、でかい鍋を使ったお陰で、シチューの量も半端なく多くなった。

 ウチでクリームシチューを作るのは、たいてい、ほうれん草の処理(料理)に困ったとき。今回は、ヒトに送るために缶詰コーンも買ってきて、人参も友人の農場産の大きなものを丸々一本使ったので、なかなか彩良いシチューが出来た。

 それから、予約していた買い物。

 お届け物をして帰宅し、肉の処理。味付け。

 白菜とキャベツを刻んで、ドレッシングを小瓶に作って、チキンライスに薄焼き卵で、オムライス風のものを容器に詰めて。

 鶏ハムをスライスして4種をそれぞれラップに包み。

 冷蔵便で手配。

 

 そして、Rakuenのことではないのだが、…紫波町の果樹農家さんの現状をちょっと。

 どこの農村もそうであろうが、例にもれなく高齢化が進んでいる。果樹農家さんだけではないが、紫波町の場合、果物の町と銘打って産直がたくさんあるので、それが消えて行くのはなかなかつらい。

 高齢化と後継者不足。不足というより、後継ぎがいない農家さんの方が多い。(息子さん、娘さんは町中に家を建ててそちらに住んでいる状況。だから、子どもの数も極端に少なく、遠い小中学校までスクールバスがある)。そして、果樹生産に携わっている方々は70代より上の方々だ。

 リンゴ、ブドウが主な生産物で、他に栗や梨、それから加工用の桃を生産している農家さんもある。

 葡萄の場合、圃場にはコンクリートの杭を打ち込んでいたり、針金を張り巡らせていたりするので、完全に止めてそれらを撤去する費用や手間を考えると、誰かが引き継いで生産してくれる方が良いのだそうだ。

 地元で、息子さんや娘さんが継いでくれないのであれば、意欲ある方を他の地域から招致してはどうなんだろうか。紫波町あげての事業として、Iターン者募集を掛けたら良いのではないかと思う。

 北上川を挟んで東側に果樹農家さんが多いのだが、沿線沿いに大きな産直が3つほどあって、規模的には一番大きいのではないかと思っていた一番南側の産直の勢いが最近落ちている。これは、生産者さん自体が減っているせいじゃないのかなぁ、と感じている。

 果物の町をこれからも名乗りたいのであれば、個々の農家さんだけではなく、町として、後継者問題をもっと真剣に取り組んだ方が良いんじゃないだろうか。

 米騒動、コメ価格の急騰問題だって、そもそも飯米生産農家さんの絶対数が減っていることが明らかなのに、農地の転用を許してきた政策が引き起こしたことなんじゃないだろうか。

 農家さんが、米や野菜、果物を生産することで充分生活していけるようになっていないから、離農者が増えていくのだ。

 近年は、鳥獣被害、特に熊やイノシシ被害がどんどん大きくなっている。今までになかった鹿の被害も甚大で、対策をしてもあまり意味のない事態に陥っている。

 害獣の個体数の管理は、どうしたって必要だと思う。それを食肉として利用すれば良いのだ。

 

 関係ないが、Rakuenに毎日やって来て堆肥場を荒すカラスの家族(?)がいて、声でだいたい分かるようになっているのだが、人懐こい子が一羽いて、朱鷺(shuro)がエサを投げてやると空中キャッチをする。いや、だからなんなのか、というと。

 カラスも野生動物で、害獣の類なのであるが、そうやって個体識別が出来てしまうとちょっとは情が湧く。駆除するとなると、多少は心が痛む。

 ただね、農家さんの現状や被害を知らず、知ろうともしない部外者が、「熊を殺すのは反対」と無責任に発言することに対して憤りをおぼえる。「そんなに熊が心配なら、ご自宅に熊を送ってあげますから、住所を教えてください」発言に、同意の笑いを漏らしたことがあるが、それほど切実な被害を受けていることを、消費者の方々は分かって欲しいと思うのだ。食べ物が店に並ぶまでに、生産者がどんな苦労をして、どれだけ愛情を注いで育てているのかを。

家の中でネズミを捕獲。ハルくん偉い!!

