akyoonの異端の医学と不思議な情報 -93ページ目

akyoonの異端の医学と不思議な情報

医学や健康医療の【トンデモ論】を主としています・
本人はいたってまじめ。 しかし自分で自分を検証できないので、眉唾と取捨選択が必要。

おかしいなあ・・・

へんだなあ・・・・


オマエのことか?


じゃない!

どうもね、自分がのぞいているのを見ているのぞき屋がいるような・・・


はは、オマエ、あれ見ていただろ(笑い
MSものだよ。あれ何時間も見ていただろ(爆


汗;;;;  え! どうして~~!?


まだわからんのかい。
オマエの見ているネット上のものはぜ~~~んぶ見られているんだよ。


えええええ~~~~!

どうりで、たとえばPR画面でボクの欲しい物や過去に検索したりして眺めた桃色写真だの雑誌だのが出てくるのか!


そういえば、最近のノート買ったら、カメラがついていて自分の顔が映るんだな・・


ふふふ、じじっくさくて嫌だっただろ(W


そうそうそうそうそうろう~~~
あれ自動でつかないようにしちゃった。


ふふふ、怖かったんだな・・・W


そうそうそうそうそうろう~~じゃないぞ

とにかく、あの映像もひょっとしたら・・・・


ふふふ・・あのアホ面してなにかやってた画面・・・・
とっくに覗かれていたとしたら・・・・



汗;;;;;;;;   


ということで、もうこの世界は隠しきれない世の中になってシマッタようです。


じゃあ、自分から先に言い出せばいいべえ。

とは、言ってもあれとこれとそれだけはヒミツにしておこう・・・



ははっは、ぜ~~んぶのぞかれているんだよ。
それはネットだけじゃない。


神としてのオマエがな。



え、それじゃあ、神はのぞき屋さん。


ふっふふ、だから人間はのぞきが好きなんだよ。



2006-05-15の記事です



騙したとか騙されたとか言うとどうも不快感が起こっていけませんね。

そこで、おおきく考えて人類全体がまだ発展途上だから智慧がたりませんでした~ってあたまかきかき~~って事でみんな同類なんだから、だれそれを批判するのじゃなく、自分で自分のあたまをかきかき~~ってのがよろしいようで。

でも、こんな事実を皆が知るのは当分先のことになるかも。
いままでこんな情報があっても誰も信じない かた~~いオツムばかりならんでいたからねえ。

ここをたまたま読んだあなたは運が良い? いやそうでもないか。
おそらくこんな話しを周りの人に言ったとしたら、医学関係者に言ったとしたら、どういう反応があるか、どうかどうか試してみて貰いたい ですね。


傷には消毒を付けるなの夏井医師の記事から
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以下引用ーー一部です。

 このような知識に出会うと,医学界での抗生剤や消毒薬に関する従来の知見は,全て見直す必要があるのではないかと思われる。従来,抗生剤の効果は浮遊菌を対象にさまざまな濃度の抗生剤を作用させ,その半分が死に絶える濃度で求められてきた。
しかし,上述のように浮遊状態は細菌の特殊な状況であり,自然状態ではVBNCが基本である。要するに,浮遊細菌という,「最も活性が高く,最も抗生剤が効きやすい」状態で実験されてきた物である。
ここからして既に,不合理なのである。

抗生剤が有効なのは炎症を起こしている元気な細菌だけであって,VBNCにある大多数の同じ細菌には効いていない。


これを繰り返していけば,やがて抗生剤は効かなくなるはずだ。

 これは消毒薬も同じだ。

消毒薬の効果を調べるためには,試験管や寒天培地に細菌をばらまき,それに消毒薬を作用させ,それを新たに培養してコロニーを作った数で調べている。

しかし,本書でも繰り返し述べられているように,VBNCの細菌は全て死滅しているわけでもないし,復活できる菌が含まれている。

 まして,殺菌効果を生理食塩水に浮遊させた細菌で調べた場合,消毒薬は失活しにくいことは明白だ(生理食塩水では消毒薬は失活しない)。

一方,線維芽細胞などの人体細胞に対する毒性(作用)を調べる際には,血液培地などで細胞を培養し,その上で消毒薬を作用させるが,この実験系は最初から,消毒薬が失活しやすい条件で行われているのである(培地そのものが消毒薬を失活する効果を持つ)。

 従って,このような条件が異なる実験データを比較して,「人体には安全な消毒薬の濃度」なんて議論をするのは愚の骨頂である。

 いずれにせよこれは,多くの医療関係者に読んでいただきたい良書である。特に,院内感染の専門家を任じている先生方には,必読の書だと思う。間違った知識(=従来の常識)を前提に感染管理を論じることは,根本から間違っているからである。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上ーーーー
この本のようです。
『培養できない微生物たち -自然環境中での微生物の姿-』
(Rita R. Colwell,学会出版センター)



根本から間違っていると判っていても、やめられないとまらない合羽えび○せん
もう絶対のまないぞ~と固く決心しても
もう舌なめずりして、酒瓶のふたをポンとあけている小生がよい見本じゃあ~~♪

朝に決意して、夕に禁を破る
わかっちゃいるけどやめられない 
スイスイ~スイダラッタ スラスラスイスイ~~♪ ットォ~~

おい、オマエの呑むのと一緒にするな!



2005-03-22の記事だった

友人というよりこの道?の大先輩のお通夜と告別式だった。
ちょうど彼岸入りに旅立った(本当は旅立ちでなく、こちらが旅先なのでお帰りになったのだが)

まだ53才であった。
才能あふれる、気持ちも最高なのに、どうして・・・・と、人は思うかも知れない。

しかし、僕は思わない。

この世の成功とか不成功などは目的で旅に出てきて居るんじゃないからだ。
しかし多くの人は人生の成功を夢見て、また目的として生きているような錯覚をしている

人生に目的があるとしたら、それは「今の体験を味わう」ことだ(ということにとりっぜず共鳴している)

地位や名誉お金を求めるのはなぜだろうか?

今の自分が不完全だと思うことが一番じゃないの。
この不完全な人間を自分で認める事が出来ないから、他人から認めて貰おうとする。

それには衣が必要だ。中身より多くはこの衣を評価するからだ。
中も立派なら外も立派なはずだという固定観念。

衣を評価して貰うために人は必死になっている場合がある。
もっともっと・・もっと

オレは私は   すごいんだ。
(ほんとうは今すごくないと思っているからもっともっとすごくなろうとする)

どんどん進化している、高く高く進歩している オレ

ということは未来にそうなるなら、  今は そんなにすごくないということか。

そんな事はわかっている!

と知ってはいるけど やはり 自分で満足しない自分を他人から思う存分高く表亜kしてい貰いたい

だから もっともっとがんばろうとする。
今のままで最高なんだと自分に言い聞かせても、自分の中のなにかが反発しているからだ

それじゃあ、あんただめだよ。もっとがんがらなくちゃあ
そんなに堕落した人生じゃあ 何のために生まれてきたの?

こんな声が聞こえている。


いつも
もっともっと立派になって、幸せになって、金持ちになって、出世して、・・・
あれもこれも持って・・・・・・・


そうして疲れて くたびれて  


春はやはり山菜採りが一番のエネルギー補給になる
そうして、ここでももっともっと もっと いっぱい採ろうとして  



がんばっているオレが居た・・・・

あきょ~~~ん

死ぬ前にきづけよ!!


題名と全然関係ない話になってしまった。
キーボードに打つままそのままアップだから、どうでもよいのだが
2005-03-22投稿記事

まあ、当たり前の話だけど。
しかしこの当たり前すぎるほど当たり前の話が通じないのが生きている者の欲とでも言うのだろうか。

これを強欲と言うか、自然に備わっている生存欲とでも言うのだろうか。

あちらの世界からこちらへ生まれてくる時は とても恐ろしいという。
でも、こちらでは誕生してきた子供を祝福してお祝いする。

あちらの世界では戻ってきた時に大いに歓迎されて、しかも帰ってきた魂はほっとするという。
そうとう苦難の旅であったときはそれもひとしおの想いなのだろう。

しかし、こちらではあちらの世に旅立ったと言う。
そして、皆がとても悲しんで「かわいそうに」などと言う人もいる。

特に若い年の人が死んだりすると、何かとても間違っているような感覚でみてしまう。
「どうして?」とか何か間違っているという前提を作ってしまうくせがあるようだ。

だから、その重大な原因が何かあるはずだと考えてしまう。
そこには「何か間違っていた」生き方があったとか、「なにか間違ってした」ことがあったとか、

いろいろ詮索をしてしまう。

でも、本当にそんなに簡単に原因があるのだろうか?
人に人の死の原因など分かるはずがない。
だいいち、その人の寿命も分からない、だから、他人の死期をハッキリと言い当てる人など居ない。
それどころか、自分の死期さえも分からない。

そんな人に原因だの間違っていただの、そんなこと分かるはずもないのだ。

だいいち、若くして死ぬことが本当に間違っているのだろうか?
長生きしていることだけが本当に正しいことなのだろうか?


まったくそんな事には関係なく人はこの世に旅立ってきたとしたら、
しかも、波瀾万丈、とても悲惨な人生だったとしても、

自分の予定コースになっていたとしたら、

ゲームセンターでゲームをするときに一番のめり込むとき、我を忘れている。
そしてゲームが現実そのものの様に錯覚してあつくなっている。

人生のゲームに入るとき我を忘れているとしたら。
その我とは 自我(別名エゴ)でなく、大我、真我のところであったら。

死とは自我から大我、真我へと意識が拡がってゆけるとても良い切り替え時なのだろう。

ゲームセット、そして、また新たなゲームに向かっての楽しみがある。
ただ、死の直後はその現実感の興奮さめやらぬ自我がまだ残っているから、ちょっとの間に癒しの期間が必要だろう。

あ~~あ、少しゲームの余韻を楽しんで、あとはちょっと癒しランドでも行って逗留してさっぱりとしてくるかな~~~~


ほんとにほんとにご苦労様でした。
また合おうね。
まだ僕は迫真のゲームで現実感たっぷりに味わって生きてゆくよ。

泣いたり笑ったり、落ち込んだり、感動したり、
こんなに山あり他にありの高揚感は、あちらで味わえないのだろうね。


では、またお会いしましょう。
    偉大なる先輩であり、友である貴方へ







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                               ひまあり異学 2002/03/13

現代西洋医学の中興の祖とでも言うのだろうか、フランスのパスツールが今の
医学に与え続けてきた影響は計り知れないだろう。そう、すべての病気は細菌
(ウイルスも含めて)が源にあるという「病原微生物説」が現代医学を支配し
ているからだ。彼はヒポクラテスの遺言を忘れてしまったのだろうか。

