恋愛小説家 -74ページ目

10.それから

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目次 ・・・ あのころ / youthful days

 

世間知らずのまま社会に飛び出していった仲間たちは、始めのうちこそ近況を報告しあっていたものの、次第にその間隔が広くなり、だんだん顔を合わせる機会も少なくなっていった。

 

それまでだって、こういう成り行きには慣れているつもりで、たとえば高校の卒業式で「ずっと仲良しでいようね」と握手した仲間と、進学後にどれだけ続いたかを思えば、口約束の効力などたかが知れていた。新しいステージに立てば、大多数の人はまた誰かと出逢ってその人たちとの関係を築いていくのだから。

 

何をするにもつるんでいた仲間とも、卒業すれば自然と疎遠になるのはよく分かっていたし、一つの時代を共有していても、そこから先はそれぞれの道を歩いていくのだと思う。「あの子はどうしているかな」と、年の瀬に年賀状を書いて“今年こそは遊ぼうね!”と記す、ぎこちなさを味わう関係が増えていくのだ。

 

 

家が近いというのに、なかなか時間をとって会おうと言い出さなかったのは、会いたくなればいつでも叶うということと、お互いが日常に追われていたからだと、いまさら言い訳してみる。

 

私の知る限り、クミコさんは卒業後いくつかのアルバイトをしていた。カレーやさん、写真やさん、水泳のコーチ(これには心底驚いたけど!)、その他何かしら。職場か変わるたびに「どうなっちゃうんだろ!?」と、他人事のようにケラケラ笑っていた。

 

コーチ時代のクミコさんを、私は「コーチ」と呼んでいた。スポーツクラブの受付として採用されたはずが、子ども受けのよさから、成り行きで幼児向けの教室を教えることになったという。海へ行っても水着を着なかった人がコーチだなんて、どういう風の吹き回しかと思ったけれど、クミコさんの子どもの扱いは天才的だったから、向いているんだろうと思ったし、実際何年かコーチ業を楽しんでいるようだった。

 

最後に聞いたのは、市の臨時職員になって事務仕事にも慣れたし、なんだかんだ電車通勤も楽しく、落ち着いたという報告だった。

 

「コーチ、引き止められたでしょう?」「まあね」。

 

私自身、将来に不安を抱えたまま、仕事をしながら求人情報誌を立ち読みする日々だったし、まだ人生を模索中というクミコさんに、少し安心を覚えていた。

 

 

 

一度だけクミコさんに駅でばったり出会ったことがある。髪が伸び、見慣れない色のスーツを着て、数人で電車を待っていた。ストッキングにパンプスという後姿に、「一瞬誰だか分からなかったよ!」と声をかけた後で、ひょっとしたら話しかけるべきではなかったと後悔した。

 

いつになくよそよそしい態度で二言三言かわして別れたときに、「扉の裏で笑う人」が脳裏をかすめた。というのも、クミコさんは、きまって選挙の前に電話をしてくる。そのことに限っては、彼女は真面目すぎるほど熱心だった。

 

私の知っている個性的で目立つクミコさん、一生懸命でやさしいクミコさん、幸福なクミコさん、適当なようで頭の切れるクミコさん。そして出会ったばかりの「戦闘服」を着たクミコさんと、カメの置物を店から持ってきてしまうクミコさん。

 

私たちはいつだって相手の話を終わりまで聞き、一緒に騒いで、泣いたり笑ったりしてきた。それこそ、一番身近なところで。だけど、見てみぬ振りや、あえて触れずにいた部分もあったことは嘘じゃない。正直になりきれない遠慮だって、いろいろあったんだよね。

  


幼稚

分かってる、こんなの私らしくない。

どうでもよいことに過剰に反応するなんて。

 

怒ってもいない相手に怒ってる?と思ったり

相手の都合も考えずに間髪入れずにメールしたり

言葉尻に反応して些細なことで騒いだり

謝るタイミングを見過ごしたり。

 

自分勝手に一喜一憂して

私が男なら、面倒くさいだろうなぁ。

 

というか・・・

もう、とっくに面倒くさがられてるかもしれない。

この恋を失ったら

しばらく立ち直れない気がするのに。

 

ああ、万が一そうだったら、どうしようどうしよう。

確かめた方がいいかしら。

でも何て言えばいいのかな?

 

もう。だから、こういう部分が面倒なんだってば!

