Rakuenありす ~自然農園/農薬・化学肥料不使用

Rakuenありす ~自然農園/農薬・化学肥料不使用

孵卵器で孵ったペキンバンタムとポーリッシュの雛ダンテ。
生まれて初めて育児ノイローゼを体験したヒヨコ育て。
ダンテの娘アビーは神経質で、
乱暴者で大食いいたずら坊主の南部かしわ鶏。
棲息生物の方が運営者より強い「Rakuen」日誌です。


鍼灸師
トウリーダー
クリスタルヒーラー
ライター

完全予約制:
鍼灸施術        3,000円より
クリスタルヒーリング  3,000円より
トウリーディング 90分 8,000円

ありす鍼灸治療院/朱鷺(しゅろ)
連絡先 shuro.fate@gmail.com 

2026年7月25日

 

風、薫る ~私信に代えて

 

 NHKは、報道はクソだけど、ドラマは質が高い。

 これは、りんかの言葉だ。

 報道は政府広報とSNSの紹介という価値のないシロモノなんで、ほんとうに民間に譲った方が良いレベルなのは周知(羞恥)の事実。

 だけど、深夜ドラマ(いや、深夜には観ない。日中の再放送でたまに観るのだが)なんかもそうだし、朝ドラもそう。すごく質が高い。見応えがある。監督さんの志もだし、レベルが高いんだろう。

 

 脈動。

 直美さんと初代夕凪、柳川文さんの週だった。

 お守りと文さんの髪飾りの布が同じだと気付いた直美が、寛太に柳川文のことを調べて欲しいと依頼する。そして、文さん本人にも直接ぶつけてみた。「わたしの母親ですか?」と。

 今日は調子が良いのでちゃんと料理をした、と手料理を振る舞う文と、食卓に就いたときに。その質問を受けた文の静止した横顔が答えだったよな、と朱鷺(shuro)は思った。

 赤ん坊を名前も付けずに捨てるような女に見えるんですね? そう答えた文。そんなひどいことをするような女に、と。

 それはつまり、自分は、そんなひどい女だから、親だと名乗る資格なんかないのだ、ということだよなぁ。

 直美さんに気がある内科医、藤井先生。彼の休みの日に往診を頼んで、文を診てもらった。本人には「ひどい胃炎」と告げたが、直美さんが「母親なんです。…母親のような人です」と聞くと、胃がんであること、すでに全身に広がっているので手術も治療法もないと教えてくれた。

 医者は、治療法のない患者には出来ることはない。だけど、看護は必要。だから頑張って、と。

 母親ではない、もう、来なくて良いと言い出した文に、嫌がられても来ます、と帰宅した直美。

 環がりんに助けを求める手紙を送り、りんが急遽休みをもらって急いで帰って来た。

 文さんにどうしてあげれば良いのか分からないと悩む直美に、りんは言った。それは、違うと思う。文さんにどうしてあげるかじゃなくて、直美さんは子どもなんだから、したいようにして良いんだよ、看護婦しなくて良いんだよ、と。

 直美は、文にほんとうの病名と余命を告げた。すっきりした。ありがとう。悩ませてしまってごめんね、と微笑む文。

 何かしたいこと、行きたい場所、会いたい人はいませんか?

 看護したまま横で一緒に眠ってしまった直美を、ふと目覚めた文が身体を起こしてじっと見つめる。その表情が「慈愛」だった。ああ、母の顏だ、と思った。赤ん坊だったときの面影を見ているのだろう、そして、成長した我が娘をこれ以上ないくらいに愛しい思いで見つめていたのだろう。後で美津が言ったように、もう他に何も要らないくらい幸せな瞬間だ。

 そして、直美の胸元に僅かに見えるお守りを見つけたとき、文は、そのお守りを買ったときを思い出した。

「ここ(浦崎八幡)に来た頃が一番幸せだった」

 直美さん、やりたいことがあります。

 寛太が二人を浦崎八幡まで連れて行ってくれた。そして、ここの神様にはお世話になったから、とお礼参りを済ませた文。

 成長した娘の姿を見ることが出来た。良い友人に出会い、思いを寄せてくれる男性の存在を知り、周囲にたくさん素敵な人たちがいる。娘に手料理を食べさせ、最後に一緒にささやかな遠出をした。

「わたしなんかと違う。あなたは大丈夫」

 そんな言葉を遺して、文は恐らく思い残すことなく旅立った。最後まで母だと名乗ることはなかったが、母子としての心の交流、お互いの想いの交錯、愛憎も感謝も謝罪もほとばしるように激しく二人を取り巻いていた。空気の密度がすさまじかった。

 帰宅して、環の寝顔を見て、「どうしてでしょう、寝ているときが一番かわいい気がします」と言った直美。「それは簡単。親だから」と美津。

 直美が環の二人目の母なら、美津は直美の二人目の母なんだと言った。だから、直美の寝顔も可愛いもんだと。一人目のお母さんはもっとだったでしょう、赤ん坊だった直美の寝顔を見て、成長した娘と過ごせた時間はかけがえのないものだっただろう、と。

 よく、頑張りました。

 泣きじゃくる直美を抱いて、美津は言った。

「狭い部屋に二人、直美さんの名前を呼びながら過ごした時間は人生のこれ以上ないご褒美だったと思いますよ」と、卯三郎が、文から託されていた遺品(全財産)を直美に渡すときに言った。

 

 りんと直美の、家族として、友人としての関係性が、とても良いな、と思った。

 そして、直美を取り巻く男性たち。藤井先生、寛太、軍人さん(名前忘れた)。きっと、直美は軍人さんと一緒になるのが一番幸せだと思う。明るい方へ引っ張ってくれるから。

 

 そして、感想というより批評だけど、文さんの雰囲気が出てきたときからすごく独特で、女郎上がりの直美の母だという設定が分かってからは、ものすごくしっくりきた。遊郭で人気者だっただろうというしなやかさ、恋愛事情に鋭くて、他人との距離の取り方が絶妙で、それが冷たいわけでもなく、情のある整い方をしている。

 直美の芯が情熱的なのに、表面的に冷めた振りをして、傷つかないために初めから壁を作る生き方が血なんだと思えた。

 意地っ張りなところが似ていると卯三郎が言っていたが、まさにその通り。二人は母子なんだと納得出来る。そういう細やかな設定がそもそもすごいなぁ、と感嘆する。

 ドラマの質が高いよ。NHKさん、報道は諦めて、ドラマにもっと予算使ったら良いんじゃない? NHKのニュースなんて誰も観てないし信じてないよ。

 

 そして、この週の流れを眺めながら、ハルくんとの別れを思った。

 ハルくんは、何を思って逝っただろうか、なんて考えている時点で、朱鷺(shuro)は、未だこの別れをまったく整理出来ていないし、腑に落ちていないし、別れの刹那、凍り付いた狭間に堕ちたままだということ。思い出として何か語れもしないし、渦中として悲しみ苦しみを言葉にすることも出来ない。