そのためにその一派は「魔法の弾丸」を唱えて、ひたすら微生物である細菌の
発見とそれを攻撃することに血道をあげてきたのである。
その時から人類は細菌との戦争に入ったのである。

そして時代を経て、その結果出現したのが超耐性菌スーパーバグの出現であった。
ここで人類は細菌との戦争に打つ手を失い始めたのである。
抗生物質が効かないのである。

さらに恐ろしいことに、「魔法の弾丸」そのものからスーパーバグが出現する
という事態が世界中で起こり始めているのだ。

「院内感染」とは言い換えれば「病院内の薬から湧いてくる細菌感染」という
ようなものである。医師達はまさか「薬から湧く」などとは思わないから違う
言い方をしているだろうが、実状は病院内で抗生物質を使うところにその強力
な耐候性物質細菌が出現しているのである。

パスツールとその一派は当時の医学界において論争を勝ち抜いた。そしてその
後の医学の思想を支配したのである。
「病気を引き起こすのは見えない微生物なのだ」と。
「微生物を発見せよ。そして皆殺しにせよ!」
「我々の敵は微生物なのだ。敵を攻撃する兵器を発明せよ!そして徹底的に叩くのだ。
この世界から病気を作り出す細菌を壊滅させるまで!」

まるで今の世界のテロ撲滅運動を叫んでいるかのように。

 そして、その檄を受けた信奉者たちは血道をあげて細菌対策に取り組んで行
った。そしてその成果が目に見えて上がっているかに見えたのだった。
人類は細菌との戦争に勝利したかのように見えた。
まずは天然痘撲滅宣言はまさに人類の科
学が今後の細菌との戦争を勝利したかと思わせるものだった。(実際は種痘が
天然痘を解決したという証拠は何もないのだが。その事実は「危ないぞ予防接
種」に克明に書いてある)

しかし、結果は(百歩譲って)天然痘撲滅以外に細菌との戦いに勝利をあげた
ものは何もない。それどころか敗戦が確実となった証拠ならいくらである。も
ちろん、大本営はそんな発表はしたくもないし、できるだけ隠そうとしている
。院内感染はその予兆であるのだが、いずれは世界の巷にも超細菌スーパーバ
グは出現することになるだろう。そのときにはもう「魔法の弾丸」は役に立た
ないのである。人類がやっきになって開発した抗生物質に耐性を持つ細菌は直
ぐに出現するからだ。
今の医学では超スピードで進化する細菌に立ち向かう能力はないのだから。も
し新しい抗生物質が出来ても、直ぐ細菌は進化するのだ。その薬剤に負けない
もっと強力な細菌となって出現してしまうのだ。しかも進化は超スピードであ
る。

ブラックジョークではあるが、ひとつだけ細菌に勝てる方法があるのだが。そ
れは一発で人間も殺ってしまうほど超強力な毒薬を用いることである。
笑い事ではないが、死んでしまえば細菌など怖くもない。とりつく身体がない
のだから。
抗生物質の最後の切り札と言われたバンコマイシンはその毒性の強さゆえ、余
程のことでなければ使われなかった強毒薬であった。超細菌はそれにさえも耐
え得る力を得たのであるから、まさに恐るべしスーパーバグなのだ。

もうこの後は敵(細菌)だけでなく、本体の味方(ヒト)もやっつけなくては
ならなくなったのが現実なのである。テロを撲滅しようとして味方も撲滅して
しまうという事態を招いてしまったのだ。きっと彼の世のパスツールもおちお
ち眠りについていられないだろう。それにはわけがあるのだ。
これほどパスツール神話はその後の世界に大きな影響を与えてしまっていた。
そしてそれは大失敗だと分かったのだ。しかし、それでもいちど信じてしまっ
た病原微生物論者の一派は止めることをできないでいる。
あくまでも「奴ら(細菌、微生物)を叩け!皆殺しにせよ!」と突っ走ってい
るのだ。
ここらで宗祖パスツールの遺言(死に際の言葉)に耳を傾けてもよいのだろう
が。

当時のヨーロッパにおいて論争を繰り広げた反パスツール一派があったのだ。

その代表的人物がフランス人生理学者、クロード・ベルナール教授であった。

彼は、「病気は外部から侵入することによってではなく、私たち自身の内部に
その原因がある」とした。すなわち外部環境主導でなく、内部環境主導だとい
うのある。
ヒトの体の内部環境のバランスがなにかの原因で崩れた結果が病気をなって現
れるのであって、感染症以外の病気ばかりでなく、感染症と言われる病気に対
しても
私たち自身を正常な環境に導くことで解決できるものであるという論であろう


しかも病気に対しては治療するというよりも、予防するということが最良であ
るというのである。今の医学が対症療法と言われ、予防よりも治療に主眼をお
いているのはパスツール一派の方が優性を占めた結果なのだろう。しかも治療
はあくまでも「攻撃」性を主としたものである。薬とはもちろん毒物だから有
害物が肉体臓器を攻撃し、手術は肉体を切り刻むという攻撃性をもち、放射線
も正常な細胞をも巻き込んで攻撃することだし、遺伝子を変成させるという。


 つまり、医療が成り立つのは予防よりも治療の方が利益になるのである。き
れいな空気や水。自然で質素な食事、自由な環境での生活など、いくら予防を
指導しても利益にならないのである。病気になってこそ医師達は出番があると
思っている。
また患者も病気の予防には関心がない。病気になってから他人の手に身を任せ
れば良いのだと思っている。それは病気の原因が外からのものだという考えか
ら来るのだ。つまり、自分は何も悪くないのに突然外から病原がやって来ると
いうのだ。

しかし、ベルナールは反対の見方をしていた。そして今日に至っては結局それ
が認められつつある事だ。この様な病気の見方を「地球論」と呼ぶそうだ。
しかし当時の論争はパスツール一派の勝利に終わったのは確かのようだった。
現代医学が未だに外部病原説が大勢をしめているのだから。


    パスツールの遺言

当初は勿論だが、晩年のパスツールはそれに満足していたのだろうか?
人は死に際に本当の事を知るという。パスツールの場合もその様だった。
彼は死に際の床で次のような言葉を語ったと言う。
 
   「病原体はなんでもない。すなわち、地球がすべてである」

地球=環境

ここで「地球」と訳されているフランス語の単語は teriain 。
これは「環境」という意味にもとることが出来るそうだ。
もしあなたの外部環境が健全であれば、そしてあなたの身体がよく耕された土
壌の様に十分に栄養をとっていれば、あなたの病気は十分抵抗できる  とい
うことなというのだ。ここで一つ付け加えると内部環境を狂わす有害物を摂取
していない事が大切な条件になるのであろうが。
(これは自分自身だけでなく、その親の代、そしてその祖先からの環境も含め
てではあるが)
このようにパスツール自身においては、死を迎えての床でその真実が分かった
ようである。しかし、すでにパスツール神話は一人歩きを始めてしまっていた
のだ。その後のコッホをはじめとして、病原菌は医学者により世界中で次々と
発見され行った。そしてその細菌に対しての「魔法の弾丸」と呼ばれる抗生物
質は人類の救世主の様に登場したのだった。一時は世界から病原菌を撲滅出来
るものと錯覚するほどの戦果を挙げたのだった。(ーーと、見えただけであっ
て事実は抗生物質の効果とは無関係にそれらの病気が自然に減少して行った事
実は「危ないぞ予防接種」を参照)

というのもつかの間、次々と登場したそれらの「魔法の弾丸」は効力を失い、
さらに新しい抗生物質の開発。そして耐性菌の出現、また新しい抗生物質の開
発・・・と続くのであった。
そして今、世界中で抗生物質の効かない超耐性菌が次々と登場して来ている。

抗生物質の開発は間に合わないのだ。というよりも、新しく出来る抗生物質に
は新しい耐性菌が直ぐ出現するのだ。まるでその薬剤を待ち受けているかの様
に実に素早く耐性菌は現れる。あたかも「薬から菌が湧く」ごとくである。

世界の細菌学者のトップの告白では、「もう人類は細菌との戦争に勝てない事
が分かった。これからは細菌との共生を考えないと人類は生き残れない」とい
う証言が出始めているのだ。
我々人類は今大変重要な岐路に立っているようだ。
このまま細菌との戦いを続け味方まで巻き込んで自滅するか。
それとも敵であった細菌を根本から見直し人類との共生を考えるか。
事実、細菌にとっても宿主がいるから存在し、宿主と共存共栄する細菌の方が
はるかに多いのだから。
病原菌と呼ばれる細菌にしても普段はおとなしいのであって、「何かの理由」
で突然繁殖して猛威をふるうと言われている。
原因が外にあるか、内にあるかという見方でヒト側が対処する方法や認識が百
八十度違ってくるのだ。
病原外部説にしがみついてしまう人は病気は治療するものだという考え方で、
自分の健康(生命)を他人である治療者(医師)に委ねてしまうことだろう。

「自分は悪くない。原因はすべて他から来る」というのだから、解決も他に任
せる。

しかし、病原内部説を主とする人は予防に心を向けるだろう。
故に自分の健康(生命)は自分で守る事に重点を置くことになる。治療といえ
ども他人任せにしない。そして病気と言うものの真実が見えだして来るだろう
。自分の身を他に委ねていた時に見えなかったものがゆっくりと見えだしてく
る。
そのとき見えない呪縛の様にまとわりついていたパスツールの亡霊から解き放
たれるのだ。

もともと病原細菌説には無理があったのだ。この世から細菌を一掃しようなど
という馬鹿げた考え方が始まりから間違いであったのだから。
この地球は細菌たち微生物で成り立っていたのだ。
土の中や海水の中には微生物でいっぱいなのだ。世界中微生物なくして植物動
物すべてのものが生存することなど不可能である。
もちろん、人間の体でさえも例外ではない。人間にとっても細菌たち微生物な
しでは存在などできないのだ。それを知らないで細菌を「バイ菌」と言って忌
み嫌っていたのだから身の程知らずなのはヒトの方なのだ。

自分自身は細菌なのだという事実。細菌が絡み合って細胞が生きている肉体な
のだから細菌によってヒトは生かされている。
「細菌をやっつける!」などと叫ぶのは「自分自身をやっつける!」と叫んで
いるのと同じことであったのだ。
この肉体を「無菌の存在でありたい」などという馬鹿げた願いは愚かを通り越
している。非文明人の思想を科学的思考と錯覚している野蛮人の思いでしかな
い。
抗菌グッズ思想で汚染された頭にはそれが分からないのだ。
菌が居ないのが清潔だと思いこんでいる。「あなたの身体のどこを覗いても細
菌だらけなのだ」と聞いて驚くことはない。それが正常な身体なのだから。
それでも、「すべての細菌を殺さないと気が済まない」のなら自らの命を絶つ
のが最良であろう。

