悪食のシネ満漢全席

悪食のシネ満漢全席

ろくに情報知らぬまま、当たり屋みたいに突撃して、 しょーもない感想を言い合って、備忘録代わりに残します。 かなりの無責任、言いたい放題、無礼千万をお許し下さい。

 

悪食 70点
今年 56本目

監督、脚本 プラシャーント・ニール
出演    プラバース
    ピリトブラージ・スクマーラン
      シュルティ・ハーサン

インド全土が恐れる謎の都市国家カンサールの王位をめぐるアクション大作。
二子玉川109シネマズへ。

鑑賞結果、あまりにも壮大過ぎる話と外連味たっぷりの映像がこの映画の最大の魅力だが、内容は複雑で大変です。しかもこれは続き物です。

ここからネタバレ満載でいきますならご注意を⁉️



インドには盗賊を生業とする部族によって建国されたカンサールという国があった。
その国カンサールはインド地図からも抹消されていた。しかもカンサールの意思で。
街は城壁で張り巡られ、最新の武器によって外部の介入を阻んでいた。


内部には100余の領国があり、多数の部族がそれぞれの領主として君臨していた。そして1人の王によって統治されていたが、その王は海外へと逃げていた。
カンサールの取り決めで領主の多数決で停戦条約が結ばれていて勝手に他領国を侵略することは許されなかった。


その停戦条約を終わらせる為に王を国に引き戻す必要があったが、王の行方は分からなかった。
そんな時に、王の娘がインドに向かったという情報がカンサールにもたらされた。
各領主はすぐさま王の娘を捕える為に部下達を空港に向かわせた。
王は娘の命を救う為にある男に助けてもらおうと連絡を取った。
その男がデーヴァ(プラバース)である。



デーヴァ(プラバース)は、カンサール出身だった。カンサールの大領主の息子ヴァラダ(プリトビラージ・スクマーラン)の親友だった。デーヴァはヴァラダの為ならどんな相手にも立ち向かい、必ず倒してきた。そんなことからヴァラダはデーヴァのことをサラール(将軍)というあだ名でよんだ。


しかしある日、デーヴァの母親はある領主から狙われていた。それをヴァラダは自分の領地と引き換えに助けたのだ。
しかしそれだけでは命の保証が出来なかった為、デーヴァは母親と共にカンサールを出て行った。二度と戻らないと誓って。戻れば命の保証はないと言われて。
そんなカンサールにデーヴァは戻ったのだ。王の娘を救い、ヴァラダを救う為に。



というような話で始まるのですが、これがなかなか複雑な話で、しっかり観ていないと何が何だが解らなくなります。
時系列が変わっていたりとか、話の主軸が変わっていたりで、これは今何の話をしてるの?と言いたくなるくらい。
そしてこのインドにあるというカンサールという特殊な国がまたその中でも部族によって両国がそれぞれにあったりしてなかなかの複雑さ。

その上、カンサール内での内乱を抑える為に停戦条約が結ばれているとか、停戦条約の継続が破棄かを領主達の投票で決めるとか、その中の一つの領主はかなり嫌われているとか、そして最大の謎にしてこれからの話の展開で大きく関わっていくのが、デーヴァ(プラバース)がカンサールで滅びた部族の生き残りの王の末裔であったりとかいうのがどんどん明らかになっていきます。
この話はどこへ向かっているのか?と思っていると最大の問題が起こるのです。
何とこの映画はここで終わるのです⁉️
えっ?この映画は続き物なの?そんなことは知らない😱

どういうことだと言ってる間もなく、3時間に及ぶ大作は幕を閉じるのです。
お、終わりか〜い⁉️
これを何と評したらいいのでしょうか?
呆然と映画館を後にしました。
次回作はいつ来るの?そもそも次回作は作られているの?
しかもこの複雑な映画を時間を開けて観たら、まず何が何だか解らないでしょう。
面倒な映画を観てしまいました。
しかしインド映画の外連味と大作映画感覚は観ていて素晴らしいです。


興味のある方は是非、劇場へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悪食 85点
今年 55本目

監督 原廣利
原作 柚月裕子
脚本 我人翔太
   山田熊龍
出演 杉咲花
   萩原利久
   森田想
   駿河太郎
   豊原功補
   安田顕

   遠藤雄弥

柚月裕子の警察ミステリー小説を映画化。
渋谷シネクイントへ。

鑑賞結果、空恐ろしい話で背筋が凍ります。杉咲花と安田顕の演技が凄い‼️

ここからネタバレ満載でいきますからご注意を⁉️



鳴り止まない警察の電話。県警広報課の森口泉(杉咲花)は対応することもなく呆然としている。
愛知県平井市の女子大生がストーカー被害を受けていた。地元の平井市警察では女子大生からの被害届を先延ばしにしていた。その女子大生がストーカーである神社の長男によって殺害された。
先延ばしにしていた理由が慰安旅行だった。それを地元の新聞がスクープした。
警察内ではリークしたものがいると踏んでいた。
スクープのネタ元は自分だと森口は思っていた。スクープが出る前に親友の新聞記者の津村千佳(森田想)と会っていて、ひょんなことから慰安旅行の件を話してしまったのだ。
森口は津村に口止めをした。絶対に記事にしないでと。津村は約束してくれた。
しかしスクープ記事が出たのだ。
森口は津村が裏切って記事にしたと疑って、津村を問い詰めた。しかし津村はガンとして認めなかった。津村は「誰がネタ元か調べる。私じゃなかったら、謝ってよ」と言い残して森口と別れた。

川で水死体が発見された。警察は殺人だと判断した。被害者は津村千佳(森田想)だった。
森口(杉咲花)は愕然とした。なぜ津村が殺されなければならなかったのかと。


森口は上司の富樫(安田顕)に相談する。


そして自分なりに調べてみると言ったのだ。
富樫は捜査を担当する刑事、梶山(豊原功補)に森口を引き合わせた。森口は梶山に協力を申し出るが、大人しくしてろと言われてしまった。