 静止したまま、ずっと時間だけが過ぎている。

 だから、ごめんなさい。

 メッセージへの返信が出来ずにいます。

 

2026年7月19日

 

花火のような君へ

 

 花火のようとは。

 華やかで艶やかで夏の夜空を盛大に飾る至上の美。

 存在そのものが明るく華やぐようで、そこにいるヒト達を笑顔にして、元気にして、笑わせてくれる存在。

 そして、君が去ったあとは、夏祭りの花火が終わったときのような名残惜しさと寂しさと、光があったからこその闇の存在に我に返ってしまう。

 それでも、朱鷺(shuro)が作ったものを何でも喜んで食べてくれる君の存在は、心から嬉しくて有り難くて、感謝しています。

 

 ハルくんの不在を一緒に悲しんでくれてありがとう。

 泣いてくれてありがとう。

 

 ハルくんが消えた日、クチナシの花が咲きました。近所の方から挿し木したらしいものを鉢ごといただき、何の植物なのかさっぱり分からないまま数年経過。今年初めて花を付けました。

 クチナシの花ってほんとうに良い香り。どこか清らかな、こころ洗われるような香りがしました。

 そして、先日ユリの花も咲きました。昨年は異常な暑さと乾燥で、害虫が大発生し、蕾が虫に喰われて咲かなかったユリ。今年はたくさん花を付けてくれました。

 ハルくんがいなくなっても日常は続いて、今日は、鶏が一羽更に狐に狩られたりして。かしわjuniorのきーちゃんの忘れ形見の最後の子がいなくなってました。

 狐に喰わせるために育てているんじゃないぞ、と思うのと同時に、強烈な虚しさを感じました。

 Rakuenは確かに朱鷺(shuro)の個人的な道楽みたいなものだけど、誰も共感も共有もしてくれない現実にこころが次第に疲弊して。

 見送ることにだいぶ疲れ果てた気がします。

 

 今年は…

 来年は…

 と、Rakuen生活を楽しんで、今年は豆の種類を増やしたよ。

 紫色と白色のインゲンを蒔いて、花が咲いて、この梅雨空で豆が華麗に実ったよ。

 

 ハルくんがいなくなっても続くRakuen。

 朱鷺(shuro)がいなくなっても、Rakuenはそこに在るのだろうか。

(これ、たぶんハルくんの毛)

 

 いつまでも悲しんでいたら、亡くなったヒトは喜ばないよ、とか、復讐なんかしたら悲しむよ、とか言うけど、亡くなった魂はもう喜びもしないし、悲しみもしないよ。

 何かに執着して留まり続けている霊でない限り、特に動物たちの魂は清らかで軽いから、きっとあっという間に天国へ旅立ったんだと思う。

 「死」とは、執着から解放されるかどうか。

 手放して、軽くなって、飛行機の離陸の瞬間を味わうように、フッと重力から解放されたい。

 

 

2026年7月18日

 

優しい思い出であれ

 ~追悼・ハルくん

 

 7月14日。ハルくんが消えた。

 前の晩、妙に焼き魚を食べたいとねだった姿が強烈に心の中に残ったままの、後悔のような痛みを引きずった朝。いつもなら、カフェちこと一緒にミッチもハルくんも「そろそろご飯の時間かね」と勢ぞろいする時間。その日は、カフェちこしかいなかった。

 そのとき、ちくりとしたイヤな予感はした。もっと言えば、前の晩に、いつもならそうでもないハルくんが、焼き魚の匂いに反応して、しつこくねだって鳴く姿が妙に心に引っ掛かっていて、いつも、「しょっぱいからダメだよ」とあげないのだけど、その夜は、老い先短いであろうハルくんが、こんなに食べたがっているのなら、あげても良いのではないかと心の奥底でひっそり思ってしまってた。

 通常なら、多少塩抜きして与えていたかも知れない。その夜、通常ではなかったのは、朱鷺(shuro)が、本気で疲れ果てていたということ。気力も体力も思考力も恐ろしく低下していた状態だった。自分の食事すら面倒なくらいで、結局、焼いた魚をその夜は食べずじまいだったので、どの程度しょっぱかったのかすらよく分かっていなかった。

「あさって、ゆっくり(猫と鶏用の)魚を焼いてあげるから」

 と、欲しがるハルくんをなだめて終了してしまった。

 しかも、その日の朝に与えた餌が皿に残っていて、廃棄するか他の猫が食べるのか…という面倒くさい状況で、それに対しても文句を言ってしまった気がする。

 それが、最後だった。

 翌朝、ハルくんは消えた。一日姿が見えなかった時点で、命は諦めた。そもそも、すでにもう骨と皮だけのように痩せ細っていて、歩く際もよろよろとし、椅子の上に飛び乗ることすら難しそうだったのだ。

 ミッチよりも若いハルくんが、突然そんな状態になってしまったのは、昨年の年末辺りからだった。それまで、毎日のように…いや、数日おきくらいに、ネズミを狩ってきて玄関先で食べるくらい元気だったのに、突然のことで、いったいどうしたのか分からなかった。毒でも食べたのか? ネズミや蛇に噛まれでもしたのだろうか。

 それでも、一時期、ほとんど食欲のなかったハルくんは、ここ数か月少しずつ食べられるようになり、ハルくんが食べるフードを常備する程度には回復していた、と思っていた。

 ハルくんは、それまでにいたどんな猫たちより、良い子だった。優しい子だった。きょうだいでもらってきたロイチャの仔猫の面倒をみてくれるくらい優しいお兄ちゃんだったし、新入り猫を受け入れてくれるのはいつでもハルくんだった。

 やんちゃだった頃のハルくんのことを思い出すと、優しい気持ちになる。

 何かを植えようとしてしゃがんで畝に穴を掘っていた朱鷺(shuro)の隣に来て、「穴を掘るんだね」と隣を掘り始めたことがあった。それは、ほんとうに「分かっていて」やっている行動のようで驚いた。

 ロイチャの仔猫たちが、外でいつまでも遊んでいるので、「ハルくん、連れて来てちょうだい」と言ったら、ほんとうに仔猫たちのところまで行って呼んで来てくれたこともあった。

 まだ水を抜いていない風呂桶の中にはまって溺れそうになったこともあったのに、お風呂に入っているりんかのところへ行って、半分だけ閉まっていた蓋の上に飛び乗り、その勢いで蓋がずれ、腰までお風呂に浸かったこともある。