そして細菌たちを有益菌と有害菌と分けていた愚かさにも気がつく時が来るだ
ろう。すべては内に有り。良いことばかりが内にあるのでなく、悪いと思われ
る事も内にあったのだ。細菌はそれに協力しただけのことである。細菌にその
責任を押し付けていただけのことである。
それぞれの細菌にはそれなりの存在理由があり役割があったのだ。ただ、医学
、生物学など人間の方でそれを認識できないでいただけのことである。
ゆえに「有用微生物」とか「有害微生物」とかで人間の都合で区別していたの
であろうが、まさか自分の方に責任があるなどとは考えたくもなかったのだ。


出発点が「細菌病原説」であったから以後の研究には見えない制限が出来てし
まっていた。
体内に常在する細菌が急に変身してヒトに悪さをするーーーという様に見方を
位置づけられてしまったのだから本当の事が見えてこない。確かに普段は何も
ない普通の細菌が急に変身して病原菌として働くーーーーかの様に見えるだけ
なのだ。
そこに「原因外部説」と「病原内部説」との反対の見方で違って見えるのだ。

(近年大発生しているアトピー皮膚炎、杉花粉症なども見方を変えて見ると真
相が見えてくるだろうが)

さらに進んで最終的には、「病気は悪いもの」と「病気は良いもの」というと
ころまで行き着くことだろう。
それはこういうことなのだが。

 病気とは外部からの攻撃(原因)で起こりそれに負けてはならない。攻撃す
るものの多くが微生物(でありウイルス)である。これがパスツール派の主張


 その正反対の論を言うとまったく逆のことになってしまうのだが。
それはクロード・ベルナール派の内部環境説の様になるだろう。

しかし、ベルナールさえも細菌の本性までは見つけられなかったのか、細菌味
方説まで説いたかどうかは不明である。
そこで一つの論を付け加えてみた。(この論はすでに今から半世紀以上も前に
出されていた)


病気とは内部に原因がある。しかもそれは人間にとって必要なのだ。内部の環
境が崩れたのを修正する為の働きである。すると、病原とされる細菌というは
どう解釈するのだろうか。
まったく正反対の考え方になるのだ。
細菌はその手助けをしているーーーーーとてもパスツール党には信じ難い話に
なる。
なぜ強い毒性を持つ抗生物質に耐性を持つ菌が出現するのだろうか?
なぜ普段おとなしい常在菌たちが病原菌として働くのだろうか?
なぜ病原菌と言われている強い菌を飲んでも発症しないのだろうか?(コレラ
菌を飲んで実験した学者の例)
病原菌は何を餌にして繁殖するのだろうか?それも繁殖する時としない時があ
るのはなぜだろうか?
そして菌が見つからないのに同じ症状の病気として発症するのはなぜだろうか

繁殖する菌はどのようにして成長し死んで行くのだろうか?最後には死滅する
のはなぜだろう?いつまでも永久に増え続けていくのではないのだから。

これらの疑問に答え、驚くべきばい菌(微生物)有用説を唱えたのが岡田茂吉
であった。
それらの詳しい論は直接読んで貰いたいのだが、ここではパスツールが唱えた
病原微生物説(ウイルスも含む病原外部説)はこの二十一世紀においては成り
立たない論となった事と、すでにパスツール自身が死の床において「それが間
違いだった」と告白していた事実を紹介したのである。

この事を知って医学専門家達は一度原点に戻って見直しを始めるべきだろう。
そしていつかは一般の患者になり得る我々は、一人歩きしてしまった病原細菌
説に固執している医師達に身を任せても良いのだろうか考えて見る必要がある
だろう。なぜなら、その病原微生物説に従った医療のの“攻撃性”に遭遇する
のは「あなた自身」に他ならないからだ。

「飲む打つ切る曝す」この意味するところ。自分自身を攻撃される事に気がつ
かないのだろうか。現代医学は病原を外からの敵をみなすため、敵を攻撃する
という指向性を持つ。しかしその敵の内には「我が身」も加えら得ているとは
知らないのだろうか。


きっとパスツールはいまでも彼の世では楽々と眠りにつくことが出来ないでいる
だろう。かつて自分が主張した論がこの世界から破棄されるまで。
彼は大自然の偉大なる働き、微生物による「大調和」を見逃したのだから。

参考図書
超」細菌の報復-抗生物質がつくりだすスーパーバグ
一九九六年八月三〇日第一刷発行
ジェフリー・キヤノン 著
今西二郎 穂北久美子 訳
発行所  三田出版会

 

ちょっと昔のメモ帳を眺めていたらこんなのがあった。
ただ捨てるのはもったいないので(モッタイナイお化け)

ここに捨てることに↓




栄養学は科学的分析学だろうし、伝統食は経験知であろう。どちらかと言うと、経験知の方へ傾くのは歳のせいか。 その土地に産まれたその土地の食で生きる。
験知の方へ傾くのは歳のせいか。 その土地に産まれたその土地の食で生きる。
できるだけ自然に近い物を食べることが「生命力を失わない」。

「生命力が元気の源だ」

世界には極少数のほとんど食べない人間がいるらしい。
彼らはその生命力を食べ物以外から取り入れているという。
だから、ちゃんと肉体は保持出来るのだ。

不思議では無いか。肉体はちゃんとタンパク質で出来ているとしたら。
これじゃ、現代栄養学の分析などチャンチャラおかしくなる。
なに?
そんな特殊の人間はべつものだって?

それはそうだが、絶対正しい栄養学などありもしないのに、全員がそれに準じているという話も変だろうが。

分析学ですべての栄養素が分かったわけでは無い。分かったわけでは無いのにそれを科学的根拠とするのも変だ。食事だけで健康を語るのも愚だろうが、わざわざ栄養分析までして食べる必要は無いだろう。

粗食の粗は粗末の粗では無いと言う。粗は素のことだ。生命素を多く含む食べ物。まさか土を食べるわけには逝かない。美味くない。ひとは食べる楽しみを体験するのだから美味しくないものは栄養にならないだろう。

かといって今の時代のようなごまかしの美味しさは毒になる。粗食こそ贅沢なな食事になってしまった現代の食べ物だから、マイナスからゼロに戻るだけの事に過ぎない。
食事で健康を作るなんて昔のひとは考えてもいなかっただろう。
それよりも喰う物が少なかっただけだ。とにかく食べる物が少なかったのだろう。
貴族や王様達はたくさん美味しい物を食べられたそうだが、結果、体格は大きく元気そうだったが、そのうち栄養過多で病的ヘタリで若死にしたそうだ。

これを皇帝病と言うらしい。(西丸シンヤ氏がそう話していた)
現代は皇帝病が一般庶民にも拡がったようだ。
体格はよく元気もりもりに見えるが、あれが年取ってから急にへたらなきゃ良いが・・

長生きしたのは栄養が充分取れるようになったという。
それも一利あるが、それよりも現代は肉体の酷使も無くなり、充分食べ物が行き渡り、精神的にも生死の心配が減り(貧困や戦争など)いちおうだが薬の効果で浄化作用(病気のこと)が延期されたのもあるだろう。

しかし、芯から頑丈になったんか?
むしろ大きくなって弱体化したんじゃないのか?


長生きの主要素は、栄養の充実というよりも近代は充分飯が食えるようになっただけなのだろう。
そういえばオレのご幼少の頃は喰う物なんて少なかった。柿は青いうちから、桑の実、ナツメなど食いあさっていた。今の子どもは誰も見向きもしない。
魚は冷蔵庫が無いから直ぐ食べられるもの、肉なんてのは年に一度か二度ウサギか年取って卵産まなくなった鶏くらいだった。卵など風邪でも引いて寝込まないと食わして貰えなかった。
刺身なんて夢の夢だった。塩漬けでもしないと保たなかったのだ。食事はいちいち茶碗を台所で洗うなんて事はしなかったな。ご飯の後、お湯を入れてそれを飲んで終わり。(いちおう洗ったことになる)

おかずなどは残ったらそのままホロ(戸棚のこと)にお膳(ひとりづつ個人用にあった)ごと入れて、次の食事の時、かならず臭いをかいでから食べたものだ。
臭いがキツイとさすがに捨てたが、少々の臭いは無視して食べていた。
それで誰も食中毒など起こさなかった。
もし腹痛になっても、自然に治るのが当たり前だったし。


それに打ち勝てないような弱体の者は子どもの頃に自然に間引きされていたんだろうな。
残った者が丈夫な子孫を残すという、ちょっと今では残酷、悲惨に思われるだろうが。
でも丈夫な子孫を残すという目的から言えば大自然流だったのだろう。
とうぜん、麻疹など当たり前だのクラッカー(あれ、このまえ偶然見付けて食べてみたがあまり美味しくなかったな・・)だった。
むしろ、早くかかった方がよいとばかり、わざわざ麻疹のかかっている家に自分ちの子どもを連れて行ったという話があるくらいだ。

予防接種などというものが無かった時代だからと言うだろうが、予防接種の効果など、教えられて来たのはウソッパチだったという統計が暴露される時代になった。


なんだ、天然痘から始まっていた嘘つき統計だったとはね。
自然に大流行して自然に終息していっただけだというのだ。じゃあ、種痘やその他の予防接種の効果は?
と言うだろうが、ぜ~~んぶ同じく「自然のなせるワザ」でしかなかった。
特効薬やら予防薬やら、後からノコノコと出てきて、もう終わりの頃になって使われたのに「手柄をとったり~~!」と、手柄の横取りに過ぎなかったのね。

あれ、どうしてこんな話に・・・
とにかく、人間が丈夫になって長生きするなら文句も無いよ。
ところがやれ医学のお陰だとか、栄養のお陰だとかと言って主原因が吾に有りとばかりに手柄話をするのは止めてくれってんだ。

もっと奥を言えば「人間世界がこんなに苦しい時代は短命で帰ろうよ」と話の折り合いを付けてさっさとアチラに戻ろうと寿命を短くしたんだろうな、きっと。

だって、食う者も少なく、毎日毎日身体を動かして、睡眠意外は横にも慣れないような人生だったら、ゆっくり老後を・・などと言ってられないだろうに。

体験ツアーもほどほどで余韻を楽しむなんて余裕どころジャナイからね。ダメになるときはさっさと肉体におさらばさ。
ところが近代になって、余裕が出てきたからもうすこし人生を楽しもうよとちょっと長生きするか・・・なんてね。

しかしだ、無闇矢鱈に薬飲むから病気も増えて、長生きするにはしたが寝てばかりいてねえ・・元気じゃ無かったよ・・・なんて、むこうで嘆いているかも知れない人間が多くなりすぎた。

長生きも程度の問題だな。医学が長生きさせたなどと言うがそんなの弱らせただけで質が悪化しただけで、毒の浄化能力も低下してブラブラ人間を増やしただけかもしれないぞ。

へたり牛ならぬヘタリ人間じゃ長生き自慢できないねえ。

あ、途中で話がトンデモイスタンブールになってしまった!
次の話がぜんぜん繋がってないジャナイか!