しっかりしなさい、私。

 

心配が無意味だってことは、寄り添いあえば分かるのに

幼稚な女でごめんなさい。

いつかお別れする日が来るんじゃないかと

失う前から喪失感に悲嘆するなんて。

大切だからこそ、怖くなりました。
 

やさしい笑顔に安心しました。

 

winding road

今日は雨降りです。

 

クリエイターや物書きは、

心の調子が悪いと、とたんに感性が曇り

良いものが生み出せなくなるそうです。

「元気をだしたまえ!」と、ありがたい訓示をもらいました。

 

天気はすっきりしないけど

雨が降っても突然晴れても

あんまり関係ないのです。

一緒に、あなたがいれば、それだけで。

 

くねくね曲がった道を行くと

カーブの度に身体が左右にふれて

人生みたいと思ったり。

 

笑いすぎた昨日も

泣きそうな今日も

待ち遠しい明日も

みんな繋がった一本道です。

 

わからないけど

私をかわいいと言ってくれるあなたが

いったい

私のどこを気に入ってくれているんだか

まだわからないけど


そんな風にかわいいもの扱いされるのも

なんだか心地よいものですね


恋愛小説家



黄色い電車

秋が終わるころに

屋根もベンチもないプラットホームで

ポケットから、グーにした手をだし

おもむろに彼がいいました。

  

「がんばれるようにお守りをあげる。」

 

遠くの大学を受験するという彼に

手作りのお守りを渡したいと思っていたのに

先を越されてしまったようです。

 

しばらくなのか、それともずっとになるのか

彼と会えなくなることが名残惜しく

あまり盛り上がらない会話を続けて

いくつも電車を見送るばかりでしたが

 

その「お守り」を受け取ろうと、

かじかんだ手をおずおずと出しました。

 

縮こまった私の手のひらに、彼は握ったままの手を置き

「それじゃあ、目を閉じて! 5、4、3・・・」と

唐突にカウントダウンを始めたのです。

私はあわてて目を閉じました。

 

「2、1」

 

ゼロの瞬間、彼はすごい速さで

私にキスをした?ような気がしました。

1秒にも満たないような、短いキスは

何事もなかったかのようにパッと離れていきました。

 

待っていた手のひらは空っぽのまま、

何も乗っていません。

間もなく黄色い電車が滑り込んできました。

 

人目ばかりを気にして

手をつないで歩くこともなかった彼の

精一杯の勇気は

遠い青春時代にきらきらと輝いています。

 

深まりゆく秋を味わう季節がやってきました。

 

ミルクティー

仕事中は大抵、コーヒーを飲みます。以前は毎回、がりがりと豆を挽いていましたが、このごろは横着で、マグカップに乗せるドリップタイプを愛用しています。だいぶ涼しくなってきたので、またポットで何杯分かまとめて淹れるやり方に戻る時期かもしれません。

 

珍しく、今朝はミルクティーを淹れました。

 

でも、完全に失敗作をこしらえてしまいました。お茶の抽出が不十分なタイミングで、冷たいミルクを入れてしまったからです。こうなると、もう茶葉は開きません。もともと色の薄いダージリンティが、ほどんど牛乳色の、“紅茶フレイバー飲料”になってしまいました。早くテーブルに持って行きたくて、ツメが甘くなってしまうのでは、おいしい紅茶も台無しですね。

 

(もう少し待てばよかったのに。)

 

こういうことは人間関係にもありうるなぁと思いながら、紅茶風味のミルクをすすっているところです。

 

もうすぐ9月が終わります。成り行きで、春から半年間引き受けていた仕事も、今週で終わります。私でなくても出来そうなことを「なんとなく書く」ことは、どうしても気持ちが入っていきません。無難なものを作るために頭を悩ますなんて時間が勿体ないですから、もう安請け合いはしません。教訓です(笑)

 

10月には新しいことがやってくることでしょう。無駄なものを取り去って、すっきり頭で向き合いたいと思います。 

go around in circles


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「そういえば昔、こんなことがあったよね」と

すっかり忘れていたことを人に言われて

過去に起こった悲しい出来事を思い出した


あの時

わたしは傷ついて

なんてひどい仕打ちだと嘆きつつも

諦めずに良い結果が生まれることに期待して

そのたびにまた傷ついて

 

何度もつまずき夢破れ

あちこち傷だらけになっても

しぶとく立ち上がってきたんだ

 

いま振り返っても

消化不良で胸焼けするほどおかしな話

 