 家に憑いた悪霊に怯えて鳴いた夜もあった。

 いつかこの日が来るであろうことを、突然ではあっても、少しずつ家族に知らせていたハルくん。

 だけど、前の晩、あれほど食欲のあったハルくんが、夜中に突然死を悟って出て行ったなんてほんとうだろうか? むしろ、狐にやられたのではないかという気もする。

 いずれにしても、後悔ばかりが残る別れだった。

 ねむちが交通事故で死んでしまったとき、その遺体を抱いて号泣した朱鷺(shuro)。

 ハルくんがそれを知っていたかなんて分からない。

 だけど、どこまでも優しいハルくんは、朱鷺(shuro)がそんな風に泣かずに済むように、ひっそりと姿を消してしまったのかも知れないと思った。

 ああ、ハルくん。

 ぽっかりと空いた穴。ぼんやりしてしまうような無気力な日常に埋もれて、ただただハルくんの形の穴が暗く大きく重くなっていく前に、今、ようやく泣くことが出来たよ。

 ハルくん。

 ハルくん。

 ハルくん。

 君は、まっすぐ天国へ行ったんだろうね。

 君のような清らかな可愛い魂は他に知らないよ。生涯、もう君みたいな猫には出会うことはないだろう。

 ハルくん。

 優しい思い出をありがとう。

 朱鷺(shuro)は、自分との関係性が一番重傷で、いつでも一番自分を憎んでいるけど、君の優しさに触れて生きた時間はかけがえのないものだったよ。

 君との優しい思い出まで後悔と懺悔だけで汚してしまわぬように、いつかまた会える世界を夢見て生きていくよ。

 

 

2026年7月12日

 

Rakuen便り 7月前半

 

 ようやくまとまった雨が降った。今日は一日中雨。すごい雨だ。外の鉢植えの植物たちは、久々の雨に喜んでいるようだ。

 今年は梅を三回漬けている。同じ梅を三回漬けにしているとかではなくって、もちろん梅の実は都度新たなものを漬けている。まず、首都圏にいる家族が、朱鷺(shuro)に梅干を作って欲しいと、6月の中頃にメルカリで買った青梅を送ってくれたため、6月に1度目を漬けた。これが早速失敗した。最初の仮漬けの時点で梅の実がカビてしまった。え~っ、青梅もカビることってあるんだ?

 6月27日漬け汁がせっかく出ていたのに、汁は廃棄、そして、梅の実は洗って熱湯消毒して、カビをふき取って天日干しをしてみた。

 数日干して、29日、市販の赤シソの葉を入れて本漬けして今に至る。見た目、なんとか梅干しになっている。

 メルカリ梅を本漬けした同じ日、家の梅の木から収穫した青梅を仮漬けした。この梅、ちょっと収穫するのが早かったみたいで、実は収穫後数日待って漬けたもの。しかし、こっちも仮漬けの時点でカビてしまった。しかも、あまり漬け汁があがってこなくて、梅の実がぺったりと柔らかくならない。と、なんだかもやもやする結果になった。

 それでちょっと納得いかず、7月8日、町内の産直を何か所かまわり、青梅を買い漁った。4k分くらい? 占めて1768円分。

 同日、仮漬け。天日干しした家の梅は、本漬けにしてみた。そして、昨日から仮漬け梅は保冷庫。またカビるとイヤなので。

 さて、3回目の梅干しはうまくいくのだろうか。ちなみに、赤シソは、知り合いから買ったものが結局足りず、Rakuenに生えているものをチマチマ収穫しては塩もみして保管している。3回目の子たちが本漬けになるまでに適量たまってくれることを祈る。

 7月に入って、今までやらなかったことをした。

 なんと! 紫陽花を買った。そんな大したことか? うん、あのね、紫陽花って、土を選ぶとか気難しいとか散々噂を聞いていて、欲しいな~と密かに思っていたのだけど、ずっと恐れをなして躊躇していたのだ。

 しかし、ホームセンターで1408円のものが、300円にまで値が落ちていたのだ。こ…っ、これはっ! 朱鷺(shuro)に買えってことだね? と思わず心が躍ってしまった。全部で7鉢あった。3本分くらいで良いかなぁとか、5本にしようかとかいろいろ考えた挙句、全部買った。2100円分。

 以前、別のホームセンターで、ギンモクセイとモクレンが3つ並んで売られていた際、それぞれ一鉢ずつ抱きかかえて立ち上がった途端、残された一鉢が「えええっ?」と言った気がした。それで、結局、その子も「Rakuenに来るかい?」と連れて来てしまって、今はRakuenで元気にしている。いや、嘘です。ギンモクセイの一本は、風がやたらと当たる場所に植えてしまったため、上の葉を落としてしまっている。けど、根元は生きていて葉が付いているので、今後、大きく丈夫に成長してくれることを願っている。

 さて、紫陽花だ。

 ネットで定植の方法を調べた。腐葉土が必要とのことで、買いに行った。そして、翌日植えた。根元から新しい芽が出ていたり、とりあえず元気だ。

活着するまでは水を切らさないようにということだったので、毎日夕方に根元に水をやっていた。(沢から汲んできた湧き水を)。

 7月に入ってすぐ、風呂場の屋根の壊れた部分に巣を作っていた雀の雛が巣立ち(2回目と言う噂)、賑やかなのが終わってホッとしていたら、カフェちこが雀を何度か獲ってきて、せっかく増やしたのに、猫が更に数の調整をしているのか…という気分。

 昨年から大玉トマトをカラスが荒らして、ヒトがさっぱり食べられないので、トマトの周囲にテグスを巡らせたらそれ以来、被害はなくなった。それから、トマトの枝を取って水に挿していたら、根っこが生えたので、それを空いた畝に植えるということを数回。

 テグスで守っていた梅の実が2個完熟して落ちていたので、昨日は、それを植木鉢に埋めてみた。梅の木を増やしたい。

 毎日草刈りと草取りに追われていて、ネズミが喰うのでジャガイモも早めに収穫した。

 そして、10日はお稲荷さんのお祭り。

 今年は品数が充実していたヨ♪

 ミニトマト。きゅうりの合わせ酢、茄子とオクラの揚げ浸し、ジャガイモのフライ、ゴルゴンゾーラチーズとトマト入り(卵にはケールも刻んで混ぜた)オムレツ、散らし寿司、稲荷寿司。

 今日は比較的涼しいが、昨日までの数日間は地獄の暑さだった。気温がすごく高いのではなくて、湿度が高くて、黙っていても汗がぼたぼた滴るような暑さだった。しんどかった…。

 

(近所の人が竹を機械で刈り倒していたので、それを竹串としてもらった♪)

(ジャガイモを食い荒らす虫。こいつは、ウリ科の苗も食いちぎって殺してしまう→虫は鶏が美味しくいただきました)

(熊騒動の顛末? 家の周囲の田んぼに熊の足跡があった。幼獣と言われていたが、ほんとうに小さかった)