どこからの続き
それがオレの子どもの頃。その親の時代なんてもっと悲惨な食べ物だっただろう。それが今長生きしているのは子どもの頃にそういう粗食で身体の基本を創りあげたからだろう。
だから、いまになって肉食べたり甘いのも食べたりしても割と平気だろう。
ところが、小さい頃から栄養食ばかりとってきた現代人は身体は大きくなったが昔の人のような過激な労働はできない持久力も劣る。タンパク質が足りて中身がスカスカなったんじゃ、今の時代の野菜と同様、見かけだけは大きくて立派だが中身は栄養のない、生命力の少ないものになってしまったのでは。
だから、虫に弱い。弱いから消毒、予防接種で守らなければ生きて行けない。放っておけばたちまち虫食いになってしまうからだ(身体)ろう。
基礎から丈夫になるには栄養食では無い。栄養の無いような粗食こそ生命力があるのだろう。というか、栄養の無いような物から栄養を創り出す機能が人体には備わっているのだろう。
だからタロイモばかり食っているとか高地でほとんど肉が無い地域で高齢者が元気で長生き出来るのだろう。
牛など草ばっかり食べているが身体を見ろ。タンパク質いっぱいの肉体で太っているジャナイか。しかも乳まで出している。もっとも今の牛は雑食させられてるらしいが。

牛だって余分な乳をいつまでも搾られたんじゃ堪らないだろう。それを栄養学に基づいてドンドン食べさせられて、大半は病気牛として加工肉にされている。健康豚だか健康牛だか知らないが実際はほとんど病気持ちで加工肉にされているそうだ。


現代人も栄養食ばかりとって身体は大きくてもヘタリ牛になりかねない。しかも毒入り(添加物や農薬入り)のエサを毎日オイしそうに食べて、「オトーサン、今日もヤキニクね」などと嬉々としているが、あとで鬼気となってしまうかもね。肉ばっかり食べてちゃ。肉絶対だめだとは言わないが、肉は完全消化しにくいから腐敗菌が増えやすい。
そうとう丈夫な内蔵機能でないとね。

あれは小さいうちに素食で鍛えられた今の老人ならダイジョウブだろうがね。
世界中で肉食主体の人種はその土地で喰う物がそれだけだったから順応しているが、たかだか何十年で草食類から動物類に替わった日本人には急過ぎる。


魚介類やら山の獣、鳥くらいだったし、それほど大量に食べていたとも思えない。
手やりや漁船があったわけでも無いだろうし。
幾らでも食べられるのはホンの現代になってからだ。


といいつつ、昨日は肉を食べていた・・・オイ!


題名間違えたな・・・(わざとらしい
というか、妙に分かりにくい、くどい


世界経済は旧式過ぎて、ここらへんでオワタにします。
で、
その湯水のように使えた金(かね)も、急速にしぼんでシワクチャになりますねえ。

あ、オマエの●玉とか言うのはヤメロ!

悔悟保険もどうやら先が見えてきたし・・
あれは医猟保険の分割制度にしただけのこと。

というか、医療産業に福祉をもたらしただけの一時しのぎでしたね。

もうすぐこのやり方じゃ駄目になるというのは分かっていたことでした。

ま、それよりも本家の方が大変です。
世界の医療制度がというよりも、世界に先駆けてニッポンが!

もうすぐオワタの気配を感じるきょうこの頃です。

もっとも、オマエの感じることはいつも的外れだというのも当たりかな・・・

あれ? ふるい記事ジャナイか!!

シワクチャじゃないか!!


医療保険三割負担へから保険制度と現代医療の見直しへ進むか    

                                       2002/02/12

                  


 来年の医療保険患者負担が三割アップということですが、どうもこれは患者
側に負担を増やしただけのことで本当の医療改革では無いという様な気がしま
した。改革は医療を受ける側に責任を押し付けた形であって、医療を行う側に
その責任を回さない様な気もします。が、こんな事でもないと国民はおめでた
い人が多いから、相変わらず現代医療に頼り切ってしまい、ここらで目を覚ま
させてやらないといけないナ・・・という小泉さんの隠された親心が・・・・
あったかどうかは知りません。

しかし、この事によって国民が今の医療とは随分とお金がかかるものだという
認識が少しは出来、危ない薬品や治療から少しでも遠ざかる事になり、まあま
あ今の健康保険制度内では仕方がないか、などと思う私でした。こんな冗談と
も毒舌とも思える話を書いてみたのは、実は現代医療保険制度そのものに疑問
を持つからです。そんなことをこれからミツクロッテ書いてみます。素人の作
文ですのでおかしな所は気にせず大意を読みとって頂ければと思っています。




^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
  現代医療封建制度の見直しを

現在の国民医療保険はとても自由な国民の為の制度とは言えないでしょう。総
ての国民の健康と生命を守るため、国家は最大限度の援助をするものである。
とか有り難い方針も、なぜか私にはむなしいかけ声にしか聞こえない事があり
ます。これには国民の側にある条件が必要である。ーーーこんな隠された「但
し書き」が潜んでいるからでしょう。無条件ではないんだという「但し書き」
は明記されてはいませんが、現実は確かに存在しています。


たとえば、レントゲンが危険な被爆なのだから、拒否したい。胃カメラなどで
、有害な造影物質を飲みたくない。予防接種、ワクチンなどは有毒物質だから
したくない。等々、いろいろ医学の有害性に気づいた人は医師に注文を付けま
す。しかし、これらの診断を拒否した場合、いろんな制度に支障がでてきます。



すべての手続きは医師の診断が必要であり、この医師の総てが現代医学をおこ
なっているからです。現代医学を危険視するのはちょっと極論過ぎるのではな
いか、と思われる方ももう少し検討してみて欲しいものです。まず。薬ですが
、「薬とは毒物そのもの」だという認識が本当にあるのでしょうか。有効だか
ら毒性は無視できる、というような曖昧な考え方が底辺にあるから、いつまで
たっても薬害については無視されて来たのではないかと思います。つまり、「
薬効」という薬学で言えば「薬の主作用」という都合の良い面だけを見てしま
って、都合の悪い面、「薬の副作用」というのを意識的、あるいは無意識的に
見ないようにして来たと思います。だから、薬を奨めるにしてもその都合の良
い面だけを表に出して強調し、薬というものに必ず不随する裏側の面、つまり
副作用の方を無視してしまうのですから、いくらその事を主張しようとしても
、なかなか受け入れられないのが今までの医療の現実でした。

また、レントゲン撮影にしてもそうです。「病巣の発見」という大義名分に隠
されてしまって、その裏にはしっかりと「放射線被曝」という有害作用が付随
しているのですが、それも無視されようとしています。その証拠には、病院(
歯科医院でも)では、まずレントゲンを撮りましょう、と言うのです。それが
医療の一つの必要なプロセスとされているのですから、そのエックス線撮影を
拒否してしまうとしたら、当然医師は不機嫌になります。そうしないと診断で
きないとか手抜き処置になったりしそうです。(表面的には顔に出さないだろ
うが)そのレントゲン撮影が医療費という医療上の「売り上げ」に大きく貢献
しているのも原因でしょうし、またそれが医療の一つの儀式なのですから、患
者側に有害であろうとなかろうとあまり関係ないのが現実なのでしょう。

どちらにしても、主体は医療を行う側にあり、患者側にあるものとはとても考
えられないのが医療の現場です。まして、患者側から医療についての希望どこ
ろか、指示など出そうものならもってのほかでしょう。そんな事を言うならよ
その病院に行って下さい。と言われるか、医師には鼻を曲げられてどうぞお勝
手にとばかり、患者に対しての援助的な事にはもう協力しなくなるでしょう。

もっとうまい言い方は「大きな病院に行って下さい」でしょうか。そこには患
者の健康を守るという事に対して大きく配慮が欠けているとしか思えません。
誰の健康の為にそれを行おうとするのか、決して医師の技術や研究の為に医療
が行われるのではありません。もし、患者の為に医療が行われるのであったら
、患者側に有利な事を第一にするはずです。


私の家族の実体験ですが、まずレントゲン被爆を受けたくないというと、そこ
でほとんどの手続きがストップします。ある認定を受ける為の診断書作成など
には必ずレントゲン撮影の記録が義務化されています。だから、危険と分かっ
ている放射線を浴びないことにはいろんな社会的に用意されている保証や援助
システムは受けられないことになります。目の前に誰が見ても病気症状ははっ
きりしているのに、ただレントゲン撮影が嫌というだけの理由で認定されない
のです。たとえば、路上に倒れている人が目の前に居ても「ちゃんとした手続
き」がないという理由でうっちゃって置かれるのです。それが医療制度に則っ
た「正しいやり方」なのです。そして、レントゲンを撮りたくないというだけ
で医療費の自己負担は大幅に違うのです。保険の徴収は平等ですが。つまり、
保険料の徴収だけは強制的に平等にさせて、患者が有害だと思って拒否する診
断や治療はそれが根拠となって医療負担率を多くする。これが不平等保険制度
の実体です。

そして、当然それは障害認定などの年金制度にも適応されます。いくら年金を
掛けていても、いざ病気の時になって、「レントゲンを受けたくない」という
ことで、どんな重病にある人でも書類手続きが不備のため無視されます。こん
な事が常識になっているのが現実であり、それに従わない人は放り出されてし
まうのです。戦時中の戦闘を嫌う人は非国民だという扱いになるのと同じ様な
制度ですから、保険制度や年金制度は半野蛮的な不公平制度であると言っても
よいくらいです。(これは事実障害認定を受けない状態で三年も市からも国か
らも援助は受けられない事実とレントゲン撮影がないという理由で障害の認定
も却下された事実があります)


この様に、薬や放射能が有害であると分かっているのでそれを拒否すると、各
種の共済制度は受けられないのが実状なので、泣く泣く経済的理由でのみ妥協
して、今の医療体制下に身を任せるしかないのです。だから封建的は制度であ
り「医療封建制度」なのです。そこには患者が自ら守ろうとする生命と健康な
どという理想は無視されてしまうのです。では、なぜそこに封建制が含まれる
のでしょうか。そして、何の為に、誰の為に医療保険制度や救済制度や重病者
の為の年金保険制度はあるのでしょうか?とても患者側に主体性があるとは思
えません。その制度で利益を得るのは誰かと考えると理解しやすいのでしょう
か。分かり切っている答えは「患者のため」です。しかし、患者はお金を出す
側です。病気になっても何の得も無いのです。(ただし、別目的の仮病などは
論外ですが)それによって収入を得ている方は治すための医療を施す側にあり
ます。


