akyoonの異端の医学と不思議な情報 -118ページ目

akyoonの異端の医学と不思議な情報

医学や健康医療の【トンデモ論】を主としています・
本人はいたってまじめ。 しかし自分で自分を検証できないので、眉唾と取捨選択が必要。

手術は大成功!
だが
患者さんは逝ってしまった

癌は縮小した
だが
患者の寿命も縮小した

検診で早期発見
早期治療ができたので
おかげで
寿命が縮んだ

なにかブラックユーモアに聞こえますが

じつは世界の大規模調査(医学界が行った)によると


医療のお陰はほとんど寿命の延長に影響していなかったという!!

この事を日本のマスコミは報道しない。
もちろんお医者さんさえも知らないだろう。

一般人は
そんな事を聞いても


信じられな~~~~~い!

じつは・・・僕が驚いたのは
そんな事では無かった。


無治療グループの方が少し長生きしたという
この
「少しの差」にであった!

もっと差があってもよいと考えていたので

「なんだ薬のんでもあんがい長生き出来るんだなあ~~」

と世間とはまるで違う意味で

驚いて感心したのである。


「医者がストライキした国で、死亡率がぐんと下がった」
という話もあるが

こんな調査はむろん正式には出来ない。

なぜかというと
医療にかからない、医療を受けない」という事は

人道上において非常にまずいことだからだ。

この意識がある限り

この大規模調査の結果は医療に活かされないだろう。

これは医療側と言うよりも

一般人側の意識の方に原因と力がある






ほんとうは真相なんてどうでもイイ。

最終章 というテレビドラマを保存していたのを今日。

映画だと思うが安達祐実演じる後編DVDは昨日。

呑みながら観た。


500缶ビールのひと缶分
涙になった・・・
(そんなわけないか)


二日連続
積み木くずし

ああ、これは吾ら人類の代表的、人生ドラマ。

まあ、自分にはそこまでは・・・
共感、共鳴現象

それにいろんな冷静な解説加えても意味ない。

作者がどうだの、親がどうだの、娘がどうだの・・
そんなのは

ぜんぜん関係ない。

これをみてオレはたとえ90歳まで生きて逝くまえに
いまと同じように感涙できれば
(あ、もう居ないか・・)

小金冶だな。


あのドラマ
失敗の人生じゃなかった

大成功の人生ドラマだったのか!

それは感じることか

理屈入れたらおわりだな

よし
おれもうまく逝くZO~~


それにしても

あの娘は天使だったのかな

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これは他人のドラマを通して自分を客観的にみること



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あ、仕事の時間だ
また後で・・・追記します。

ここも読んでみてください。

医者の言う「余命○か月です」は、大ウソ
 るいネット

医者は自分にもウソをつかなければ
生活してゆけないのか?

患者にウソをつくことくらい当たり前なのか?

医学の犠牲者は医者も患者も同じなのだろう。


お互いにウソを信じ合う
迷信宗教の信者同士なのかも知れない。

神は医学という教義か?

では、また・・


※厳重注意 ; ワタシの話は読まないようにしてください。論文だけを読むこと。

え?どうして要らない話を書くんだ!?
と言いたいのはわかります。  (それはワタシの単なる趣味だからです)






先回の論文と連動していますね。
昭和10年代でしょうか?岡田茂吉氏の医学論。



健康の為なら死んでもいい。

なんか似ているねえ。
苦痛がおさまればなんでもいい。
つまり死んでもいいとは決して思わないだろうが
結果として
そうなったらいやだねえ。

じつは薬の進歩がそれに近づいている今日この頃でございます。
なんて不謹慎なこと書いているが、やっぱり苦痛は嫌だね。
むしろ死んだ方がよいかもなんてフト思うかも知れない。
その時にならないと分からないけど・・・

でも、実際の医療現場ではそういうの多いんじゃ無いのかな?
たとえばモルヒネ。

あまりにも苦痛が激しいので
命を縮めるのは分かっていても、終末医療には必要不可欠だというよね。


じっさい、僕だって苦痛は嫌だね。


さあ、白状しろ!

嫌だね。

これでもか!

イテテテテ~
吐きます、吐きます、なんでも吐きます~~


あっさりとその拷問の苦痛に(*_*) マイッタするぞ、オレなら。


それほど人間は苦痛に弱いのかもしれない。
そんなに苦しむのなら死んだ方がましだ!

そう、標題に近づいてきたね。(( ̄ー ̄)

(近づけてんじゃネエの?)


さて、医療の現場ではその苦痛症状をとるという事が主体となっている。

苦痛が無かったら誰が病院になど行くか!

などと言われるひとも居るかも知れない。


さて、苦痛をとる事がまず医療の治療方針の柱だとすれば

苦痛が無くなればしんでもいい?

ってこともありかな?



ば、ばかなことをいってんじゃねえ!

と、ごっつんこ喰らうだろうね。


癌が無くなればしんでもいい?
これもばかげた話だが、じっさいは抗ガン剤は猛毒物質だし
加減を増やせば死んでしまうほど毒性が強いらしい。
だって、最初は毒ガスから作られたそうだから。


それにしてもありとあらゆる病気の治療には
まず「苦痛症状をとる」ことが先決になっている。

それは当たり前だのクラッカーだとみな思っているだろう。

だが、ここにひどい人が居た。
それは治療ジャナイ!って言うんだから。

このひどい人の話も聞いてみようか・・
だいたい僕はもの好きだからね。
その「もの」のなかには「female」もはいっているようだが・・


低俗すぎるまえがきの後に
不釣り合いな高尚な論文いれて

どうする!