(ネズミがちっちゃすぎて口の中に収まってしまい、尻尾しか見えない…)

 

2025年12月22日

 

農薬・化学肥料不使用表示禁止について

 

 出荷している産直から、

「無化学、減化学肥料

 無農薬、減農薬などの表示はできません」

 と、商品を返品されたので、法律を調べてみた。

 

(※ただ、一言、言って良いですか?

この産直の職員、窃盗してます。店に並べられた惣菜を夕方に勝手に値引きして買ってます。

設定した値段とレジを通った価格が違うのでこちらは分かってます。

犯罪者のいる産直の職員ってほんとうにどうなの?)

 

『農薬不使用の表示は違反ではありません。

違反に当たる表示は「無農薬」になります。』

 

https://www.rakuten.ne.jp/gold/hiryushop/saibaihyouji.html

栽培方法に関する表示について

 

特別栽培農産物における化学農薬や化学肥料を使わない栽培の表示について

「特別栽培*」のうち、農薬や化学肥料などを一切使用していないものについては、「農薬:栽培期間中不使用」「化学肥料:栽培期間中不使用」と表示することが農林水産省により定められています。

また、農薬や化学肥料を減らして栽培した場合も同様に、「農薬:当地比〇割減」「化学肥料:当地比〇割減」などのように表示します。

しかし、農林水産省の表示ルールに従って「農薬:栽培期間中不使用」「化学肥料:栽培期間中不使用」と記載した際に、消費者から「栽培期間外では農薬や化学肥料を使用しているということか?」「無農薬ではないということか?」など、多くの混乱を招く結果となり、問い合わせ件数が増えた経緯から、HIRYUでは誰にでも分かるように農作物等の商品ページ内では「農薬も肥料も一切使用していません」など、文章で表現することにしています。

また、こうした表示ルールの適用範囲外である一括表示の枠外における商品説明の表示の仕方に関しては、消費者の誤認を避けつつも、できるだけ簡単で分かりやすい表示をすることを目的として、「農薬・肥料不使用栽培」や「化学農薬・化学肥料不使用栽培」などの表記を採用しています。

 

*特別栽培とは

「無農薬」「減農薬」「無化学肥料」「減化学肥料」表示について、生産者によって定義が異なるため消費者に誤解を与えるとし、2004年に農林水産省はこれらの表示を禁止しました。

そして、農薬や化学肥料(窒素成分)の使用量が慣行レベルの5割以下である場合、「特別栽培」と呼ぶことと定めました。

なお、特別栽培農産物の表示をした場合の「天然栽培」「自然栽培」「自然農法」等の紛らわしい用語についても表示が禁止されています。

 

特別栽培農産物

その農産物が生産された地域の慣行レベル(各地域の慣行的に行われている節減対象農薬及び化学肥料の使用状況)に比べて、節減対象農薬の使用回数が50%以下、化学肥料の窒素成分量が50%以下、で栽培された農産物です。

 

https://www.maff.go.jp/j/jas/jas_kikaku/attach/pdf/tokusai_a-5.pdf

特別栽培農産物に係る表示ガイドライン

 

(7)農薬を使用していない特別栽培農産物における農薬を使用していない旨

「農薬:栽培期間中不使用」と記載するものとする。

(8)節減対象農薬以外の農薬のみを使用した特別栽培農産物における節減対象農薬を使用していない旨

「節減対象農薬:栽培期間中不使用」と記載するものとする。

(9)窒素成分を含む化学肥料を使用していない特別栽培農産物における化学肥料を使用していない旨

「化学肥料(窒素成分):栽培期間中不使用」と記載するものとする。

 