そして、収入を得る方の側から保険制度が作られ、それを施行するのも、ほぼ
半強制的にそれは押し付けるのも医療を施す側です。患者は受け身に徹してき
ました。そのうえ、制度に従わないと「どうなっても知らないよ・・」とばか
り放り出されてしまいます。

つい近年までの予防接種などはまさに強制的でした。接種を受けない違反者に
は罰金制度まで作り、従わない者には処罰するという脅しまであったのです。


それによって、直接予防接種禍が起きたり、将来病原になるという情報や予防
接種無効論まで出るようになって、ようやく任意制度になったといいます。そ
してそれに対する保証などすべて国民の税金で支払われます。(これも簡単に
はいかない。国や厚生省などは裁判で徹底的に闘います、被害者の国民と)

と言うことは、その制度を作ったり押し進めたりした人たちはどこに潜んでい
るのか不明だというように、ほとんどが無責任で終わるのです。そんな医療制
度の中で薬害や医療事故でどれだけの方が裁判にも持ち込めないで蔭で泣いて
いた事か、表面に現れた医療裁判などはほんの氷山の一角でしかないでしょう


繰り返しますが、そんな制度からはずれた者は非国民的立場になってしまい、
村八分的状況が嫌な為に渋々と従う人が多いのです。そうなると個人の自由意
志が無視され曲げられてしまい、そこにはもう自由な診療や医療は無いのです


世の中のいっさい、この様な医療システムで動いています。そして、それはも
うガッチリと確率されてしまった強力なシステムなのです。この制度に逆らう
ということは、個人的にはとても苦労の多い体制です。会社に就職、各種学校
に入学、保険を受ける証明、ありとあらゆる事にこの現代医療のシステムは関
わって来ます。民間の生命保険にしても、いざ病気にかかった場合には必ず医
師にお世話にならなければならないのです。私は自然療法だからと言って、自
宅で療養していてはなんらの保険の御陰は戴けないのです。また入院しないと
保険の額も減額でしょうし、そうなると、薬害事故や放射線被曝も覚悟して命
を引き替えにしないと、いざというときの経済的援助は得られないのです。す
べてを医師の診断と治療が支配している世の中です。そして、医師や国家や制
度で堅く守られています。

 そして、人の最終章である死にまでそれは管理されてしまいます。医師に診
断して貰わないと「死亡」という認定が得られなく、死んでも死にきれない状
態になり、どうしても最後は医師に、つまり現代西洋医学中心の医療のお世話
にならないといけない様な制度になっています。

 自然療法や現代医学に頼りたくない患者といえども、最後には現代医療のま
な板にのらないと安眠出来ないのですから、まさに半強制的です。財産目当て
の理由で医師や病院に見せないという事件が時にはあるためだと言いますが、
本人希望や本人の意思があるのに同じ様な「犯罪的行為」だとして見るという
のはあまりにも人間の自由意志を無視しています。
 一部の犯罪者の為に多くの自由意志を無視した強制行為でしょう。

 最後の最後まで医者に係りたくない(有害な診断や治療についてであって、
無害だと思う診断などを拒否するものではないのだが)と言っていても、その
様な死亡認定が得られないと犯罪の様に調べられたり、死体解剖される、と聞
かされ結局は入院などと不本意ながらも同意する人もいるのです。また、最後
になって有毒物など入れたくないと言って、死んでから救急車を呼んでくれと
言う人や、それを実行させた人もいます。
 それほど、現代医療(西洋医学)に逆らう自然療法派には死ぬ間際まで苦労
させられる制度なのです。


さらに、医師が認証しない療法というものがすべてニセ療法にされてしまう危
険性があります。現代西洋医学から見るとすべてがイカサマに見えてしまうの
でしょう。これも考えて見ると非常に統制がとれていて、国民を律しやすい制
度に見られます。巷にあふれる怪しい療法から国民を守る為の制度だとしてい
るのでしょうが、この医療保険制度下で正しいのは、西洋医学を中心とした、
化学薬品、手術、放射線などを主とする「対症治療」でしかありません。


 したがって対症療法を嫌う自然療法派にはその体制内での立場に自由があり
ません。まさか、それによって逮捕される様な戦時中の非国民狩りが行われる
ことはないでしょうが、それにしても異端者扱いになりがちです。
 今では、医学者の中にも自然療法を推奨する医師や、対症療法を非とする医
師も数少ないですが現れる様になってきましたが、彼らは医学界の中での立場
はきっと肩身のせまい境遇にあるのではないでしょうか。その様な医師達は極
めて少ないからです。そして現代医療を否定すると診療報酬は極単に少ないの
で、営業上も困難でしょうから行いにくいということです。

 まして、素人と言われる一般の患者さんが今の現代医学の治療や診断方法に
異を唱えるとしたら、これはもうちょっと大変なことです。このことは実際に
あなたが医師の前でそれをやってみたらすぐ解ることでしょう。
 それもこれも皆少数派であると言うことで異端視されるのです。つまり、今
の医学、医療の世界では悪貨が良貨を駆逐してしまった世界であると思います


 そんな封建制度の中に居て自らの健康を守るには、同じ様な考えを持つ賛同
者を広めなくてはなりません。そのためには常に真実だと思われる情報発信を
心がけ、また情報を得ようとする強い意志を持つことです。するとそれは実現
してきます。

 幸いな事にインターネットの世界がこれを可能にしつつあるようです。もち
ろん、怪しげな情報も含まれたり、現状の体制の利益(もちろん患者側でない
利益)を必死で守る方の情報やら、入り乱れての情報合戦となりましょうが。


 しかし、真実の追求側には強い味方が存在しているということを決して忘れ
てはなりません。真実には「時」が味方するのですから。
 世の中の総ては「時」ととも明らかになります。この「時」を止めることは
どこの誰であっても出来ないのですから、真に偉大なるものは「時」であり、
大自然に逆らうのは結局は大きな損なのですが、それが解らん人(チン)は未
だ懲りずに自己都合の体制を守ろうとか新たに規制する体制を作ろうなどと画
策しているのですから、もう大自然そのものを超えたチョー人なんでしょう。

 しかし、大自然の厳しい審判は一人一人の行為の結果として誰でもないその
チョウ本人に出てくるだけのことですから、まあ、気の済む様に精一杯やって
みたらいいでしょう。


 またまた変なくせが出てしまい、話がだいぶ飛んでしまいましたが、現状の
医療封建制度は、まず振り出しに戻る必要があります。だい一に、この保険
制度が出来るとき、この制度は医療を施す側に主体性があったというのですか
ら、振り出しどころか、もう一度新たに作り出すためにも、一度は解散しても
良いくらいです。

 そして今度出来る健康共済制度には当然受ける治療や診断に「自由」が含ま
れており、そこには「安全な医療」が主体となっていて、しかもそれも極めて
「安価な医療」であって、「健康維持に永続性がある」ものとなるでしょう。


本物の医療とはお金がかかるものでは無く、永続性があり次第に医療そのもの
が簡素化してくるものです。言い換えると医療機関や制度などが段々と不必要
になるほど健康社会が自然と出来上がってしまうものなのです。
 現代医療が作り上げたものが、耐性菌による感染症恐怖症であり、ガンなど
の悪質疾患ばかり増える病気氾濫時代だったのではないでしょうか。
 真の医療はちょうどこれと反対の道を進むことになるでしょう。

今のままの医療では、これからも時と共に医療ミスとか医療事故とか院内感染
とかが増えることはあっても決して減ることはないでしょう。それが現代医療
の実体なのであり、当然起こるべき結果だと思えるからです。
 しかも医療費増大という経済的な面でも患者の負担は増え続け制度そのもの
の破綻が待ちかまえています。


 結論として。
 以上の私の見解は極論過ぎるかも知れませんが、医療費の患者側負担のアッ
プには短見的には不満ですが、長期的には賛成となります。今回の患者負担は
当然医療費が年々増大し続けて来た結果であり、保険金徴収を増やすか(本当
はもうアップ済みである。介護保険料という分散しての小細工で)、直接医療
を受ける人が負担するというどちらかを選ぶしかなかったのでしょう。それほ
ど医療保険は財政危機にあるのです。三割アップくらいでは持ちこたえられな
いのが裏の現実かも知れませんが、今は段階的にしか出来ないし、起死回生の
案も浮かばないのでしょう。

 でも医療費のアップは私的には反対、大局的には賛成です。
というのは、当面の個人の出費は痛く感情的には反対ですが、患者側が現状の
医療に対する不審を生み出すことのきっかけになることを考えると賛成という
ことです。まずは自分の財布から直接出費しないと解らないし知ろうとしない
のです。

これだけ大金を掛けて、さてどうなった?という心が必要なのです。その事か
ら本当に自分たちの健康の為になる医療と制度を考え、新しい医療共済制度を
創ろうと立ち上がる事でしょう。さらに、今の医学や医療そのものに対しての
矛盾や疑問も起こり始めるでしょう。そうならないことには、今の日本の医療
は変わりません。

 医学側から変えようとして立ち上がっている医師も目立ってきましたが、強
固に出来上がったこの体制を崩すということは時間もかかりそうです。そんな
事を待っていても、何時になることか期待できないでしょう。

 医師というのは現代医学の学問をしっかりと学んで吸収して来たのですから
、その学理に反する理論や医療などを簡単に切り替えて受け入れる事は出来な
いでしょう。もっとも現代医学に忠実だからこそ医師の資格を得られたのです
が。医師側からの改革というのは根本的に教育された土台を覆すような事にな
り、非常に難しい改革だと想像します。いったん受け入れた価値観がひっくり
返るのですから。

 それを一般の大衆の側、患者になる者から声を上げる事で大きな流れが起き
ると期待できます。そのためのきっかけになるものとして今回の医療費負担ア
ップはもっと早く行われても良いのではないかと思うくらいです。

とにかく医療費をアップしようがダウンしようが、遅かれ早かれ日本の医療保
険制度はスタートからやり直す時期に来たのでしょうし、また経済的にみても
医療保険制度の自然崩壊も眼の前に来ているのに、それに気がつかないでいる
だけの事かも知れません。そして保険制度がいったん廃しされたときこそ、本
物の医療とは何かと言うことがひとりひとりが改めて検証できる絶好の機会に
なると思います。

 それにしても・・・、何かこう、医療保険に限らず、「総ては一度に始まる」
というのか、世の中いろんな大変化が一度に起きてくる・・・
最近はそんな予感がしきりとするのですが。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
  以下、健康保険制度についての参考書より引用