嗚呼、向こうに帰ったらこっぴどく叱られる菜。


ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー



錯覚的治療

 抑々(そもそも)、病気の結果である。苦痛の本質は何であるか。それは、病気を治癒すべき、人間自身の工作が、神経を刺激するからである。例えば、発熱とは、病気を溶解し、又は、殺菌する工作であり、痛みとは、病気を排除し又は、縮小する工作であり、嘔吐下痢は、毒素を排除する工作であり、咳嗽は、気管の浄掃、及び汚物(喀痰)の、排除作用である。
 かかるが故に、本来から言えば、病気の苦痛は、否、苦痛時こそ、病気は治癒されつつあるのであって、苦痛が大なれば大なる程、治病工作は猛烈に進行しているのである。然るに、西洋医学は、苦痛そのものを病気の悪化作用と解釈する。之が、一大誤謬である。病気治癒の為の浄化作用を、悪化作用と誤認する。そうして成立った処の、医学である以上、実に根本的錯覚の途を歩んでいる。之が抑々、西洋医学では、病気治癒は不可能であるという、真因である。
 然し乍ら、一時的にもせよ、苦痛が緩和さるるという事は、医師も患者も治癒さるると思うのは、無理の無い事ではあるが、何時しか事実は逆作用に転向して、病気は悪化するのである。其顕著な実例としては、モルヒネや、其他の中毒患者を挙げる事が出来る。他の例としては、便通の為の下剤服用が、反って便秘を促進し、健胃剤が胃弱者を作り、消化薬が不消化の原因となり、医薬連続服用の結果が胃潰瘍を起し、睡眠薬が不眠症とならしめる等悉く、薬剤の逆作用である。是に依って之を観れば、西洋医療の実際は、病気治療の防止的作用となるのである。又、医学衛生は一面人間をして、恐怖観念を抱かしめ、神経質とならしめ、虚弱者を造る事も見逃せない―事実である。彼の衛生を重んずる、上流家庭の子女、及び医師の子女、又は看護婦等に比較的虚弱者の多いという事実は、此説を証拠立てていると思う。
 然し乍ら、病気の苦痛は治病工作である事を知ったとしても、其苦痛を堪え忍ぶ事は出来得ない事であるから、仮令治療妨害と知っても、苦痛軽減を欲するのは真情である。恰度、モヒ中毒者が生命を賭して迄も一時的苦痛緩和を免れんとするのと同様である。
 此処に於てか、苦痛を緩和しつつ、真に治病の目的を達し得る医術が、発見されたとしたら、それこそ真の大医術である。然るに本療法こそ、此条件に合致する事である。
 西洋医学に依って治癒せられたる患者に、二種ある。一は、薬剤や物理療法に依ってある程度迄治癒せられたる如き状態を呈するのであるが、ある時日の経過によって、再発する症状である。之は、薬剤物理の力に依って、一時的に病苦を弾圧した為で、根本的に、治癒されたのではないから、再発するのは当然である。此症状は、寔に多いのである。今一つは、完全に治癒さるる場合がある。之は、実は自然治癒であって、人体自身の治病力がそうさせたのである。然し此場合、医療に遅延させられるから、長時日を要するのは、止むを得ない事である。然し、医療によって苦痛を緩和されるから、延長さるるも止むを得ないであろう。
 此真相を知らない患者は、医療によって治癒されたと思い感謝するのであるが、甚だしい失当と言うべきである。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー


だって、薬飲んでいたって治る人いっぱい居るジャナイ!

これも多く見られるものでございます。

だったら、文句つけるなよ!


しかしながら・・・・
医療の薬によって治ったと思いこみ、感謝感激することは・・・・


いいことじゃないか!


ところが・・・


なんだよ!まだ文句いいたいか!


じつは、その「思い込み」が次の別の病気の時に
すっかり信頼している薬に依存してしまうのでございます。
つまり、薬で治っているのでは無く、自分の治癒力で治っていることを
知らないために

薬に身を任せてしまうのでございます。
それは命を薬にお任せ致しますというようなものでしょうから・・


なんだよ!薬にお任せしてどこが悪いんだよ!?


いえ、悪いとか言うんじゃなくてぇ~~
その錯覚が怖いのでゴザイマス。
薬妄信がまねくその悲劇が
しかも
最後まで感謝感激して逝ってしまうのでは・・・

見て見ぬふりしていられないのでゴザイマス。


なにいってんだ!ちゃんと見て見ぬふりしているじゃないか!
あんた黙っているだろ,最近は特に。


あ・・・・
もう言い疲れたのでゴザイマス。
で、文字なら誰も読まないし、書きっぱなしで済みますのですみません。

なんだよ。
言いたいけど、聞く耳持つヤツがいないし
言っても反論くらうからいやなんだろ!

あっ・・・・




今日はコソコソと山中に逃げ込む予定です(じつは山菜採りだったりして)




あっ、まさか
ここまで読んでしまったの?
(これは読まない人には関係ないね)



 

最初びっくりだよ。

だって、西洋医学は現代医学と言われて崇拝されている宗教でしょ?

なんて言ったら頭殴られるだろうがけどね。

でも、岡田茂吉の医学論たくさん読んだけど、これはビックリだよ。

だって、西洋医学は薬を用いて「一種の自然療法」だとはね。


この論文の主旨は何か?