第5 生産及び出荷の管理の方法

1 生産ほ場の設定条件

特別栽培農産物を生産する一定区画のほ場(その集合を含む。以下「生産ほ場」と

いう。)は、他のほ場と明瞭に区別することが可能であって、かつ、確認責任者によ

る栽培の管理方法の調査等が随時可能な場所に設定するものとする。

2 生産者

特別栽培農産物の生産者(以下「生産者」という。)は、栽培責任者及び確認責任

者を定めるとともに、その生産及び出荷を行うにあたっては、次の事項に留意するも

のとする。

(1)特別栽培農産物の生産及び出荷が適切かつ円滑に行われるよう、管理組織を設置

する等体制の整備に努めるものとする。

(2)(1)の管理組織においては、生産者及び生産ほ場の登録を行うとともに、登録さ

れた生産ほ場の栽培管理状況及び生産ほ場からの出荷の状況等を計画的に点検し、

それらが特別栽培農産物の生産に適当でないと判断される場合には、速やかに当該

登録を取り消すこと等によって適正な生産及び出荷の管理に努めるものとする。

3 栽培責任者

栽培責任者は、次の事項を実施することにより、生産者が適切な生産及び出荷を行

うよう栽培管理又はその指導を行うものとする。なお、生産者は栽培責任者を兼ねる

ことができるものとする。

 

4 確認責任者

確認責任者は、次の事項を実施することにより、栽培責任者による栽培管理又はそ

の指導が適切に行われていることを確認するものとする。なお、確認責任者は、確認

内容の信頼性を高める上から、栽培責任者と同一でなく、当該地域の農業に精通し、

技術的な指導が可能な者であることが望ましい。

(1)確認責任者は、栽培計画の提出を受けたときは、栽培責任者と現地確認の予定等

について検討するとともに、生産者と生産ほ場の位置、栽培する作物名等を把握す

るものとする。

(2)確認責任者は、栽培計画の提出を受けたときは、その内容が別記5に沿って記載

されていること及び記載内容が特別栽培農産物に該当することを確認し、適正であ

ると判断した場合には、栽培計画の受領確認欄に確認の年月日及び確認責任者の氏

名(確認責任者が団体である場合にあっては、当該団体の名称及び代表者名又は担

当部署名)を付記するものとする。また、確認の結果、疑義があれば調査を行うと

ともに、記載の不備等があれば所要の改善指導を行うものとする。

(3)確認責任者は、栽培期間中に少なくとも1回以上生産ほ場に赴き、生産ほ場の状

況、栽培管理記録の記載状況を調査するものとする。

調査の結果、確認責任者が、別記6に沿って適正に行われていると判断した場合

には、栽培管理記録の現地確認欄に確認の年月日及び確認責任者の氏名を付記する

ものとする。また、確認の結果、疑義があれば調査を行うとともに、記載の不備等

があれば所要の改善指導を行うものとする。

 

 すげー、ばやっと書いてあるので、確認責任者って誰にすれば良いのかさっぱりだな。

 面倒くさいので、不使用表示はしないけど、使ってないことを使ってないと言ってダメなんておかしな世の中だ。

 

 

2025年12月19日

 

化学物質汚染について

 

 CS(chemical sensitive)化学物質過敏症というアレルギーがある。

 過敏症というネーミングはあんまり気に入らないが、化学物質にアレルギー症状を起こすという病態ということだけ、とりあえずの理解をしていただきたい。

 以前、症状の酷い方の症例を見た(読んだ)ことがある。当時は、まだ、「気の毒だな」と他人事だった。

 しかし、最近の化学物質添加は、気が狂っているとしか言いようのないほど、酷くなっている。特に洗剤。柔軟剤だけではなくて、洗剤そのものへの人工化学香料の添加量なんだろうか、質の悪化なんだろうか。いずれ、あまりにひど過ぎて、CSのりんかは外出が出来ないどころか、買い物に出かけて、或いは誰か人に会って帰って来た家族からの移香、更に買ってきた商品に付いている人工香料だけで呼吸器症状が出る。

 今年になって香料が本気でヤバイと実感するのは、朝バイトである。

 朝、数時間だけ、いかも週に数日だけのバイトなのだが、昨年までは、冬場は汗もかかないし上着は数日着ても別になんということはなかった。しかし、今年は、翌日続けて着ようとすると、移香のすさまじさで吐き気がするようになった。人工香料だけでなく、食べ物の匂いだろうか、体臭だろうか、そういうものが混じって悪臭と化しているのだ。ほんとうに恐ろしい。その悪臭は、生ごみとかではなくて、どちらかというと排泄物の匂いだ。