森口(杉咲花)は、それでも少しづつ情報を手に入れていった。彼氏である警察官の磯川(萩原利久)も手伝ってくれた。


磯川の同僚の辺見がストーカー殺人事件の被害者担当警察官でもあった。辺見は何も語らず、ある日、突然警察を辞めてしまった。
森口は津村(森田想)が自らの潔白を証明する為に、警察の慰安旅行を誰がすっぱ抜いたのかを調べていた。真相に近付いた為に殺されたのだ。
手がかりが全く無い森口はまずは事の発端となったストーカー事件を調べることにした。
この事件はストーカーされているからなんとかして欲しいと何度も警察に行っていた女子大生は警察からもう少し様子を見るようにと言われ、受理してもらえなかった。そしてとうとうストーカー犯であるお寺の住職の息子に殺されてしまったのだ。そしてこの事件の日に所轄の警察署は慰安旅行に出かけていた。慰安旅行を優先し、ストーカー事件の受理をしなかった為にこの事件が起きたと、警察は市民から厳しく糾弾された。それは新聞社のスクープ記事が出たからだった。
神社の長男を調べると、カルト教団の隠れ信者ということが分かった。カルト教団は信者にストーカー犯がいることは都合が悪かった。カルト教団には警察に知られたくないことがあったのだ。
津村はそのことに気付いただけではなく、その先の陰謀にも気付いてしまった。その為に殺されたのだ。
そのカルト教団は前々から目を付けられていた。以前に毒ガス事件を起こして100名以上の死亡者を出したのだ。
今は教団の名前を変えて活動していたが、内容は何も変わらなかった。
公安警察はそのカルト教団を見張っていた。
富樫(安田顕)は、その当時は公安に属しており、教団を見張っていたが、そこで起きたリンチを目の前にしてつい教団の前に姿を現してしまったのだ。
公安の動きを察知したカルト教団は、毒ガス計画を予定より早めた為、多大なる犠牲者が出たのだ。富樫はそれを悔いていた。1人を助けた為に100人を犠牲にしたと。
富樫は公安時代のツテを使って教団員のリストを手に入れた。そこから現場で目撃された車を特定し、ドライブレコーダーから教団の男、浅羽(遠藤雄弥)が津村を殺害した時間に現場近くを車で通ったことを確認した。
警察は逮捕状を取り教団に乗り込むが、浅羽は車で逃走。警察とのカーチェイスの末、事故を起こして死んでしまった。その事故も仕組まれたものだった。


警察は被疑者死亡で事件の幕引きを図ったが、森口は納得出来ないものを感じていた。
そして自分なりに解釈して捜査を見直したのである。ヒントは津村がおみくじと言っていたことから着目した。
そして辿り着いた事件の真相は身の毛もよだつものだった。

森口(杉咲花)が推測した事件の概要はこうだ。


公安はかねてからカルト教団がまたもや毒ガス事件を起こすのではないかと、カルト教団内にスパイを潜り込ませていた。
それは以前、富樫(安田顕)が助けた教団員、浅羽をスパイとして教団に戻らせていたのだ。そして教団がまたもや毒ガス事件を起こそうと画策しているという情報を手に入れた。しかし浅羽の言葉だけで、なんの証拠もない教団に家宅捜索の令状は降りない。そこで富樫は降りないのなら降りる理由を作ればいいと考えた。それが神社の長男によるストーカー殺人事件。実は、この長男はカルト教団の隠れ信者だった。カルト教団はこの事件が教団と関係あるとみなされるのは迷惑だった。そこで、神社の長男には口止めをしたのだが、それを調べている記者の存在に気付く。教団が邪魔だと思っているその記者を浅羽を使って殺すように仕向けたのは富樫だった。教団は浅羽を使って殺人を犯した。その犯人を警察は追うことになる。浅羽に辿り着くのは時間の問題だった。そして浅羽の逮捕状を取った警察は教団に浅羽の引き渡しを求めに行く。浅羽は警察を振り切り、車で逃走。そして事故を起こして死んでしまった。被疑者死亡の為、教団の家宅捜索をする警察。すると中からは毒ガス生成薬品が多数見つかる。こうしてカルト教団は警察によって徹底的調べられ、毒ガス事件など起こせないようになった。
しかしこの筋書きは全て富樫によって書かれたものだった。


記者を殺し、犯人がカルト教団の者として警察が介入し、事件が未然に防げる。
自分と関係のあった浅羽は死亡。そして警察内でストーカー担当警察官も警察を辞めて行方不明になっていた。
証拠は何も残されていないのだ。
全ては森口の推察であって証拠は何もない。しかし森口はこの推察を富樫にぶつけた。富樫は黙って聞いていた。
富樫が口を開いた。「君は1人の命を助ける為に、100人の命を犠牲にしたことはあるか?」
森口は答える。「次は私を殺すんですか?」と。その姿は恐怖に怯え、震えていた。


富樫は何も答えずに帰っていった。
富樫はその後、公安へ階級が上がって戻っていった。
森口は警察事務を辞め、正式に警察官になろうと勉強を始め、警察官になった。


森口は真実を突き止める為に警察官になったのか、それとも自分の身を守る為にせめて警察官という肩書きを欲して警察官になったのかは分からない。
エンド。

公安警察の仕事が通常の仕事とは違い、普通の犯罪者を追う訳ではなく、国家転覆の陰謀とか、思想による犯罪、他国からの脅威に対しての抑止存在であるようだ。つまりは通常の警察と違って、犯罪が起きてから動くのではなく、犯罪が起きる前に未然に防ぐのをモットーとしている。表立っての動きは全く我々の預かり知らぬところで起きている為、関係ないのかとさへ思ってしまう。
そんな公安警察の裏の顔を題材にしたこの小説。まんざら空想の世界だけでもなさそうなところが面白い。
そしてその公安警察を演じる安田顕。普段優しそうなおじさん役が多い彼も怖い役をやらせると背筋が凍るほど怖い。素晴らしい役者です。
そして最近、飛ぶ鳥落とす勢いがある杉咲花。最初の頃、ヒステリックな演技が多い為、好きな役者ではなかったが、最近はそんなヒステリックな演技は影を潜め、静かな感情を表現する役が非常にハマっている。今回も真相の考察を語るシーンでは恐怖に慄きながらも話し続ける演技は素晴らしかった。見事です。
なかなか見応えがあって驚きの展開が楽しめます。
是非、劇場で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悪食 80点
今年 54本目

監督 三木康一郎
原作 鳥飼茜
脚本 安達奈緒子
出演 奈緒
   猪狩蒼弥
   三吉彩花
   風間俊介


男女間の性の格差を描いた鳥飼茜の同名漫画を実写映画化。
渋谷シネクイントへ。

鑑賞結果、男と女の不平等の根本的な一面を描いた意欲的な映画である。
つくづく男はダメですなぁ。


ここからネタバレ満載でいきますならご注意を⁉️



高校教師をしている原美鈴(奈緒)は、女であることの不平等さを感じながらも、そのことに目を背けながら生きていた。


そんなある日、親友の渕野美奈子(三好彩花)に早藤雅巳(風間俊介)と婚約をしたことを告げられる。
早藤は美鈴に女であることの不平等さの意識を植えつけた張本人だった。



何年も前に美奈子(三吉彩花)が引っ越しをするというので、美鈴(奈緒)は手伝いに来ていた。
早藤(風間俊介)もまた手伝いに来ていた。
早藤は美鈴に邪な感情を抱いていた。早藤は美奈子にわざと買物を頼み、時間を稼いだ。
そして美鈴と2人きりになった途端、その本性を現した。美鈴をレイプしたのだ。しかも美鈴の尊厳を奪い、男と女の不平等さを見せつけるように。
それ以来、早藤は何かと美鈴を呼び出しては犯していた。怖がり抵抗出来ない女を犯すことで早藤はえもいえない快感を得ていた。
美鈴もまた忌み嫌う早藤ではあったが、彼とのセックスを通して性への欲望や快楽の渇望を覚えて呼び出しに逆らうことが出来なくなっていた。