無い頭しぼったさ、そりゃ。



 

苦痛軽減 = 病気治癒




 

??



 

苦痛が無くなるから病気が治癒したと言うんではないの?




 

いやいやいや、病気が治癒して苦痛が無くなるんだよ。

 

 


 

???同じ事ジャナイ??苦痛が無くなったら治癒でしょ?


 

 

 

いやいやいやいや、それは医学用語で寛解と言っているだろ?

 

 


 

寛解?こんな字あったかな?


 

 


 

そう、一時的に症状を抑えつけただけで、いつまた再発するか分からない。

 

だが、いちおう苦痛症状は無くなったから気をつけて様子を見ましょう。

 

こんな感じだろうね。それが薬を主体とする西洋式現代医学というものだよ。

 

 



 

そうなの? でも薬が効いたからでしょ?

 

一時的でもよいじゃないの?それに薬飲んで治る方が多いんじゃ無い?

 

 



 

いやいやいやいやいやいや、それはこういうことだよ。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

対症療法の不可

  病気の原因に就て、西洋医学は未だ何等確定的発見がない。故に、病理としては、肉体に現われたる現象に病名を付し、其進行過程を、説明するに過ぎないので ある。従而、其療法としては、現象に対応する、対症療法が主である。対症療法とは即ち苦痛の軽減である。然し、苦痛の軽減と治癒とは全然別問題であって、 苦痛を軽減する事に由って、病気が治癒されるとなす事は、一大誤謬である。
 苦痛を軽減する対症療法が、何故 に誤謬であるかを説明すれば、次の如くである。元来、病気の苦痛、例えば、発熱、咳嗽、痛み、嘔吐、眩暈、不快感等、それ等の現象の本体は何であるか、病 気の発生には、発生すべき原因があり、病気の発生するや、同時に苦痛の発生も、その理由があるべき筈である。要するに、病気の発生は、或る原因に対する結 果であり、その結果から生ずる結果が苦痛である故に、苦痛の本質と、病気の原因が、徹底的に分明されないとすれば、真の治療は確立する訳が無いのである。 西洋医学は病原不知なるが故に、止むを得ず、結果の結果である処の苦痛軽減にのみ没頭し、専念しつつあるものである。故に、それに由って治癒せらるる患者 は、実は、対症療法に依って、苦痛を軽減されつつ、人体自身の自然治癒力によって、治癒されるのであるから、一種の自然療法でもある。
  斯くの如くにして、苦痛軽減の対症療法を受けつつ、自然治癒さるれば、苦痛軽減だけの効果があるから可いが、茲に又、一大誤謬が潜んでいる。それは、苦痛 軽減の方法として、薬剤と器械を用いる。此物質的方法による、苦痛軽減は、其結果として、何倍の苦痛増加になるという事である。一時間の苦痛軽減は、やが て五時間も十時間もの、苦痛荷重となる事である。私は、斯様な事を言えば、或は奇を好む逆説とも、解(と)らるるであろうが、然し、事実は事実として、一 点の誤りが無いから、何程でも実証するに吝(やぶさ)かでないのである。

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 

 



これ読んだけど、なんかやっぱり???だったよ。

 

医学が進歩しているんだから、こんな古くさい論文出したって読む気もしないよ。

 

 

 




いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、

 

それが際だって来始めたのが癌でしょ。

 

あなた癌になりますよ。と三人集まったらお互いに指さしてごらんなさいね。

 

三人に一人が癌になるというのが「医学の進歩」のお陰でしょ?

 

そのうち二人に一人となるらしいよ。医学の進歩でね。

 

 

 



じぇじぇじぇじぇじぇ~~~~

 

 

 



薬飲んで治っているひとは確かに多いけどね。

 

それは薬で治っているんじゃないのね。自分の自然治癒力で治っているのさ。

 

薬は症状の緩和だけに効いているのよ。

 

 

 


じゃあ、やっぱりいいじゃん

 

薬のお陰で楽になりつつ、病気の治癒は自分の快復力で

 

仲良くやって行こうよ! そんなに医療批判ばっかりしていないで。

 

なにか恨みでもあるの?

 


 

 

いや、(お、今度は短いね)

 

じつは倍返しの裏技が潜んでいるいるとしたら・・・

 

薬で症状を軽減しつつ、病は自分の治癒力で治すという

 

一見、好都合に見えるコラボだけどね。

 

じつはその反動というものがあるとしたらどうなる?

 

それが

 

 

 


苦痛の倍返し



じぇじぇじぇじぇじぇじぇじぇじぇ~~~~~~~~~~~~~~


どうりで癌で苦しむ人が・・?




 
世界は

「引用の世界」です

アイデアも
ヒントも
インスピレーションも

すべて
引用です

ナニ!
引用のいいわけか!

