『野良猫の夢』~朱鷺(shuro)'s world on the earth. 

『野良猫の夢』~朱鷺(shuro)'s world on the earth. 

『野良猫の夢』プロジェクトを一緒に運営してくださる方を募集いたします♪
具体的構想や朱鷺(shuro)がどんな生き物なのかを知っていただくために過去記事もこのまま残します
(いずれ整理しますが)(=^・^=)

FC2小説サイト及びこちらサイト、ライブドア・ブログ『朱鷺’s world』掲載分の物語はすべて加筆の上、fc2ブログ『朱鷺(shuro)'s world』へお引越し中です


ここから、立ちあがろう!日本




「でも、人は、倒れたままではいられないんです・・・」


『救命病棟24時』の救命医の台詞です。







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2019年2月22日

 

許容量を超えないように

 

 そんなに許容小さいのか?

 世の中、もっといろんなことを一気に抱えて、それでもすべてを淡々とこなしているヒトが沢山いるんだろうなぁ、と思うけど。

 いや、許容の問題じゃないのかなぁ。

 これは、禅の修行をしなきゃのレベルなのかも知れないと思うのだけど。

 もう一方で、作家としては、そういうぐちゃぐちゃ感というか、一歩足を進める度にずぶずぶと泥に沈んでいきそうな切羽詰まった生き方を捨てられないっていう自ら望んだ病を抱えてもいる。ような気がする。ほんとうに死んでしまうくらいじゃないと、作品って出来ない。

 

 とりあえず、整理してみるね。

 (誰に言ってんの?)

 (いや、もちろん、朱鷺(shuro)さんにだよ?)

1、消防協力隊。3月3日に春の火防運動で各戸をまわる。その連絡は一応まわした。一人の副班長さんには留守電に入れただけだったので、後ほど要確認。でも、これは、帰宅後で良いことにする。

2、母連。企画書を作った。あとは、副支部長が「こくちーず」を作成してURLをくれれば本部へ送信して。やはり帰宅後、会議室の予約状況を聞いて仮予約を入れる。

3、NPO関連。今週末のスタッフ参加は、雑用だけで大丈夫と判明したので安堵しました♪

 メルマガ企画に関しては、カメラ持参で、数人の鍼灸師、医師に突撃インタビュー予定。代表理事が事前に話を通していてくれている。はず!

 24日はスタッフ。3月9日10日は参加者として災害医療コーディネート研修に。

4、バイト。早朝バイトは、次の人が見つかるまで…と言っていたが、日中のバイトさんが最近見つかったと思ったら、一週間で「辞めます」となったらしく、また一人足りない状況。別に、もうここはずっと働いても良いかもという気になった。早朝のみだし、あれ以来(辞めますと言って以来)、店長が恐ろしく態度が変わって、「う~ん、そんな気ぃ使わんでも良いんじゃけんのぅ」という日々が続いている。まぁ、いずれ辞めるニンゲンという対応なんだろな。

5、時雨と柚矢。時雨は、月に一度は上京して、企業の説明会っぽいものに参加したり、体験談を聞きに行ったりと、いずれ、就職に関する動きをしている。その一方で来年度は休学してワーホリと海外での研修に参加したいということ。で、今はバイトに励んでいる。家にいない時間が多くて、顔を見ない日もあったりする。

 柚矢は、体調がまったく良くない。甲状腺がどうの、自律神経がどうのと自分で調べたのか誰かに言われたのかの素人診断。でも、思うのだ。何の病気とかじゃないんだよ。もっと根本的なことで、もっと単純なことで、「向き合うことを避けている」ことなんじゃないだろうか、とね。

 そして、彼氏とは付き合ってはいるけど、今、職場に気の合う他のヒトがいて、よく一緒に出かけている。昨夜は帰ってこなかったし。別にそれに対して嫌悪感があったりはしないし、倫理的にどうとか言うつもりもないが、「誰かを傷つけたり、誰かを不快にさせる」ことは、間違っている、とだけ思う。

 とはいえ、それも本人たちが決めることであり、朱鷺(shuro)は、口出しはせんが。

6、にゃんこのこと。レフの胸にあったしこりは、ちょっと出血みたいになっていたので、施灸をしたらほぼ消えた。灸、おそるべし!

 今、ほぼ家にいるのはミッチとハルくん。時々レフが帰って来て寝ている。アルはご飯を食べに戻って来て、食べ終わるとまた出掛ける。ロイチャは、月に一度くらい顔を見せに戻って来る。

 ふわとチャコは、いなっくなって以来、一度も帰って来ない。

7、朱鷺(shuro)のこと。

 これが一番問題か?

 今の仕事。本業(鍼灸)。申告書も帰宅後に作成せんと! 副業(農業)(←これはもしかして、いずれ自営としてやるかも知れないし、どっか離島とか行って始めるかも知れない)。バイト1(配膳)、バイト2(単発・会館清掃)、バイト3(早朝)。あと、収入には関係ないというか、むしろ消費レベルの仕事として、NPO関係。メルマガ企画のインタビュー記事の執筆。いや、書くのは構わないんだけど、対面して話を聞くのが大変。何が大変って交通費が。

 それから、心の問題。う~ん、魂の?

 カナシサや辛さや苦しさは増していく一方。

 祖父母、柚矢、都内在住の「彼女」、「彼女」の友人の事故、首都圏在住の幼なじみのご友人。

 列挙したすべての人が今、肉体的に病んでいる。

 キネシオロジーの齋藤さんのセッションを受けさせたいと思ったりしたけど、「彼女」の言う通り、もしかして、一番それを必要としているのは朱鷺(shuro)自身なのかも知れない。もしかして、周りを不幸にしているのは、朱鷺(shuro)なんじゃないかと。

 昨日、久しぶりに話した双子の従妹。彼女の話しもつらくて。

 親戚も、いとこ達も、どうして誰も幸せそうじゃないんだろう。

 朱鷺(shuro)の周囲は、どうして誰も幸せじゃないんだろう。

 幸せじゃないヒトを見るのがつらい。

 弱っていくヒトを見るのが悲しい。

 可愛がっていた猫が減っていくのが寂しい。

 悲しい。寂しい。つらい。だけどこれは、恐ろしいことに、イコール「美しい」に変換されてしまう。そして、「愛しい」にも。

 絶対値があがって、つらくて死んでしまいそうになればなるほど、その美しさは増すのに、反比例して、朱鷺(shuro)自身に対しての嫌悪は増していく。

 いったいこの構図はどういうことだろう、と思う。

 

 積極的に死のうとは思わない、と発言して笑われたことがあったけど。

 とりあえず、そういうこと。自ら死のうとはしないつもりだから、決めた分の生はまっとうしないと。そして、生きている限りは、出来ることを尽くすしかない。

 出来ること―。

 整理してみたから、なんとかなるっしょ。

 

同じかっこう… 


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2019年2月20日

 

病は気から

 

『病は心で治す~健康と心をめぐる驚くべき真実~』リサ・ランキン 著 古草秀子 訳 河出書房親書 より

 

 ちょっと衝撃だったのは―。

>「病気は恐ろしくて危険だという解釈を肯定的な信念に変化させれば、脳が生化学的に反応し、血液が体の細胞培地を変化させ、細胞が生物学的レベルで変わる」

 

 病気は、人生に付加されたもの。理由があって、訪れた友人であり、我が子であり、温かく迎え入れ、話を聞き、「ありがとう」と送りだすべき存在。

 病は敵ではなく、人体の破壊者でもなく、呪われるべき存在ではない。

 英語的に言えば、そんな感じだろうか。

 

