泊りがけの付き添いの後、睡眠不足を紛らわそうと二日前に炒れたコーヒー暖めて飲みながらTVを点けました。群馬の6年生の女の子自殺事件での校長の記者会見が映ってました。「いじめがあった」ということを認めるとすかさず記者達が「いじめが原因で自殺したと認めますか?」校長。しばらく絶句無言の後。「今はいじめがあったということだけ・・・」原因だったと否定も肯定もしないまま眼を閉じて立ち往生。よく見ると涙を流してます。前後の状況が分からないで見ると記者の追及が校長への「いじめ」にも見えました。事件の発端。原因は「いじめだ」ということは誰の目にも明らか。でもそれを認めると担任。校長。そして教委。文科省。順に責任を取らなければいけなくなる。防ぎたい。保身の論理が働き、亡くなった彼女からどんどん離れていきます。それは「いじめが原因の自殺ということを認めさせたい」という家族にも言えるような気がします。「被害者」があって「加害者」がいる。それを特定することで終わらせたい。そしてそれは「自分」であって欲しくない。責任の分散はいけないと思いますが家族を含めみんな自分の責任をまっとうしたのだろうか?仮に誰かが責任を認めて一件落着。それで亡くなった彼女が浮かばれるか?そんな複雑な思いがしました。「あなたがたのうち罪の無い者がこの女(マグダラのマリア)に石を投げなさい」という言葉が何故か浮かびます。
突風が吹く寒い一日になりました。つい先日木枯らし1号が吹いたと発表されましたがどういうわけかその後も穏やかな日和が続いてました。そんな中、今日の風。やっぱり1号だけではこの夏の猛暑は払いきれなかったのでしょう。そんなわけで誰も言わないけど「木枯らし2号」明日から寒くなりそうです。今日はハイネックにフード付きのブルゾン。明日は?マフラーにダウンジャケット(笑)
大安の日の昨日、朝、病院に向かう途中、神社で七五三を祝う晴れ着姿の子供たちを見かけました。子供たちの晴れがましい表情は、見ている方の気持ちも晴れやかにしてくれます。
先日、転送前の医師にえらそうに言ったQOL。「人それぞれ」と後で思い直し反省しました。思い込みの激しい性格のなせる技。それにしてもその間に世間では次々といろんなことが起きてます。「耳掻き店員殺人事件の裁判員裁判。尖閣列島事件のビデオ流出。個人的にはどちらも「?」がつきますがこれも人それぞれ。そして私の考えは多数派ではないのかもしれません。どちらかというと「2人殺しても反省すれば死刑にはならないのか」という遺族の方の心情に近いと思います。被告の側に立って考えても無期懲役で6~7年服役して出所してからどう生きるのだろう。何も残ってないと思うのは私だけ?それでも生きてるほうがいいのかな?尖閣ビデオ。もともといずれどこかで見ることが出来るとは思ってましたが思ったより早かった。犯人は多分海保の関係者だと思いますがそれを検察が捜査すると言います。言ってみれば「身内」。那覇地検の検察官の苦渋に満ちた表情での犯人釈放会見が頭に浮かびました。形式上の捜査で終わると思います。そしてこれも最近耳にする「国益のため」と言う言葉。便利な言葉だと思います。でも国益ってなに?経済的に一番のお得意先を失わないことが国益なのでしょうか?人にQOLがあるのなら国にもある。この国の国民ははそんな目先の損得で動くのかな?先人が建てた古家に住んでいるとします。雨が降るとバケツや洗面器で雨漏りを防ぎます。晴れたらそれでいい。でもいつかは屋根の葺き替えをしないと雨が降るたびそんなことを繰り返していたらいずれ屋根が腐って落ちてきます。「そのときその場だけやり過ごしたらいい」この国の指導者達の考え方にに不安を覚えます。
歩いていて道が左右に分かれてます。目的地に行くにはどちらが正しいのか?間違った道を進むと目的地に着けないかも?さて、右か左か?どうします?結局どちらへも行けず立ち往生。勘の鋭い人。自分を客観視できる人ならお分かりだと思います。右も左も選べずに焦げついている心模様を放り出して離れて対岸の火事のように眺めていられるようになれば到着なのです。右でも左でも同じ。というより目的地は目の前の道の先にないのです。遡って考えて見ましょう。今、分岐点にいる。その前はこの分岐店が目標だったはず。そこに着いたら目標達成。先に行こうと思ったらまた目標を立てればいい。その為に右にいこうが左に行こうが多少の差はあれ、どちらでも行きたいところにいけます。もっと砕いて言うとそこに行き着くまでが問題なのです。険しい道のりになるか平坦な道になるか?どちらがいい?平坦なほうが楽で早く着く。だったらそのほうがいいのでしょうか?ゲームならそうでしょう。でもそれがあなたの人生なら?楽して早く着くのがいいですか?それがあなたがこの世に生まれてきた目的ですか?
苦労してきた親ほど子供には楽をして欲しいと願います。それが軟弱でひ弱な子供を作ります。そんな子供が成人して生まれた子は生まれた時から苦労する。あんなふうには(親のように)なりたくないと苦労して自分を磨く。このサイクルは大昔からずっと続いてます。
ただ、時として親の財産があまりに大きすぎると三代まで苦労知らずで生きていける人もいるようです。
また気が変わるかもしれませんが鳩山前総理が「総理を辞めたら議員も辞職する」と言っていたのを撤回し、「議会がまだ私を必要としている」と議員職を続行するそうです。政治家も三代続くと社会人としての苦労をせずに成人してしまい恥の感覚や概念がなくなるのかもしれません。