(狐におしりを食いつかれて未だに痛々しいクロム)

(豆の花たち♪)

(激しい雨を眺めるハルくん=^_^=)

 

2026年6月22日

 

朱鷺(shuro)の存在価値のない日々

 

 雨が降ると、外で作業が出来ない。まったく出来ないわけではないから、一応見回って、必要なことはやっているが(きゅうりの誘引とか、葡萄の支柱の手直しとか、写真を撮るとか、植えた苗たちの成長具合を見てほくそ笑むとか、ポップコーンやひよこ豆の発芽率が悪くて悲しむとか)、そもそも、雨でドロドロ状態になっている土をいじってもあまり意味はない。自分が汚れるだけで、後日やり直さなきゃならないことが多い。

 何より、田植えをしてからほぼ毎日、用水路から水を汲んできて陸稲に水やりをする、ということが必要なくなって、なんだか、存在価値がないわ~…という気分になっている。

 なので、空いた時間に裁縫をしたり(穴の空いた作業着の繕い物)、飯米の精米とか(これも湿度があるときには向かないので、当座の分だけ)、掃除とか…程度。

 確かに雨は欲しかったよ? 毎日陸稲に水やりは大変だったし、熊は出るし、タヌキも出るし。

 でも、こんなにずーっと降らなくて良いのに。

 降らないときは水不足。降れば水害。

 気温も、結局肌寒いところまで涼しくなっちゃって、実は、風邪をひいた。今のことじゃなくて、先週だけど。夕方から夜にかけて、ちょっと寒いなぁという日が続いたのだが、その前が暑かったので、もう長袖のものはだいぶ整理してしまっていた。せっかく洗濯してしまい込んでいたので、もう引っ張り出すのが面倒くさかった。そして、ばっちり風邪をひいた。

 久しぶりに熱が上がった感があったが、予定されていた仕事はこなし、予定されていたイベントスタッフもこなした。

 そして、夏風邪はなかなか治らない。

 

 そういえば、つい先日、再び鶏が狐に襲われた。家の前に人はいたし、朱鷺(shuro)もRakuenにいたのだが、相変わらず白昼堂々。それまでずっと外で遊ばせてやれなかったので、クロム達をちょっと外に出していたときだった。

 結局は、クロムの尾羽がむしられて終わったのだが、メルハは怯えてしばらく出てこなかったので、他の子たちを小屋に入れて、メルハの帰りを待って扉を開けていた。

 しかし、鶏って3歩あるくと物事を忘れるっていうのは本当なのだと感心してしまった。

 最初は運動場にすら出て来なくて、ほとんどの子が卵を産む方へ入っていたのに、その内、ケツが赤むけ状態のくせにクロムまで外に出て来て遊んでいる。

「バカなの?」

 なかなか出てこないメルハ。喉元過ぎれば熱さを忘れて、外に出てくるバカども。

 しばらく放っておいたら、いつの間にかメルハが合流していたので、ようやく皆追い立てて小屋の扉を閉めた。

 

水稲6月9日

水稲6月22日

陸稲

収穫物

ハウス南側のクレマチス🌸

 

 

 

 

2026年6月21日

 

野生動物との共存

 

 ニンゲン同士の共存も難しい生き物なのに、他生物とお互いに共存共栄なんて大変だねぇ。

 温暖化に寄って北上してきた日本鹿。それまで普通に生息していたカモシカ(天然記念物)の生存をおびやかしているという噂もさることながら、道路に飛び出して走行中の車に体当たりし、車を破壊するということをやらかし、春に植えた野菜苗を軒並み喰いつくし、田んぼの水稲苗を食い荒らし、果樹園に張り巡らされた電柵を飛び越えたり、なぎ倒したりする。

 ニンゲン側から言ったら迷惑この上ない。さっさと南にお帰りいただきたい。Stop! 温暖化!!

 それから、外来獣のハクビシン。やって来た国がそもそも気に入らない。かの国のニンゲンも日本に立ち入らないでいただきたいくらいだ。

 幸い、ハクビシンに関してはRakuenでは直接的な被害はない。こいつらが出没するようになったら、鶏がすべてやられるだろうから。

 狐は、困ったもんだが、なんだか、狐やタヌキは憎めない。もともと隣人だったからであろうか。

 そして、最たる加害者、ツキノワグマ。

 熊と共存なんて、そもそも可能なのか?

 これまではしっかりと棲み分けが出来ていて、お互いに不可侵だったからそれぞれがそれぞれ生きてきたというだけだ。ニンゲンが多少山菜取りや登山で山に入っても、遭遇しなければ問題なかった。相手もニンゲンに会いたくなかったからだ。

 しかし、今はもう違う。熊が人里に下りるのは、食べ物を探しているから。そして、明確にニンゲンも食料認定されているのだろうと思う。

 そうなった以上、もう「共存」なんて言っていられない。弱肉強食の世界に突入だ。

 ニンゲンが今後も生き残っていきたいのなら、鹿も熊も、せめて個体数管理するしかないだろう。とはいえ、それも簡単ではない。猟銃免許を持っている方々の高齢化、新たに免許取得者の養成にも時間が掛かり、技術・勘・才能が必要。

 生き残っていく、ということに関しては、すでに危機だよな。どんどん狂っていく気候に加えて、上限が見えない物価急上昇が進行中。見えないのは、出口。行き先。先細る道。閉塞感。

 未来でオーダーしたことが現在目の前に届いているなら、この現実も自分で招いたんだろ、という理屈になるように感じるけど、そうじゃないと思う。金融も生き物だとか、市場が意志を持っているだとか言われるように、風の時代に入って、世界という軸はベツモノなんだろう。時間の流れも、それ自体は独立したもので、その流れの中に「目」がそれぞれあって、浮いたり沈んだり泳いだり溺れたりしているんじゃないかな。

 いや、朱鷺(shuro)も明確なイメージがあるわけじゃない。ただ、ニンゲン…う~ん、日本人? 全体の集合無意識はあるだろうし、人類としての集合体もあるのかも。それから、それぞれの種の集合無意識も。群れで暮らす小さな生物は、そもそも個のレベルの意識自体が薄いんだと思う。例えば、移動する蟻の群れが、橋のない道(川?)を渡るために、蟻自身たちで橋を構成して、仲間を向こう側に渡すという自己犠牲をスゲーと思ったことがあるのだが、彼らにはそもそも「個」「自分」という意識がないんじゃないかな、と。群れが一つの生き物であり、群れを維持することが生きることであるなら、自己犠牲なんて概念そのものが発生しないんだろう、とか。

 樹木も種類に寄って集合無意識があると聞いたことがある。

 何が言いたいのか。

 なんだっけ?