 最後の解説に、東京大学医学部救急医学分野教授の矢作直樹氏がおっしゃっていたが、

「しかしながら、「幸福は病気を予防する」も、「幸福であれば病気は治せるか」というのも、私は、一般論にしてはまずいと思っています。」

 と、朱鷺(shuro)も実は思った。

「というのも、病気というのは、当然その人自身の生きてきた人生すべての結果が現れているのです。ということは、今生の人生だけではなくそれまで繰り返した人生の結果の分も背負っていることになります。だから、人により、それまでの生で解決できなかった課題をこの人生において病気というかたちをとってもう一度向き合って生き方を見直すだけでなく、病気と共存するように心がけることが必要になるかもしれません。だから「幸福であれば病気は治せる」とは言い切れません。」

 

「私自身が重要だと思うのは、霊魂・心・体。この3つのことについてです。いわゆる「霊魂」というのは見えないほうの本物の体。そして霊魂が肉体をまとっているときを「魂」、とします。そして「肉体」。心というのは、その二つを結ぶものなので、慣習的に霊・心・体と言っていますが、実際は魂と体ということになり、その両方を見るべきだと私は思うのです。

 というのも、体の声を聞いて体を許してあげること、体に感謝する気持ちがあるとないとでは、病気の治り方も違うのです。著者は心のことには触れていますが、そうしたことには不思議なことに触れていないのです。」

 

 これは、米国(一神教)と日本(目に見えない八百万の神様)の宗教観の違いなのか、医学的立場の違いなのか、単に著者本人にそういう概念がないか、出版社に止められたのか…。

 

「がんなどの病気がそうですが、体を無理に酷使して体が悲鳴をあげている時に、「ああ、ごめん」という気持ちがあると、感覚的な変化がずいぶんあるようです。

 無理をした時には「ああごめんなさい、少し休みましょう」と、人間は理屈ではなく普通に、素直にそういう気持ちになれるはずです。体の声を聞く、というのはそういうことなのではないでしょうか。たぶんその時、体だけではなく魂にも感謝する、それが大事なのではと、私は思っています。

 心身ともに、という言葉がありますが、そのとおりなんだと思います。ですから著者が後半によく使う「内なるパイロットライト」というのは、私は魂だと考えています。そして私自身は、魂と体は一緒に考えるべきで、不可分なものだと思っております。」

 

2月16日、久々に姿を見せたロイチャ♪

 

 

『病は心で治す~健康と心をめぐる驚くべき真実~』リサ・ランキン 著 古草秀子 訳 河出書房親書 より

 

「中国人だろうと、医学生だろうと、そしてあなたも例外ではないが、病気のことばかり考えていると病気になってしまうということは、科学的に証明されている。なにが体に悪いのか、知識がありすぎると、実際に体を害する場合があるのだ。体を害する無数の方法について考えれば考えるほど、身体症状を経験しやすくなってしまうのだ。

 科学者はこの現象をノーシーボ効果と呼んでいる。プラシーボ効果が肯定的思考や期待が希望や心のこもったケアが発揮する力を実証するのに対して、ノーシーボ効果は否定的信念が発揮する力を実証する。プラシーボが患者を心地よく感じるのを手助けするために投与されるのに対して、ノーシーボという言葉(「私は害する」という意味のラテン語に由来)は、プラシーボの好ましい効果と効力のない治療がもたらしうる有害な効果とを区別するために導入された。

 たとえば臨床試験で、この薬は痛みによく効きますと言われてのめば、それが例え乳糖でも、痛みがなくなる可能性はかなりありうる。ところが、この薬は吐き気や嘔吐を起こしますと言われてのめば、たとえそれが効力のない薬であっても、吐いてしまう可能性が高い。

 バーニー・シーゲルは著書『奇跡的治癒とはなにか―外科医が学んだ生還者たちの難病克服の秘訣』(石井清子訳、日本教文社、一九八八)で、化学療法の臨床試験の際に、対照群の患者たちに、これは化学療法ですと警告したうえで生理食塩水を与えたところ、三〇パーセントに脱毛が起きたという研究について述べた。別の研究では、入院患者たちに吐き気を起こす薬だと言って、砂糖水を飲ませた。すると、患者の八〇パーセントが吐いた。

 また別の研究では、刺激のある薬が含まれていますと説明してから、喘息患者になんの害もない生理食塩水を吸入させて観察した。すると、彼らはゼイゼイと息をしはじめ、呼吸が苦しくなり、実際に気管支が収縮した。本格的な喘息発作を起こした患者に、効果が高い薬だと説明したうえで、なんの効果もない水薬を与えたところ、彼らは回復した。

 (中略)

 死について考えるだけでも同じようなことが起こるようだ。ボストンのハーヴァード大学医学部心身医学研究所のハーバート・ベンソン教授によれば、「自分が死ぬと確信している患者に対して、外科医は用心深くなる。死ねば愛する人と再会できると考えて、死を望んでいる患者が手術を受ける場合について研究した例が複数ある。そうした状況では一〇〇パーセント近くが死亡する」。

(中略)

 ある多重人格者の患者の症例研究は非常に興味深い。その患者の一つの人格は、糖尿病ではなく血糖値は正常だった。だが、自分が糖尿病だと信じている別の人格に変化したとたん、彼女は実際に糖尿病になった。生理学的な変化があらわれたのだ。血糖値が上昇し、すべての医学的証拠からして、彼女は正真正銘の糖尿病患者だった。だが、ふたたび元の人格に戻ると、血糖値はたちまち正常になった。

 『多重人格者の治療』(the treatment of multiple disorder)の編著者である精神科医のベネット・ブラウンは、同様の症例を複数記録している。たとえば、ティミーはなんの問題もなくオレンジジュースをのむ。だが、ティミーはある多重人格障害者が持つ人格のうちの一つであり、他の人格は全員がオレンジジュースのアレルギーで、ほんの一口のんだだけで全身に発疹が出るのだ。ところが、アレルギー反応が出ている最中にティミーの人格が登場すると、その発疹はたちまち治まるのだった。

 ノーシーボは人を病気にすることができるし、最悪の場合には死をもたらすことさえある。ノーシーボを科学的に研究することは、倫理的な問題がある。(中略)

 興味深いことに、そうしたノーシーボの訴えはランダムに起きるのではない。実際に投薬や治療の際の警告に呼応して起きる傾向があるのだ。薬(あるいは乳糖)をのむと不快な症状が起こることがあると指摘することは、自己充足的予言であるのかもしれない。たとえば、医者がこの薬は吐き気を起こすかもしれないと言ったうえでプラシーボを投与すれば、患者は吐き気を感じがちだ。頭痛が起こるかもしれないと言えば、頭痛を感じるのだ。要するに、示唆の効果は実に強力なのだ。

(中略)

 ノーシーボ効果は個人だけでなく、集団にも見られる。たとえば二〇一一年に日本で地震と津波から引き起こされた原発事故の大惨事の後、はるか遠く離れた米国でも、放射線に晒された証拠がまったくない人々から原子力汚染の症状が報告された。」

 

「エピジェネティクスと呼ばれる分子生物学の研究領域からも、私たちの信念が体を生理学的に変化させるという考えを支持する声がある。エピジェネティクスとはゲノム変化以外のメカニズムで遺伝子発現を抑制し、細胞や生体に変化を生じさせる現象である。では、エピジェネティックな違いを発生させるものはなんだろう。