そんなある日、担当クラスの男子生徒、新妻祐希(猪狩蒼弥)のいじめの相談に乗っていたところ、性の悩みについて相談された。「バイト先の奥さんにホテルに誘われ、断ったがセックスさせられた。そして自分は女性器に対して恐怖を感じる」と。しかし美鈴(奈緒)は、「それは不平等を感じていない男の勝手な言い分でしょ。結局は欲望に負けてしたかっただけでしょ」とつい本音を言い放ってしまった。新妻は居た堪れなくなって相談室を出て行ってしまった。


自分の感情を押し殺してきた美鈴はそんな自分に驚いた。
それ以来、学校を休んでいる新妻の家に行って美鈴は詫びるのであるが、新妻は美鈴が来たことに喜びを感じているようだった。
新妻は本音で向き合ってくれた美鈴を好きになっていた。


新妻は美鈴を見ていると、美鈴に男の影を感じるようになった。早藤の存在だ。
そして美鈴がSOSを発信していることも感じたが、何も出来ない自分がいた。
美鈴は早藤に対して抵抗するようになっていた。それは新妻の存在があったからなのかもしれない。
呼び出しをした早藤に対して「本当は女が怖いんでしょ。だからそれに対して暴力で抗っているだけなんでしょ」と。早藤は「今日は抱く気が失せた」と言って帰って行った。


早藤は家に帰ると美奈子を乱暴に抱いた。「子供が出来ちゃう」という美奈子を無視して。
早藤(風間俊介)は、会社の重役の娘である美奈子(三吉彩花)と婚約した。美奈子はその席で子供が出来たことを初めて告げた。
早藤は恐怖した。自分が親になどなれないと。
そしてその恐怖を美鈴(奈緒)で晴らそうとした。
美鈴に男が出来たことを知った早藤は、別れてやる代わりに「その高校生の前で俺にやられるか、俺の前で高校生とやるかを選べ」と。
約束の日にホテルに来たのは美鈴1人だった。
美鈴は早藤に「本当は女のあそこが怖いんでしょ。だからそんなことをしている。あなたは弱い男」と。
早藤は怒り狂い美鈴を殴り倒し、馬乗りになって何度も何度も殴りつけた。血だらけになった美鈴は動かなくなった。

早藤(風間俊介)の行動に不審を感じた美奈子(三吉彩花)は、早藤のスマホを見て美鈴(奈緒)がいると思われるホテルに行ってみた。そこには血だらけの美鈴がいた。美奈子は「彼を許して」と泣きながら懇願し、救急車を呼んだ。
美鈴は重症だったが、命に別状はなかった。
それ以来、美奈子は早藤と連絡が取れなくなった。心配した美奈子が早藤のマンションに行ってみると姿がない。しかし物音がしたクローゼットを開けてみると、首を吊った早藤がいた。
美奈子は慌てて包丁でロープを切る。
早藤は息を吹き返した。早藤は言った。「俺は生きてる価値がない。死なせてくれ」と。美奈子は本音を吐いた。「あんたがクズ男だということは知っていた。どんな酷いことをしていたのかも。それを見て見ないふりをしていた。だからあんたはそのクソみたいな残りの人生を私とお腹の赤ちゃんために死ぬまで使いなさい。勝手に死ぬことは許さない」と。そう言った矢先に美奈子は破水した。美奈子は「今あなたにできることをして」と言うと早藤は救急車を呼ぶのではなく、警察に電話をしてレイプしたことを自白した。
美鈴は退院するとすぐさま学校に復帰した。
しかし生徒との関係が噂されていた。美鈴は認めて、学校を辞めた。



数年後、美奈子(三吉彩花)は、刑務所に早藤(風間俊介)の面会に行く。その腕には生まれた赤ん坊を抱えている。面会が終わり「また来るね」の言葉に早藤は「よろしくお願いします」と答えた。
美鈴は家の庭の手入れを業者に任せた。以前は新妻(猪狩蒼弥)のおじいさんのところに頼んだが、今回は別の業者を選んだ。業者がやってきた。そこには植木屋になっていた新妻がいた。
エンド。

という映画です。
女のしたたかさや強さをまざまざと見せられたという感じではありますが早藤があまりにもクズ男過ぎて引きました。
新妻は子供だからあんなものでしょう。

しかしそれにしても男という生き物はしょうもない生き物だということを思い知らされます。
早藤がクズ男なのは誰もが認めるところでしょうが、極論すると男とはあんなものでしょう。
それに対して女とは強い生き物だということを感じます。
この根本的なことは何かと考えるに、やはり、生命を自らの体で作り出すことができるか出来ないかの違いだと思われる。根本的な生命力の違いすら感じます。

ではなぜ男と女の間に不平等があるのか?
平等が第一前提だとしても、もし本当に平等になったら、男はタネを持つ種ということに存在意義があるだけのものに成り下りかねないでしょう。
だからこその力を有し、それを行使する。平等になったら勝てないから、勝てるものを備えた。
ただそれだけのような気がします。

また男の情けない一面を描いた映画を突きつけられてしまった。
男はダメですねぇ。
だからこそ、女性をリスペクトして生きていかなければならないのです。
所詮、女には勝てないのですから。
ならば手のひらで遊ばされている方が幸せなんですよ。男なんてものは。


是非、劇場で。
情けない男という生き物を見てやってください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悪食 75点
今年 53本目

監督、脚本 マイケル・サルノスキ
製作    マイケル・ベイ
出演    ルビタ・ニョンゴ
      ジョセフ・クイン
      ジャイモン・フンスー

「クワイエット・プレイス」シリーズ第三弾。
何かが地球を襲来する第一日目を描く。

渋谷TOHOシネマズへ。

鑑賞結果、「クワイエット・プレイス」の第一日目としては面白いと思う。設定が限定的であったりとか、未確認の生物に対する対策が異常に早かったりと不思議に思うところはあるのだが。

ここからネタバレ満載でいきますからご注意を⁉️



終末医療のケアハウスで過ごすサミラ(ルビタ・ニョンゴ)は、飼い猫のフロドと暮らしていたが、癌は末期で痛み止めだけを受けていた。
ケアハウスのみんなで芝居を観に行くと言われて、ダウわタウンのピザ屋でピザが食べれるならと渋々同行することにした。



劇場を出ると何故か街が騒がしい。ケアハウスの一行はすぐに戻ることになった。
しかし彼等は戻る途中で何かが街を襲っているのを見た。その瞬間、バスは破壊され、サミラ(ルビタ・ニョンゴ)は外に放り出され、意識を失った。



サミラ(ルビタ・ニョンゴ)が意識を取り戻した時に誰かに口を塞がれた。声を出すなと。音を出すと襲われると。
何を言われているのか分からなかった。
しかし相手のあまりにも真剣な表情に従うことにした。


暫くすると、外で避難放送が始まった。屋内に静かに隠れてあるようにと。そして橋には近づくなと。
その理由は直ぐに判明した。軍が戦闘機を使ってマンハッタン島に架かる橋を全て破壊して落としていたのだ。
そして次の放送は、救助船が出るから静かに港に来るようにと。
建物に隠れていた人々は救助船に向かって一斉に動き出した。
サミラは人々とは反対の方向へ歩いて行った。
誰も喋ってはいない。無言だ。しかし大勢の人々が移動するとどうしても音がしてしまう。と思った瞬間、ヤツらが襲ってきた。
巨大な蜘蛛のような体で、素早く動き、音を出した人間を狩っていくのだ。
パニックになった。
車の影に隠れていると、そこに1人の男が走り込んできた。男はエリック(ジョセフ・クイン)と名乗った。彼は恐怖で震えていた。