 時間の流れとか、時代とか、世界とか、宇宙とか。そういう混沌の中に「目」として存在して、自分の望むドラマを見つめ続けながら、肉体が老いて死んでいく世界を「生きている」。

 無意識界同士は、現実世界と同じように交差したり触れ合ったりすることがあるんじゃないだろうか。むしろ、無意識世界の方が交わっているのかも知れない。

 ニンゲンの無意識と他の種、熊や鹿や狐、虫や植物や猫や鶏。

 肉体のある現実世界に投影される種(たね)・芽を、無意識界で、すでに約束しているのかな。とか、ちょっと思ったりする。ニンゲンは、「そんなこと望んでない」と口で言ってること、意識の上ではそう信じていることが、無意識下では嘘だったりする。

 言葉は基本的に信じない。行動と結果がすべて、といつかどこかで聞いた。うつみんが言ってたんだったかな?

 だから、現実に起こっている目の前の世界は、望まれて現れている無意識下の願望だったりするのだろうか、と。

 野生動物との共存を難しくしているのも、温暖化が起こっているのも、病を得るのも、苦しむのも、ニンゲンの集合無意識がそれを選択しているからなのだろうか、なんてな。

 

2026年6月20日

 

友人(達)とのLINEメッセージにて

 ~伝えきれなかったこと~

 

『おはようございます

ニュースで見た

とうとう(近所)辺りでも熊が出た情報が…ここ数年は狐やタヌキの被害も増えてるところに熊まで

暫く前に飼い猫が熊に襲われたって言うニュースがあったので猫さん達も心配

鶏さん達もこれ以上被害に遭わなければ良いけれど生き物同士の共存は中々難しいね』

 

『なんでこんな地球にも人にも優しくない世界になっちゃってるんでしょう。』

 

 それぞれ鳥獣被害についてと、香害(化学物質汚染)についての会話の一部なのだけど。

 だけど、なんだか根っこは同じ気がしている。

 まぁ、そもそも鳥獣被害と言い張っているのは俺だけであって、今問題にされているのは「熊被害」。首都圏在住の幼馴染がニュースで見たと言うほど、全国ニュースになった騒動。

 それは日曜日の夕方のことで、朱鷺(shuro)が、外で何らかの作業をしているとき、警察署の車が何やら放送しながら走っていた。最初は遠くてよく聞こえなかったのだが、多少近くを通ったとき、どうも、「付近でクマの目撃情報があった」「家の中に入って安全を確保して欲しい」「外に出ないでください」という内容らしかった。その後、役場の環境課の広報車も似たようなことを放送しながら走っているのを聞いた。

 ただ、「付近」とはどこなのかが分からない。後で知ったのだが、どうも川沿い、線路の向こう側の地元の幼稚園、小学校の近くだったらしい。

 放送が聞こえた近所の人々はさーっと家の中に消えて行った。朱鷺(shuro)もせっかくちょっとだけ外に出した鶏(クロムグループ)を「ほらほら、中に入って。熊が出たんだってさ」と小屋の中に入れ、ダンテ達もハウスの中に入れて扉を閉めた。

 そして、朱鷺(shuro)は、と言えば、陸稲の田んぼに用水路から水を汲んできてかける、ということを数回やったのち、家に入った。

 ということがあったのだ。

 そして、夜中過ぎにも熊が目撃されたと警察の車が付近を巡回しているのを聞いた。

 いよいよ身近に迫った熊騒動。

 根本的な解決策が何も浮かばない。そもそも、熊が人里に下りてくるのは、山に食べ物がないからだ。それは、どんぐりの凶作だったり、他にも熊の食べ物だった何かがほとんど無くなっているからであろう。我が町では、熊との共存をはかろうと、だいぶ前から山にどんぐりの苗木を植えるという活動をしている。それにも関わらずどんぐりがないのは、ヒトが熊の食料を荒しているとか、彼らの生活圏を侵しているとかではなく、温暖化などの気候変動に寄る「凶作」が主因と思われる。

 それから、化学物質汚染。これも、個人レベルがどうこう出来る問題ではない。ただ単に洗剤メーカー、花王、ライオン、P&Gが化学物質添加された洗剤や柔軟剤の製造販売を止めてくれることしか解決はない。

 熊の個体数管理、化学物質過敏症被害の訴え、出来るのはそういうことしかない。

 

 そして、もう一つ。

 

「なんか、最近は、朱鷺(shuro)は「治療」に興味を失ってます。患者さんが来れば施術はしますが、病って、魂に宿るものなのかな、と考えるようになったら、解決出来るのは本来自分自身だけなんだろうな、とか。」

『言わんとする事は分かります。でも、鍼灸は効果が直ぐに出るので、患者さんの助けになってると思いますよ』

 

 これも、実は根っこは同じ。

 治療を望んで来院される患者さんは、もちろん治療します。それで当面の苦痛から解放されるなら、それは朱鷺(shuro)自身の喜びでもあるし。

 「興味を失った」のは、単に、自分自身に対する治療は、ということだったんだけど、なんだか言葉にするのがちょっと憚られて、それ以上の会話をしなかった。

 「人生」って、「目」なんだ。「見ている目」「眺めている目」。死は、その見ている自分が消えるということ。自分自身の人生をすら「ただ見ている」ような気がして、起こる現象も得る怪我も病も、そうなるべくしてそこに至っている。未来で過去にオーダーしたことが現在目の前に届いている。

 時間は未来から過去に向かって流れていて、触れられるのは今この瞬間だけ。

 

 鳥獣被害も、病も、未来から流れてきている。(たくさんの人々の無意識下で熊被害というものが何かの象徴として現れているんではなかろうか)。

 

 だから、出来ることって、今、目の前にあることに集中することだけ。右往左往してみたり、必死になってみたり、疲れ果てて少し休んでみたり。

 何を選択して、どのように行動するか、それはヒトそれぞれで、役割があって、ポジションがあって、使命があるんだと思う。

 

 

 

2026年6月7日

 

Rakuen便り ~後悔・苦痛・鬱・期待

 

 5月28日。たぶん、ネージュとjunior一羽が狐にやられ、そして翌日には戻って来なかったダッキーの羽が畝に散らばっていた。

 昨年、シロちゃん、きーちゃんに続いて、結局、7羽。

 現在、鶏はクロム達の方が雄一羽と雌(天ちゃん、ギン、メルハ、ラスティ、十六夜)が5羽、ダンテの方はダンテとトニー、ジェーンが雄。さっちゃんナミちゃん、マロン、ブラン、juniorの雌5羽。

 28日は、完全に朱鷺(shuro)が油断していた。しばらく狐が現れなかったので大丈夫かと思ってしまった。しかし、現れなかったのは単に朱鷺(shuro)が作業してRakuenに入り浸っていたからだったのだ。