 そう、あなたの想像どおり。心だ。あなたは遺伝子を変化させることはできないが、心の力を使って、遺伝子がどのように発現するかを変化させることはできるかもしれない。遺伝子の二重らせん構造を発見したワトソンとクリックがあきらかにした伝統的な遺伝子決定論は、体のすべては遺伝子にコントロールされているという概念を支持する。もしこれが真実なら、私たちは文字どおり遺伝子の犠牲者だ。心臓病も乳がんも、アルコール中毒も、うつ病も、高コレステロール血症も、すべて遺伝子のせいということになる。家族に同じ病気の患者が多ければ、あなたにもその可能性があるとされる。

 (中略)

 結局のところ、考えを変化させることは、脳と体の各部分とのコミュニケーションを変化させ、それによって体を生化学的に変化させる。この種の可能性に影響されるのは脳だけではない。あなたは自分のDNAを変化させることはできないが、細胞生物学者で作家のブルース・リプトンは、人間は自分の信念しだいで、DNAがどのように発現するかを変化させることができると主張している。

 あなたの遺伝子コードは、さまざまな解釈ができる青写真のようなものだ。ヒトゲノム計画が実施される以前、生物学者たちはヒトの遺伝子を少なくとも十二万と仮定していた。実際の遺伝子数がわずかに約二万五千であり、それらがさまざまな形で発現するとわかったとき、研究者たちは非常に驚いた。

 (中略)

つまり、多くの場合、病気になるプロセスは、栄養状況やホルモン変化、そして愛情といった、細胞がさらされた環境因子によって説明できうるのだ。」

 

「リプトンの著作に強い興味を抱いた私は、彼に会ってじかに話を聞いた。リプトンは細胞生物学者として、さまざまな細胞へ分化できる人工多機能性幹細胞の研究をしていたそうだ。細胞培養液を入れたシャーレに一つの細胞を置くと、それは遺伝子学的に異なる数多くの細胞へと分化した。さらに、彼はそれらの細胞を三つのシャーレに分けて、三種類の異なる培地(環境)にさらした。その結果、細胞はどんな環境にさらされたかによって、それぞれ筋肉細胞や脂肪細胞や骨細胞になった。最初の時点ではすべての細胞が同じだったにもかかわらず、それぞれが違う細胞になったのだ。遺伝子学的に同一なDNAが、まったく異なる細胞に変化したのだ。

 いったいなにが、細胞の運命を決めたのか? 遺伝子ではない。細胞はすべて遺伝子的に同一だった。唯一の違いは、細胞がさらされた環境だった。さらに、環境は細胞が健康かどうかまで決定した。「良い」培地(環境)にさらされた細胞は最上の健康を獲得し、「悪い」培地(環境)にさらされた細胞は病気になった。

「もし、私が病気の症状に対処することに重点を置く逆症療法の医者だったら、悪い培地の細胞を病気だと診断するだろう。彼らは間違いなく薬を必要としている。だが、じつは彼らが必要としているのは薬ではない。細胞を悪い環境から良い環境へ移せば、自然と良くなる。薬など必要ない」とリプトンは言った。

 ある日、実験室で細胞を観察していたリプトンは、はたとひらめいた。人間の体は実験室の細胞と違いがないとはたと気づいたのだ。「人間は、皮膚で覆われた、いわばシャーレのなかの細胞の集まりにすぎない。細胞が体内にあるかシャーレの中にあるかは関係ない。体内の細胞の培地は、酸素や栄養を送り込む血液だ。もし、血液の組成を変えれば、シャーレの培地を変えるのと同じことになる。では、血液の組成をコントロールしているのはなにか? 細胞がさらされている環境を科学的に変化させているのは脳だ。まるで、ピペットで化学物質を加えてシャーレの培地を変化させるように、脳は神経ペプチドやホルモンや成長因子や、その他の化学物質を放出する」とリプトンは語った。

 信念がどのようにして細胞の環境を変化させるのかと尋ねたところ、脳は「認識」するが心は「解釈」するとリプトンは答えた。人生のさまざまな出来事を心がどのように解釈するかが重要なのだ。たとえば、あなたは目を開いて一人の人間を見る(あなたの脳が客観的に認識する)。そして、それは愛する人だと、あなたの心が気づく(あなたの心が解釈する)。すると、脳がオキシトシンやドーパミンやエンドルフィンなどの肯定的な化学物質を放出し、血液を通じて、全身の細胞に健康な細胞培地がもたらされる。

 ところが、目を開いて相手を見て(能が認識)、それが恐ろしい人だと気づく(心が解釈)と、脳がストレスホルモンを放出し、それが細胞にダメージを与える。「病気は恐ろしくて危険だという解釈を肯定的な信念に変化させれば、脳が生化学的に反応し、血液が体の細胞培地を変化させ、細胞が生物学的レベルで変わる」とリプトンは言う。」

 

 


テーマ:

2019年2月15日

 

きょうのにゃんこ(=^^=)

 

 ハルくんの背中が、自分で毛をむしって、ちょっとハゲているし、そこを触るとイヤがるから、痛かったり痒かったりしているのかも知れない。もう、一カ月帰ってきていないロイチャも、帰って来たときに、背中があちこち毛がむしった跡があった。皮膚病なのか、ストレスなのか…。

 レフの胸の辺りにしこりのようなものがあって、気になっている。それに、レフは呼吸音が苦しそうなんだよな。この子は気道が狭いのかも知れない。

 ミッチとアルは今のところ、大丈夫かなぁ…。

 ふわもチャコも、そして、ロイチャもどこでどうしているのか。

 いつもいつも気になってしまう…。

 

 来週末の京都は、せめて一か所は神社に参拝したいから、どこに行けるのか調べてみようと思う。

 

 昨日の防犯パトロールで、消防協力隊の隊長さんと一緒だったんだけど、秋の火防点検のときに朱鷺(shuro)ちゃんが作った文書を、春バージョンで作りなおして欲しいと言われ、今日は早朝バイトの後、その作業をやって、隊長さんの職場へ届け、内容を確認していただいているところ。

 その後、時雨とイオンへ買い物に出かけた。

 

 母連に関して。

 来月の茶話会(勉強会)は、朱鷺(shuro)の地元で開催することになったので、会場の手配をすることになった。しかし、そこは店じゃなくて会議室なので、還元水素茶と何かつまむものを用意しようと考えているのだが…。

 炊き込みご飯少しと稲荷寿司とか、太巻きとか…と、何故かクッキーとかお菓子を作る発想はない。お菓子作りって苦手なんじゃよ。

 寿司は手間が掛かるけど、でも一口サイズにして小さなプラ容器を100円均一で買って…とか、風呂の中でいろいろ考えたが、いまいち良い案が浮かばない。

 良い案とは、何を作ったら喜ばれるか、ってこと。 ジャガイモを使って何か作ったら良いかなぁ、とか。

 予算がないから、ほんとうに悩ましいところだ。

 

 


テーマ:

2019年2月13日

 

記録

 

 猫たちのこと。

 結局、今は4匹になってしまった。ふわがいなくなってしまった時点で、朱鷺(shuro)はかなり消耗して、チャコが消えて追い打ちをかけられた。

 悪夢や悲しい夢にぐったりとした気分で目覚め、日中も仕事中に時々思い出しては、今、あの子たちはどこでどうしているんだろう、もう、この世にはいないのだろうか、最後はいったいどんなだっただろう、と延々と考え、夜は眠りに入るまでねむちや、タイガのことを想った。

 だから、やつれて痩せただろう、というのは大きな間違いだ。ストレスで、むしろ太りましたとも!(威張るな、アホ!)