厚生省の犯罪 より
       著者/松下一成 発行所/ジャパン・ミックス株式会社



六一年には敗戦で中頓挫していた健康保険制度を 「国民皆保険制度」 と
して発足させ、加入者 (被保険者) は当初から全国民の半数に達した。

 しかし、この健康保険制度は、医療を社会化しないままで支払いのみを無
限に約束するというもので、医師階層に有利ではあっても、その中身は薬の大
量投与と差額ベッドによって維持される披行医療であった。誰でもかかれる医
療という名のもとに制度化されたが、大企業健保を中心に九種類にも分かれ、
組合健保で一四六一種、国保も三二七五種に条件が区分されるなど、格差不均
衡が多く、労働者の中に差別が持ち込まれてしまったのである。今ではこの区
分がかなり整理されたものの、相変わらず大企業労働者に有利なものになって
いる点は変わりない。

 また支払いの無限の約束と言っても、計ることが困難な医師の技術料は不
当に安く見積もられ、薬を投与することによって初めて医師の仕事が評価され
るという安易な制度であるために、製薬会社の言うがままの無批判な薬の乱用
、大量消費が日本の医療の中軸に据えられ、五分問診療・神風診療が常識とな
った。元日本医師会の会長である武見太郎氏は、薬価差益こそ健康保険に低く
置かれた医師の技術料を補う 「潜在技術料」 だと言ってはばからず、医師
が自ら薬を処方することを定とする方針を打ち出した。このことが、今日の健
康保険制度を混乱に導いている根源であることは何人も認めるところである。



^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^



 このような環境の中で、自らを振り返ることなく突き進んできたのが、七
〇~
八〇年代の製薬企業の実態だったのである。
 厚生省はというと、このような製薬業界の急激な膨張に対応して、国民本位
の態勢を撃えることができなかっただけでなく、むしろ業界の思惑通り、率先
して利潤優先の施策を実施していったのである。

 特に医療制度はわが国独自の、戦時中の富国強兵制にも似た形で、国民皆保
険制度が大企業中心に取り組まれてきた。
この国民皆保険制度を支えとした医療制度は、独自の公的な薬価決定方式と医
薬 「不」 分業によって支えられ、多くの弊害を生んできた。



 先に述べたように、わが国の医療制度が現在のように薬中心で振り回され
てしまうようになった元凶は、すでに明治時代に芽生えていた。江戸時代に無
免許自由開業医制をとっていた医療制度にも、明治に入ると政府の指導の手が
伸ばされた。
 欧米視察から帰国して医務総裁の任についた長与専斎は、薬学は医学と共に
進むべき学問であるとして、東京医学校 (現東京大学医学部) に製薬学校
を開設するとの断を下し、一八七四年 (明治七年) には 「医制」(現在
の医師法にあたる) を発布した。そして、その中で医薬分業を行うことを決
定した。
すなわち、「医師たる者は自ら薬をひさぐことを禁ず。医師は処方書を病家に
付与し、相当の診察料を受くべし」 としたのである。


 時代は少し下るが、一九五一年 (昭和二六年) 当時、政府提出の医薬分
業法の国会における論争の中で、「医薬を分離すれば一般の人々は必ず仕合わ
せになる。……分離されると秘密の治療が全部公開されるので、薬に関する一
切の秘密というものはなくなる。過誤の責任の所在が明らかになると同時に、
この過誤を絶無にすることができる。……」 との薬剤師側委員の証言がある
。すでにこのころ、非分業が薬害発生の一因をなしているという考えがあった
ことがわかる。

 ところが、これは医師たちの猛烈な反対にあい、「其の診療に用ふべき薬品
に限り……調剤をなすことを得」と、事実上の骨抜きになってしまった。この
医薬分業実施の争いが「米ピ@の争い」と言われたのも、診療報酬に占める薬
剤費の率が高く、これが医師の大きな収入源となっていたからである。一八九
〇年(明治二三年)、「薬律」(現在の薬事法に当たる)実施当時の全国の医
師数三万八〇〇〇余名に対し、薬剤師数はわずか一七〇〇名にすぎず、薬剤師
の勢力の微微たるものであったことがわかる。


^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
 わが国では英米仏独で許可されている数の何倍もの種類を使っている。そ
の結果耐性菌が出現し、今度はその対応に医療機関が四苦八苦していることは
前に述べた。わが国の抗生物質の使い方は、諸外国に比べるとまさに戦国時代
で、その使用方法に何の根拠も無い乱用ぶり。最近はその生産量が多少減少し
てきたとはいえ、セファロスポリン系ではまだまだ外国の倍近い量の抗生物質
が使われている (図11・1参照)。
 確かに医師たちは病院の経営維持の点から、どうしても公定薬価と実際の仕
入れ価格の差が大きい新薬を使って来た。新薬は未承認段階では発見できなか
った未知の副作用がひそんでいるにもかかわらずである。

 かつてアメリカでも、FDA (食品医薬品局) が第二次世界大戦の後に出
現した四三〇〇種の薬の有効性を調べたことがある。その結果、効果が認めら
れるものはそれらの四〇%しかなかったという。「経験を積んだ医師であれば
二〇種の薬があれば十分だ」 という見方をする人もいる。

 また、WHO (世界保健機構) では約二七〇種の必須医薬品を決めている
が、

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
 薬がわが国で研究・開発されたり、外国からの輸入後に、厚生省によって製造承認を受けて日本薬局方に収載され、患者に投薬されたりするまでの大まかなプロセスは次のようになっている。

①製薬企業で研究開発される
②大学病院などにおける臨床試験を経る
③厚生省に新薬の製造承認の申請が厚生省に出され、中央薬事審議会の審査を経る
④承認されたものを製薬企業が製造・販売
⑤医師や薬局等の手を通して患者に服用される              
 このいずれの段階でも薬の安全性が無視ないし軽視される危険性をはらんでい。。




よくもここまで保った悶駄・医療保険制度

「医療保険がつぶれる」
2002年に書いた悶駄が、どうもこれは予言者としては失格だったな・・

しかし、預言としてはまだまだ通用しそうな・・・
というよりも、これから本番だ菜、キッと。


もうシステムとしては改革の余地も無いほど巨大化してしまったこの不健康保健制度。

なんだかんだという時期はオワッタ。
後はバンザイするまでどうにも止まらない、やめられない。

バッカエビ銭

その唯一の解決法は自然にやって来る・・・鴨ね。

それは

  金の切れ目が縁の切れ目

駄郎。

 金でどうにかここまで支えてきたが・・
もう、限界灘棚。

介護保険も同類憐れみの狢

酷民を不健康にする医猟保険制度は自然にオワル・・・

と、あれから12年も経ったのに、
まだ、存続している。

この駄文がいつの日にか、日の目を見ることがある

駄郎か・・・・・


その前にオマエの方がモタナイ?  





古いヤツほど、古いものを好むんでございます (アレ?)
====================


医療保険がつぶれる

                            2002/02/16

医療保険が何時まで保つかどうかという瀬戸際に来ていると思っているのは、私だけではなかったようです。
題名の様な本が出ていましたので図書館から借りてきました。

ちょっとのさわりですが、ご紹介かたがた医療保険制度の自然崩壊を予感する、私のですが、事がますます感じられるきょうこのごろですので、材料として入れてみました。


 著者  山路憲夫
発行所 株式会社 法研
ISBN4-87954-366-7   COO36   定価1500E



まえがき
 二〇〇〇年四月からスタートするはずだった医療の抜本改革が、政府与党によって二年先まで延ばされた。
 その理由は、日本医師会など医療を提供する診療側と、保険料を集め、医療費を支払う健康
保険組合連合会(健保連)など保険者側との利害が調整できなかった、ということになろうが、
この三年間の論議、現実の動きをみると、医療関係者はあまりにも世間の常識からかけ離れた
論議に終始し、それが残念なことにまかり通ってきた。
 その間、医療保険財政は悪化の一途をたどり、切羽詰まった状況に追い込まれた。今日の事
態が予測できたからこそ、一九九七年八月、当時の自民、社民、さきがけによる与党医療保険
制度改革協議会 (与党協) は、医療保険制度改革案「21世紀からの国民医療」と題して、医療
改革の方向についての報告書をまとめ、二〇〇〇年度からの改革を決めたのだ。
 にもかかわらず、この三年間、抜本改革はほとんど進まなかった、といっても過言ではない。
 戦後半世紀の医療政策を振り返ると、医療保険のあり方について厚生省を問に置いて医師会
と健康保険組合連合会 (健保連) など保険者との対立の歴史だった。国民全体の利益にかなう
形ではなく、政治的妥協が繰り返されてきた。が、もはやそれではすまされない。
 医療保険制度は明らかに制度疲労に陥っている。
 薬価、出来高払いによる診療報酬体系、医療の情報公開、看護基準や慢性期と急性期との病
床区分などの医療提供体制の問題、かかりつけ医と病院との機能分担、さらに高齢者医療の問
題、いずれをとってもそうである。高度経済成長期からバブル期までは、曲がりなりにも続い
た右肩上がり経済のおかげで、医療費の上昇もなんとかカバーでき、大きな破たんをせずにき
た。
 政府も野党も厚生省も、医師会も薬メーカーも保険者も、右肩上がり経済に結果として安住
してきた。
 これまでのような年成長率五~六%もの右肩上がり経済はもはや期待できない低成長時代に
入った。二一世紀には世界でまだ経験したことがない少子高齢社会に日本は突入する。全人口
の中で、現在六人に一人を占める六五歳以上の高齢者は、二〇二五年には四人に一人となる。
このままだと、医療費は現在の年間三〇兆円強が二〇二五年には、その三倍弱の八一兆円とな
る。
 低成長下で、この医療費をまかなうためには、まず医療費の無駄、不合理を可能な限りなく
すというコンセンサスを作り上げることだ。そうしなければ、各医療保険制度はもう数年のう
ちに破綻する。

            

と、破綻寸前なのはもう数年も前から言われながら、いっこうに改善出来ていないのが実状
でやっと来年になってからサラリーマンから一割アップではもう間に合わないのではないか
などと私は人ごとに様に言っています。
もし、破綻がはっきりしたとしたら、この日本国が破綻した様な騒ぎになりそうです。
どっちが早いのか、国が破綻するから保険制度も破綻するのか、どうにもこうにもならない気配になってきたのが現実です。
私は20年前に今に銀行も保険会社もどんどん潰れるようになるーーーなんていう
よからぬ予測を聞いていたことを思い出します。
その当時はまだまだ太平楽の世の中でまだまだ上昇気流にあった日本経済の中で
そんな世迷い言を言う奴はトンデモお宅として軽蔑の眼で見られたものでした。

さらに今の保険制度が何時までもつかなどというそれこそ世間を騒がす説まで聞いて
いたこともあり、正直言ってよくもココまでもたせたな、この制度。
私にとってはあまり有り難くない制度でしたので、早く来い来いおしょうがつ~~ではないが、今の危険がいっぱいの西洋現代医学に支配されてしまった健康保険制度など
迷惑かつとても悪影響を受けていたのです。しかし、隠忍自重をモットーにじっと耐えて
来たものです。今でも大きな顔が出来ないくらいまだまだ現代医学の信者さんたちが巷に
あふれていますから苦労しますが。

