すばらしいこと
「路上喫煙禁止」と書かれた看板の真ん前で
何人ものオジサマたちが煙草を吸っていました。
その光景に思ったことは、
「一人きりでも、同じことが出来るのかしら?」ということ。
ダメなことだと分かっているのに
赤信号もみんなで渡ればこわくないの心境ですね。
それとは、まるで違うことですが
誰かにとっては非常識な何かが
私にとっては常識だったり、普通のことだったりします。
人生には無数の出逢いがあるものですが
友達でも、恋人でも
その感覚が、限りなく近い人とばかり
親しく付き合えるものですね。
誰かと理解しあえるって、すばらしいことです。
ただ一人でも味方がいるという、心の灯火。
心配なんて何もなく
夜道だって、恐れずに歩いていける気がします。
ちなみに、このホテルは
「ドリアン持込禁止」みたいです。
welcome to NY
NYといっても、東海岸の大都市ではありません。
誰かのイニシャルでもありません。
NY・・・にゅうよーく・・・入浴。
つまりスーパー銭湯を意味する自分用語です。
昨日、仕事がひと段落してからスーパー銭湯へ行きました。
新規開拓。土地柄マイナーなのでしょうか?
独特なムードがある、良いお湯でした。
薄暗い照明に、湯気が満ちたぼんやりとした空間。
岩風呂の横にろうそくが灯されているのも、めずらしい。
新丸子に住んでいたころ、
「丸子温泉」という古い銭湯がありましたが
そこのお湯を思い出す、クマの毛皮色(分かりにくい?)。
黒豆茶か黒烏龍茶を注いだかのような水色のお湯でした。
つまり真っ黒というよりも、若干茶色がかっている。
その、独特な匂いがする黒いお湯に浸かって
ゆらゆらする炎を見つめていました。
祠か、胎内のような露天でも半身浴。
沈没するので、柱によりかかり休みました。
お風呂の中では、
いろいろなことを考えます。
そんな時間がとても良い息抜きになります。
どこに行きたいか。誰と居たいか。
どんな景色を見たいか。何を食べたいか。
どんなものを書きたいか・・・etc.
夢が膨らみます。
心は遠くの町へと旅しはじめます。
ところでNYの休憩スペースに
熟年のおじさんとおばさんが寝転がっていたのですが
広い畳スペースを有効活用せずに
小屋の隅でかたまっているウサギのごとく
くっついたまま眠っていて、なんだか微笑ましく思えました。
「なかよし」って、いいですね。
2粒
ここ数日、冬に戻ったような寒さで
自分を含めて、私の周りにも、不調を訴える声がちらほら。
体調を崩している人が多いようです。
私の場合は、つい咳がでそうになる感じが続いています。
発作的に「ひくひく」した感覚が喉にあること。
くしゃみも出るし、まさか花粉症デビューではあるまいね!?と
ドキドキしながら経過を見ているところです。
しばらく着ていなかった冬のコートを取り出しました。
ポケットに、何かある。
取り出すとガムが1粒。
思わず微笑んでしまいました。
「はい」と、渡してくれた人の声までも耳によみがえります。
ガムは一度に2粒ないし2枚食べる主義(?)なのだとか。
同じように、私にも分けてくれました。
でもなんだかもったいない気がして
一つは、こっそりポケットに入れたのでした。
なんだか嬉しく、そのガムを味わっています。
懐かしい、冬の味がしました。
夢日記 100325
夢を見ました。
夜のことです。私はとあるビルにいます。
内装は悪趣味で、まるでハリウッド映画が描くような
勘違いな中国風装飾がなされています。
カンフーゲームのラストボスが登場しそうな、雰囲気です。
エレベーターに、14階から乗りました。
すると、確かに動いているような音と振動は伝わってくるのに
ドアが開くと、まだ14階のままです。
故障しているのでしょうか。
何度か試してみましたが、同じことを繰り返すので
しかたなく階段に向かいます。
人気の無い、靄がかった階段でした。
13階に下りると、そこは突然、日中の戸外になっていました。
正面にあるインド料理店に向かいます。
広場ですれ違ったインド人ファミリーに、
写真を撮ってと頼まれました。
手渡されたのはとても旧式のカメラでしたので
あれこれ調整していたら、
シャッターを切る前に時間切れ。
彼らはどこかへ行ってしまいました。
ああ、無念。もう少しで上手くできたのに。
そのフロアでは、なにやらパーティーをしていました。
用事がすんだので(その用事が何だったのかは不明)
私はまた14階に戻るために
インド料理店の奥に置いてきたバッグを取りに行き
パーティー会場から抜け出しました。
とても大きくて古ぼけたエレベーターです。
14階に戻ると、またまた中国風の空間が待っていました。
あとはもう、何度トライしても14階のままでした。
瞬間、はたと気づきました。
このビルは不思議の世界につながっていたんだと。
タイムマシンのように、
14階から乗るとき、別の場所へ連れて行かれるのです。
それから私は駐車場へと急ぎました。
一刻も早く、あなたに報告するために。
言いたかったことは、
14階のエレベーターの秘密を知ってしまった!という
わくわくした興奮と、
こんど一緒に試してみようよという
冒険の誘いでした。
いろんな記憶が散らかっているようです。
オサムとペーター

「持って行きなさいよ。」と、別れ際に母がくれたドーナツ。
たくさんあるなぁ、でも心配はご無用です。
