こんばんは!
@Ricoです。
テクテク👣の紐解きシリーズ✨
前回の続きですよ😎
そもそもの話
牛頭天王さまの
信仰の拠点てどちらなんでしょ⁉️
となるのやけど、、、
江戸時代まで牛頭天王さまを
お祀りしていた神社⛩は
祇園社(現八坂神社⛩)さん
津島天王社(現津島神社⛩)さん
廣峯社(現廣峯神社⛩)さん
などが有名で、
一大拠点だったといわれています
(この江戸時代までは‼️というのが
ポイントらしいのですよ)
して、
それぞれの神社さんのHPを調べたところ
八坂神社さん⬇️
津島神社さん⬇️
廣峯神社さん⬇️
すべてのHPで
素戔嗚尊さまを御祭神としています。
イコール牛頭天王という図式を
前提としているからやね
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で、ここで気になるのが
御后神の婆利采女はりさいにょ(じょ)✨
→櫛稲田姫命くしいなだひめのみこと
廣峯神社さんのHPに書かれている
歳徳神としとくじん🏹
みなさんもよくご存知の
恵方巻きだったり、
一陽来復だったり、
に関わってくるカミサマですね^^
こちらは、
その年の福徳を司る吉神✨
とされとります🙏
めっちゃテンションあがった
ねえさんぽやったわ
さらには、
ホキ内伝という暦の注釈書(暦注書)には
神話が書かれており
そこには
天道神てんどうしんは牛頭天王なり
とあるようです。
(こちらの記事をご参照⬇️)
牛頭天王と婆利采女
この暦の神と同体視されたカミサマが
民間信仰として広がっていった、
とも言われているのだそうな
いやぁ、
どれだけのお力を持つカミサマなんですか‼️
ってコトですよ。。。
暦と深い関わりがあるのが分かります⬇️
さらに、さらに
さまざまな習合を重ねて
いまの時代に受け継がれてきたのが
こちらの資料から読み取れますよ😎
(1〜10ページまでをご参照⬇️)
※室町時代に編纂されたもの
牛頭天王と蘇民将来の習合
スサノオと武塔天神の習合
牛頭天王と武塔天神の習合
そして、
牛頭天王とスサノオが習合することとなる。
視える、視えないは抜きにしても
これだけの変遷を重ねつつも、
いまもなお、牛頭天王さまのお力は
さまざまに受け継がれてきていて、
疫病を流行らす力もありながら
疫病退散のカミサマともされているワケです。
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ちなみに
この祇園会というと
さまざまな地域でいまも行われているけれど、
もしや🤔
と思ったのが、こちら⬇️
成田山新勝寺さんの
祇園会✨
この成田山祇園会ねえさんぽが
かなり記憶に深いものとなっとります🙏
成田山新勝寺さんと
牛頭天王さまとのゆかりの有無は
まだ分からないけれど、
祇園祭の執り行われる7月には、
氏子信者たちはキュウリを食べないといわれます。
八坂神社の神紋=木瓜紋が
輪切りにしたキュウリの断面と似ているために
恐れ多いということのようなのやけど、
この習わしが、平将門公のお膝もとの
下総(千葉県北部)を中心とした関東にも、
将門の家紋である九曜紋に似ているから
キュウリを食べない、という信者が存在する
と言われています。
ええっ‼️
⬆️平将門も、スサノヲそして牛頭天王と
習合されていたってコト⁉️
(⬇︎左が九曜紋ですね^^)
この成田山との繋がりがあるのだとすると
平将門さまとの史実についても
かなり疑問が残るように思えてきたりもする。
➡️ 成田山新勝寺は平将門調伏の寺とされている件ね^^
※これは個人の解釈なのであしからず
(個人的には、
成田山新勝寺さんにもうかがうし
神田明神さんにもうかがいますからね。
そこは個人の判断やと思います)
しかも興味深いことに、
習合のいろいろを見ていくと
牛頭天王は
医薬の守護仏である薬師如来信仰とも習合され、
牛頭天王の本地仏は薬師如来ともされている。
薬師如来は様々な薬草に知悉することを
必須とされた山伏、つまり修験道者の信仰とも
つながり、修験道の出羽三山、
その奥の院の湯殿山は牛頭天王も祭っていたと
されています🙏
いやぁ。。。
なかなか興味は尽きず✨
して、
次なる牛頭天王ねえさんぽの場所を
思案中でございますよ
今年の丑年だからこそ、
こんな深掘りをする流れになったのかも
しれないやんね^^
※また新たな発見があったら
続編を書くかもしれませんが
一旦はこのへんで。
では。
いつも、ありがとう^^
@Rico
幸せは自分のために
世界が平和であるために