 そして、現在。

 アルもレフもご飯を食べて休憩すると、すぐに外に出て行ってしまう。ハルくんとミッチはいるし、ハルくんは他の猫たちがいなくなったのを見て、甘えてくるようになった。昔みたいにチリチリ(プラゴミを結んだもの)で遊ぶようになり、今日は朱鷺(shuro)が掃除をしていたら、そのモップにもジャレてきたりした。

 ハルくんは、今まで仔猫がいるから我慢してきたんだろうな、と少し前にも思ったけど、それだけじゃなくて、しょんぼりしている朱鷺(shuro)を慰めようとしてくれているのかも知れない。

 

 NPOに関して。

 今月初め、『齋藤慶太のキネシオロジーVS内海聡の内海式』の研修会を東京で受講。その翌日、メルマガ企画のための会員さんへのインタビュー。その後、その先生とやり取りして、だいたいのレポートは仕上がりました。しかし、今後とも会員さんお一人お一人と連絡を取って、続けて行く予定の企画。

 今月23日に京都で災害医療研修があり、今回はなんと! スタッフとしてお手伝いすることになったので、京都まで行くことになりました。そして、そのとき、理事長も参加されるので理事長に第2段のインタビュー。もう一人会員さんが参加されるので、その方にも第3段のインタビュー!

 それから、来月9日(土)10(日)には東京で災害医療研修。参加を打診されたので、(ほんとうは9日に予定があったんだけど)参加することにした。そのとき、更に別の会員さんが参加予定とのことで、インタビューをお願いすることになり…。

 カメラの準備とか、ノートの準備とか、頭(記憶力)の準備とか、いろいろ…。

 ちなみに、齋藤慶太さんのキネシオは、やはり感動した。ワンセッションで治したい、という齋藤さんの最終到達点、もう、視えているんじゃないかなぁ、と。それから、内海先生の内海式の診断。ほんとうに参考になった。朱鷺(shuro)も少しは勉強しましょうねっ!

 

 最後に、母連。

 これは、もう…なんとゆーか。

 とりあえず、感情は抜きにして、感想も意見もまったく抜きにして、経過だけ。

 まず、最初の会合というか、立ちあげ準備が昨年末に行われた。

 12月16日。岩手県盛岡駅西口アイーナ4階(12月14日、北上市にて、事前MTG参加者あり)

 その時点で、スタッフ登録をしていたのは3名。朱鷺(shuro)と現在の副支部長2名。それぞれ盛岡市、北上市在住。

 支部設立準備ということで、朱鷺(shuro)はSVさん以外の参加者はスタッフ登録者3名だと、そのときまで思っていた。(その他の事前連絡が一切なかったので)

 しかし、そのときの参加者は3名ではあったが、一人は会員さんであり、スタッフ登録者ではなかったことを後で知った。

 その場で支部長、副支部長、会計、監事、等を決めて、設立申請書と身分証明書(免許証)のコピーを本部へ送ることになった。そのときいた盛岡市在住の副支部長と朱鷺(shuro)の分の免許証は封書で送り、14日にSVがお会いした北上市の副支部長の分は、本人が本部へ送っていただくことになった。

 その場にいたその会員さんは、そのとき、支部長をやりたい旨の発言があったが、未だスタッフ登録していないということで叶わず。

 その時点で3役(支部長、副支部長、会計)が直接顔を合わせていないので、翌月、初顔合わせを行って欲しい由をSVより。そして、その際にはその会員さんにもお声掛けをします、というようなことをSVが言って、何か予定がおありになったらしいその会員さんは、盛岡市の副支部長とfacebookの友達登録をして、お帰りになった。

 北上市の副支部長と連絡を取り、1月のスタッフ初顔合わせの日程を決めた。そして、SVがその会員さんにも連絡を入れます、という発言をしていたため、朱鷺(shuro)は友達登録をした盛岡市の副支部長に、その会員さんに日程を教えてください、とお願いした。

 その後、SVよりのスタッフへのメール。

「(あの場にいた会員さんについて)スタッフではないので、個人情報を取り扱うスタッフ会議にお呼びするのは避けて下さい。

スタッフ会議 は、スタッフ登録票(住所明記)と誓約書(情報漏洩時の法的責任明記)を会員管理の支部長さんにご提出された方限定でお願いいたします。」

 ということで、盛岡市の副支部長さんに、「申し訳ないですが、(会員さんに)スタッフ会議への参加はお断りしてください」と連絡を入れた。

 その後、SVより。

「12月26日14:47

(会員さん)について、ご説明が悪く、大変申し訳ございません。私とは初対面の方です。

Facebookページで、説明会を告知してからご参加したいと申し出られた方で、当日までまったく参加するのか分からなかったです。当日1時過ぎに、お電話で参加表明されました。スタッフ登録をするつもりでいらっしゃったのかなと思いましたが、話しているうち、支部長になりたい話をされたので、私も驚いた次第です。また(会員さん)も、皆さんがすでにスタッフ登録された方だとは知らずに、さっそく立候補しようとしたのだと思います。

皆さまには、お気を使わせてしまい失礼いたしました。

 

勉強会ならお誘いしてもよいかと思いますが、スタッフのみの会議は難しいかと思います。

お断りするより、1月の勉強会は企画中なので、もうしばらくお待ちくださいとご案内される方が良いです。その時に、支部長さんもお話しされる通り、協力して頂くのが良いかと思います。

 

他の三人は、内海先生のFacebookページでスタッフ募集の呼びかけた後に参加表明された方です。母連へのスタッフになりたいと思われてご連絡されています。

 

ただ、どのスタッフ希望者も同じですが、お会いしてお話を聞かない限り、ご一緒できる方なのか判断できないです。最初なので、スタッフ会議にお呼びして判断して頂くのか。

それともスタッフ説明会を開催してお話を聞いていただくのか。支部それぞれ異なります。」

 

 このメールをいただいたのが、すでに副支部長にお断りの連絡を入れていただいた後だった。

 そして。面倒なので、途中ははしょるが。

「2019/02/07 (木) 10:24

以下、(会員さん)からの抗議の内容を纏めました。情報をシェアさせて頂きます。

 

1. 今回の定例会の事前連絡がない。

先月の集まりに誘われて、お二人を誘って参加するつもりだった。しかし延期になったので、お二人にご迷惑をかけてしまった(この時に最初の抗議)。そして副支部長から謝罪を受け、次回は前もってご案内しますと言われたはずだが、全く連絡がなかった。一昨日岩手支部のFacebookページをみたら、3日後(明日)の開催について知った。自分に事前連絡がなかったので、岩手支部は約束を果たしていないと感じた。

2. 今回(明日)の会場は、(会員さん)が誘っていた方のお店で開催することになっていた。これも事前連絡がなかった。

これについて、自分を飛ばして連絡しているのではないか?もし、支部長や副支部長がその方を以前から知っているのなら、それでも自分に事前連絡するのが筋ではないでしょうか。

3.先月の集まり(スタッフ会議)で、(会員さん)が紹介した方が参加?していた。

このことを(会員さん)はその方と昨日連絡した際に知った。先月は延期になったのではないのか。その方から知らされ恥をかいた。

(会員さん)のメッセージを引用:

会員さん「え??顔合わせ??聞いてないよ」/ 紹介した方「え??なんで僕に声かけてくれた肝心の(会員さん)が聞いてないのですか?? 」/ わたし「顔合わせっていつ開催されたの?? 」/ 紹介した方「1月です」/ なぜ??

