クルクルの螺旋。
その螺旋は 小さなクルクルの螺旋でできている。
小さなクルクルの螺旋は もっと小さなクルクルの螺旋でできている。


大きく見ても 小さく見ても
拡大しても 縮小しても
同じ形が何度も何度も出てくるしくみ・構造のことを「フラクタル」という。

螺旋のフラクタル。



私はこういうのを思い浮かべるのはけっこう好きだったのだが、
まさかこれが 意識であるとか段階であるとか、そういった私たちの営みのしくみとして存在しているとは。

「まさか」と驚きつつ、
妙にストンと納得してしまい「やはりそうだったか」のような気持ちでもあり、
それでいて何か切ないようでもある。不思議ね。



惑星もクルクルする。

ということは、私たちもまたクルクルしている。

そうして私たちがクルクルの全体を網羅する(全体の性質を持って生きるようになる)と
クルクルの円の中心に気づけるようになる。

つまり、
それまでクルクルしていた螺旋が 実はもっと大きな螺旋の一部だったことに気づき、その大きな螺旋を生きるようになるのだ。

火・地・風・水の4つの性質を兼ね備えたら その中心の「空」に気づけるようになる という話がある。

これはつまり、これまで気づけなかった 一段階 大きな螺旋があることに気づけるようになる ということでもあるだろう。


次元上昇を別の言い方にすると どうもこんなふうにも言えそうだ。
より大きな螺旋を生きることに移っていく ということだ。



逆に、
自らの周りに より小さな螺旋を生み出すこともできる。
「分離」「分化」「分割」、あるいは「創造」のように呼ぶようだ。
多様性を生み出しているとも言える。




ここから先の話は勉強したことじゃなくて
私が「あーだこーだ」と考えて遊んでいるだけの話なので、頭の体操くらいに思うとちょうどよいと思います。



これをもし
「大きても小さくても、同じ螺旋の形ですね」
のように感じる感性があったらどうだろう。

それは「次元の高低」という定規からは また別方向にベクトルを得ているように見える。


次元の高低という土俵から外れているので これに次元という言葉を当てるのはまったくもって適切ではないが、これはさらなる高次元のように見える。

たとえば、3次元とか4次元とかを 優劣から完全に切り離して考えることができたなら
それはもしかしたら住所のような ふつうに位置情報をいうだけの感覚かもしれない。


いや。違うな。
フラクタルであるなら これは位置情報になり得ないかもしれない。

「大きくても小さくても、同じ螺旋の形ですね」

どこにいても同じである。

クルクルしながら
その背景では全くクルクルしていない。

どんな次元にいても
どんな場所にいても
同じである。


もしかしたら、私たちはそういうふうに感じる境地を 存在のどこかに持っているのかもしれない。

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この話は なんだかドキドキするのであまりしたことがないのだけれど

私は
どこにいても
なにが起きても
なにも変わっていない
なにも起こっていない

そんなふうに感じることがある。



「問題だと思ってあたふたしたけれど、そもそも問題ではなかった。そもそも問題はなかった」というのと似ている。
その発展バージョンだ。

そもそもなにも起きていない。

※ 「相原あすかをぶったたいても痛くない」という意味ではないです。ぶったたくと痛いので、ぶったたかないほうがよいです(笑)


でも、それは
私たちのありとあらゆるすべてを無に帰すことをしてしまいそうな気がして(そんなことができるかは分からんが)
それはなんだか切ないので
あんまりそういう感覚に留まらないようにしている。



「なにも起きていない」
と感じたり伝えたり発信したり表現したりしても
おもしろいことはあんまりないような感じもするからな。

「なにも起きていない」の感覚を楽しむ遊びを試みたらおもしろいかもしれない。
思い出したらやってみよう。
(「楽しむ」がそもそもそこに存在できないかもしれないけど)

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「もし時間が止まったら、私たちは時間が止まったことに気づけるか」というのを昔に考えたことがあって
「まぁ、たぶん気づけないだろうな」と ひとまずそのときには考え至った。

そういうことが起きていてもたぶん気づけないので、もしかしたらもう何度も何度も時間が止まったことがあるのかもしれない。

というか、
「私たちの認識外のところでは いつもいつも止まっているのだよ」
「変化が起きているとか そこから時間というものがあたかもあるように感じられることの方がレア体験」
くらいのことは言えてしまいそうだなぁとも思う。



「なにも起きていない」というのは、その、時間が止まったようなイメージと似ている。

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と、
螺旋のフラクタルをスタート地点にして考えられるだけ考えてみた。

疲れたのでここまで。



最近こういう考える遊びをしていなかったな。
おもしろかった。


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