歩いていて道が左右に分かれてます。目的地に行くにはどちらが正しいのか?間違った道を進むと目的地に着けないかも?さて、右か左か?どうします?結局どちらへも行けず立ち往生。勘の鋭い人。自分を客観視できる人ならお分かりだと思います。右も左も選べずに焦げついている心模様を放り出して離れて対岸の火事のように眺めていられるようになれば到着なのです。右でも左でも同じ。というより目的地は目の前の道の先にないのです。遡って考えて見ましょう。今、分岐点にいる。その前はこの分岐店が目標だったはず。そこに着いたら目標達成。先に行こうと思ったらまた目標を立てればいい。その為に右にいこうが左に行こうが多少の差はあれ、どちらでも行きたいところにいけます。もっと砕いて言うとそこに行き着くまでが問題なのです。険しい道のりになるか平坦な道になるか?どちらがいい?平坦なほうが楽で早く着く。だったらそのほうがいいのでしょうか?ゲームならそうでしょう。でもそれがあなたの人生なら?楽して早く着くのがいいですか?それがあなたがこの世に生まれてきた目的ですか?
苦労してきた親ほど子供には楽をして欲しいと願います。それが軟弱でひ弱な子供を作ります。そんな子供が成人して生まれた子は生まれた時から苦労する。あんなふうには(親のように)なりたくないと苦労して自分を磨く。このサイクルは大昔からずっと続いてます。
ただ、時として親の財産があまりに大きすぎると三代まで苦労知らずで生きていける人もいるようです。
また気が変わるかもしれませんが鳩山前総理が「総理を辞めたら議員も辞職する」と言っていたのを撤回し、「議会がまだ私を必要としている」と議員職を続行するそうです。政治家も三代続くと社会人としての苦労をせずに成人してしまい恥の感覚や概念がなくなるのかもしれません。