 

総じていれば、意思疎通不足と手順ミスだと思われます。

 

現在、私以外に(その会員さん)には連絡をして欲しくないと言われています。

前回(12月末の最初の抗議)と同じように言い訳を聞かされても、誠意を感じないと話しています。」

 

 しかしですよ。

 まず、第一に。そのご紹介されたお二人の方には、直接連絡を取って欲しいと副支部長に連絡があった。

 副支部長よりのメール。

「2018/12/27 (木) 20:30

昨日(会員さんより)ご紹介いただいたお二人にもその事を伝えて頂きました。(会員さん)からこのお二人に私からも連絡をしてみてくださいとありました。

お一人目は私のfacebookを通しての知り合いでした。昨日はフルネームを聞いてなかったので知らなくて今日フルネームを聞いて知りました。

もう一人は知らないかたです。

このお二人には(会員さん)から私から連絡がいくかもということも伝えているらしいです。

お二人に連絡をしても良いですか?」

(それでも、誘いましたと連絡を入れるのが筋と言われれば、そうかも知れません。)

 第二に。(会員さん)がおっしゃっている「呼ばれなかった顔合わせ」は、スタッフの顔合わせです。スタッフ登録していない方にはそもそも声を掛けるべき場所ではありません。更に、その後のスタッフ説明会は、その会員さんは、すでに12月の時点でSVより受けているものです。改めてお呼びする必要を、副支部長は感じなかったのだと思います。

 その後、2月にお茶会開催をしようと企画してみたが、直前に日程が変更になったり、本部への企画書の提出を忘れていたりで、こちらもゴタゴタしている内に、facebookにあげたその情報で、その会員さんは、自分をないがしろにしている、とSVの業務が滞るほどの抗議を続けたらしい。

 

 いずれ、2月のスタッフ・ミーティングは無事に終わり、今は議員連携に向けて動いている。

 そして、先日、SVよりクレーム対処に関する経過報告(?)らしいメールが届いていたが、ここに至って、朱鷺(shuro)はその会員さんの名前を見るだけで吐き気に襲われ、メールを読むことが出来ないでいる。副支部長たちにも同じメールが送られているので、何か支部長対処の必要があれば、彼らから連絡が来るだろうと思い、放っておくことにした。

 生理的に、無理です。ここまで酷い吐き気に襲われるのも久しぶりでございます。

 組織の長というのは、クレーム処理と他のスタッフが心おきなく動けるようにサポートする立場と思ってはいる。しかし、今回は、そもそも岩手支部のスタッフと関わりたくないと言ってる訳だから、放っておくしかない。という3役の意見の一致である。

 

 で、今日は、地元議員、平成26年の環境マイスター養成講座で一緒だった女性議員さんの党事務所へ、依頼文書とマニフェストをポストインしてきた。北上市でも、議員さん連携に動いてくれるようだし、今後は、そちらへ向けてシフトしていく予定。

 


テーマ:

2019年1月29日

 

「がんもどき」で早死にする人、「本物のがん」で長生きする人

 

「がんもどき」で早死にする人、「本物のがん」で長生きする人 近藤 誠 著 幻冬舎より

 

『医者になって40年、数万人のがん患者を診てきました。毎朝6時前に研究室に入り、合計10万時間、世界の医学論文やデータも読み、文章で発表してきました。』

 

 と著書で語るのは

近藤誠氏。

1948年生まれ。73年、慶應義塾大学医学部卒業。

同年、同大学医学部放射線科入局。

79~80年、米国へ留学。

83年より同大学医学部放射線科講師。

がんの放射線治療を専門とし、乳房温存療法のパイオニアとして知られる。

著書に『医者に殺されない47の心得』(アスコム)

『「余命3カ月」のウソ』(kkベストセラーズ)

『がん放置療法のすすめ』(文藝春秋)

『がん治療で殺されない七つの秘訣』(文藝春秋)

 

『「がん有明病院」のデータでは、スキルス胃がんの手術をした患者ほぼ全員、数カ月から3年以内に亡くなっている。一方、スキルス胃がんを放置した僕の患者はほぼ全員、ふつうに暮らして、3年から10年近く生きています。』

 

 その重なっている同じ3年が、だけど天と地との差だと思う。

 病院から一歩も出られず、抗がん剤治療の副作用に苦しみ、苦しみ抜いて3年。そして、見る影もなくやつれて死んでいくのか。

 余命が分かったからと、好きなことをしてやりたかったことを尽くして、最後の3年間を生き生きと人生を送って思い残すことなく死んでいけるのか。

 

『がん治療で後悔する原因として、次の6つが考えられます。

 

①パニック。がんの告知に動転して、冷静に考えられない。

②知識不足。ネットや本でいくらでも情報を集められるのに、調べようとしない。

③治療信仰。医学の力を過信し、「できる限りの治療を」とのめりこむ。

④医者のウソ。自分のやりたい治療に誘導しようと、後遺症や副作用などのマイナス面や、ほかの治療のメリットをきちんと伝えない。

⑤医者の言いなり。「医者がウソをつくはずがない」「お任せしておけば間違いない」「たてつくなんて失礼だ」と、患者の方から命をあずけてしまう。

⑥家族や友人、知人による「手術した方がいいよ」という無責任なアドバイス。

 

 その結果「では来週手術、そのあと抗がん剤を○クール投与します。入院の手続きを」と、さっさと治療のレールにのせられ、あとであぜんとすることになります。

 がんは原理的に「早めに治療すれば進行を止められる」病気ではないし、手術や抗がん剤で治るわけでもありません。

 外科医として5000人のがんを治療し、ホスピス医として2500人の末期がん患者を診てきた小野寺時夫医師から、こんな話をうかがいました。

「胃かいようの手術中に偶然1センチのすい臓がんを見つけて、この人はラッキーだと思って切除したけど、1年で再発して死去。そんなことがいろいろあって、がんは最初から、運命が決まっていると思うようになりました。痛ましいのは、手術や抗がん剤でボロボロにされた患者さん。貴重な人生の最終章を苦しみぬき、ホスピスに来てからも、手術の後遺症で痛む、抗がん剤の副作用で手足はしびれる、食べても味がしない。悲惨のひとことです。逆に、治療をやめたことを後悔している人はひとりもいません」』

 

 朱鷺(shuro)は思う。

①については、まぁ、致し方ない。夢にも思わなかったヒトにとっては青天の霹靂で、目の前が真っ暗になるだろうし、もしかして、と疑っていたヒトにとっても明確に言葉にされるとやはり相当の衝撃を受けるだろうから。だけど、ワンクッション置いて、そう、mikaさんのやったように、「口角をあげる」それだけで、心が落ち着く効果あると思う。それから、いろいろ調べる時間をもらって、即答はしない。

②について。これは、自分の身体のことなんだから、少しは自分で調べろよ、と今は怒りを持って叫びたい。時間がない? だって、あんたの命のことだよ? お金がない? 図書館に行けばいろいろ本はあるし、今は中古屋だって医学関係の本も相当数ある。それに、スマホ持ってんだろ? 自宅にパソコンなくても、今はネットカフェで検索出来る。西洋医学、東洋医学、西洋医学否定派いろいろ調べろよ。