引用でもいんよう

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

http://thedaybreak.web.fc2.com/99_blank027.html

今朝瞑想をしていた時、おもしろいアイデアを思いついた。最近私は自分のパソコンからいくつかのプログラムをアンインストール(削除)しなければならなかった。それは、もう要らなくなっていた上に、それらのために私のパソコンは遅くなっていたのだ。私は、自分の人生を動かすために心の中に造りあげたいくつかのプログラムも同じだと考えついた。それは、もう、私のためには要らないものである上に、それによって物事の進行が遅くなっていたのだ。どうして私はそれをアンインストールしないのだろう? そこで、私は始めた。私は私のパソコンの画面を思い描き、該当するボタンをクリックした。それは(一部を除いて)驚くほど簡単だった。一つを削除するとすぐに次がポップアップして(飛び出して)きたのだ。

それをしていて私は気付いた。これらのプログラムは真実でも現実でもなく、単なる幻想なのだ。私はまるで小さい子供のように、それが真実であるふりをしていたのだ。それは冒険するためである。8歳から10歳ぐらいのころ、私は実際には海賊やカウボーイやインディアンではなかった。しかし、そのふりをすることは、絶対に楽しいことだった。もちろん、私は遊びが終われば、ただの少年に戻り夕飯を食べたのだ。

最初に出てきたのは、私が物理的な制約を不満に思うときのものだった。それはいつものことだった。私は、これまでずっと、物理的世界に制約があることを嫌っていた。そこで、私は、その「極端な制約の中に住んでいるふりをする」というプログラムを取り上げたのだ。

私はアンインストールを始めるボタンをクリックした。そして、作業の進行を示すプログレス・バーを眺めていた。それが終わりに達すると私は「完了」ボタンをクリックした。私はそのプログラムが私に与えてくれた訓練のすべてに感謝し、別れを告げた。それから、念のため、私は、自分自身に対して、自分が神から離れていると考えることになったこのプログラムを作成したことを許すと言った。許すというのは、よいとか悪いとか判断することではない。単に、かつて私がそれを創造したという事実と、今はもう創造していないという事実を認めることである。

すぐに、次のプログラムがポップアップしてきた。それは「重さのある固体であるふりをする」というプログラムである。これも私が作り出したプログラムであるが、決して好きではなかった。これをアンインストールし終わると、私はすごく軽くなったように感じた。将来、私がアンインストールしようと考えているプログラムは、「飛ぶことができないふりをする」というプログラムである。

以下、次のリストのように順番に進んだ。

3番目:「慣れ親しんだものを手放すことを恐れるふりをする」。これについては、いくらかの恐れが浮かんだ。エゴは、身の回りに親しいものが何もなくなると、私は迷子になるぞと説得しようとした。しかし、私はこのチャンスを利用することにした。

4番目:「情報を得たり必要を満たすために他人に頼る必要があるというふりをする」。真実は、自分自身で必要を満たすことができるのだ。結局、私は、ほかの人が誰でも到達する知識に到達した。

5番目:「自分がほんとうは何者かを知らないふりをする」。私は、このところ、自分がほんとうは何者かということを知りたくて、いらいらしていた。私は、自分が何者かわからなければ、ここでの仕事もうまくいかないし、次にどこに行くべきかもわからないと感じていた。私は、私のガイドに、教えてくれるようにと泣きついたりした。しかし、私は、ついに理解した。ガイドたちは私にそれを教えるつもりはなかった。私はそれを自分で見つけなければならなかったのだ。それも、私の旅の一部だったのである。

6番目:「自分が第5次元の世界に99%入っている、ということを疑いなく知っていながら、まだ第3次元にいるふりをする」。第3次元の世界と接触するのは、ただここでの使命を果たすためにすぎない、とわかっているのに、別のふりをする必要はない。

7番目:「他の人ができないことができる――それが想像の中だけであっても――ことによって、自分はほかの人より力があるというふりをする」。これは重要なものだが、あまりにも微妙なものなので、現れるのに時間がかかった。私はこれまで、「今すぐアセンションしたい」と考えていた。「今しかない」のであるから、それは当然のことだと考えていた。しかし、さらに考えると、私は、ほかの大勢の人たちよりも先にアセンションしたいのである、と気付いた。自分は、空を飛んだり、消えたりというような、ほかの人ができないことをしたいのだ。それによって、自分はほかの人よりすぐれており、他の人々は自分に対して何の力もなく、自分は安全であると思いたかったのだ。エゴは、これをアンインストールすることに、ぎりぎりまで抵抗した。

8番目:「神なんかいないというふりをする」。これを完了するにはてこずった。 ウィリアム・テル序曲のような、荒れ狂う海、雷鳴と稲妻、木々の上に吹きすさぶ嵐の中を通り抜けなければならなかった。私は成り行きに任せた。やがて、夜明けが訪れた。日が昇り、小鳥たちが歌い始めた。私は、安心と喜びに笑い、泣いた。もはや、私は、神から離れているふりをする必要はなかった。神は、私が神なんかいないというふりをしたことを怒ってはいなかった。

これらの作業を進めていく間に、私は、自分が本当に手放したくないのはどれか、ということに気付いた。いくつかのものは、胃のあたりに吐き気がするほどの恐怖を感じた。あるものはやさしく、あるものはそうではなかった。

最後のアンインストールのプログレス・バーが終わりに到達した時、私は「完了」ボタンを力いっぱいクリックした。そして、これらのプログラムが教えてくれたことのために、すべてのプログラムに対して感謝の言葉を述べ、最後の別れを告げた。さらに念のために、「私がそれをまだ必要としているふり」をする自分に許しを与えた。

私はすばらしい自由と喜びを感じている。どうして、もっと早く、これをしなかったのだろう? ひょっとしたら、したのかも知れない。そして、ただ、まだやっていないというふりをしていただけかも知れない。この世界は、本当にトリッキイだ。いや、それも、そのふりをしているだけかもしれないが・・・。


D.タミック
2013/4/13

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー


なるほど

アンインストール

アンインストール

アンインストール


おお~~
ものすごく

軽快になった


各種の「ふりをする」というプログラム

そのうちの
「自分は無能だ」というプログラム・ソフト

これが一番
おれのパソコンを遅くしていた

フリーズばかり

しやがって!!