 スーパーへ行っても、店に入る前にすさまじい匂いがする。すれ違った人の匂いに頭痛がする。

 単純に、朱鷺(shuro)も発症したのか、或いは化学物質の添加が狂っているレベルに至っているのか。

 

 化学物質だけでなく、この異様な物価の上昇もどんな意図があるんだろうか。

 お金のない世界を目指しているという‘仲間’…‘同士’?がいるが、彼女の理想はどこまで進んでいるんだろうか。世界は逆の方向へシフトしているような気がしてしまう。

 

 一度、還暦を寿命と定めたことがあった。だけど、その後、Rakuen運営とかやりたいことが出てきて、もう少し先の未来も見たくなった。だけど、自ら設定したその寿命はもしかして変わらないのかも知れないと最近感じる。

 朱鷺(shuro)は、そのとき、何を考えるだろうか。

 

 

2025年12月19日

 

世の中の構図というかなんというか…

 ~世の中のすべての(野良)猫たちに愛を~

 

 特に顕著なのは時代劇。それからサスペンスドラマ系。

 目的が先か環境が先かは場合に寄るが、権力、地位、財力を得たニンゲンが、何らかの目的を達するために他者を虐げ、邪魔なニンゲンを、その得たものを使って始末する。

 時代劇では、一国の城主だったり、老中だったり、そこそこ力のある武家だったり、果ては寺社の関係者であったりする。いずれ、権力を得た者は、更なる権力を得るため、贅沢をするため。

 現代では政治に関わるニンゲンが最たる存在、そして、国どころか世界を牛耳ろうとする富豪の存在がそれであろう。

 時代劇でもドラマでも、大抵はその悪事を暴いて制裁を加えるヒーローが出てくるが、現実世界ではそんなことはない。世の中を正そうとする者は、闇から闇へと葬られることも多いんだろうな、と思う。

 

 もう一つ。

 拉致・監禁・暴力・殺人。という異常者の犯罪の犠牲になって死んでしまった娘。拉致・監禁・暴力…の果てになんとか逃げ出してきたけど、全身(顔も含めて)骨折だらけの重傷を負った少女。彼女は最終的にそのトラウマから逃れられずに自死を選ぶ。

 その遺族たちの壮絶な苦しみを描いたドラマがあった。

 被害者遺族を支援する制度は今はいろいろあることを知った。被害者遺族の会は有名だけど、警察の中にも支援エンターのようなものがあるらしい。その職員が(ドラマの中で)言っていたが、彼らは周囲の人々からの励ますための言葉や慰めの言葉にすら傷つき、すべての人間関係を拒絶するに至り、最終的に自分を責めてしまう、という。

 しかし、その周囲の掛ける言葉は、素人の俺ですら間違ってることが分かった。

「娘さんのことは忘れなさい」「もう一人お子さんを作りなさい」

 阿保か。

 まぁ、ドラマだからこその分かり易い事例だったんだろうが、良かれと思って掛けた言葉が相手を苛立たせるだけだったり、傷つけるものだったりするってことは、実はよく分かっている。知っている。実際に、いろいろ苛立ち、傷ついてきたから。俺が被害者遺族だったことはないけど、追い詰められた精神状況だったことがあるから。

 まぁ、だからこそ、そういう場合、どう言葉を掛けるべきか、或いは言葉は必要ないとか、どう寄り添うべきかをなんとなく分かっている。書籍でだけだが、カウンセリングの基礎もちょっとかじった。そもそも、臨床にも使う。

 娘を殺されたお母さんは、夫を病気で亡くしたシングルマザーだった。

 その、被害者遺族や犠牲者を、俺は「社会的弱者」とは言わない。

 法律家を目指す人は「弱い立場の人たち」を助けたいとよく言う。

 だけど、俺は、弱者を助けたいのではない。

 何を言いたいのかと申しますとだな。

 朱鷺(shuro)は、まっすぐに生きている人、頑張っている人、一生懸命働いている人、夢を抱いて必死に勉強している人、そういう人たちの一助になりたい。

 それが、‘野良猫の夢’プロジェクトだ。

 