③治療信仰。朱鷺(shuro)に言わせれば、西洋医学信者。救いようのない患者の典型。

④~⑥医者のウソ。医者の言いなり。知人の無責任な言葉。とはいえ、西洋医学信者が西洋医を信じることに決めて、命を預ける覚悟を決めたなら、あとでぐだぐだ言うな。信じて殺されても良いと思ったんだろ? じゃあ、望み通り、西洋医学にボロボロにされて、金と命を絞り取られて殺されるが良い。

 

『「治療死」が、がんが原因で死んだことになる現実

 がん患者の9割は、治療の後遺症や、抗がん剤の副作用で早死にさせられている。

 この30年(2013年発行)、僕はそう言い続けてきました。

 ニュースキャスターの逸見政孝さんは20年前、スキルス胃がんの手術で臓器を3キロも切り取られて衰弱死。また歌舞伎俳優の中村勘三郎さんは2012年、食道がんの手術で食道を失ったため、体液が肺に入って肺水腫で亡くなったことは、前に触れました。

 どちらも「がん治療死」だったのに、がんで死んだことになっています。

 また肺がんイレッサは、2002年に「夢の新薬」として、さっそうと登場しました。が、間質性肺炎による「副作用死」が続出して、発売半年で200人、10年で850人以上も亡くなっています。途中で、延命効果さえないことがわかりました。

 いったいどれだけの人が「がん治療」に殺されてきたことか。』

 

『僕が日本のがん治療に疑問を持ったきっかけは、胃がんでした。

 1973年に医学部を卒業し、慶應義塾大学の放射線科に入って間もないころのこと。

 胃の放射線診断学をきわめようと、医学専門誌「胃と腸」(医学書院)のバックナンバーなどを買い込んで、独学していました。

 臨床では、胃がん検診で要精密検査になった人の画像診断などをするうち、「早期胃がんは、なかなか大きくならない」ことに気づいていました。

 そんなとき、胃がんの貴重な研究データを見つけました。そのデータでは日本人15人の早期胃がんをしばらく放置・観察して、成長スピードを計算していました。

 結果は、がん細胞の数が倍になるまでに555日から3076日。

 これは直径1センチの胃がんが命を奪う10センチに育つまで、5550日(15年)から3万760日(80年)という、超のんびりペースです。(中略)

 当時、早期胃がんは手当たり次第に切除されていました。胃を丸ごと切り取る全摘になることも多く、すると患者は体重が20キロ以上も減って、げっそりやつれてしまう。傷の癒着による腸閉塞、食べたものがストンと落下して腹痛に苦しむ「ダンピング症候群」などの後遺症も、数えきれません。

 あわてて胃を切らない方が、長生きできることが多いのではないか。』

 

『がんは「痛みにのたうち回って死ななければならない」と思われています。それは「がん治療」のせいです。手術で神経を傷つけられたり、傷が癒着したり、抗がん剤を繰り返し打たれた副作用によって、むごい苦痛が引き起こされるのです。』

 

『がんで死ぬ理由は、前述したように、がんそのものが毒素を出すのではなく「重要臓器でしこりが大きくなり、機能を止める」せいだから。』

 

『ふつうに暮らしながら少しずつ弱っていき、最期に意識が薄れて永眠。これは、多くのがん死に見られるパターンです。』

 

 そして、痛みがあるがんの場合でも、

 

『もし痛んでもモルヒネなどでしっかりコントロールして、安らかに人生をしまわれます。』

 

 

『中村勘三郎さんへのセカンドオピニオン

 

 もし生前の勘三郎さんに僕のセカンドオピニオンを伝える機会があったら、こうお話ししていたでしょう。

 

 ①そもそも人間ドックを受けなければよかった。そうしたらがんが見つかって悶々とすることもなく、仕事もプライベートも今までどおりできたのに。僕は医者ですが、40年以上、検診を受けていません。百害あって一利なし、だと思うからです。

 

 ②がんの平均的な進行スピードから言うと、勘三郎さんの食道がんは半年~1年で2倍になる程度。それでも自覚症状がなく、変わらずに演じ続けられるでしょう。

 

 ③僕の「がん放置」患者さんは、肺がんが末期で見つかって、すでに全身に転移してから4年近く生きたり、悪性のスキルス胃がんでも10年近くを生きたりしている。だから、あわてて治療しない方がいい。もし痛みなどの症状が出てきたら、それをやわらげる緩和ケアをしっかりする。これが最良の対処法です。

 

 ④それでも治療を選ぶなら、手術より放射線治療をおすすめします。食道がんの死の原因はほぼ、肺や肝臓などにがんが転移して増大し、呼吸などのライフラインを止めること。食道そのものは、手術しても放射線をかけても、生存率は変わりません。

 

 ⑤勘三郎さんは医師団から「放射線治療は手術より、がんが再発しやすい」と言われたそうですが、それはウソです。食道がなくなれば、確かに食道には再発しようがない。しかし、メスが入った傷口にはがん細胞が爆発的に増殖しやすく、手術は再発のリスクをぐんと高めます。だから手術も放射線治療も、生存率は変わらないのです。

 

(中略)

 

 ⑦抗がん剤は猛毒で、食道がんのような固形がんは治せないし、延命にも役立たない。抗がん剤でがんが縮小しても、また必ず大きくなり、体は過酷な毒性にむしばまれます。抗がん剤治療には苦しみと「縮命」作用しかなく、おすすめできません。』

 


テーマ:

平成31年2月6日

 

しょんぼり

 

 しょんぼり。意気消沈。カナシイ。ため息。

 4匹のきょうだいは、レフとアルだけが残って、その2匹も、特にアルが、仲良しの子が次々にいなくなってしまって、しょんぼりしている。

 いや、それは朱鷺(shuro)の目がそういう風に映しているのかも知れない。自らの心象風景に修正して。猫たちは、ただ毎日を生きているだけで、今は春に向かう時期だから、発情期で、恋の季節で、それで忙しくてそわそわしてて、…それだけなのかも知れない。

 ふわだって、どこかに新たな縄張りを求めて、チャコも…ミッチのいない場所を探しに行ってしまったのかも知れない。だけど、チャコがいなくなってしまう理由が分からない。あの子は避妊手術しているし、発情しないと思っていたんだ。

 増えていくときは、なんやかんや驚いたり、ひゃあああ、と思ったり、興奮したり、喜んだりと騒がしく上昇気味の感情に包まれるものだけど、減っていくのって、堪える。活性が失われて、寂しさや悲しみや不在の穴、そういうものに気持ちが沈んで、確かにそこあったその形をぼんやり思ってしまう。

 ばななの小説にあったけど、魚の形のおできを切除したら、なんだか友達を失ってしまった気がする…みたいな心象。

 歓迎されないものでも、そのヒトの身体に、運命に付加されたものって、やっぱり意味、あるんだろうな、という気がした。

 減っていくとき、つまり病気が治っていくときって、感謝して送るべきなんだろうな、と。

 もしかして、病気は、そのヒトにとってもっとも要らないものも一緒に持ち去ってくれるのかも知れないから。

 ふわもチャコもロイチャも…

 どうしていなくなってしまったのか、いつか分かるのだろうか。

 

 最近、周囲で「音」がする。

 家鳴りはもちろんだが、最近、数日滞在した家で、一人でいるとき、ギギ…と扉が開くような音がした。それも二度も。

 ん? と思って音のした方を確かめたけど、扉が開いたような気配はなく、その辺にある扉を皆開け閉めしてみたが、ギギ…という音などしない。というか、まったく音なんかしない。

 先日、治療院で患者さんを治療中にも、治療院の壁でピキッとかパキッとか、ずっと鳴っていた。

「なんやねん!」

 すると、

「それは、もはや‘キミ’では」と柚矢にも言われる始末。朱鷺(shuro)が「ナニか」連れまわっているのか?