「メスが10羽だけになっちゃったから(しかも、抱卵に入っているし)、卵の数減るよ」と言ったら、

「なんでそんなに獲られるの」と時雨に突っ込まれ、だいぶ意気消沈した。まったくその通りです。悪いのは朱鷺(shuro)でゴザイマス…

 だけど、やって来た狐は、イチゴの畝の下にあったネズミの巣も掘り返してネズミ退治もして行ってくれたようだ。

 5月26日には、知り合い(実は患者さん)から水稲の苗をいただいた。もう植え終わって余ったもの、そして、田植え機械から下ろした半端な苗なので、確実に処分決定品だというので。

 陸稲をやってみたいと思ったのだが、聞くと、陸稲は専用の品種があるそうで、完全な陸稲状態では無理らしい。それでも、捨てるよりは、と引き取ってきた。

 そして、プラスチックの容器を探して、とりあえずそれに土を入れ、堆肥場から堆肥をすき込んでみた。実際の田んぼでも、段階があって、時間を置くので、水を入れて数日我慢し、30日に田植えをしてみた。それから、陸稲にも挑戦。用水路から何度か水を汲んできて、土を完全に湿らせてから植え、苗と苗の間を草マルチで出来るだけ乾燥を防いでみた。

 それでも、苗は相当余った。

 6月5日にも陸稲の田植え。

 最終的に残った苗を捨てないための場所を作ってみた。数日後に植える予定。植えると言うか、とりあえずまとめて置いておくというのか…。

 水稲用の飯米なのだが、収穫出来れば嬉しい。これは、新たなことなのでちょっと楽しみ。

 6月に入って1日と2日は30度超の真夏日だったのだがその後、台風がかすめて行ってから、最高気温は20度代前半から、18度や19度の日もある。なので、寒さ対策にも草マルチは一役買っていると思っている。

 それから、今年は豆の種類を増やそうと思っている。

 Rakuenは豆栽培で行くのだ! 販売は豆と薬草に特化。なので、野菜収穫は絶望的にダメダメだ。自家消費も儘ならない。趣味の域を出られないというか、そもそも、農家をしたいんじゃなくて、Rakuenを作りたいんだよね、たぶん。環境に出来るだけ負荷をかけずに豆や果物を育てて収穫して、穏やかに生きたい。

 ブドウ畑で死にたいと言ったブドウ農家さんがいたそうだが、朱鷺(shuro)は…Rakuenで死にたいかと言われればそれは違うかなぁ。

 変な話、普段の生活圏では逝きたくない。愛したRakuenを朱鷺(shuro)の死で穢したくない。だって、Rakuenは食べ物を作る大地であり、生き物が集う空間であり、神聖な場所だから。

 6月5日、きゅうり苗を農家さんからいただいたので、それも植えてみた。

 今年は大玉トマト苗をホームセンターで買ったし、中玉とプチトマトはもらった苗を植えたので、うまくいけばトマトは豊富。もう実が付いていてすごい。だけど、まずは鳥よけの糸を張らないといけない。釣り糸か、テグスを。

 梅の木の周囲にはテグスを張った。

 そういえば豆を蒔いたところに鳥避けの紐を張ってみたら、翌日にはその紐が切られていた。タヌキの仕業だ。なんで、紐を切るのかなぁ! バカたれか!

 5月22日には、いなきび、ひよこ豆、インゲン2種、黒千石大豆を播種。23日にはパンダ豆とつるあり(白)インゲン。

 5月20日に蒔いた飼料用トウモロコシとひまわりは芽を出したが、同日蒔いたポップコーンは発芽率がものすごく悪く、本日、ポップコーンを再度同じ圃場に追加播種してみた。もしかして、昨年収穫したポップコーンが完熟していないものだったのかも知れない。今日は、見た目が黄色に透き通っているものを選んで蒔いてみた。

 それから、ひよこ豆も発芽率が悪く、ほぼ生えなかった。わずかに数本程度。

 今年は、シロツメクサの花、それからノイバラの花を収穫してみた。どちらも胃腸を整えるというか、消化器系等に効果があるらしい。ただ、ノイバラの花は、強力な下剤みたいにだいぶキツイ作用があるらしく、使用には注意が必要とのこと。

 飼料用麦が小麦に先立って黄色くなっていたので、収穫。

 最後に、特筆すべきこととして、今年は、何故か恐ろしいほどヨウシュヤマゴボウがRakuen中に生えている。これは、根がゴボウのように太くなって、木みたいに大きくなるやっかいな植物で、「なんでやねん!」と駆除に苦労していた。

 しかし、このヨウシュヤマゴボウは、全草毒だとりんかに聞いた。つまり? ネズミ避けになる?

 現実的には、最近、野鳥がものすごくやって来るようになったから、そいつらが実を食べてあちこちに広めたんだろうけど(実を食っても大丈夫な鳥がいるんだろう)、家のお稲荷様が、朱鷺(shuro)が毎年ネズミ被害で怒り狂っているから、毒の植物をあちこちに広めてくれたのだろうか…とも感じている。

 まぁ、それでも、邪魔な場所に見つけたら駆除するしかないのだが。

 

(ハウスの出入り口でくつろぐさっちゃん。朱鷺(shuro)はものすごくそうっと避けて出入りしました…)

(朱鷺(shuro)がいても、もうあんまり気にしなくなった雀たち)

 

2026年5月21日

 

ミネラルマルシェ

 

 備忘録というよりも、ちょっと必要あって記録する。

 15日、ミネラルマルシェに行ってきた。家から一時間程度掛かる場所での開催。だけど、県内で開催されるのは有り難いことで、すごくワクワクして行ってきた。そして、いつものお守り、龍神様のネックレスと蛇の指輪に、「良い出会いがありますように」と祈って。

 ありましたよ、最高の出会い!

 今回、事前に「こんな出会いがあると良いな」と心に描いていったのは、まず、15センチ以上のつらら型の水晶、それから3~5センチ程度の握れる大きさの水晶球だった。他にも、oh! と心震える出会いがあれば嬉しいな、と。

 結果を申し上げますと、すべて、ありました!