静かになったところでサミラはダウンタウンの方向に向かった。エリックはついてきた。サミラが辿り着いたのは、自宅だった。だがそこにはもう誰もいなかった。荒らされた跡だけがあった。


サミラはまた歩き出した。今度はピザ屋を目指して。父との思い出のピザ屋だった。ピザ屋は丸焼けだった。
2人はヤツらに襲われた。必死に逃げ、辿り着いたのは地下鉄。しかし地下鉄は水没していた。水中を逃げる2人。ヤツは追ってきたが直ぐに溺れ死んでしまった。
ヤツが水に弱いのが明らかになった。



サミラ(ルビタ・ニョンゴ)とエリック(ジョセフ・クイン)が海の近くに来た時、海上を航行する救助船が見えた。
助かるチャンスは今しかないと思ったサミラは、エリックに合図をしたら走ってと伝えた。


サミラは自分が囮になってエリックを助けようとしたのだ。エリックもまたサミラが残り少ない命を自分の為に使ってくれることを理解した。
サミラは音を立てて、ヤツらを誘き寄せた。ヤツらは一斉にサミラに向かって動き出した。充分に惹きつけたところでエリックに合図を出した。エリックは桟橋を走った。ヤツらもエリックを追う。しかしヤツらが追いつきそんな寸前でエリックは海に飛び込むことが出来た。ヤツらは海には飛び込めなかった。
エリックは救助船に助けられた。
サミラは安心したようにその場から去っていた。

自宅前の道で音楽プレイヤーをイヤホンで聴いているサミラ(ルビタ・ニョンゴ)。
暫くすると、おもむろにイヤホンを外した。スピーカーからは大音量で父が愛したジャズが流れ始めた。
ヤツは後ろに迫っていた。
エンド。

という映画です。
「クワイエット・プレイス」シリーズのヤツらが来た最初の日として描かれています。
もちろん、観ている側はヤツらがなんであるかを知っているわけですから、突然現れ、殺すようなホラー的要素はかなり減っています。減っていますが、ヤツらの動きや大きさははっきりと分かり、いかに恐ろしい相手かは十分に理解出来ます。
最も良かったのはヤツらの足音。
低く、重みを持った音はそれを感じるだけで、ヤツらが来たことを恐怖心として表現します。

ストーリーに関しては、主人公のサミラの行動は、余命が少ないから自分を犠牲にするという行為が果たして納得出来るものかとも思いますし、DAY1の割にはヤツらの特性が音に対して敏感であるとか、水に弱いとかどこで知ったのでしょうか?描き方がご都合にみえます。
そして1番の不思議は何故、マンハッタン島にだけ飛来したのか?そんな狭い場所にピンポイントに飛来するものでしょうか?説明が欲しいところです。
結局は、世界中に蔓延するヤツらなのですから、実際にはマンハッタン島だけではなかったのでしょう。
しかしちょいと不思議な気がしました。
それと細かいですが、ヤツらの食事方法。殺した人間をそのまま食べるのではなく、蜘蛛の様に糸で絡めて繭の状態にしてそれを割って他のヤツらと一緒に食べていたシーンがありました。そんな食べ方でしたっけ?
微妙に不思議なカットがありました。
それに音に敏感に反応することを知っているのに、大勢で一斉に避難するくだりはどうなのでしょう。フラグが立ちっぱなしで呆れました。

しかし、それをおいてもDAY1の描き方としては十分に面白さを感じられました。
もちろん、一作目のインパクトはありません。ですが続編としてはまあまあの出来ではないでしょうか。
是非、劇場で。
足音は劇場でしか楽しめませんから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悪食 80点
今年 52本目

監督 月川翔
原作 清武英利
脚本 林民生
出演 大泉洋
   菅野美穂
   福本莉子
   川栄李奈
   新井美羽
   満島真之介
   戸田菜穂
   有村架純
   松村北斗
   光石研


IABP(大動脈内バルーンパンピング)バルーンカテーテル誕生の実話を映画化。
渋谷TOHOシネマズへ。

鑑賞結果、諦めない気持ちが偉大な成功をもたらす。そんな綺麗事だけじゃない人の気持ちが素晴らしい。

ここからネタバレ満載でいきますからご注意を⁉️



1970年代、ビニール製品を作る小さな町工場を経営していた坪井宣政(大泉洋)と妻、陽子(菅野美穂)には生まれつき心臓疾患を抱えた次女、佳美(福本莉子)がいた。


佳美の病気を治してやろうと坪井は日本中の心臓外科医を回り、手術依頼をするのだが引き受けてくれる医者はいなかった。
諦めきれない坪井は、日本がダメならアメリカだとアメリカの心臓外科の名医にすがるが、助ける方法は人工心臓しかないと言われてしまう。
しかし人工心臓はまだ実用化されてなく研究段階だった。
坪井はそれならば人工心臓の研究機関に寄付をして研究の実現を目指そうとするが、それでも30年はかかると言われてしまう。
佳美は医者から余命は10年だろうと言われていた。
諦められない坪井はならば寄付しようと貯めていたお金で自分が人工心臓を作ると言い出した。普通なら反対する妻、陽子も「その手があった」と賛成した。
それから坪井は日本の人工心臓の研究でトップを走る大学の研究室に協力を仰いだ。最初は断る石黒教授(光石研)だったが坪井の熱意に負け、共同研究を約束してくれた。坪井もまた心臓疾患の勉強を始め、知識を豊富にしていくのだった。



坪井(大泉洋)は8億もの資金調達をしていたが、研究は一向に進まなかった。それどころか、石黒教授(光石研)から一方的に研究の中止までもが言い渡される。先のない研究に時間と人員を避けないというのが大学の本音だった。
そして佳美()の状態も悪化していく。主治医からは明日、人工心臓が出来たとしても手術は出来ないと。
佳美の身体は手術に耐えられないほどの状態になっていたのだ。
絶望的になる坪井だった。


佳美もそのことに気付いていた。そして坪井に「約束をして欲しい」と言った。「私の代わりに助けられる人を助けて」と。


「佳美のそばにいてやって」と言う陽子(菅野美穂)の反対を押し切り、佳美と約束したことを果たそうと坪井はまたもや諦めずに走る。

当時の日本ではバルーンカテーテルはアメリカからの輸入に頼っていた。医者もまたアメリカ製があるのだから国産にする必要はないと思っていた。しかしアメリカ製は日本人の血管に合わず、事故が起きて死者が出ていた。
人工心臓の協力を仰いだ石黒教授(光石研)に共同開発をしようと願いでても門前払いだった。
しかしその話を聞いた大学病院の医者になった富岡(松村北斗)が手を挙げたのだ。