アンインストール


つづいてその3

15. 2010年4月22日 21:16:10: 4KgJNqnYuM
悪乗りして「ウイルスの存在する理由(わけ)」

以下は個人的な妄想論ですので、ご理解を。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
細胞に目印をつけてから始めよう

  ド素人が考えたウイルス有用論 (妄想論と言う人もいるが)

身体の中の細胞すべてにウイルスが浸食しているわけではありません。

まず特定の細胞に侵入して、そこで増殖してから、さらに新たな細胞に侵入するという意味は、先ず特定した細胞の中身が問題です。

普通の状態の細胞にはウイルスは侵入しない、侵入できないのです。
特定の細胞だけに侵入してその細胞の情報を読み取り、同じ性質の細胞をめがけて侵入して拡散して行くわけです。

では特定した細胞とは何かというと、毒素の集まった細胞です。
ウイルスの目的は体内清掃夫のお手伝い役の様なものですから、毒素の排除に関わる体内免疫系のお手伝いをするわけです。

要らない細胞、あってはならない毒素のある細胞は体外へ排泄されなければ邪魔になります。
その様な毒素の集まった細胞は血液の滞りや循環を妨げて各機能を低下させています。ある程度集まった毒素が局部に集中して細胞毒が、例えば心臓や肝臓などの臓器の活動を邪魔をします。

毒素は臓器の周囲には集まりやすいので、その周囲の細胞は毒素が多いということになります。
それを生命力の行う浄化作用(免疫力)が毒素排除の活動を起こすわけです。
発熱は毒素を溶かして液状にして体外に運び出します。
出口はいろいろな形がありますが膿状や血液に混じったり、薄いのは水状として排毒されます。


ウイルスの手助けはまず対象となる細胞の性質を読み込んで目印をつけて、特定の細胞のみに侵入するわけです。
そして、細胞を内部から破壊するという手助けをしてやる。
破壊された毒素細胞が膿状となって移動しやすくなるわけです。

またウイルスが高熱に弱いという事は、「役目がおわったから退場する」という意味でしょう。

本来人間の持つ浄化装置は固まった濃縮毒素を溶かす事が第一歩です。
その為に局所に高熱を発するわけです。

一時的に局所細胞(毒素の集まっている箇所)に熱を集中させることで高熱となります、その際、周辺からの熱を集めることで減熱となります。
それが一時的に寒気(悪寒)がして、その後高熱が発生するという様な経験をすることがありますが、寒気は全体的に、高熱は局所となるわけです。

固結毒素の溶解が始まるとウイルスが内側から細胞破壊した毒素が溶かされる段階に入り、役目も終わりという事で退場するのです。

ウイルスが火付け役となって、火が燃えさかればもう必要ない事になります。
だからウイルスが盛んに活動しているのに、なぜそのまま繁殖拡大を続けないのかという疑問は、単なる高熱で消えるという意味だけではなく、「役割が終わったから」と見た方が主点でしょう。

ウイルスは体内から発生できる。
外からのみと見るのは間違いです。じつはずっとウイルスは体内にあるという見方をしていた医師もいたそうです。

しかし、実際はずっといると云うよりも潜在しているという方が正しいのでしょう。
物質科学ではエネルギーという物質的に発見されない次元の事は「無い」とされているので、それを証明できないのですが。

波動とか振動の世界がエネルギーという非顕在系の次元です。
すべては振動と波動であり、それは見える世界で起こるような波動共鳴現象が当然起こっているのだということです。

そしてそこは大調和の原則が働いている。
右に偏れば左に戻す。左に偏れば右に戻す・・というような振り子が大きく振れると基へ戻す力が働く原理の様に、人体内の世界も常に調和するというバランスが支配しているのです。


偏ってしまった原因は体内に溜まった毒素であるならば、自然のバランスはその毒素を排泄して元に戻そうとする為に働きます。

その毒素を集めた細胞を破壊するウイルスだとすれば、それは身体の調整作用と協調している、一種の共同作業でしょう。


ウイルスが必要なら出現して役目が終われば自然消滅するという事です。
だから、永遠に増殖することはないのであり、感染というよりも情報伝達の共鳴現象、因があれば伝播するというような誘因というものでしょう。

またそれでなくても自身の内から発生できるわけですから、調和維持として身体との共鳴現象だと思います。

これを鏡の法則とも言われています。
つまり自分の廻りに現れる人も現象もすべて内側にあるものの対象であると。


ウイルスはあくまで主役ではない、主役は自身の浄化力、調和活動なのですから、特定の細胞に合わせて活動するウイルスは、おそらく主人の要請があるからこそ、細胞に侵入できるのでしょう。

言ってみれば人体細胞の方から「お出でなさい」と鍵を開けて待っているような。
鍵をむりやり開けて侵入するのではなく、細胞の方から鍵をあけわたしているからこそ入り込めるのでしょう。