彼らにしてみれば、私のことを「洗脳された」と思いこんでいて、ちっとも自分たちが洗脳
されているという事に疑うことなどつゆ知らず、こちらの方を非難してきます。まだまだ道は遠くなり、と思いつつ、いや、意外と道は近づいたのではないかなどと、希望を持ったり、
けっこう忙しいのです。心の中は。


どうしたらみんなの目が覚めるか^^)
こんな事を常に考えていたためか、どうにも世間づれした奴になってしまい、どうも一つの
常識はずれのことをやっていると、すべてが常識はずれになってしまいかねないなどと、
反省もちょっとすることもあります。

しかし、今の医学の常識に関してはどうしても、非常識にならないと解明できないのです。
真実を解明するということですが。
だから大きなショック療法が必要なのだと実感しています。そのためにも保険制度の崩壊
などは絶好のショック療法になるのではないかと思って、そのときの為に事前の告知というか
心の準備のために情報を集めつつ公開するというのが私の今の逝き方、じゃない生き方でなのです。

ずらずらと列べ書いていますが、次にその続きと目次を紹介します。

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医療はこれまで、医療関係者の内部でのみ論議され、国民の多くは「カヤの外」に置かれて
日本医師会という強大な政治力を持つ団体をはじめ、さまざまな業界、団体の利害がもろに
からむ。医療改革はさまざまな既得権益にもメスを入れねばならない。改革には力と知恵とエ
ネルギーがいる。

 改革論議のテンポはあまりにも鈍い。既得権益を守ろうとする力が強過ぎる。
この閉塞した状況を変えるには、国民が自らの問題として医療改革論諸に目を向け、参加す
この三年間の改革論議の歩みと問題点を私なりにまとめ、提言した思いはそこにある。


上記の様にみんな人任せにしておいた国民こそ一番悪いのです。
何か起きると、政治が医師会がと言って、みんな人が強制してきたとばかりに思いこんで
いますが、そんな政治を許して、医療側に言いなりになってきたのは国民なんです。

「何もしらないしろうとは黙ってオレ!」  「先生様の言うことなら何でも従いまず」
この両者の関係はずう~っと続いてきた仲良し関係なんです。
それを今更手のひらを返すようにして、アノ医者が悪いの一言で攻撃されたんじゃ
戦後のニワカ民主主義者みたいでちっとも反省などないんです。
軍部が悪い、軍部の誰それが悪い・・もっともですが、それを鵜呑みして指示し、世間の
風潮を作ってきたのは国民ですよ!
近所に戦争反対者でも居ようなら非国民として村八分、密告、それをやってきたから
軍部が民衆の指示を得て思い通りにやりたいだけやれたんです。

医師や病院だけを悪者扱いするのは止めましょう。
軍国主義に従順だったから、軍人になったんでしょう。
彼らにしてみれば国をあげて、国民の熱狂的指示があったからこそ、一生懸命身を粉にして
働いたんでしょう。御国の為に。

では、現代医学に従順な医師達が一生懸命やっていられるのも、国民の指示があるから
でしょう。現代医学を信奉しているからなんでしょう。
では、平和を達成するには軍国主義の誤りを知り、それに付いていかない国民になれば
よいことです。
では、健康と生命を守るためには現代医学の誤りを知り、それに付いていかない国民になれ
ばよいことです。

国が戦争一筋に進んだ時代は国民の総意があったからでしょう。反対はごく少数だったので
排除されてしまったのです。そしてその張本人は周りの一般大衆でした。
国民は原爆の事実を知ったから「戦争終結」を決めたのではなかったんです。
お上からの「お達し」を受けてやっとのこと気がついたのです。戦争に負けたことを。
それまでは一生懸命竹槍の練習に励んでいたそうですから。
最後まで、国民主導の戦争終結じゃなかった、国民はいつもかやの外でした。

話はこじつけになりますが、この現代医学主導の健康保険制度などもいままで国民は
作る時も廃止するときもかやの外なのではないかと思うほどです。
それほどに、軍国主義じゃない、現代医学信奉者が国民だと思いこんでいるようなのですから
とことんまで行かないとだめなんでしょうか?この国の人は。
原爆が落ちてから気がついても傷つくのは国民。
薬害などを受けてから気がつくのは患者。

どこか似ている様な気がします。





これは2000年の本ですから、それからもう1年ちょっと過ぎました。

どうも保険制度の存続は画期的改革でも起きない限り、遅かれ早かれ潰れるのは目に見えて
進んでいるようです。順調に・・・・
私に言わせると現代医学を柱とした現行制度は存続できないのが自然の摂理なのだ
という思いですが、ちょうど弱肉強食の資本主義主導社会が存続の危機を迎えているのと
同様なのでしょうか。大自然は我の強調を望んではいない、協調であり、強制でなく、共生が
本質なのだでしょう。



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あとがき より

利益、既得権を守るのに汲々とし、結果としてこの三年間、医療の抜本改革を遅らせた責任は
 免れない。国民との距離は遠くなるばかりだ。
  それを許した政治、とりわけ政権与党の自民党の責任はきわめて大きい。カウンターバワー
 として患者、被保険者の立場でモノをいい、医師会や製薬メーカーなどをチェックすべき健保
 連などの保険者、さらに日経連、連合は何をしていたのか。
  何もしていなかったというつもりはないが、あまりにも無力ではなかったか。
  さらに問題なのは、医療保険がここまで深刻な事態に陥りながら、政治や行政、保険者、医
 療関係者が多くの被保険者、国民に問題の所在をきちんと知らせる努力をしてこなかったこと
ではないかと、この本を書き終え改めて痛感した。

 この本は、二〇〇〇年秋の健保法改正に合わせて出版しようと、八月から企画が持ちあがっ
 たものだ。



つぎにもうこの事態を予測していた医師である方から指摘されていました。

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病気と闘うな、医者と闘えより   

   書名  病気と闘うな  医者と闘え
 著者   (医師) 富家 孝
 発行所  光文社  カッパ・ブックス
         ISBN4-334-00703-1
   CO295 \848E 定価(本体848円+税)
 2001年2月25日 初版


第7章  医療システムも嘘だらけ


国民皆保険は国家的詐欺システム

 闘病という言葉がある。これは、辞書を引くまでもなく、「病気と闘う」という意味である。しかし、現代では、「病院と闘う」という意味にしたほうが適切であろう。つまり、この時代は、病気になったら、まず医者と闘う覚悟をきめなければ、健康を取り戻せないのである。これが、本書で書いてきたことであり、本書のタイトルでもある「医者と闘え」 ということでもある。

 しかし、本来なら、だれもそんなことは望まないだろう。まして、医者側も、患者が自分たちと闘う覚悟で来ているとわかれば、おっかなくて医療などできないであろう。が、もうこれはどうしようもない現実で、患者も医者も受け入れなければ仕方のないことである。受け入れて、そのうえで、これからの時代を生きなければならない。
 まったく、なんて馬鹿げた時代になってしまったのだろう?

 しかし、もうそんなことを嘆いても始まらない。本章では、日本の医療のすペてをタメにしてしまった原因をより簡単に書き、みなさんが医療問題を考えるための一助としたい。



・医療サービスが日に日に低下していること。
・病院が薬漬け、検査漬けに加、え、水増し請求をやっていること。
・医療ミスが日常茶飯事化していること。
・老人医療費が増加し続けていること。
・病院のほとんどが赤字経営に陥っていること。

 - など、あげればキリのないことの原因は、すべて、この国の国民皆保険という制度にある。この制度は、1961年に完成したが、いまや完全に破綻し、国民に災いをもたらすだけのものに変質してしまっている。だから、この制度が続くかぎり、すべての問題は解決しない。

心ある医者たちは、この制度を「国民をあざむく国家的詐欺システム」と呼んでいるくらいなのである。

 では、なぜ国民皆保険が悪いのか~

 答えは簡単である。本来、こんな制度は成立するほうがおかしかった。ハナから矛盾しているのである。それが、40年も持ちこたえたのは、日本という国がよほど幸運だったからで、それ以外の理由は考えられない。この幸運が永久に失われたので、いまになって、 厚生労働省、医師会、健保組合、そして政治家が、あわてふためいているだけなのである。



機能していたのはわずか15年

 国民皆保険というのは、2つの部分から成り立っている。「公的年金」と「公的医療保険」である。「公的年金」というのは、国民年金、厚生年金のことで、簡単に言うと、将来リタイアした後に受け取れるお金のことだ。これもすでにパンクしているが、ここでは「公的医療保険」を中心に話を進める必要がある。「公的医療保険」は、国民健康保険、政府管掌保険、組合健康保険、共済組合保険などから成り立っている。そして、どの保険をとってもすでにパンク寸前である。

 なぜ、パンク寸前かといえば、支払われる額に見合う収入がないからである。ないなら続けられないではないかといっても、これは国がやっているので潰せない。単純にいうと、ただそれだけのことである。

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 まず、国民健康保険だが、これは自営業などサラリーマン以外の人が加入するもので、医療費は本人3割負担。政府管掌保険は、中小企業の従業月が加入し政府が運用するもので、本人2割、家族3割負担。組合健保保険は、主に大企業のサラリーマンが加入する企業組合 (公務員の場合は共済組合) の保険で、本人2割、家族3割負担である。

 なんで、この3つがあるかといえば、こうすればほぼすべての国民をカバーできるからで、その意味でも保険料は税金と同じである。ここでよく、「サラリーマンはいい。保険料の半分を会社が出してくれる」という声を聞くが、この考え方は間違っている。たとえば、保険料の法定上限は月収の9・5% (政管健保は8・5%) なので、月収30万円のサラリーマンの場合、2万8500円を労使で折半、1万4250円ずつ払っている例が多い。しかし、この会社負担も、もとをただせば、サラリーマンが働いた企業収益から出ているので、本当はサラリーマンが全額払っているのと同じなのだ。ただ、これを給料明細書にそのまま書くとトリックがバレてしまうので、書いていないだけである。

 ともかく、このようにして集められた保険料 (税金) が、日本の医療を進歩させ、国民がその恩恵にあずかれるなら問題はない。が、これがうまく機能していたのは、わずか15年間ぐらいで、1974年以降、国民医療費は毎年1兆円ずつという、すさまじい勢いで 仰増加し、いまや年間30兆円を超えてしまったのである。これは、この国が人口構成からいって、高齢化社会を迎えるとわかっているのに、何もしなかった大きなツケである。

 医療を福祉という面だけで考え、将来を考えず、こんなシステムを導入したからである。福祉国家というものは、福祉を支える若年人口が多ければうまくいく。そうでなければ、毎年、国民一人ひとりの生産性が10%ぐらい上昇しなければ成り立たない。
 こんなことは、小学校の算数でもわかると思うが、いまだに厚生労働省と政府は「高齢化社会でも福祉は低下しない」と、嘘をつき続けているようだ。


健保は2002年に消滅!?