富岡は以前に人工心臓など出来るはずがないと石黒教授の研究室を1番に辞めた男だった。しかし坪井(大泉洋)の熱意と自分もその研究をしていた過程から、これは自分がやる仕事だと思ったのだ。
石黒教授は呆れながらも、責任を取るという富岡に任せた。
そこからまた坪井と富岡の苦難が始まる。
しかし人工心臓を作ろうとしていた知識と技術は無駄ではなかった。
2人はとうとうIABPバルーンカテーテルを完成させたのだ。
坪井は大量の実験データをもとに、石黒教授にアプローチをしたが、石黒教授はまたもや協力を拒んだ。
良いものが出来ても使ってくれないのでは意味はないのだ。
富岡は石黒教授認可前のIABPカテーテルを無許可で手術で使った。手術は大成功だった。
そして坪井は若い医者にアプローチする。若い医者達は無料で貰ったIABPバルーンカテーテルを使い出したのだ。
その評判が大学の外科部長の耳に入り、石黒教授にそのカテーテルを使ってみろという指示が出た。
石黒教授はバツが悪そうに坪井を研究室に呼び出した。
部屋に入ることを促されても坪井は「私は出禁の身なので入れません」と答える。石黒教授は出禁を取り消し詫びた。
坪井は急に笑顔になると、「若い医者には無料で渡しましたが、石黒教授ほどになればお高く買っていただけますよね?」と話し出した。
大学病院は坪井の作ったIABPバルーンカテーテルを正式導入した。
IABPバルーンカテーテルは大評判になり、以前、石黒教授の元で研究を共にしていた医者からの大量発注も貰った。
坪井はやり遂げたのだ。
坪井は成功を佳美(福本莉子)に報告する。
佳美はその報告を聞いて安心したように永遠の眠りについた。

坪井達が作り上げたIABP(大動脈内バルーンバンピング)バルーンカテーテルは、世界で17万人もの命を救い、今も救い続けている。


その功績が認められて厚生省から表彰されることになった。
記者(有村架純)から取材を受ける坪井(大泉洋)。
「この功績をどう思いますか?」という問いには何も答えられなかった。
会場に入る前に記者は声を掛けた。「私がこの取材に手を挙げたのは、私の心臓が坪井さんの作ってくれたバルーンカテーテルで動いているからです。命を救ってくれてありがとうございます」
坪井は静かに笑いながら「自分の娘も助けられなかったのに、功績も何もあったもんじゃないんですけどね」と告げると
坪井と陽子は会場へと向かった。


エンド。

娘の為に時間も金も全てを捧げて救おうとした家族の話です。
父親の諦めない気持ちは執念とも言える。それでも現実は残酷だ。
どんなに頑張っても娘の命は助けられなかった。

娘との約束で娘の代わりに助けられる命を救うと決めて、走り続けた坪井の気持ちを考えるにこれは辛いだろうと誰もが痛切に感じられる。
しかしそれに縋らないと生きる希望さへも失ってしまう気持ちも坪井にはあったのだ。
だからこそ走り続けた。成功のその先に自分が本当に願う勝利はなくとも。
そんな父親を大泉洋は、見事に演じている。それを支える妻役の菅野美穂。姉妹役の川栄李奈と新井美羽、役者陣は素晴らしかった。
この手の映画でよくある諦めなかった気持ちは必ず報われる。という構図はこの映画には無い。
それどころは現実的には地獄なような悲しみと虚脱感に襲われる話だ。
それでも諦めかったのは、娘との約束を唯一生きる糧にしたから。
死にゆく娘に夢中になり、生きている娘達に向き合っているかというと、そうでもない。そこは問題だ。しかし理解ある家族に支えられたからこその偉業なのだろう。
しかしそこに晴れやかな気持ちはない。
娘を救えなかった絶望感を心の奥底に残したままの父親を描いている。

涙なくしての鑑賞は難しいかもしれない。大泉洋に泣かされるのは癪だという人もいるかもしれない。
しかし大泉洋の演じる父親に傾倒する悪食はいました。
是非、劇場で。

 

 

 

 

 

 

 

悪食 70点
今年 51本目

監督 木寺一孝

2022年4月にNHK BSで放送され、2022年度文化庁芸術祭、テレビドキュメンタリー部門大賞を受賞した「正義の行方 飯塚事件30年後の迷宮」の劇場版。
渋谷ユーロスペースへ。

鑑賞結果、飯塚事件の犯人として死刑になった久間三千年。冤罪だったのか?それを警察、検察側と弁護士側の両立場で描いたのは面白い。

ここからネタバレ満載でいきますからご注意を⁉️



1992年、福岡県飯塚市で2人の女児が行方不明となり、甘木市(現、朝倉市)の山中で遺体で発見された。


2人の女児は犯された後、殺された。


鬼畜の所業である。


この事件は飯塚事件と言われた。
1994年に容疑者として逮捕された久間三千年は、一貫して犯行を否認。
しかし目撃証言と、当時行われ始めたDNA鑑定で犯人と特定され死刑判決が言い渡された。
1998年に異例とも言われる速さで死刑は執行された。
しかし翌年には冤罪を訴える再審請求が行われた。
この映画はこの事件をめぐり、当時この事件に関係した、警察官や刑事、新聞記者そして弁護士がそれぞれの立場から語られる「真実」と「正義」をもとにこの事件の全貌を描いている。そしてその中から日本の国の司法の姿を浮き彫りにしている。



1992年、通学途中の女児2人が突然行方不明となった。
そしてしばらくすると30km離れた甘木市の山中で死体となって発見された。
遺体には犯された跡があり、体内からは犯人のものと思われる体液が採取された。
その体液のDAN型と、当時、目撃された紺色のダブルタイヤのワンボックスカーを持っていた久間三千年が犯人と目され逮捕された。
しかし久間は一貫して犯行を否認。
しかし証拠によって有罪とされ死刑判決が言い渡された。
弁護士は控訴をしたが棄却。そして次なる手を考えていた1998年に、久間は異例の速さで死刑が執行された。
納得出来ない弁護士はボランティアの弁護団を結成し、翌年、久間が死刑に処されたにもかかわらず、再審請求を裁判所に提出した。



ここに至るまでの話を当時担当していた警察官、検察官、新聞記者、弁護士、果ては目撃者や遺族に至るまで、話を聞き、ドキュメンタリーにまとめたのがNHKであり、それを主軸にこの映画は作られた。

この映画の中でも犯人が久間三千年だったかどうかの判断はされていない。
分からないのだ。
逮捕され、勾留されてからも久間は何も語っていない。
坦々と、双方の立場からの話を聞いてまとめているだけなのだ。
問題になったのが、当時のDNA鑑定。今では精度が悪過ぎて採用されない鑑定法だったが、当時は最新式の鑑定法として脚光を浴びていた。
そのDNA鑑定に証拠能力が無いとされても、久間が犯人とされるべき目撃証拠などがあると最高裁までもが棄却した。
日本は起訴されれば、99%有罪とされるそうだ。
冤罪はほぼあり得ないと。
しかし冤罪は起きている。
しかし受刑囚の死刑が執行されてしまった裁判に関しては、再審すら認められない。それは冤罪だった時の司法に対する風当たりを避けたいからなのか?と勘繰ってしまうほど。
「推定無罪」
「疑わしきは罰せず」
「疑わしきは被告人の利益に」
これらの言葉は意味を持っているのだろうか?
そんな司法のあり方は置いておいて、この映画の中立性が良かった。こういう映画が出来ると、多分にどちらかに肩入れしている描き方になりがちですが、この映画はそれが全くありません。
双方の主張をあくまでニュートラルに捉えて映し出しているだけです。
映画の中の主張も実際犯人かどうかは分からない。犯人かもしれないし、犯人でないかもしれない。だからこその「疑わしきは罰せず」が司法であるべきなのですが。