それは大目的に合致した共同行為、自然界に仕組まれたコラボレーションでしょう。

黴菌(病原菌と言われるもの)は直接的に細胞毒を分解する食毒作用。
白血球に含まれる毒性分を食べて増殖する。食菌作用ではない所がミソ。

ウイルスは自身では食毒出来ない、毒素を含んだ細胞破壊の役割。

どちらにしても身体の浄化作用の為に出現して活動するアリガタイお手伝いなのだ。

こうしてみると現代医学とはまったく逆の視点で同じものを見ているわけです。

その視点が違うと見える姿まで異なってしまう、活動までまったく正反対に見えてしまうものです。

免疫力の意味もそうです。
体内に異物毒素が多いと病気に罹りやすい、病気は浄化作用だからです。
それを免疫力が弱まっているから病気になると思うのが医学の視点。

浄化作用を起こす力がわいたから病気になれるというのが逆転の医学の視点。

問題は免疫力を上げて病気にかからないようにする。という意味の微妙な違いです。

体内に異物毒素を入れない、あったら排泄させる事が本当の免疫力を上げる事。
それが病気にかかる必要がないからです。

しかし、
体内に異物毒素を入れて、既にあったものまで排泄させない事を免疫力と言っているのが医学の視点。

これでは最終的には人類という種の滅亡へ向かうことです。
それは動物でよく見られる現象です。
人間はさすがに他の動物に較べて丈夫に出来ています。そこまで行くに時間がかかるのですが、いつかその臨界点を越えたときから下り坂を降りている事に気づくのでしょう。

予防接種が偽に免疫力をつくるという意味は、最終的には人類という種の終焉をめざしているということです。

人間から病気という解放装置を取り上げてしまったら、体内の毒素は溜まる一方です。
地球環境が悪化して人類が滅びるか、人類の体内環境が悪化して自ら滅びるか、まさか競争しているわけではないでしょうが・・・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

つづいてその4


ーーーーーーーーーーー
17. 2010年4月23日 07:42:30: nfSUqTeDio
  カゼは最大の恩恵

さて、この毒素の集溜(第一次浄化作用)と排泄(第二次浄化作用)を、現代医学
的に表現すると、いわゆる炎症病巣の出現である。すなわち“紅・熱・腫・痛”の
四大症状を伴う急性進行性炎症として、活発な代謝活動により集溜した毒素を融解
し、一気に体外に排泄する。これが第二次浄化作用で、いわば毒素の強制執行であ
る。

この場合、毒素の排出場所は、東洋医学的には大腸=肺=皮膚の三者が表裏陰陽の
関係になっている関係で、肺(上気道粘膜)からの場合は、いわゆるカゼとして、
発熱・発汗・咳・痰・鼻水などの姿で排泄される。
また腸粘膜の場合は腸炎(下痢)、皮膚ならば蕁麻疹や湿疹として排出される。
そして毒素の排泄が終われば、二、三日でケロリ。

したがってカゼ・下痢は実に有り難い安全弁であり、最も安全かつ迅速な毒素処理
法。まさに自然の恵みである。

したがって、これを止めることは愚の骨頂。薬毒の作用によりて生体のホメオスタ
ーシスを撹乱し、浄化力を弱めるだけ。その結果、毒素を次第に奥深く固めこむこ
とになる。圧力ナベの安全弁を作動させないわけだから、ついには爆発する。
この姿が細胞の自壊作用をともなう浄化作用――すなわち化膿性疾患であって、崩
壊した細胞は膿(白血球)として排泄、あるいは出血をともなう潰瘍性疾患の出現
となる。
この段階で二次的に細菌感染もありうるが、すでに述べたように、バクテリヤは本
来は自分の細胞や血球が崩壊して出現するもの。したがって二次的感染にしても体
内条件(体質)が悪いためであって、いわば大量の毒素を排出するために一時的に
外部から応援に来た病原体という清掃人スカベンジャーと考えたらよかろう。

ところが、人間の浅知恵――というより“病を敵”と考えるため、これを恐れて余
計なお節介をはじめた。薬づけである。
その最たるものが抗生物質だ。この抗生物質は、腸内生態系をメタメタに撹乱する
だけでなく、生体のホメオスターシスそのものに干渉する結果、第二次浄化作用が
発動されず、第一次浄化作用による毒素の固定化(退行性変性)だけが進行する。
要するに熟も出せないひ弱なからだになるわけだ。
これが動脈硬化などの組織の硬化(老化現象)を伴う慢性病にほかならない。

その最終的な浄化装置――全身の悪液質を防ぐ毒素のゴミ溜めがガンである。
ガンはワールブルグの項で話したように無酸素呼吸という変則呼吸によりて、かろ
うじて生命を維持するわけで、いうなれば虫の息き。
したがってまず熱がでない。もしガンで発熱すればしめたものだが‥‥‥‥。実際
、ガンの発熱療法もあるくらいである。

TITLE:食と生命その3
URL:http://homepage3.nifty.com/himaari/syoku3.htm





18. 2010年4月29日 06:49:30: r0qoKBBKOA
病原体は人体内で発生

これは非常によく解説されていますね。
TITLE:医学・薬迷信から目覚めよ!
DATE:2008/06/19 12:40
URL:http://www12.plala.or.jp/kusuri/page5-1.html

http://yuwa.cocolog-nifty.com/blog/files/byougen1.mp3
http://yuwa.cocolog-nifty.com/blog/files/byougen2.mp3
http://yuwa.cocolog-nifty.com/blog/files/byougen3.mp3
http://yuwa.cocolog-nifty.com/blog/files/byougen4.mp3
http://yuwa.cocolog-nifty.com/blog/files/byougen5.mp3
追記