 でも、俺自身はどこもなんともないんだけどねぇ、と首をかしげると、「悪いものじゃなくて、何か伝えたいことがあるんじゃないの?」

「いやいやいや、そんなん分かんないって!」

「もっと分かり易い形でお願いします、って言ってみれば良いみたいだよ」

「よし、そんじゃ、パソコン画面に打ちだしてもらおう!」

 ということがあった。

 

 それ以来、あんまり音がしなくなった。

 かと言って、パソコン上に意味不明のメッセージも現れない。

 

 誰か何か言いたいことがあるんなら、教えてくれよ。

 

(今回の‘しょんぼり’とこの「音」がどう繋がるのかも誰か教えてくれよ!)

 

ふわがいなくなって、アルとハルくんとチャコが一緒に寝ている。

レフはここ。

 

 


テーマ:

2019年1月29日

 

「がんもどき」で早死にする人、「本物のがん」で長生きする人

 

「がんもどき」で早死にする人、「本物のがん」で長生きする人 近藤 誠 著 幻冬舎より

 

近藤誠のがん養生訓

 

「がんもどき」で早死にする人の養生訓

がんにも負けず

 

 がんにも負けず

 老いにも負けず

 検診も人間ドックも必ず受ける

 強い意志を持ち

 すべてに一生懸命で

 いつもがんばっている

 一日に玄米と豆腐と野菜を食べ

 肉、酒、砂糖は遠ざけ

 あらゆる健康情報を

 ひまさえあれば

 よき見聞きしわかり

 そして忘れず

 のんびり落ちつける

 時間や空間が少ない

 メタボと言われれば

 ダイエットに励み

 高血圧、高血糖と言われれば

 薬を欠かさず

 コレステロールが高ければ

 ウニ、トロ、タマゴは言語道断

 東に「笑えばがんが消える」という

 識者がいれば無理やり笑い

 西に「体を温めればがんにならない」という

 医者がいれば、のぼせるまで長風呂

 PSA値が上がればオロオロと

 前立腺がんを恐れ

 予防切除術のニュースを聞けば

 乳房を切ってしまえと思い立つ

 日照りのときもジョギングし

 寒いときも野菜ジュースを飲み

 みんなにマジメと言われ

 がんになったらとことん闘いぬく

 そういうふうに、

 わたしは生きたい

 

(※朱鷺(shuro)は死んでもイヤだ↑)

 

 

「本物のがん」で長生きする人の養生訓

医者にも行かず

 

 医者にも行かず

 クスリも飲まず

 検診も人間ドックも受けぬ

 変わった考えをもち

 欲はあるようなないような

 あまりカッカせず

 いつも冗談を言って笑っている

 毎日好きなものを食べ

 酒も甘味も楽しみ

 カロリーや血圧を

 細かく勘定しないで

 よく楽しみ、出歩き

 そして安眠し

 ひとり気ままにすごせる

 時間と空間がある

 がんや不調があっても

 年だものとつぶやき

 手術と言われたら

 切りたくないと言い

 ワクチンも抗がん剤も

 副作用がイヤだと拒み

 どこかで倒れても

 救急車を呼ぶなと言っておく

 日照りのときは出歩かず

 寒いときは無理をせず

 みんなにのんきと言われ

 いよいよのときには

 ありがとうと笑い

 そういうふうに

 わたしは死にたい

 

(※これ、すごい! 笑えてほっこりして、まさにその通り。そういう風に生きたい。そういうふうに逝きたい)

 

二度とない光景…

 

チャコももう一週間帰ってきていない。

 

 


テーマ:

2019年1月30日

 

思い残すことなく

 

 旅立ちの前には、出来るだけ「思い残すこと」を減らす必要がある。それは道中に不慮の事故や事件に巻き込まれる可能性がある! ってことじゃなくて、「思い残すこと」が本来すべきことの足を引っ張るのを防ぐため。

 ということで。

 とりあえず、数日悩んだ末、菩提寺のご住職に、後悔しないために伝えたいことを届け、感謝を伝えたい相手に言葉を届け、火曜日から木曜日の神社参拝も続けている。

 時雨は、自らの人生をどのように生きていくのか模索中で、それでも必死に切り拓こうと動いているし、柚矢も少しずつだけど、未来に向かう道を進むために手探りを始めている。きっと、感触を確かめるために。

 

『昨日、京都の庭を尋ねる番組をやっていて観たんだけど、そのとき、「生病老死」が人生の苦しみだというフレーズに、そうか「生きる」ことすら苦しみなんだと思った。以前は、生は「生まれる」或いは「生み」の苦しみだと思っていたから。

生きる。

病う。

老いる。

死ぬ。

つまり、死も苦しみ。死んでも苦しみからは抜け出せない。うわぁ、逃げ場なんてないのか。

ちょっと唖然とした。

そして、似た概念として「自由」と「束縛・不自由」を思った。

人生のすべてが「苦しみ」の連続なら、もしかして人生は「不自由」が当たり前で、その中に僅かに「自由」を得る安堵があり、絶え間のない苦しみの中に僅かに笑えて幸せを感じるいくばくかの隙間がある。それを得るためにヒトは生きる。不自由の中で苦しみながら束の間誰かと喜びや幸せを分かち合うためにのみ生きている。

 

その「僅かな幸せ」と「笑顔」「喜び」。

それで良いんだよね。

 

いつでもふんだんにあるものに対して、ヒトは感謝することを忘れてしまう。当たり前になってしまう。

だから、小さな喜びをより大きなものにするために、苦しい時間を耐えることもきっと人生なんだね。』

 

 ふわは、戻ってこないし、ロイチャも姿を見せない。

 どんなに可愛がっていたつもりでも、後悔ばかりだ。

 ふわをもっと抱っこしてあげれば良かった。

 ロイチャにもっとおいしいご飯をあげたかった。

とにかく、そうしたら目の前にいるレフとアルとチャコ、ハルくん、ミッチに出来る限りのことをするしかない。

 でも、この子たちを目の前にすると、いなくなった子のことを思い出す。

 そして、今までと違う様子に、不在の存在感を思う。

 ふわがいなくなってしまったことで、一番ショックを受けているのは、やはりきょうだい猫たちだと思い知る。

 いつもの半分の量でご飯が間に合ってしまい、いつもいたずらする子たちが、鍋の中身に興味を示さない。

 

 母連に関しては、とりあえず、こちらで出来ることは進めている。それ以上のワンランク上のことは出来ていない。

 週末のインタビューに関しては、先方と連絡が取れてお会いすることは出来そうだ。

 週明けからは、茶話会の簡単な資料作成に集中し。

 来月末の災害医療研修のスタッフに関しては、茶話会終了後に本格的に過年度資料を探して復習しておく。それから、旅程を確認し、時間行程を計算し…。

 ああ、それに関して二つのバイトに休みの連絡を入れなければ。

 