なかなか面白いドキュメンタリーです。
一つの事件の深掘りがメインなのですが、その裏には日本の司法に対するメッセージが込められています。
見応えのあるドキュメンタリーです。

興味のある方は是非、劇場へ。
 

 

 

 

 

悪食 30点
今年 50本目

監督、脚本 ジョナサン・グレイザー
原作    マーティン・エイミス
出演   クリスティアン・フリーデル
     サンドラ・ヒュラー

2023年、第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門グランプリ受賞作品。
渋谷ヒューマントラストシネマへ。

鑑賞結果、全く分かりません。面白くもありません。あえて言うなら、観る映画ではなく、聴く映画だということでしょうか。

ここからネタバレ満載でいきますからご注意を⁉️



自然の中でピクニックをしている家族。
平和そのものという世界観です。


彼等が帰ってきた家は、庭が広く平屋建ての大きな家。広々としている割には塀は少し高く、隣の建物は見えるものの人が見えるほど低くはありません。
時折人声や犬の声なんかも聞こえてきます。


平和に暮らしている家族はあまり塀の向こう側には関心が無いようです。



この映画はこれが全てです。
家庭で起こるちょっとした日常が延々と描かれているのです。
そこでは普通の家族の営みが行われているのです。


ナチスというと悪魔の人間とも言われがちですが、映像の中にいるドイツ人家族はどこにでもいる家族と変わりません。
仕事に向かう父親、学校に行く子供、そして留守の家を守る母親。いつもと変わらない生活の中で、その生活を守って生きているのです。
旦那さんに転勤の話を聞くと、奥さんはそこの生活を捨てたくなくて、転勤を阻止する手紙を上司に書いて欲しいと懇願するし、それが叶わなければ単身赴任して欲しいとも言う。その場合には家族はここに残るからこの家と生活を保障して欲しいと。
身勝手な話は我々の周りにも起こりうる話です。
そんなどこにでもいる家族を映しているだけの映画です。
しかし、この映画の恐ろしいところは、そんな家族は塀の向こう側に全く関心を示さないということです。
塀の向こう側では、ユダヤ人が処刑されているのです。処刑ではありません。淡々と流れ作業のように殺害しているだけなのです。
そんなこちら側とは真逆な世界が広がっている壁の向こう側。
それを唯一、感じさせるのが音。
人の声、時折聞こえる叫び声や泣き声、犬が吠える声。そして銃声。
関心を寄せなければならないはずの音がしているのに、あたかも何の音もしてないが如く普通に生活する。
もしかしたらこの家族にはそんな音は聞こえてないのかもしれない。
関心が無いから聞いてないのだ。
だからこそこんな家にも執着する奥さんがいるのだ。
本来ならその場所からどこか遠くへ行きたいはずだ。壁の向こう側では大量のユダヤ人が殺されているのだから。
しかし関心が無いからそんなことが起こっていることも感知せず、ただ彼等の平和の中で暮らしているだけ。望む生活がそこにあるのだ。
恐ろしい映画です。
こんな状況でも人間はある種の順応を見せるのだ。

そして映画はなんの変化も、壁の向こう側を見せることなく終わります。
なんというつまらない映画でしょう。
無関心な人間をただただ見続ける105分。
つまらないですよ〜。意識が飛ぶくらいに。
しかしもしかしたら、最初から目を瞑り音だけを聞いていたら、この映画の恐ろしさの深淵を見つけられたのかもしれません。
悪食はそんな深淵は覗き込みたくもありませんが。
だからこの評価です。

どうぞ劇場で自分の耳で確かめてください。
 

 

 

 

 

 

 

 

悪食 65点
今年 49本目

監督 山下敦弘
原作 福本伸行
   かわぐちかいじ
脚本 幸修二司
   高田亮

出演 生田斗真
   ヤン・イクチュン
   奈緒

福本伸行が原作、かわぐちかいじがさくがを手がけた漫画「告白 コンフェッション」を実写映画化。
渋谷シネクイントへ。

鑑賞結果、ホラー映画だったんですねぇ。オチにまだ優しさを感じる。日本の映画はまだまだ甘いねえ。

ここからネタバレ満載でいきますからご注意を⁉️



大学山岳部のOBで親友の浅井(生田斗真)とジヨン(ヤン・イクチュン)は、16年前の大学卒業登山中に行方不明になり、事故死とされた同級生、西田さゆり(奈緒)の17回忌の慰霊登山に出掛けるが、猛吹雪に見舞われ、しかもジヨンは脚に負傷をして遭難してしまった。


ジヨンは「俺を置いて下山しろ」と浅井に言うのだが、浅井は諦めなかった。
そんな時、ジヨンはとんでもない告白をし始めたのだ。
「さゆりは自分が殺した」と。
自分は助からないと覚悟しての告白だった。
しかしその時に浅井は山小屋を発見したのだ。
ギリギリのところで山小屋に辿り着いた二人にはとんでもないことが待ち受けていた。



殺人の告白を聞いてしまった男と、殺人を告白した男だ。
告白を聞いてしまった浅井は、「聞かなかったことにする」と伝えた。
しかしジヨンは、さゆりが浅井と付き合っていたことを知っていた。そんなさゆりを殺した自分を浅井が許せるはずないと思っていた。
二人の間には微妙な空気が流れ始めた。

浅井(生田斗真)は、ジヨン(ヤン・イクチュン)に「スマホを持ってないか」と聞くと「ザックに残したままだ」と答えた。しかし浅井はジヨンが捜索願をスマホで要請するのを見ていた。ジヨンは「ポケットにあった」と答えた。
スープを作ろうと包丁を探したが一本も無かった。
浅井はジヨンに対して懐疑心が湧いてきた。
ジヨンは告白したことを悔いているのではないか?俺の口を封じれば誰も真相は分からないと考えているのではないかと。
そしてジヨンもまた浅井が告白してないことをいぶかっていた。自分はさゆりを殺したことを告白した。しかしさゆりと付き合っていた浅井は何も言わない。おかしいと。
浅井には告白出来ないことがあった。
浅井はじよんがさゆりの首を絞めて殺そうとしているところを見ていたのだ。


なのに止めもしなかった。
さゆりは妊娠していた。浅井の子供だ。しかし浅井はさゆりから逃げようとしていた。親になる覚悟もなければ、そんなさゆりが鬱陶しいと思っていたからだ。