まとめました
http://yuwa.cocolog-nifty.com/blog/files/byougen-0.mp3




コメント欄より 2

12. 2010年4月22日 07:37:17: YG3XdRivAE


小難しい事は要らないのですが、細かく論理的に知りたい方は自分で検索すればネット上にたくさん出ています。
予防接種は毒をもって毒を制するそのもの。
だからこれに論理もくそもないのですが、現代人はあたまが良すぎるのでしょう。
なにかと学理だの論理だと言いたがるので、しょうがなく紹介したわけです。

病気は毒出し。予防接種は毒入れて毒増やし、本質は「病気予約接種」
これだけ判ればあとは要らないのですけどね。



13. 2010年4月22日 09:41:24: YG3XdRivAE
微生物の役割(ど素人の主張)

ド素人が玄人に教える時代?(笑い)
(まとめると一巻、拡げると八百巻・・嘘八百ではありませんよ。)

微生物の役割が判ればいいんです。
ただそれだけ。

体内にある汚物、異物、毒素などを分解掃除するお役目。
血液の汚濁状態を清浄化するお役目。

ウイルスも細菌も姿形は異なって、しかも大小、種類も多種多様という様に存在していますが、存在理由はただひとつ。

それは体内の汚染を掃除するお役目。
ウイルスや細菌が毒の源でなく、自分の体内に既にある毒素が源なのです。

だから、ウイルスや細菌は毒素と反応しているのであって、無毒なところでは存在できないし少ないところでは活動もできない。

それを消毒などと称して毒を入れているのが薬という毒。

微生物は毒と供にありです。
主人公の毒素が隠されて、お供の微生物だけを悪もの扱いにしているわけです。
汚れた部屋のゴミを掃除して「ゴミ出しをしているおばさん」を捕まえて、ゴミの方には目を向けないで、おばさんを非難している。

ウイルスや細菌が永久に体内で繁殖できない理由(わけ)
それは毒素の種類に応じて対応する微生物だからです。
その毒素がある箇所(集まっている部位)でしか活動しない、出来ないのです。

そうして微生物の役割(毒素の分解、毒素の集中した細胞などを標的にして分解)が終われば自然に活動は終わり消えて行く。

実に単純な自然現象なのですが、毒素の種類、個々の人間によって様々な症状が出ますから、それは人によっては決して楽なものでもない事も多い。

その苦しみに負けてしまうのと、その先の恐怖不安ですね。
このまま悪くなる一方で死んでしまうのではないか・・・・・・・・・
死の恐怖感は人類共通の根源的なものでしょう。アタマで理解していてもイザという時にはやはり感情が反応しますから。

おそらく反自然医学がこれほど進展してこれた原因というか原動力がこの「死への不安恐怖心」だったのかも知れません。

それに「一時停止的治療効果」が実際に効果あった。
最近は地球波動の変化で「一時的効果」の短縮が始まったようで、効果と害作用のバランスが傾いてきているようです。

実際そうならないと誰も医学が「反自然」などとは気づく機会もありませんね。

反自然科学が現代医学の基礎となって、それが進歩すれば最後に到達する場面は想像できるでしょう。


      我々人類は微生物によって生かされている。

微生物が害を及ぼすと思っている因子は、すべては自分自身の内にある源(毒素)を忘れ、他人(ひと)のせいにしてしまう責任逃れの現れである。

しかし科学の最先端とうたっている現代医学はそれさえも知らないのですから、やることなすことがまったく反自然となるのです。

100パーセントそれだとは言いませんが、かなりの率ですよ、医学では反自然方法が行われていることが。

ロバート・メンデルスン博士が「今の医学の90パーセントは不必要だ」と断言したのも無理はない、実践医療の賢者なら知り得るところだったのでしょう。
いや賢者愚者と言うよりも「現代医学は科学だ」という信仰から目が覚めると誰でも判ることなんですが。

だからノーベル賞受賞などのずば抜けて優秀な科学者でさえも「医学信仰」に呪縛されていると見えてこないのですね。気がつきもしない。
ハナから信じ切っている事が土台になっているんだから、判りようがないのです。

かえって、あまり優秀でないと言われる単純な思考の人が判るのかも知れません。
よけいな知識がないゆえに、意外と呪縛から解き放される。

まあ、この医学呪縛は人類の集合意識でわざわざ創りあげてこの世界でゲームするには必須の舞台のひとつだったんでしょうね。

人間が産まれてから死ぬまで病気もしない、ずっと元気で長持ちしている状態だったらほとんど「不幸」というシナリオが書けないでしょうから。

テレビ、映画等でシナリオ書いていますね、小説でしょ。そこにメリハリをつけるとしたらおきまりの「病気」や事故などの不幸が入らないと全然しまらないですよね。

白血病で恋人が若くして死んで行く・・・これほど泣かせる事無い、最愛の子供でもなんでもいいですが、重い病気に罹って苦しんで死んで行く・・・・その中でお互いの愛を感じたり、悲嘆の涙にと・・・このシナリオが書けるのは病気さまさまなんです。

だから長い間、人類はみずから病気の真相を知ったらいけないと云うような設定をしていたんでしょうね。
真実を知ったらそこでゲームオーバーですから。不幸の種が無くなると人生劇場も終演となるんですから。
しかし、どこかでそれに歯止めをかけないと「人類としての種が存続できない」所へ到達するだろう・・・という未来予測はあったんでしょう。

