Life is short.
アメリカ人らしからぬアメリカ人。
英語の先生とは、ときどきコーヒーで茶話会をします。
ベジタリアンに良さそうなお店を見つけたら開拓してみたり。
教える、教えられる…という関係よりも
たぶん、「友達」なのだと思います。
「休暇中は帰省しないの?」という流れから、
いつしか「Life is short. (人生は短い)」という
やたらスケールの大きな話題になり
その「短い人生」の何分の一かを、
彼女が東の端にある日本で生活している意味を考えました。
私たちの、長いようで短い(それも、いつ終わるとも知れぬ)人生。
何かのご縁で偶然にも同じ場所にいるけれど
最終的には、お互いに通りすがりの「点と点」に戻っていく。
それは別に、虚しいことでも悲しいことでもなく
ただ、「そういうものなんだ」という事実と、少し切なく穏やかな受容。
一度きりで、短い。
「Life is short.」なXBOXのCM が面白い。
人生は短いから、もっと遊べと言っているのですが・・・
非常にくだらないので、開いて後悔せぬように(笑)
ZZZ…
おなか一杯の昼下がり。
猛烈な眠気に襲われて、15分だけウトウトすることにしました。
アラームは15分後と20分後(保険)。
その束の間に、夢を見ました。
あれはたぶんオランダです。
若かりしころ、フランスに住んでいる知人を訪ねました。
フランスからベルギーに入り、オランダへ。
陸続きの隣国へドライブ旅行をしたときの、続編のようでした。
夢の中で、私は木靴を履いていました。
それもかなりブカブカの、色を塗る前の木靴。
歩きにくいけど、かわいい形。
どんな絵を描こうかな?と思いました。
遠くに見えた、チューリップ畑の縞模様。
風車が回っていて…キューケンホフのようです。
ゴーダチーズをパンに挟んで
いざ食べよう!というタイミングで
「オランダの次はどこに行く?
On va encore voir. A la prochain.」
誰かの声がして、目が覚めました。
ああっゴーダチーズが!!無念なり。
きっと、おなか一杯すぎたので夢に出たのでしょう。
(なにしろその旅で、私はとっても食べましたので)
旅の道中、高速道路の上にいきなり国境があり
トランクを開けて検問されているのに、
とてもワクワクしたのを思い出しました。
標識も法律も、言語もいきなり変わるなんて
(言葉は似ているし、英語も含めて複数が通じるようでしたが)
国境のない国に暮らしていると、不思議な感覚です。
でも、世界地図を見れば、
その方がむしろ「めずらしいこと」だと気づいたりして…。
肝心の世界地図だって、日本が「中央に近い」のは
それが日本で刷られた地図だからですよね。
常識なんて、とてもあいまいな概念なのです。
紅茶の日
今朝は、しとしと雨降りで
コーヒーを飲まず、ダージリンティーにしました。
聞こえるのは
庭に落ちる水音と
キーをたたく音と
ほのかなオペラと
・・・電磁波(笑)
紅茶の水色にはだまされてはいけないと、いつも思います。
たとえばティーバッグにお湯を注いで
ほんの数秒ユサユサすれば
かなり濃い水色の、香りのないお茶が出来上がりますが
カップに蓋をして、少し待つ。
そうしたら、ユサユサ振ったのと同じような水色で
香りまで楽しめるお茶になる、
そんなひと手間、ひと呼吸。
コーヒーの抽出時間も、一緒です。
淀んだ空気を洗う雨。
四季のある日本に生まれてよかったなぁと、ぼんやり。
飛行機にでも乗って雲を突き抜けなければ
横浜には青空が見えそうにないので
昔見上げた、何の変哲もない空を添えて。
1Kアパート (2)
ある日、1階でお菓子を食べていたら
彼のお母さんがパートから帰って来た。
いつも、パート先の制服を着たまま帰ってくるお母さんは
町内で唯一のスーパー「まるや」で働いていて、
たいてい午後2時を回ったころに帰ってくる。
その、よろず屋みたいなスーパーは私にとっても馴染みの店だったし
母におつかいを頼まれれば、お金を握り締めて
足りない調味料を買いに走ったような懐かしい場所でもあった。
もしかしたら彼やお母さんと、何度かすれ違っていたのかもしれない。
私は、どういうわけか彼のお母さんが少し苦手だった。
クセ毛なのかパーマなのか分からない肩までの髪で、
口紅だけのお化粧、ぽっちゃりとして、ちょっと草臥れたファッション。
どこからどう見ても「オバチャン」しているその姿は
私よりも頭一つ分ぐらい背が低いから、目線も合わない。
どこがどう苦手かというよりも、
自分の家に出入りしている「他所のお嬢さん」である私を
歓迎しているのか、迷惑がっているのか
よく分からないことが不安だったのだと思う。
「おかえりなさい、お邪魔してます。」
1Kアパートの居間には、逃げ場がない。
彼はあいにく、町内で唯一のコンビニに(「まるや」をスルーして!)