そのさゆりをジヨンが殺そうとしている。
願ってもいない好機だ。
ジヨンが去った後、さゆりに近付くとなんとさゆりは息を吹き返したのだ。
それを見た浅井はなんとさゆりの首を絞めてトドメを刺したのだ。
さゆりを殺したのは浅井だった。そんなことを告白出来るはずもなかった。
ジヨンは何も言わない浅井を許せなかった。親友だと言いながら、告白したことに対して自分の告白はしない。馬鹿にされていると思った。そう、浅井は自分を馬鹿にしていると。
浅井が否定すればするほど、ジヨンは確信していった。そして浅井に対して殺意さへ持ったのだ。


ジヨンは浅井に襲いかかった。必死に逃げる浅井。しかしジヨンは怪我しているにも関わらず必要に襲いかかってくる。
争いの際にもつれて階段を落ちるジョン。首が折れていた。
しかしジヨンは折れた首を元に戻すと何もなかったようにまた襲ってきた。



ホラーだ😱

逃げ惑う浅井(生田斗真)そこにヘリコプターの音とサーチライトの光が。浅井は助かったと助けを求めるが、それは高山病と雪目でやられた幻影に幻聴だった。
殺し合いは果てしなく続いた。



救助隊が浅井(生田斗真)とジヨン(ヤン・イクチュン)が残したザックを発見。そして近くの山小屋を見つけて中に入る。
二人の姿はない。
2階から音が聞こえる。階段には血溜まりが。
2階に上がった救助隊が見たのは、息絶えたジヨンに何度もナイフを突き立てている浅井の姿だった。
エンド。

この映画は色々な読み解きが出来るところが面白い。

雪山での遭難という極限状態の中、もう助からないと諦めたジヨン(ヤン・イクチュン)が死を前に心にずっと秘めていた秘密を告白する。
それは親友、浅井(生田斗真)の彼女さゆり(奈緒)を殺したという犯罪の告白。
さゆりを殺してしまった悔恨と、親友の彼女を殺したということを黙っている裏切り続けている気持ち。その二つがジヨンを苦しめ続けていた。
自分の彼女が遭難して行方不明になっていたのではなく、親友に殺されていたのだという事実を聞いた衝撃。それは想像するに難いものであるはずだったが、浅井の反応は違った。
もう16年も前の話だ。「俺は何も聞かなかったことにする」
ジヨンにとっては信じられない反応だ。
毎年のように慰霊登山をしているのに、その答えは何だ?
ジヨンは浅井が何かを隠しているのではないかと疑い始める。そして、浅井も何か告白することはないのかと詰め寄る。
ジヨンは西田が浅井の子供を妊娠していたことを知っていた。それを浅井が告白するのかと思っていた。
しかし浅井はその時、別な事実を思い出していた。
浅井はジヨンがさゆりを殺そうとしている現場を見ていたのだ。なのに止めようとはしなかった。さゆりは妊娠したことから浅井に責任を取るように迫っていた。浅井にその気は無かった。逃げるつもりだった。さゆりを鬱陶しく思っていた。
そんな時の卒業登山。さゆりをジヨンに押し付けてパーティーを組んだ。
さゆりにジヨンは思いを寄せていたが、さゆりには届かず、それどころか邪険にされたうえ、浅井に対する怒りをぶつけられていた。可愛さ余っての状態で、ジヨンはさゆりの首を絞めてしまったのだ。さゆりが絶命したと思ったジョンはその場を去る。
浅井がさゆりの所に近づくと死んだと思っていたさゆりが息を吹き返した。
それを見た浅井は咄嗟にさゆりの首を絞めてトドメを刺したのである。
そんな事実を思い返していた。しかしそんな話をジヨンにする訳にはいかない。
ジヨンはさゆりを殺したとその罪をずっと後悔して苦しんでいたのだ。本当は殺していないのに黙ってそれを隣で見続けていただけなのだ。告白など出来ようがなかった。
ジヨンの浅井に対する不信感はピークに達していた。その不信感は今までの友情関係も壊すが如く。浅井がジヨンに対してマウントをとり続けていたと。馬鹿にされ続けていたとジョンは思い込んだ。
そして浅井に対してそれは爆発し、刃を向けたのだ。そうして殺し合いが始まった。

そしてもう一つ考えられる理由は、告白までは変わらないのだが、そこから先が大きく異なる。高山病で目をやられた浅井は見えないことで不安が募り、ジョンに対して信頼が置けなくなっていた。全てのことが悪いように考えられ、果てはジョンが自分を殺そうと考えているのではないかた考え始める。
そして浅井が何も告白しないことにジヨンが怒り狂って襲ってきたという妄想を頭の中で描いたのではないだろうか?
そして精神に異常をきたした浅井を止めようとしたジヨンは浅井によって殺されてしまった。
どちらかというとこちらだろう。
それならばツッコミポイントも少なくて済む。

この映画がどんな映画なのかも知らずに観に行くとホラー映画ということに気付いて愕然とします。
首が折れても襲いかかる親友。
高山病と雪目で目が白内障のようになっている浅井。
ホラーですよぉ〜。
そしてその目で見たものは明るい光は救助隊のサーチライト。ではなくただの朝日。それではヘリコプターの音は?幻聴?
ところどころ妄想が現実なように扱われるので何が現実かもわからなくなる設定。
ホラーですよぉ〜。
という訳で、友人の殺人の告白を聞いて極限状態の中で精神錯乱起こしたのかと思えば、ジヨンが殺したことは知っていた。
じゃあ、なぜそんなに怯える?
ということで罪の意識に耐えられなくなって妄想から暴走したのは浅井というのが正解なんだろうなぁ。

という映画でした。
ワンシチュエーションもので面白いかと言えばそうでもない。
ストーリーが凝っているのかというとそうでもない。
ホラー映画として怖いかと言えばそうでもない。
だからの65点です。
配信でよろしいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

悪食 80点
今年 44本目、48本目

監督、脚本 ジョージ・ミラー
脚本    ニック・ラザウリス
出演    アニヤ・ティラー・ジョイ
      クリス・ヘムズワース
      アリーラ・ブラウン

      ラッキー・ヒューム
      トム・バーク


2015年の「マッドマックス 怒りのデス・ロード」に登場した女戦士フュリオサの若き日を描く。
新宿バルト9へ。

鑑賞結果、フュリオサがどのようにしてこの過酷な世界を生き抜いてきたかが描かれている。マッドマックスの世界、上がる〜😄

ここからネタバレ満載でいきますからご注意を⁉️



過酷な弱肉強食の世界で暴力が支配力を高める中、パラダイスの様なオアシスで暮らす集団がいた。フュリオサ(アリーラ・ブラウン)はその中の少女だった。
ある日、森で馬を殺して持ち去ろうとしているバイカー達を見つけた。
フュリオサはバイクの燃料パイプを切って動けなくしようとしたが、見つかってしまい拐われてしまう。
フュリオサの母はバイカー達を追い、一人また一人と始末していくが、最後の一人を逃してしまった。
そこはディメンタス(クリス・ヘムズワース)が率いるバイカー集団だった。
フュリオサの母はその中からフュリオサを助け出すのだが、追跡されてしまう。追跡を振り切る為にフュリオサに必ず逃げ切るようにとバイクを渡すのだが、多勢に無勢のディメンタス軍団に母は捕まってしまい、それを見過ごせないフュリオサは戻り、目の前で母親は無惨に殺されてしまった。
こうしてフュリオサはディメンタスのペットの様な存在となった。