 つまり、世の中のすべての猫たちに愛を(違う! いや、それもあるけど、そうじゃない”(-“”-)”)―

 

2025年11月23日

 

私信(一部抜粋)

 

 お菓子ありがとうヽ(^o^)丿

 そもそも、和多志は4毒とか5悪とか、ほとんど気にしてないので、ただただ嬉しく美味しくいただきます。

 大きな箱のものだけは、仏壇にお供えしたけど、それ以外はもう皆で分けました。

 

 君はいつでもすごく頑張ってて、周囲に気を使う人だけど、和多志は頑張っているつもりはないんだよね。いつだったかなぁ、あるときから、「頑張る」ことはすっぱり止めて今に至っているから。

 今目の前にあって出来ることを淡々と尽くしている。

 ニュースも観なくなったし、海外のドキュメンタリーみたいなやつとか、野生動物の現状とかも、ホッキョクグマが温暖化で追い詰められていることを知ってから、なるべく観るのを止めた。感情が振れることが疲れるようになって、感動的というより悲しみでお涙必至という物語も読めなくなった。人間ドラマも面倒くさくてダメ。

 とりあえず問題が解決して終わるサスペンスドラマが一番良い、ってなっちゃう。

 それは、いったいどういうことだろうか。

 時雨の友達が亡くなったときは、彼のお母さんの心を思って衝撃だったけど、叔父ちゃんも伯母さんも、もっと前の伯父さんのときもだったけど、彼らの死に対して、別に、まったく悲しくはなかった。彼らは自らの人生をどのように捉えて逝っただろうか、とちょっと思っただけだった。

 それは、たぶん、父母が亡くなるときも同じだろうな、と思う。もっと言えば、自分が死ぬと分かったとき、和多志はどの程度動揺し、抵抗するだろうか。それとも、出来ることはやったから、とスッと受け入れられるだろうか。そんなことも時々思う。

 震災を経て益々身に迫ったのは、ある日突然死んでしまうことが起こらないとは限らない、という実は当たり前の現実を知ったということ。

 量子力学? いや、別にちゃんと勉強していないから実は理論も何も分かっちゃいないけど、そもそも物理的なことや科学的なことが世の中を成り立たせている訳ではないことだけは理解している。病気も物理的な理由では起こらない。病とは魂に宿るもの、生き方の歪みとか、波動の不調和とか、それが物質的に影響を及ぼしている。それも頭では理解している。つもり。

 何を言いたいのかというと。

 何が出来るのか、と言えば、とにかく、「今、目の前にあること」に真摯に向き合うこと。だけど、そうしなくてはならないということでもなく、そういう生き方をしたいから、そうしている。魂に宿った歪みはたぶん今世では正すことは出来ない。何より自分が嫌いだ、という刃は、常に自分の魂を切り刻み、血を流し続けている。でも、仕方がない。それは、もう変えられない。

 それでも、楽しい時間はあるし、笑えることもある。嬉しいこともあったり、美味しいものを食べて幸せになったり、好きなことを思う存分やってわくわくしてみたり、未来に希望を抱いてみたりもする。

 そのことのみに集中しようと思う。

 焦ったりイライラしたり、怒り狂ったりもするけど、それはそれで刺激だし、そんな中でも「手が届くこと」には最大限尽くしていくこと。

 手が届かない世界を憂いたり、モラルのない人種に憤ったりするのは、若いときだけで充分。そこに人生の目標を見つけて、すべきことを見つけるのは人生がこれからの世代であって、余生が近づいている今心を振られたくない。新しいことに挑戦してみるとか、それまで避けてきたことをやってみるとか、そういうことではなく、人生を丸ごと投入する必要のあることには、もう手を出せないということ。

 身の程を知ると言うか。いや、ちょっと違うか? 人生の終盤に至っていることを受け入れるというのか。

 

