2019年2月22日
許容量を超えないように
そんなに許容小さいのか?
世の中、もっといろんなことを一気に抱えて、それでもすべてを淡々とこなしているヒトが沢山いるんだろうなぁ、と思うけど。
いや、許容の問題じゃないのかなぁ。
これは、禅の修行をしなきゃのレベルなのかも知れないと思うのだけど。
もう一方で、作家としては、そういうぐちゃぐちゃ感というか、一歩足を進める度にずぶずぶと泥に沈んでいきそうな切羽詰まった生き方を捨てられないっていう自ら望んだ病を抱えてもいる。ような気がする。ほんとうに死んでしまうくらいじゃないと、作品って出来ない。
とりあえず、整理してみるね。
(誰に言ってんの?)
(いや、もちろん、朱鷺(shuro)さんにだよ?)
1、消防協力隊。3月3日に春の火防運動で各戸をまわる。その連絡は一応まわした。一人の副班長さんには留守電に入れただけだったので、後ほど要確認。でも、これは、帰宅後で良いことにする。
2、母連。企画書を作った。あとは、副支部長が「こくちーず」を作成してURLをくれれば本部へ送信して。やはり帰宅後、会議室の予約状況を聞いて仮予約を入れる。
3、NPO関連。今週末のスタッフ参加は、雑用だけで大丈夫と判明したので安堵しました♪
メルマガ企画に関しては、カメラ持参で、数人の鍼灸師、医師に突撃インタビュー予定。代表理事が事前に話を通していてくれている。はず!
24日はスタッフ。3月9日10日は参加者として災害医療コーディネート研修に。
4、バイト。早朝バイトは、次の人が見つかるまで…と言っていたが、日中のバイトさんが最近見つかったと思ったら、一週間で「辞めます」となったらしく、また一人足りない状況。別に、もうここはずっと働いても良いかもという気になった。早朝のみだし、あれ以来(辞めますと言って以来)、店長が恐ろしく態度が変わって、「う~ん、そんな気ぃ使わんでも良いんじゃけんのぅ」という日々が続いている。まぁ、いずれ辞めるニンゲンという対応なんだろな。
5、時雨と柚矢。時雨は、月に一度は上京して、企業の説明会っぽいものに参加したり、体験談を聞きに行ったりと、いずれ、就職に関する動きをしている。その一方で来年度は休学してワーホリと海外での研修に参加したいということ。で、今はバイトに励んでいる。家にいない時間が多くて、顔を見ない日もあったりする。
柚矢は、体調がまったく良くない。甲状腺がどうの、自律神経がどうのと自分で調べたのか誰かに言われたのかの素人診断。でも、思うのだ。何の病気とかじゃないんだよ。もっと根本的なことで、もっと単純なことで、「向き合うことを避けている」ことなんじゃないだろうか、とね。
そして、彼氏とは付き合ってはいるけど、今、職場に気の合う他のヒトがいて、よく一緒に出かけている。昨夜は帰ってこなかったし。別にそれに対して嫌悪感があったりはしないし、倫理的にどうとか言うつもりもないが、「誰かを傷つけたり、誰かを不快にさせる」ことは、間違っている、とだけ思う。
とはいえ、それも本人たちが決めることであり、朱鷺(shuro)は、口出しはせんが。
6、にゃんこのこと。レフの胸にあったしこりは、ちょっと出血みたいになっていたので、施灸をしたらほぼ消えた。灸、おそるべし!
今、ほぼ家にいるのはミッチとハルくん。時々レフが帰って来て寝ている。アルはご飯を食べに戻って来て、食べ終わるとまた出掛ける。ロイチャは、月に一度くらい顔を見せに戻って来る。
ふわとチャコは、いなっくなって以来、一度も帰って来ない。
7、朱鷺(shuro)のこと。
これが一番問題か?
今の仕事。本業(鍼灸)。申告書も帰宅後に作成せんと! 副業(農業)(←これはもしかして、いずれ自営としてやるかも知れないし、どっか離島とか行って始めるかも知れない)。バイト1(配膳)、バイト2(単発・会館清掃)、バイト3(早朝)。あと、収入には関係ないというか、むしろ消費レベルの仕事として、NPO関係。メルマガ企画のインタビュー記事の執筆。いや、書くのは構わないんだけど、対面して話を聞くのが大変。何が大変って交通費が。
それから、心の問題。う~ん、魂の?
カナシサや辛さや苦しさは増していく一方。
祖父母、柚矢、都内在住の「彼女」、「彼女」の友人の事故、首都圏在住の幼なじみのご友人。
列挙したすべての人が今、肉体的に病んでいる。
キネシオロジーの齋藤さんのセッションを受けさせたいと思ったりしたけど、「彼女」の言う通り、もしかして、一番それを必要としているのは朱鷺(shuro)自身なのかも知れない。もしかして、周りを不幸にしているのは、朱鷺(shuro)なんじゃないかと。
昨日、久しぶりに話した双子の従妹。彼女の話しもつらくて。
親戚も、いとこ達も、どうして誰も幸せそうじゃないんだろう。
朱鷺(shuro)の周囲は、どうして誰も幸せじゃないんだろう。
幸せじゃないヒトを見るのがつらい。
弱っていくヒトを見るのが悲しい。
可愛がっていた猫が減っていくのが寂しい。
悲しい。寂しい。つらい。だけどこれは、恐ろしいことに、イコール「美しい」に変換されてしまう。そして、「愛しい」にも。
絶対値があがって、つらくて死んでしまいそうになればなるほど、その美しさは増すのに、反比例して、朱鷺(shuro)自身に対しての嫌悪は増していく。
いったいこの構図はどういうことだろう、と思う。
積極的に死のうとは思わない、と発言して笑われたことがあったけど。
とりあえず、そういうこと。自ら死のうとはしないつもりだから、決めた分の生はまっとうしないと。そして、生きている限りは、出来ることを尽くすしかない。
出来ること―。
整理してみたから、なんとかなるっしょ。