だから、どこかで「知るべき時期」を設定しておく、と同時期には医学の進歩もほぼ頂点に近づいているという様に。

なぜなら反自然の医学が進歩すればするほど病気が増え重度化するという事は判っているはずですからね。

「陰きわまれば陽に転ず」という言葉のように、「極まるところ」まで行かないと「気づけない」様にしておいたという集合意識でしょうか。

そんな事本当かどうか確かめられない?
そうです。もっと先に行ってからでないと説明など出来ませんが、私のへりくつ程度の感覚で書いています。

ということで、ここら辺で気がつかないと人類は遺伝子的にも存続の危機という臨界点に達しようとしているわけです。

ある意味、その大きな役割をしているのが各種の予防接種というのがド素人の主張です。
阿修羅掲示板

これさえ理解できれば「一切のワクチ予防接種は不必要」と解る。本当の免疫理論!?
http://www.asyura2.com/09/buta02/msg/559.html

ここのコメント欄より

11. 2010年4月22日 07:24:41: YG3XdRivAE
A病気にかからない身体にする

B病気にもかかれない身体にする

この違いが判れば予防接種の意味も判ったことになります。

本来病気とは体内の汚染を少なくするために起こる自然浄化作用です。
汚染とは本来あってはならないもの。つまり、汚物、毒素、異物等というものです。

免疫力とは体外からそういうものが入らない様に監視するとともに、入ってきた汚物、毒素、異物等を排泄する力のことです。

ゆえに病気にかからない身体と言うのは、そういう汚染毒素などが少ない身体という意味です。体内にある汚染物の質や量によって起こる浄化作用なのですから、その異物毒素が無くなれば、少なくなれば当然その浄化作用も起こる必要がないわけです。
浄化作用を病気を呼んだわけですから、病気にかからない身体というのは体内汚染度が低いという意味です。病気にかかる必要がないから「かからない」のです。

「病気にもかかれない身体にする」というのは似ているようでまったく正反対の状態なのです。
たしかに今病気にかかっていないとしても、それは「かかれない身体」となっているのです。それはなぜか?というと。

本来浄化作用とは自身の生命力(自然良能力)が体内毒素を排泄させるために起こしているわけですから、その生命力の強弱によって浄化力、つまり病気の発生力が左右されてしまうわけです。

病気とは体内汚物毒素の排泄作用、排毒作用ですから、これを弱めて排毒を止める、毒素を固める、抑圧する、内向させる・・・事で病気が起こらなくなるわけです。

しかし、それは見かけ上だけで一時的な健康状態にしか過ぎません。その体質は毒素、異物などが体内に溜まったまま動かない(固まった)状態なのです。

しかし、それを排泄する力がわくほど生命力(浄化力)が少ない状態というわけです。
本来の健康とは逆の体質になっているわけですが、毒素の排泄する力がまだわいてこない状態というわけです。
そのままその人の人生で固まりきっているとしたら良いのでしょうが、いつかまた生命力が浄化作用を引き起こすのが普通です。
もしくは次世代に引き継がれて子孫の誰かがそれを引き受けることになります。

自分は真っ新なゼロ状態の身体をもらって産まれてきたかどうか?
自分の子孫に真っ新な状態で引き継ぎが行われるかどうか?

親と子の関係は身体を異にした連続線上にあるようなものです。
幼い子供が病気にかかった場合、産まれてから思い当たる事と、そうでない事があると思います。
この幼い子供が精神的原因だけで病気になるのか?などと考えることも多いでしょうが、自分と親、自分と子の関係を考えてみると、ずっと繋がった生態系の様にあるのでしょう。

病気にかからない身体とは体内汚染が少ない状態。

病気にかかれない身体というのは体内汚染が高いのだけど、その排泄力が弱体化している状態。

この違いを判ると「予防接種の作り出す免疫」と「自然の作り出す免疫」が「似て非なるもの」である事が判るでしょう。

要するに予防接種とは体内にとって異物である毒素を入れて、生命力を弱体化させてしまう偽免疫状態を作り出すことなのです。
体内に異物毒素はあるのだけど、それを押し込めることで一時的な安定状態を作り出すことです。

しかし、毒素は以前としてあり、予防接種に含まれている毒素まで追加されて体内汚染度はかえって上がっている状態です。

一時的な抑えつけですから、本来は「病気にかかるべき状態」であるものを「病気にもかかれない程【病的な身体】にしてしまう」わけです。

これで自然の免疫と反自然の免疫の違いがまったく正反対であることが判るでしょう。

自然の免疫は体内汚染の現象によってつくられるのです。
したがって「かかるべき時はかかってしまうこと」が本当の免疫を得られるわけです。

その事の例として麻疹などに見られる「自然感染者は生涯の免疫を得る」のに反して「人工的免疫(予防接種)」は大人になってからかかる人が多い・・のです。

出すべき遺伝的毒素の排泄作用としての麻疹などは、一度排泄されると二度とかからない種類のものですから、子供ころかかった方が軽く済む様に自然にそうなっています。

しかし、それを予防接種等で偽免疫で抑圧させると大人になってから浄化させられるのです。しかもずっと重度の症状になってです。


たった一巻のお経も拡げると何百巻
個々の感染症についての予防接種との関連を突き詰めると、たった一巻にまとまります。

自然の浄化作用の一形態としての感染症は自然にそった対応で生涯免疫ができる。かかるべき時にかかる事が健康になれることなのだ。

予防接種というものは偽の免疫力を一時的に作り出すだけのこと。
しかも、異物毒素を入れることでもっと身体の状態を悪質化させて、次の病気を作り出す。

これだけ判っていれば、今後どの様な感染症が現れて、その予防接種や治療薬が現れても原理原則からはずれていたら直ぐ判断できます。

これは民間療法でも同様です。