 叔父さんや伯母さんの死ではなく、最近の家族の怪我と入院に一番衝撃を受けて、そして、通りかかって家に知らせてくれた人が(超!知り合い)だったと知ったりして、なんだかいろいろ心に引っかかり、もやもやしたり、焦燥みたいなものがあったり、不安が押し寄せたりして、今までにない感じになって。

 四国にお遍路に行こうと突如思い立ちました。

 3月に相方と3~4日程度、行ってこようかと思ってます。恐らく何年かかけて。達成が目的ではなくて、お遍路に出ることがとにかく心の安寧に必要。宗教ではなく、信仰が必要。

 和多志の体力ありそうなとき、春先の農作業が忙しくなる前とか、ちょっと遊びに行きたいとは考えている。どこかに出かけなくて良いから、家でゆっくり料理作って食べたり飲んだりしたいね。

 

 

2025年11月18日

 

JAFさんにお世話になったこと。秋晴れの空の下思ったことetc

 

 昨日のことである。

 午後14時過ぎくらいだろうか、りんかがギョーザを食べたいと言うので、雪松餃子を買いに4号線を走った。雪松とは、無人販売をしている小さな店で、駐車場もそれほど広くないし、買いに行って他の客に会ったことがないという程度の店だ。自宅からけっこう(?)遠いので(地元のスーパーに比べればという意味だが)、りんかはスーパーの普通のギョーザでも良いと言っていたのだが、俺も食うし、そもそもギョーザって手作りしたやつ以外あんまり食いたくないので、せめてマシな雪松にしようと思った。

 店の場所を正確に覚えていないので、とにかく看板が出ていないか常に気を付けながら走った。

 だいぶ進んで、信号待ちで止まったとき、ふと見るとその道脇が雪松だった。そのとき、信号が変わって少しでも進んでから駐車場に入れば良かったのだ。それなのに、俺はそのとき、「ここじゃん!」と焦って、そのまま駐車場に入ってしまった。そしたら、道路わきの縁石に乗り上げてしまい、タイヤが変な音がし、更に車体の腹をこすってしまった。

 駐車場に停めて、車体を確認してみたが、そのときはよく分からなかった。

 買い物をして、外に出て帰ろうとしたとき、タイヤがおかしいことに気付いた。慌てて下りて確認すると、前輪左側がぺしゃんこになっていた。パンクだ。

 これは、走れない。

 九州に車で行くと決めた年に、JAFに入会した。今まで幸いにもお世話になることはなかったが、初めて電話してみた。受付の方はとても丁寧に対応してくださり、車種や状態、場所を確認後、レッカー車到着まで50分程度掛かります、とのことだった。どこかいつもご利用されている修理工場などありますか? と言うので、ディーラーに行ってます、と答えた。

 その後トイレに行きたくなって、近くのドラッグストアまで歩いて行った。

 戻ってからディーラーさんにタイヤの在庫を聞いてみると、いつもの営業の方が折り返して下さり、パンクの事情を聞くと、とりあえずタイヤをお貸しします、とのこと。状態を見させていただきたいのでいらしてください、とおっしゃってくださった。

 30分後には、エンドウさんとおっしゃる方から再び電話があり、あと10分程度で着きます、と。

 時間通りいらしたエンドウさんは、タイヤを貸しますので、ディーラーさんに行ってタイヤを交換してもらってください、と言った。

 タイヤ交換してくださっている間に、その店に連絡を入れて、駐車場で作業する許可をいただいてくださいと言われたので、店に入って壁に貼られた電話番号を見つけ、電話してみる。メッセージを入れて切ると、数分後に折り返しの電話があったので、買い物に来た際に縁石に乗り上げてパンクしてしまったことを話し、JAFさんが駐車場で作業させてもらうことの許可をいただいた。

 そして、タイヤを貸してもらい、返却は今日明日ということでサインをし、寒い中作業ありがとうございます、タイヤは交換後、JAFまで返してもらうか、そのディーラーさんに置いていてもらえれば良いと言われ、分かりました、とディーラーに向かった。

 と、ここまでは良かったのだ。

 ディーラーに着いて担当の方が出て来てパンクしたタイヤを見て、これは、組み換えになります、タイヤを手配して組み換えするまで時間をくださいと言われた。金曜日くらいまで、と。

 えっ??? じゃあ、タイヤはこのままで…?