 今日、日本に1761組合 (2000年現在) ある健康保険組合のうち、約@%が赤字である。昨年暮れに、健保連がまとめた調査によると、「全健保の2割にあたる340組合が、2002年には解散の恐れがある」という。もちろん、運営できずに解散したところもいっばいあり、たとえば、1997年の三井金属三池の組合など、毎年約10組合が解散している。

 こんな状況になったのは、ひとえに老人医療費がふえ続け、どうにも止まらないからである。


 ーーー の大きな部分を占めていた時代に、サラリーマンとは所得形態や課税方式が違うことなどを理由に、つくられたものであった。
 しかし、社会状況が変化し、日本社会の企業化が進むなかで加入者の質が変わった。いまでは、老人など病弱、かつ保険料の支払い能力に乏しい加入者が多くなってしまったのである。つまり、市町村が徴収する国民健保は「ふえる老人医療費、ふえない保険料」という日本の医療収支上の大問題点を、いちばん抱え込んでいる存在なのである。当然、その収支は慢性的な赤字状況にある。それが、いまでも存続しえているのは、1984年からの健康保険法改正で、「組合健保をやめた人は国民健保に加入する」という理屈づけで、組合健保から国民健保に、一定の割合の老人医療費拠出金や退職者医療拠出金が流れるような仕組みになったことによる。

この拠出金の割合は、年を追うごとに、つまり老人医療費がふくらむにしたがってふえ続けており、健保組合の赤字原因というのも、じつはここに尽きてしまう。

 したがって、健保組合が「これ以上、老人医療費は負担できない。拠出金はふやせない」と言い出し、日本医師会が「料金の値引きはできない」という事態が、現在起こっている。こうなると、国民健保は事実上運営できなくなる。早い話が、老人が行き倒れになってしまうのである。こうした流れが、健保組合の昨年暮れの調査発表であり、「もはや運営できない」という声明であった。

 これは、日本の老人医療制度の崩壊をもたらすことになる。そこで「運営できないなら、他の保険組合と統合、一本化してほしい」と彼らは要望しているのだ。
 こんな重大な事態になっているのに、この問題は、今日まで大きく報じられていない。私が、ここで訴えたいのは、この点である。



先送りするはど自分の首を絞める

 とにもかくにもふえ続ける国民医療費を、だれがどのように負担するのかということについて、政治もメディアも、そして私たちも、もっと議論し、意見を集約すべきだろう。

 私は昨年『週刊文春』 (2000年3月9日号)誌上で、次のような4つの方向で考えるべきだという提案をした。
(1)老人医療のサービス水準を引き下げるという方向。
(2)もはや公的医療保険では負担できないから、税金で負担するという方向。
(3)現行方式のまま保険料の引き上げを容認するという方向。
(4)老人の受診抑制策という意味も含め、自己負担水準を引き上げるという方向。

  役世代の負担能力は低下し続けると予想されるため、サービスの水準も低下し続ける。世代が若くなるほど、老人となったときに質の低いサービスを受けることになる。
 (2)の場合は、消費税の大幅かつ絶えざる引き上げを覚悟しなければならない。かつて細川連立内閣が倒れた要因として福祉目的税の導入ということがあったが、このような案が再浮上することになる。
 (3)については、現在の経済状況下で、さらに国民からお金をしぼり取ることを意味する点で、(2)と同じである。そして、(2)(3)とも共通して、リタイアした老人世代は救われても、現役世代の負担増というデメリットがある。
 ただ、(4)は、2000年7月の制度改革により、すでに多少ではあるが実施された。しかし、これは老人の自己負担増という現実的対策ではあったが、将来的には現役世代も負担を強いられることになる。
 なぜなら、現役世代に老人医療費の増加分を負担する能力や意思がないからといって、次々と老人の負担部分をふやしていったならば、世代が若くなればなるほど、老人になったときの負担が重くなるというサイクルが生じるからだ。老人への安易な負担の押しっけは、やがてブーメランのように自らの身に戻ってくることに気づいておくべきだ。
 残念ながら、どのような方向に進むにしても、現役世代にとって「よりよい老後はない」。

この前提に立って、私たち国民は医療費問題の解決方法を選ばなければならないのだ。ところが、政府は昨年も改革案のとりまとめを先送りした。この間題は先送りすればするほど、その時点での国民の負担は過重になることを、ここでは明確にしておくにとどめよう。



こんな風にかいてありますが、著者 は医師でありますから専門家の意見です。
私のような素人の話と違ってきっとインパクトがあるでしょう。
なんと言っても肩書きがないと知名度がないと、権威がないと信じられないこの国の御頭連には。

どっちにしても最後に泣くのは我々国民なんです。
いつまでだまっているんですか。いつまで知ろうとしないんでしょうね。
私は念願の日光の東照宮を見てきましたが、想念であの三猿の手を引っ剥がしてきました。
あれが効いていたんです。いままでは。

今度は見る猿、聞く猿、言う猿に変わりますよ。日本中が。
保険制度見直しは現代医学の見直しにつながる。
それをあと押しするのは日々増加している大自然の浄化の力なり。


こんなつまらん文を書くのにも随分と時間を掛けてしまった。

後はどうにでも・・・・・


http://www2.justnet.ne.jp/~sho_takeuchi/hoken.htm



いよいよ愁傷です!



「さ~~て、長くはなしすぎたようじゃな。
わしも仕事をしなくては、あんたも忙しいんじゃろうからな。呼び止めてすまなんだと思う。これをばい菌からあんたを人類代表としてのメッセージとしよう。
「ええ~~人類代表なんてまっぴらごめんですよ。だれかほかの人に話してくださいよ」

「わしはもう少し汚物を食い尽くしたら死んでゆく運命じゃ。あんたとまた合うことはないであろう。ここで出会ったのも多生の縁というではないか。わしの話したことゆめゆめ忘れるではないぞ。 汚物からわしらがわいて来る。汚物の原因には薬が親玉格で筆頭。
あとはみんなが知っている食毒、そうして多くの人間様が言う人間の想念毒・・これもじゅうぶん認められて来たことの様じゃ。しかし、このような事はだれも知っていることじゃから、わしがわざわざ言う必要もない・・・・よそで聞いておくれ。」

「ちょっと、待って。あんたたちばい菌やウイルスは、最初は“わく”って言いましたが、血液からですか?どんな分子式で構成されてくるんですか?」
オレはさっきから気になっていたことを聞いた。
「分子式?・・・ばい菌にそんなこと分かるか!ほほう、お前さんたちが好きな、『科学的に証明せよ』ってわけかい。」
「そうですよ、まさか何も無いところから“わく”わけないでしょう。」「実はその何も無いところからわしらは“わく”んじゃよ、ホッホホ・・・」
ばい菌はオレをからかうように笑って言う。
「何も無いところに、すべてが有る。
だから、“無い”けれども、“有る”んじゃのう~。
「????・・」
「お前さんが、さかだちしたって、そこはつかめないんじゃから、そこは無いとも言える。しかし、有る。
いや、べつにあんたをからかうつもりではないんじゃ。
あんたがたの有限の世界からはつかめない世界じゃから、無の世界と思っているだけのことじゃ。無限をつかめたら、それは有限じゃからのう~。そうして、その無限の世界こそ、実体なのじゃ。逆にあんたがたがつかんでいる有限の世界の方が、夢まぼろしの如し・・・なんてね。
ま、わからんでもよいわい。
そんなことよりも、たいせつな事は言って聞かせたつもりじゃ。

わしらは、人類だれもが見逃して来た“薬毒”が一番好物なのだということをゆめゆめ忘れるでない。
それが、わしらからの人類へのメッセージじゃったな。そして、あんたはんが、そのメッセージを受け取る代表となったわけじゃ。ホッホッホホ~~~」
なにやら、ばい菌の説明はさっぱり分からなく、オレにはその高笑いだけが耳にいつまでも残っているのだった。

「よ~うしと。 それじゃあな。 これでわしも思い残すことはない。
サラバじゃ。どれ、食い残したあんたはんの汚物をいただくとするか・・・    アア~、イソガシイ、イソガシイ・・・・」

話を終えた古老の親分と思えるばい菌は、さっさと、向こうでうごめいている仲間の方にゆっくりと歩き始めた。ばい菌のそのうしろ姿はながい話のあとですこし疲れたようにも見えた。
オレが最初に見たときは、ばい菌のやつが黒くて槍を持った悪魔の様なかっこうに見えていたのに、去って行くやつの後ろ姿を見つめていたら、なにかコウゴウシイような姿に見えたのには不思議な気がしたのだった。

オレはそのうしろ姿をみて、思わず、
「待ってください!せめてアナタのお名まえをきかせてください。」
(ばい菌に名まえもなかろうニ)
オレはおもわずばい菌の後を追いかけ、片足をつかんでしまった。

(ん?足がけっこう太いなあ・・)こんなときに変なことを思いながら、オレは足をつかんだまま、なぜか意識がもうろうとして来た。

どれくらいの時間が経ったのだろうか?



「アンタ!!なにしてんの!!」
その声で、オレはもうろうとしていた気分から目が覚めた。

頭を上げて見ると、なぜかオレはうつ伏せになっていて、カアチャンの足をシッカリとつかんでいた。

「なに寝ぼけているのヨ、あんた!
おや?・・・・・そういえばひさしぶりねえ~~」
妙にやさしい声に変わったカアチャンの声に、オレのからだはいっぺんに硬直してしまった。
(まだオレは迷想ちゅうにちがいない!まだオレに迷いがあるからにちがいない。きっとそうだ、そうにちがいない。)
オレは自分に強く言い聞かせていた。

だが、そこからは現実に直面しなければならない大問題で、オレは夢のような妄想のようなばい菌の話をいっぺんに忘れてしまった。
(やはり、あれは夢だったんだろうか・・・)

「ばい菌が話をするなんてことは有りはしないんだ。オレの妄想なんだろう。」
オレは、ときどき思い出しては自分にそう言い聞かせている。

しかし、時には不安になることもある。
「オレが人類代表にされたんでは、たまったモンじゃない。
オレは責任を被らなくてはならない・・・と、とんでもないことだ。
どうしたら、それから逃れられるのだろうか・・・・ソウダ!!
だれかホカの人にこの責任を渡してしまえば・・・・・・・・」

追記 2014/05/23

ここまで、読んだ方は「バトンを渡された」のです。
  やっと、気楽になれたぞ。

 つまり、あなたは誰かにこの話を渡さないと、その責任をしょっている・・・・

むかし、不幸の手紙というものがあった。
現代版幸福の手紙に

  ご愁傷変   終了

愛光楽秋遊