 出入口付近でものすごく小さい水晶のカエルさんがあった。1個270円。これは、お守りに良いな、と思いつつ先へ進んだ。そして、最初に見つけたのは水晶球。虹色にキラキラするものが良いな、と一緒に行った時雨と選んで、2つ購入。そして、反対側を廻りながら入り口方向へ戻っている途中で、10センチ程度のポインター水晶が展示されていた。台座付きで3,000円。台座は要らないけど、これでも良いかな、と眺めていると、その店の方が、ルビーの球とブレスレット、原石のセットを作って15,000円くらいで「どうですか?」と。時雨も朱鷺(shuro)も、うお、安い、とすごく心惹かれはしたが、そもそもどちらもルビーにそれほど愛情(興味?)がない。

「実は、これが欲しいんですけど」

 と水晶のポインターを指すと、「もっと長いのもありますよ」と、奥から出してくれた。

「やった~! すごく良い出会いです!」と、そちらを購入。台座の値段がないと、それはもっと大きくて2,800円だった。これは、市価の半分くらいじゃないかと感じるくらい安かった。

 その後、別のブースで時雨が透明がかった紫っぽい石(フローライト?)の九尾と出会って「これ、良いなあ」と悩み、隣にあった原石をひっくり返して「これ、値段がない」と呟くと、店の方がすかさず「9,000円です」。

 そのブースでは「半額」セール? をやっていて、本来18,000円のものだという。そして、九尾も元は20,000円だけど、10,000円です。二つ一緒なら安くしますよ、と来た。

 時雨が悩み始めたので、朱鷺(shuro)は近くに置いてあったユニコーンを見て、3,000円という値段に驚く。いやいやいや、これが3,000円って…。どう考えても倍以上はするでしょう。

 欲を言えば水晶の龍神様をお迎えしてみたかったのだけど、ユニコーンとかペガサス、ヘビさんなんかもものすごく心惹かれる。今回は、せっかくのユニコーンさまとの出会い。こんなお値段でお迎えする機会はもうないだろう、ということで、時雨がセット価格として1,000円引いた後に、更に3,000円値引きしてもらっていたので、そこへ3,000円のユニコーンを一緒に買ってもらった。(いやいや、金は払ったよ)。

 朱鷺(shuro)は最後に水晶カエルを買って、時雨は、黒曜石の原石を買って、散財はしたものの二人とも大満足で帰途に就いた。

 時雨は、黒曜石が十勝で採れることを知ったとき、いつか十勝に行って黒曜石を探したいと思っていたのだそうだ。きっと、その思いが通じて、黒曜石がここまでやって来てくれたんだよ。

 それから、九尾さま。左の耳がちょっと欠けていた。

 それで思った。

 地元の稲荷神社のキツネさん、昔の水戦争で、人々が投げた石が当たって、耳が欠けているのだ。この九尾さんは、お稲荷さんなのかも知れないね、と。

 

2026年5月22日

 

心がザワツク

 

 これ! といった明確で大きな理由も原因もないと思うのだが、なんというのだろうか。心がざわつくというか、焦燥感が半端ないというか、悲しみとか寂しさとかを感じてみたりとか、ここ数か月だろうか、とにかくなんだか変である。

 原因とか理由とかいったものを列挙してみると。

 一番は世の中の異常な物価上昇にオカシナ意図・悪意のようなものを感じ取ってしまっていること。世界に漂う思考の粒子のようなものが狂気を帯びている。

 地震が頻発していること。東北ではもう多少揺れを感じてもまったく驚かないほど日常化してしまっている。

 異常気象の歯止めが利かないこと。単純に種蒔きの時期や収穫が訳わからなくなっていることが非常に困る。それはつまり食糧生産の危機を意味する気がして。

 鳥獣被害。熊被害の頻発と狐の出没、狸の来訪、野鳥からの豆類への被害。山菜収穫がすでに命懸け。

 現金収入がいつまであるのか、要するに今後どれだけ働けるのかが分からないことへの不安。

 猫と鶏たちへの心配。

 Rakuenの行く末をいつまで見守れるのかが不透明であること。

 遺していく者たちへの心配。

 

 だから、心の拠り所が欲しかったんだろうと思う。すがるものではなくて、それを芯として一人で立てるための何か。

 変わらないもの、揺るぎないもの。

 鉱物がきっと最適に思えたんだろう。だって、朱鷺(shuro)が生まれる前から存在していて、朱鷺(shuro)が死んでもそこに静かに在り続けるものだから。

 水晶球とポインター水晶、そして、伝説の生物ユニコーン。

 この子たちに出会えたのは奇跡であり、同時に必然であったのだと思う。

 朱鷺(shuro)が求めたからなのか、相手が呼んでくれたからなのか。

 龍神様と蛇さまにも心からお礼申し上げます。

 

 

2026年5月21日

 

白昼堂々の襲撃

 ~深刻な鳥獣被害~

 

 全国ニュースになるのは、熊被害だけ…。いや、山林火災もあったね。

 Rakuenでも、いろいろあった。

 まず、その前に、通常業務(運営?)備忘録。

 連休が明けて、食用菊を廃棄する分があるというので、せっかくだからとRakuenにもらって、植えてみた。毎年、どんな種類の菊であろうと菊という菊はネズミ被害で翌年に花が咲くことはない魔窟のRakuen。今回は、株分けして植える際に、一緒に水仙の根を絡ませて定植してみた。北側、バラの近くに一列、ハウス南側に一列。そして、飽きた。まだまだ大きな株が残ったが、分けるのも大変で、水仙も底をついて、面倒になって小路の両脇に大きな株毎植えてしまった。ネズミが大喜びするのが癪に障るが仕方がない。(だって、飽きたんだもん)。

 しばらく前からハウス内にネズミが入りこんでいて、柑橘を植えた場所を掘ってムカつくので、柑橘の周囲すべてに網を張った。そして、昨シーズン、寒さで死んでしまったと思われるレモンと和製グレープフルーツの苗を掘り返し、そこに新たに植えようかと思っていたのだが、どうもどちらも根元は生きているみたいなんだわ。

 ということで、レモン最後の一鉢を、柚子(?)の中央に植えてみた。そして、今年はきちんと防寒してやろうと固く決意したのであった。

 昨年、豆もトウモロコシも、時間差で何度か蒔いてみたのだが、結局、最後(6月初旬くらい?)に蒔いたものと、ほぼ同じになったので、早く蒔く意味があんまりないことが分かった。とはいえ、毎年、気候は厳しさを増しているし、今年は余計に暑いので、昨年実績が役に立つのかどうかは分からない。

 それでも、乾燥し過ぎの毎日なので、せめて雨の前に蒔こうと(今日は朝から雨)、昨日、ようやくポップコーン、飼料用トウモロコシを蒔いてみた。今週末には各種の豆類も蒔こうと思っている。

 小さな苗木なのに、梅の実が何個かなっているので、野鳥に喰われないようにテグスを張ってみた。今年は葡萄の周囲にもテグスか網を張っておこうと思う。(その前にコガネムシ被害が心配だが)。

 

 そして―。

 17日のことだ。お昼辺り、炎天下のことだ。いつもの通り、外で普通に作業していたとき、けたたましい鶏の悲鳴と羽ばたきの音が聞こえた。鳴くのはいつものことだが、バタバタと逃げ惑う羽音に、これはヤバいと思った。聞こえたのは南側の道路に面した方向だったが、鶏の悲鳴は北側から聞こえて、そちらに駆けつけると、狐が黒い鶏をくわえていた。そこでくわえ直そうとしたのか、不意に鶏はバタバタと逃げ出し、狐はギンちゃんの尾羽をむしり取って逃げていった。