 慌ててJAFのエンドウさんに電話を入れたら、ものすごく渋い声。出来るだけ早く返していただきたい、他のお客様にもお貸ししなければならないので、と。そりゃ、そうですよね…。申し訳ありません、交換したら朱鷺(shuro)がすぐお返しに行きます、と申し上げた。

 はぁぁぁぁぁぁ…。

 タイヤ代金も掛かるし、こうやって方々にご迷惑をお掛けすることになってしまったことにもテンションがダダ下がり。

 金曜日にはいろいろ出かけなければならないので、ディーラーさん、なんとか木曜日までにタイヤを交換していただけないでしょうか…。

 

 昨日は一日風雨でそもそも「なんだかな~」の日だった。今日は天気は良いが、風が強く、やはり「なんだかな~」の日である。

 秋晴れとはいえ、気温が低いと動きが鈍くなる。鶏たちも、あったかいハウスの中でぬくぬくして外へ出ない。クロムグループはそれでも外に出てウロウロしているが、クロムたちの小屋は割と日陰で寒いし、昨日は一日外に出られなかったからなぁ。

 「迷惑を掛ける」ということに日本人は敏感である。そして、今、テレビでは「迷惑を掛けること」が悪であるというキャンペーンで保険を推し進めている。つまり、死亡保険に入って葬式代や介護費用を用意しておけ、というやつだ。子ども達に金銭的な迷惑を掛けることは悪なんだそうだ。

 どこの国だったか忘れたが、迷惑を掛けられてもそれはお互いさまなんだから、と教えるそうだが、日本ではそれは許されないらしい。

 その洗脳は強烈で、朱鷺(shuro)は「迷惑を掛ける」ことにものすごく罪悪感を抱いてしまう。これはもう無意識にパッとそうなるので、止めようがなくて、身体がぎゅっと縮こまる。血流が悪くなって身体が冷えて、身体機能が落ちる。

 これは、親からの洗脳なんだろうな。

 だから、「周囲に迷惑を掛けないことなら、何をやっても良いと思う」みたいな思考に至るのだ。まぁ、それ自体は良いと思う。趣味や嗜好や性癖、おかしくたって、変わってたって、変態であろうと、周囲に迷惑を掛けずに本人だけが楽しんでいるのなら、それは別に良くね? と思う。それが、動物虐待とか殺人とか、犯罪に至るようであれば、許されないことってだけ。

 ハナシが逸れた。

 要するに、現在、朱鷺(shuro)は意気消沈しているのダ、ということか。

 ハウス内を見に行ったら、柑橘類を植えて、せっかく周囲を網で囲っているのに、中に入り込んでいたずらしたらしい痕跡を発見してブチ切れたし、数年放置してしまった葛の根がものすごく太くなっていて恐れおののいたし、まぁ、いろいろあります。(何が?)

 鶏たちには、現在、輸入の配合飼料はほとんど与えずに、友人から買ったくず米と、近所の方からいただいたもの、そして、家のピーナッツやRakuenで採れたポップコーンなどを与えている。ヨモギの葉を食べているのを見掛けたし、あとは豆類もちょっと砕いてあげてみたが、かしわ達は何でも食べたのに、juniorたちも他の鶏たちも、豆をあまり食べないようだ。かしわの悪食、大食いが懐かしい…。

 Juniorたちは、育てのさっちゃんよりも大きくなっても、やはりママはママらしい。さっちゃんは母性本能の塊だからなぁ。メルハなんて、今は一番十六夜をイジメる意地悪ばばぁと化しているのに。

 

(群れを守ろうと(?)朱鷺(shuro))の前に立ちはだかるダンテ)

(これ、何? 虫の卵???)

(栗の実生? 勝手に生えたらしい…)

(松の木も成長してきたよ♪)

(タチアオイ芽が出たよ♪)