雑誌を買いに行っていて留守だった。
留守番をしていた私は、気まずくなる前に早めに退散しようと
年中無休のコタツから抜け出そうと腰を上げかけた。
「ああ、ちょっと待って。」
お母さんに呼び止められたのは、二度目だった。
一度目は、アパートの門の横に自転車を置いていたら
「邪魔だったから中に入れといたわよ」。
二度目は、何だろう?今日は歩いてきたと思うけど・・・
お母さんは、あめ色に変わった古い箪笥に近づいて
「おっこらしょ!」と引き出しの下段を開けると
奥の方にたたまれていた洋服を取り出し
「これ、よかったら着てみてくれる?」と、言った。
飾りボタンのついた、黒いAラインのワンピース。
大きな花柄の、からし色したスカート。
それから、見るからに「既製品」ではない、濁った水色のスーツ。
私はちょっと面食らって、お母さんと広がった服を見比べてしまった。
促されるまま、突然始まった試着タイム。
背が低く、手足も短いお母さんのお下がりは
どれも私が着ると、7分丈だった。
でも、お母さんは
似合うじゃない?と言いたげに頷いている。
「あなた、こういう服が好きそうだと思ったから。」
よく見れば、その箪笥は上等なものらしく
ごちゃごちゃした居間の中にあって、つややかに磨かれていた。
「オバチャン」だと思っていたお母さんの、
今よりも華奢で美しいかったであろう、若いころが詰まっている箪笥。
気づけば、レトロなデザインの洋服たちは、
「まるや」の特大ビニール袋に入れられて私の腕にぶら下がっていた。
一時の思いつきか、ただの気まぐれかもしれないけれど
「好きそうだと思った」というだけで、
自分の娘よりも、私にその服を託したのだとしたら
勝手に苦手だと思い込んでいたお母さんに、「すみません」と思った。
大切にしていたものを、私に分けてくれたことに
あったかいな、と思った。
こうなったら・・・着こなすしかない。
やがてコンビニから帰って来た彼と、
半一人暮らしの2階に上がって、雑誌を見たりおしゃべりしたりして
いつもと同じように
1Kアパートの向こうに西陽が落ちていった。
手がかり
ぱちん、ぱちん。
化粧っけのない爪を切ります。
不精さゆえ、すっぴんばかりの私。マニキュアはほとんど塗りません。
最近は夏の日和。サンダルを履く日が増えたので
足元ぐらいはカラフルに・・・なんて、
何年も使い切れない小瓶を手に取ります。
★
10年ほど前のこと。
職場の飲み会で、いい具合に酔っ払った上司と
どういう経緯か、本について話すことがありました。
半分ぐらい、呂律の回らない口調ながら
「この本が、い~から、読みなすわぁい。」と、
真っ赤な顔で力説された一冊があったのですが
なにしろ、かなりお酒が入っているようで
誰の書いた、何という本なのかハッキリしない。
お酒の席での会話など、次の日には忘れてしまうでしょうし
翌朝すっかり正気に戻ったところで、わざわざ隣りの部署へ
(私には直接かかわりのない上司だったため)
「昨夜、教えていただいたのは何という本ですか?」と聞くために
垣根を越えていくのもどうなんだろう?というためらいから
結局あいまいのまま、終わってしまったのでした。
・・・という、記憶が
長いこと心の隅に引っかかっていました。
実はこれまでも、何度か
「あの時の本は何だったんだろう?」と思い返していたのですが
今ごろになって、ちゃんと調べてみる気になりました。
手がかりは
山の話。ノンフィクション。
登山者が二人いて、遭難する。
仲間を見捨てられず、ともに死を選ぶ。
人はたびたび、「死にざま」ばかりを取りざたすが
「生きざま」にこそ、胸を打たれるのだ・・・
という、上司の感想。
「○○の△△」というタイトルで、後半はカタカナだったはず。
インターネットは便利ですね。
「風雪のビヴァーク(松濤明 著)」に違いありません。
という訳で、さっそく図書館に予約を入れました。
ずっと気になっていたのに、なぜ「今」なのでしょう。