少なくともわたしにとっては

心に深く突き刺さる日があったのに

人に言われるまで忘れていたなんて

慣れるって恐ろしいと思った

   

何年してもなお逡巡し

同じように苦しんでいることが

とても滑稽で、とても悲しい

  

わたしも彼も変わっていない

結局は堂々巡りのようです

  

アルタイルへ

 

恋愛小説家

 

今宵、日本の大部分で北を向いて見上げれば

こんな夜空が広がっているはずです

 

東西に天の川が渡って、頭上にカシオペヤ座

西には夏の名残の三角形と、

真東にオリオン座が、地平線ギリギリに見えるような・・・

 

あまりにも美しいまたたく星空の下では

忙しい日常や現実も忘れさり

しばし宇宙の神秘に耽ってしまいます

 

流れ星は願い事をする間もなく消えてしまいました


でも、おなじ瞬間に空を見上げていた証人が

地球のどこかにいるならば

「願い」は その人に譲ることにします

 

 

若者でもないふたりの関係を

付き合うだとか、彼氏彼女などと

確認したり定義づけることは

さほど重要なことではないと思っていましたが

(約束なしでも一緒にいられるものですし)

 

「あなたとわたしは恋人同志」と判れば

 

相手を敬う気持ちが大きくなり

自分を磨こうという意思が強くなります


ますます一緒にいたくなり

お別れするのが辛くなります 

くわんくわん

子どものころ、食べ物をきれいに食べるのが下手だった私に、「もう、くわんくわんよ」と笑いながら、母はガーゼのハンカチでやさしく口元を拭いてくれました。

 

だから「頬や口のまわりに食べ物がくっついているさま」を意味する「くわんくわん」という表現が、当たり前の日本語だと思い込んでいたです。それも、完全に大人になるまで、それが普通には通じないことなど考えてもみませんでした。


その昔・・・

教室でサブウェイをかじっていた友達の顔が、面白いほどマヨネーズだらけだったから、親切のつもりで「くわんくわんになってる!」と言ったのですが、笑いたいのはこちらだというのに、逆にその台詞に笑われてしまいました。

 

それから何人もの仲間に、「くわんくわん」と使うかどうかを聞き込みましたが、通じないことといったら!「使わないけど、意味はわかる」と唯一言ってくれた新潟出身の友人以外は、全滅でした。

 

なんてこと!「くわんくわん」は家庭内用語だったのね?それを知ったときには、軽いカルチャーショックでブルーになりました。

 

ところが。

 

人生30余年、ここにきて奇跡がおこりました(笑)

「くわんくわん」ユーザーが、彗星のごとく現れたのです。

 

とある昼下がり、テラスでのんびりBLTサンドをほおばっていたら、同席していた素敵なお方が「くわんくわん」と、発声したような気がしました。私は、「まさか」と自分の耳を疑い、思わず本人に確認してしまいました。

 

でも聞き間違いではありませんでした。

 

(き、きゃ~ラブラブ

 

嘘のような本当の話。もう、それだけで私の心がKOされたのは言うまでもありません。せっかくおいしい物を食べるならば、一緒に「くわんくわん」になっても笑いあえる関係の方が、幸せだなぁと思った次第です。

 

香りの記憶

お気に入りのフレグランスをまとって
そのまま眠るのが好きでした
 
明け方近く まどろんでいると
ふわっと鼻をくすぐる香りに
心が安らぎ 幸福につつまれて
独りじゃないと
 
ひさしぶりにつけたフレグランスは
嗅覚から 記憶が胸に押し寄せます
 
この香りの中で
私は何をしていたっけ
誰を見つめていたっけ
 
切なくほろ苦い記憶の糸をたぐり
もう少し旅してみたくて
今日も同じボトルを手に取ってみましょう
 

 
私の好きな映画の一つ、
「セント・オブ・ウーマン~夢の香り」。
原題は「SCENT OF A WOMAN」なので、
カタカナとニュアンスが少し違いますが
 
友も愛もなく、孤独に生きている全盲の退役軍人が
青春に悩む寄宿生と出会い、彼と心を通わせていく過程で
生きる光を徐々に取り戻していく・・・というような物語。
(説明すると陳腐になってしまい、スミマセン。)
 
目が見えない、ジェントルマン。
映画のなかで、「香り」が重要なキーとなります。
彼の、女性の扱いはとびきり上等で、大人の魅力満点です。
 
ずばり、反則的に素敵すぎる
アル・パチーノを鑑賞する映画かもしれません(笑)。