 余談だが、鶏の羽ってすごく抜けやすくなっている。これは、食用にする際に処理し易い仕様になっているのだろうか、と思う。網の囲いの外に出ていたかしわjuniorを捕まえるとき、お尻付近を押さえつけたら、周辺の羽が抜けて腰の辺りをハゲにしてしまったことがあって、ぎょっとした。悪いが、なんやねん、と思った。

 お陰で、狐は尾羽をくわえて走り、途中で「なんや、これは羽だけやん」と気付いたようだった。

 いずれ、その日は、ギンちゃんはかろうじて無事だった。しかし、クロムグループは以降、外に出すことは止めた。白昼堂々と、しかも、ヒトが作業をしている傍で襲われるんじゃあな。あいつらはちこちウロウロするから、ずっと見ていられないので。

 ダンテたちは、網の囲いがあるから大丈夫かと思っていた。

 しかし、網の囲いは身長が高いニンゲンがかろうじて跨げる程度の高さしかない。杭の高さがないのだ。

 翌日、鎌を買いにホームセンターに出かけたのが10時頃。お昼前に戻ったら、りんかが、「ノアっていなかった?」と謎のことを言う。聞かれた意味がほんとうに分からなかった。ノアとは、さっちゃんの娘で4羽一緒に育った子たちの中の真っ黒の子だ。他にマロン、ブラン、ネージュがいる。

「気軽に狐が来てて、獲られたみたい。ノアがいない」

「え、今?」

「二回、声が聞こえたんだけど、一回目はまだ寝てたんだよね」

 狐は二度襲来したらしい。そして、慌ててハウスに行ってみると、ノアとアビーがいなかった。二羽ともやられたようだ。

 りんかが行ってみたとき、ダンテとダッキー(雄)が外に出ていて、他にブランかネージュ(この二羽は色が似ていて区別がつきにくい。並べてみると分かるけど)が外にいたそうだ。網を飛び越えて中に入った狐にパニックになった雄が外に飛び出したのか、雌が襲われて連れていかれそうになったために怒って追いかけたのか。(前者だったら、軽蔑するぜ!)。

 いずれ、遂に被害が出てしまった。

 熊も困るが、狐もやっかいだ。

 ダンテたちも、ハウスから出入り自由にさせるわけにはいかなくなってしまった。朝、エサをやって外作業を近くでしているときと、夕方、多少涼しくなって再びヒトが外に出るとき以外、どんなに暑くても、もう、ハウス内に閉じ込めておくしかなくなった。

 ハウスのサイドに鶏が出ないように網を張っていたのだが、それに狐侵入防止として網を二重にするしかなくなった。しかし、これも3分の2まで施工して疲れて飽きて止めた。残りは後日…と言いつつ、今日に至っている。

 それでも、鶏がハウスの外にいなくなったため、19日には、いつもの時間に訪れたらしい狐。鶏が警戒の鳴き声を発したので行ってみると、「あれ~?」という感じで囲いの網に前足をかけて伸びあがっている狐の姿を目撃。ちょっと可愛いと思ってしまった。

 更に翌日には、未明にハウス周囲をウロウロしている姿を目撃。

 そして、今日の朝は、なんとタヌキが二匹Rakuenにいた。しかし、狐と違ってタヌキはどこまでも間抜けだ。道路に尻を向けてボケっとしていたので、そっと忍び寄って脅かすと、予想通り驚いて大慌ててぼてぼて走っていく。そして、ある程度のところで立ち止まって振り返ってこちらを見る。なので、走ってそちらへ向かうと、「ぎゃあああああ」という感じで走り去って行った。最初からさっさと行かんか!

 という、波乱万丈のRakuen生活である。

 アビーちゃん、ヨーグルトが好きだったんだよね。二日前に食べた最後のヨーグルト、最後の晩餐というか最後のデザートになってしまった。

 ネオンも、アビーも、朱鷺(shuro)のお気に入りの子たちが逝ってしまって、意気消沈である。

 でも、一番のお気に入りはダンテとさっちゃんナミちゃん。

 また、南部かしわ鶏、買おうかなぁ、と思っている…。

 そして、根本的解決としては、柵の強化とか犬を飼うとか、そういうことだけど、経済的に厳しい現状なのでござる。

 

 鳥獣被害。熊に寄る人身被害が町内で起こったときには驚愕・戦慄した。被害者は町内の方ではなかった。むしろ、地域の方々は踏み入らない場所だそうだ。その地域に知人がいるが、彼女も何十年も住んでいるけど、(熊被害があった奥へは)行ったことはない、と言っていた。地元の人が踏み入らない場所。

 後日、聞いたハナシ。(新聞にも載っていたが)襲われた女性は、すでに熊がエサとして土の中に埋めていたそうだ。足だけが見えた、と捜索に行った消防、警察の方々が驚いた。最終的にその個体は駆除されたが、今回は、熊の生活圏内にヒトが入り込んだことで起きたという。

 山菜採りも命がけの時代だ。

 

 鳥獣被害の鳥に関しては。

 Rakuenを餌場と認識している野鳥たちの存在がある。

 雀は良いよ。そもそも、雀のためにくず米をハウスの外に撒いているわけだから。そして、雀たちは、畝の中で害虫駆除をしてくれている。ほんとうに有り難い。

 カラスも、車庫の中を荒したり、乾燥させているヨモギをひっくり返したりとイラっとすることを仕出かされ、「カラスもいるよ~」アピールがうっとうしかったのだが、こうやって狐被害があったりすると、カラスは鶏のエサを横取りしたりするけど、鶏そのものは襲わない(ヒヨコは食うが)ので、まだましかと思ってしまう。

 それから、野バト、オナガ類の木の実を食べる輩。昨年、芽が出なかった豆やトウモロコシは野バトが食ってしまったからであろうと思う。なので、今年は蒔いた畝には草を刈って雑草マルチを敷いた。

 昨夜、布団に入った途端、外で猫の悲鳴が聞こえた。

 カフェちこが狐に襲われた? と慌てて外に出てみた。懐中電灯で照らして歩き回ってみたが分からない。諦めてひたすら猫の無事を祈って寝た。

 今朝、ハルくん、ミッチ、カフェちこがちゃんと帰って来ていてホッとした。

 狐に襲われるなら鶏の方がマシ。猫を襲ったら絶対に許さん。

 そして、今朝は、朱鷺(shuro)が外に出る度にやって来て、ハウスと鶏小屋を往復する朱鷺(shuro)の目線の高さを飛んで存在をアピールするカラスがちょっと微笑ましく思ってしまった。