 ホームセンターで、値下げされた鉢植えの花(カクタス)を見つけて、昨日、思わず買ってしまった。濃いピンクの花が一つだけ咲いている。来年はもっと満開に咲かせるように世話が出来たら嬉しい♪

 これで、カクタスは紅白が揃った。

 梅の木も、いつか揃えてみたいね。

 

 


テーマ:

2019年1月29日

 

安らかに

 

 24日、猫たちの様子が妙に静かで。

 それで朱鷺(shuro)は確信を抱いた。ふわは、きっともう帰ってこない。朱鷺(shuro)より、共に生まれ育ったきょうだい猫たちが、「分かって」いたんだと思う。

 25日、アルが吐いたそうだ。

 そして、28日未明、朱鷺(shuro)がバイトに行く頃、ハルくんが吐いた。

 タイガの死後、コロチャともずくが吐いて吐いて弱ってしまったことを思い出した。

 あんなに家に居たアルが、あれからずっと出掛けてばっかりいる。

 ふわを探しているのか。

 冷たくなったふわを見つけて寄り添っているのか。

 

 雄ばっかりの家の周辺に見切りをつけて、新たな縄張りを開拓しに行ったんだと思いたいけど、ほんとうにそうなんだろうか。

 いずれ、猫たちは、ふわがもう帰ってこないと確信に至る頃(数日帰ってこない程度は誰もがよくやっていた)、どんどん元気がなくなってきて、食欲もなくなり、ちょっと出かけた朱鷺(shuro)が家に戻ると、戻ってくる度に「ごはん~ごはん~」と騒いでいたのに、柚矢がちょっとしかドライフードをあげなくてもそれで満足するようになっていた。

 

 出掛けて家に戻ると、家の前で猫たちが並んで待っている光景がよくあった。

 今は寒くなって、滅多に外に出ないからそういう姿もあんまり見ないのだけど。

 数日、いなくなっていた猫が朱鷺(shuro)の外出中に帰ってきて、家の前で待っていた姿を見ることがあった。だけど、今はいつ帰宅しても、ふわの姿を見つけることはなく、そして、言葉にして知った。

「ふわが、無事に元気な姿を見せることは、もうないのだ」と。

 

 君の魂が安寧であることを祈る。

 

 抱っこするとふにゃりととろけた顔をすることも、頭を撫でると撫でた方向にどんどん曲がっていくことも、頭に観音様も模様があったことも。

 

 4匹揃っていればレフを、3匹でレフがいなければふわを一番最初に抱っこしていた。

 アルは抱っこが嫌い。

 チャコは、ちっちゃくてモフモフでちょっと毛質が違う。

 

 ハルくんは別格で、毛色も綺麗で、ふわふわで、良い子。ミッチはニンゲンに触れられるのが嫌い。

 ロイチャも最近は触れられるのをイヤがっていた。ロイチャは今月は一度しか帰って来てない。

 それでも朱鷺(shuro)は未だに「猫は7匹いるんです」と言う。

 

 みんな、いる。

 

 

怖いチャコ

 

怖いアル

 

ロイチャ

 

仲良しだったふわとアル

 


テーマ:

2019年1月24日

 

‘ひかり’とその側面。その裏側の陰、そして闇。

 

 お見舞いに行けるほど、元気になって、ほんとうに良かった!

 

 結局、火・水・木とそれ以外の日中に「よし、行くぞ!」と思い立ったときしか神社には行けておりません。

 お願い事は「『彼』のつらい魂の修行が一日も早く終わり、心身ともに健康を取り戻すことが出来ますように」。

 

 ひとつ思ったのは。

 良い悪いじゃなくて、今、日本ってとにかく「迅速」「正確」「丁寧」が求められていて、それがすべての前提になっている、ってこと。

 だから、『彼』も急いで仕事に行かなきゃと思って、スピードが出てしまってたんだろうな、と。

 

 最近、イギリスに嫁いだ方のブログ読んだり、「劇的ビフォーアフター」の海外編を観たりして、日本ってすごいな、と誇りに思うのと同時に、同じものの側面をすごく考えさせられた。

 良いことの裏側には副産物が必ずあるということ。

 光が当たっている裏側には影があって、そこに闇が存在すること。

 

 良いとか悪いとか、正義とか悪とかではなくて、「在る」ものを変えていく努力をする、或いは変えられないものは、受け入れて行く、その努力しかないんだな、と。

 若い頃は、なんでも「変える」努力をする方が好きだったし、その方が動いている分楽だった。でも、もう変える努力をするよりも、受け入れる方が楽かも知れないと思えてきた。それでも、ヒトにはどうしても許せない、譲れない一線があるから、それこそ「地雷」が埋まっているから、それを避けたいなら、離れるしかない。

 選択は本人にしか出来なくて、選択は自由。

 政府に監視されて、言動を操られている訳でもなく、移動を禁じられている訳でもなく、仕事も住む場所を変えることも、言いたいことを発言し、罰せられない自由がある。だけど、それを行使するなら「責任」はすべて自分にあり、「覚悟」がないまま進んだら、結局引き返すしかなくなる、っていう厳しい自由。

 

 大丈夫。

 ヒトは生きてさえいれば、何度でもやり直せる。

 

 だから、とにかく信じた通りに進むしかない。

 

 ‘ひかり’の方へ向かうしかない。

 

 そして、それで良いんだと思うよ!

 

https://ameblo.jp/ubusuna-jinja/entry-12434995904.html

 

『17日より冬の土用の期間に入り

一週間が経ちました。

 

体の不調に

悩まされている人も多いかと思います。

 

 

インフルエンザも

猛威を振るっていますが

 

これにかかることも

浄化に他なりません。

 

 

日頃から身体の毒出しが上手くいっていないため

 

高熱 発汗 嘔吐などで

 

ここぞとばかりに

身体が排毒しているわけです。

 

大人はとくにそうです。

 

 

インフルエンザにかかってしまったのを

アンラッキーと思われるかもしれませんが

 

かかるにも

それなりの理由があるともいえます。

 

しっかりと受け入れて

 

そしてご自身の日常生活の在り方を見直す

そのきっかけにしていただければと思います。

 

ただご高齢の方々は

ほんとうに注意していただければと願っています。

 

私も気をくばりながら過ごしています。

 

 

開運思考というのは

 

好ましくないものごとがやってきたときに

どう受け止めるかです。

 

 

「ついてないなー」

 

「やってらんない」

 

「なんで私だけ・・」

 

 

その思いにいるかぎり

魂の成長は望めません。

 

 

やってくるには

 

それを経験させられるには

それなりの理由がある。

 

そこに思いが向けば

 

そこから学びが始まります。

 

 

他人や環境のせいにしたり

 

「ツイテない」

 

の一言で終わらせるのではなく

 

自分が経験する物事は

 

 

全て自分自身に責任がある

 

 

その心の状態で常にいられれば

 

人生で経験する全てのことが

神さまから与えられたありがたい学びであり

 

魂の成長の機会であることに気づけるはずです。』

 

 真壁さんの昨日のブログ記事でした。

 

 なんだか、すごく身に沁みます。

 

朱鷺(shuro)

 

 

 結局、これって、朱鷺(shuro)自身に云った言葉だと思う。

 とにかく、進むしかない。

 そして、ある程度の区切りをつけて、道が見えたら…

 きょう、ふわのきょうだい達の様子を見ていて、唐突に思った。

「ふわは、もう死んでしまったのかも知れない」と。

 

 

 

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