もしかしたら、今だからこそ紐解けるメッセージが
本のどこかに隠れているのかもしれません。
些細なことでも、実行する。
そこには何か意味があるはずだと思います。
随想 100605
入梅もしていない、今時期の晴れ空は貴重。
街をぶらぶら歩いても爽快です。
そういえば7月1日は「海開き」だそうです。
でも海はいつだってそこにありますし、
言うなれば一年中開きっぱなし(笑)
サーファーやチャレンジャーが真冬に寒中水泳をしていても
迷惑さえかけなければ、おそらく咎められることはない、
そんな気もしますが。
ともあれ「海開き」はもうすぐです。
たとえば、足指のすきまに挟まった砂粒だとか
シャンプーしてもなかなか泡立たない、ごわごわした髪などに、
潮の匂いや波打ち際、風の音までフラッシュバックするように
記憶を引っ張り出す「スイッチ」は随所に隠れています。
ああ、書きたいなぁと思います。
ここ数日、頭の中をぐるぐる回っていた
Janet Jackson「Doesn’t Really Matter 」。
(「そんなの関係ねー!」と、いうこと?)
夜中に一人きり、コーヒーをすすりながらでも
昼間、仕事の合間にチョコレートをかじりながらでも
晴れを予感させる朝の空にも、
さり気なく「合う」から音楽って自在。
もうすぐ、夏がやってくる。
1Kアパート (1)
その建物は、私の家からダッシュで30秒の距離にあった。
8部屋ある、2階建ての1Kアパート。
両親が大家をしている彼の家を訪れるたびに、
「変わったつくりだなぁ」と思っていた。
もともとは単身者用のアパートとして作られたものらしく、
1階の手前の2部屋は、間の壁をぶち抜いて
彼の両親と妹が暮らしていた。
玄関もキッチンもトイレも2つずつあったから
片方の玄関とキッチンは物置として使われ、
トイレは小さなユニットバスに改造されていた。
(バスなし物件だったのだ)
居間には年中コタツが出ており、
カーテンレールには大量の洗濯物がぶら下がっている。
家族の衣類や、お母さんのちょっと伸びた下着で
適度に遮光された居間は、晴れた日の昼間でも少し薄暗かった。
奥の部屋には私と同い年の妹がいて、
バンドブーム時代の軽い音楽がうっすら聞こえる。
外階段をあがり2階に上がると
真ん中2つは、彼と彼の弟がそれぞれ個室に使っていた。
1階と2階とも、残りの部屋は誰かに貸していたので
通路で、ときどき見知らぬ顔とすれ違う。
半一人暮らしのように、きままにやっている彼の部屋を
初めて訪れたときは、どのドアをノックすればいいものか
アパート状の「実家」を前に、一瞬とまどったけれど
案内にもらった手書きのメモ、「石膏像」と書かれた通り
ドアの横には、夜中に見たら怖そうな白い像が鎮座していた。
ある日、1階でお菓子を食べていたら
彼のお母さんがパートから帰って来た。
生まれたての白
一昨日、池に睡蓮が咲いていたのを見つけて
昨日は、カメラを持って出ました。
丸っこく小さくて、しとやか。
おろしたてのドレスを思わせる、穢れない、生まれたばかりの白。
可憐な女性が鈴のように笑っている、濁った水の上。
どうしたらそんな風に、きれいなカーブで
花びらが重なり合うのでしょう?
芸術品みたいにきれいに揃った、黄色いおしべ。
もうすぐ日が暮れるころ、
伸びる影が花を眠らせてしまう前に
もっと見せてよ!と思いました。
もう少しで届きそうと、池の上に腕だけ伸ばします。
そしてだんだん、身を乗り出していく。
外から見たら危なっかしい行動でしょうし
それも、たぶん私だけ
何やってるんだか分からない、変なひとかもしれません。
だけど生まれたときから、
そういう風に咲く運命だった白い花を
もっと近くから見たいと思うひとが
一人ぐらいいたっていいと、感じたのです。
ただそれだけで、私はとても幸せになれました。
自然が創った美しさに「ありがとう」といいながら
万が一池に落ちてしまっても、
そんな自分を、アッハッハと笑える気がしたのです。