ディメンタス(クリス・ヘムズワース)は、イモータ(ラッキー・ヒューム)が支配している砦を知ると宣戦布告にやってきた。


しかしイモータは手強く撤退を強いられた。
そこでディメンタスはガスタウンを落とし、イモータと同盟関係を結ぼうとした。
イモータはフュリオサを気に入り、嫁に置いて行けと要求した。ディメンタスはその気は無かったが仕方なく要求を飲んだ。
しかしディメンタスは次に弾薬畑を落とすと再びイモータに戦線を布告したのだ。
それを阻止する為に使わされたのがフュリオサ(アニヤ・テイラー・ジョイ)だった。フュリオサは成長し、イモータ軍団の戦闘隊長になっていた。


フュリオサは警備隊長ジャック(トム・バーク)と共に弾薬畑に弾薬を確保しに行くが、ディメンタスは既に弾薬畑も手中に入れていた為に、弾薬は手に入らなかった。ジャックはこの戦闘の間にフュリオサを逃がそうとしていたが、フェリオサはジャックを見捨てず戻った。


しかしディメンタス達に捕まってしまう。


ディメンタスはフュリオサを吊るし、ジャックを拷問の末殺した。しかしフェリオサは自分の腕を引きちぎり逃げていた。
それ見ていたのがマッドマックス。彼はフェリオサを助け、イモータ(ラッキー・ヒューム)の砦に届けるのだ。


気が付いたフュリオサはディメンタスに復讐の炎を燃やす。


義手を手に入れたフュリオサは、ディメンタス討伐隊を追う。そして討伐隊の車を奪うと単身、ディメンタスを追うのだった。
そしてディメンタスを追い詰めて捉えた。


ディメンタスに自分との出会いを思い出させ、母の復讐とジャックの復讐を果たす。
その方法は母から託された木の実をディメンタスの身体に寄生させて殺したのだ。
その木になった果実を持ってイモータの女達の元に行く。そして彼女らを逃すのである。
エンド。

悪食的には前作の「デス・ロード」よりも圧倒的に面白かった。
デス・ロード」で強烈なキャラクターとして登場したフュリオサの若き日を描いているのだが、子供の頃から大人になるまでの意志の強さを感じさせる目力の演技は子供の頃を演じたアリーラ・ブラウンも大人になってからを演じたアニヤ・テイラー・ジョイもその魅力と演技力を遺憾なく発揮している。
その意志の強さが彼女の力であり、母親との約束が彼女の生きる指針になっていることを見せつけてくれます。
暴力と権力が圧倒的な力を持って人々を支配した荒廃した世界において、女の力がいかにひ弱く無力であることを痛感させられる世界だ。

女の生きる道は男の相手をすることだけ、そして子孫を残すだけ。そんな不条理な世界の中でフュリオサは圧倒的な知力と力で成り上がっていく。そしてその力は男に勝るとも劣らない。だからこそ時の権力者に気に入られる。だからと言って尻尾を振っている訳ではない。いつでも喉元に噛みつき殺すことも厭わないという意思がそこにあるからなおのこと惹かれるのだろう。
今作はそんな女の生き方をこれでもかと見せつけてくる。
これこそが今作の見どころであり、上がるポイントだ!
ラストシーンで復讐を果たしたフュリオサが選ぶ殺し方は女だからこその殺し方にも見える。ただ単に殺すのではなく、命を育ませるという役目を負わせた殺し方こそが彼女が選んだ殺し方。
面白い‼️
そしてそこから得た果実を自由へのシンボルとする。

ここまでは納得のシーンだが、果たしてそこから先に描かれるデス・ロードに続くシーンは必要だったのだろうか?
男に屈しない自由も持っているという姿で終わる方がよりフュリオサらしかったのではなかろうか?
「デス・ロード」に続く話だと明確にしたかったのかもしれないが、蛇足と感じたのは悪食だけだろうか?

しかしそれを差し引いても素晴らしく面白い映画であることには変わりはない‼️
これぞ「マッドマックス」‼️
音が素晴らしく良かったのでIMAXかDolby Atmosで観ることをお勧めしたい‼️
是非、劇場で‼️


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悪食 70点
今年 46本目

監督 代島治彦
出演 池上彰

1972年以降、学生運動が内ゲバにエスカレート。それに焦点を合わせたドキュメンタリー。
渋谷ユーロスペースへ。

鑑賞結果、学生運動が激化して中核派と革マル派で殺し合いが起こるほど。そんな時代を垣間見れる。恐ろしいのは人間。

ここからネタバレ満載でいきますからご注意を⁉️



学生運動が盛んな1970年台。マルクス主義を掲げながら自由と自立を旗印に学生達は熱く生きていた。
ところが同じ派閥の中から中核派という武闘派集団と革マル派という非武装派集団に分かれていく。
しかし双方対立する中で、非武装であった革マル派も武装勢力が強くなり、中核派と革マル派の中でお互いにぶつかり合い、リンチ殺人が起きるまでになっていった。



この映画の中では、革マル派に中核派と疑われた学生が早稲田大学内で拉致され、学生会館に連れ込まれた上、リンチされて殺された事件を発端に描かれている。いわゆる内ゲバである。



1972年、11月に早稲田大学第一文学部2年の川田大次郎が革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)から中核派のスパイと疑われ、リンチの末に殺された。


川田を救おうとした学生もいたが、「革命に命をかけている我々に何が出来るのか?」一喝され、大学側に救助を求めるも革マル派と癒着関係にあった大学側はこれを無視。
川田が殺されたのは、果たしてカマル派だけの責任だったのだろうか?
川田の遺体は東大安田講堂前に捨てられた。その事件は、以前に中核派によって革マル派の学生が殺され、病院前に遺棄された事件の報復のような形となった。


これ以降、内ゲバは活発になる。
この事件がきっかけで革マル派に対する一般学生の反対論争が激化し、それに対抗するように一般学生も黒ヘルと称する暴力を肯定する集団も出てきた。
そして一般学生の間でも派閥的に分かれるようになっていった。



こうして学生運動はマルクス主義という旗印から大きく逸脱し、暴走する集団になっていく。
それを当時、学生で間近で見てきた者達が語るのであるからドキュメンタリーとしてこれほどリアルなものはない。
そして当時は語ることによって命の危険すらあったことが50年という時を経て、今語られるようになったとも言える。
今も生きている当事者の言葉は重く、学生運動がどんなものであったかを理解することは出来なくとも学生運動というものを知る一端にはなる。
時代という言葉だけで終わらせるのではなく、人間の心理はどう変化していくのかということを学ぶことが必要だと思う。


学生運動が盛んだった時代に生まれなくて良かったと思うことではなく、人間という生物は怖いものだということを改めて感じる映画だった。

この映画を観て最も心に刺さった言葉を記す。
「正義という暴力」
戦争がその一つだ。
こんな言葉が許されていい時代が終わることを願う。


是非、劇場で。