余裕で食べてしまいます。すでに1つ食べました(笑)
外箱のパッケージに描かれた懐かしいイラスト。
あ、オサムグッズ!(↑ドーナツの箱、撮影。)
「ポンデライオン」のキャラクターが定着したミスドですが
昔は原田治さんの絵が、トレードマークだったっけ・・・
オサムグッズを語るなら、忘れちゃいけない
ペーター佐藤さんのパステル画が好きでした。
頬の赤い少年少女のイラストがすてきで。
(急逝されたときには、本当に残念でした。)
当時は二子玉川のミスドに、自転車で通っていて
ドーナツの味も、今とは違っていましたね。
それにしても
40th anniversary!! なのですね、ミスドさん。
★
母とは、とてもなかよしです。
今ではみんな離れているけれど
それぞれが、それぞれに、それぞれの
しあわせを願っています。
感謝、感謝。
彼女になりたい
ずいぶん前から私たちは
どこから見ても恋人同士です。
ナイスカップル大賞もいただきの
自称、お似合いすぎるふたり。
だからこそ、今さらどうして
「あなたの彼女になりたいです」と
言い出せずにいました。
いきなり何でも話せたあなたとは
急速に親しくなりました。
どうにも止まらず仲良くなりすぎて、
いくつか順番を飛ばしてしまいました。
「付き合ってよ」なんて言わなくても
私はつきあい、あなたもつきあってくれます。
左手がリレーのバトンを待つみたいに
一歩手前でひらひらしているのです。
それなのに
決定的な一言は口にしない、不思議なふたり。
けれどあなたのキスはとても甘く、混乱するばかりで
好きだ好きだと伝え合っても
どこか一方通行みたいに、切なさが胸にくすぶります。
人として惹かれあう私たちを
あえて定義するならば、何と呼ぶべきなのでしょう。
けれども誰かに訊かれたならば
「大好きな、彼です」と紹介したいのです。
今日、あなたが切り出してきたのは
ふたりの繋がりを確かめるための問いかけで
つい真顔がほころび、笑ってしまいました。
私とまるで同じことを考えながら
長いこと「確認」するタイミングを見計らっていたという
あなたの気持ちが嬉しすぎて、可笑しすぎて。
思わず、テーブル越しに顔を引き寄せて口づけました。
こうして何ヵ月も経ってから
私はあなたの彼女になったのです。
Anchor
さんざん雨が降り、風が吹き、雷が落ちた翌朝。
おはよう、横浜は晴れたり曇ったりしています。
物心ついたころから
わたしには、「書くこと」が日常にあって
考えが煩雑になったとき、やることが山積みのとき
悩んだとき、思いが膨らみすぎたとき
いつもペンを持っていました。
もう、どうしたらいいんだろう!?と
破裂しそうな風船に小さな穴を開ける、細い細い針。
ぱんぱんになった心を緩め、ガスを抜くように
言葉はわたしの中につまった「ごちゃごちゃ」を整然と並べ替え
暴れる気持ちをきれいに馴らし、深く落とし込んでいくのです。
その都度、「想い」を書き留める備忘録をつくること。
頭に浮かんだ声を拾ってメモしておけば
感情が急に溢れ出たり、壊れたりしないという安心感。
心が迷子にならないように、
海に沈める無形のアンカーが
わたしにはいつも必要だったのです。
★
ちなみに最近残した言葉を拾ってみると
・「自由」について
(ルールがない、というルール)
・私にはないと思っていたのに根本にある hardboiled
・シンクロもここまできたか!
・「大航海の小さな船」(ワイルダー風)
・有形のアンカーは存在している
とありました。
何のことやら、さっぱり分かりませんね。
いえ、本人は痛いほど分かっています。
全部が全部、文字の力だけで伝えきるには
この場だけはとても足りないことも。
だけど紐解いていきたいテーマが
この備忘録からいくつか見つかりました。
鏡のような、鑑のような出会いがあるから
人生っておもしろいんですね。
以上、完全なる独り言です。
しめじ
写真は、甥の「しめじ」。
母を中心とした、姉弟三人衆。私は真ん中っ子です。
実家には多少なり世間一般とは異なる(かもしれない)
独自の言い回しやルールがありました。
寄り添うように並んだ足指たちを「しめじ」と呼ぶことも、
以前書いたことのある「くわんくわん」も、
その他、挙げだすとキリがありません。
そういえば
「酢豚」という食べ物は、食卓にならびませんでした。
その代わり、それに良く似たおかずは食べたことがあります。
名もない母の作る料理について、
「鶏のからあげ入り甘酸っぱい炒め物」という程度の認識で
深く考えないまま大人になった私は
中国料理店で誰かが頼んだ「酢豚」と出会いました。
あれ、これってあの料理に似てる。
ところが食べ進めるうちに気付いてしまいました。
家の料理が、酢豚風の「酢鶏」だったということに。
外食をすることが少なかったせいもあるのですが
「酢豚」を知らなかったことと、
「酢鶏」がなんちゃって「酢豚」だったことに驚きました。
ちょっとしたカルチャーショックです。
さらに、この文を書いていたら思い出しました。
小学校のクラスメイトだった松田君のあだ名は「スブタ」でした。
私の中では「めんたいこ」でした。
なぜなら彼のぷっくりした口元が、それによく似ていたからです。
こんな他愛もないことを
頷きながら聞いてくれる人に、
心からの感謝を込めて投げキッスをおくります。




