2020年に開催される東京オリンピックを目前として、インバウンド(訪日外国人観光客)の動向が注目されています。これは2013年ごろから急増する傾向を示し、2017年は前年対比20%増の2800万人を超えました。日本滞在中の消費金額も4兆円を超えました。そして観光庁では2020年に4000万人を想定しています。筆者はこのトレンドに注目して取材を継続しています。
その一方で、筆者は2年前にさいたま市でヨーロッパ野菜を地産地消しているということを知り興味を抱きました。インバウンドとは別の次元にありそうですが、これによって地元の特徴を育ています。
これらの活動をしている人たちは2013年4月に結成された「さいたまヨーロッパ野菜研究会」(略称「ヨロ研」)の名のもとに団結しています。地元さいたま市のレストラン事業者が立ち上がり、行政等のバックアップを得ながら、地元の種苗メーカー、生産者、そして物流業者とパートナーシップを取って、イタリア野菜の生産と普及拡大を推進しています。
イタリア食に日本一親しい街「さいたま」
私は早速、ヨロ研事務局を担当するさいたま市産業創造財団の福田裕子氏に取材をお願いし、ヨロ研会長の北康信氏(株式会社ノースコーポレーション代表取締役)につないでもらいました。北氏はさいたま市内にイタリア料理店を4店舗展開しています。
「なぜ、さいたま市でイタリア野菜なのですか?」
私はいきなり素朴な質問をしましたが、北氏の開口一番はこうでした。
「さいたまって、インバウンドとは縁の薄い地域なんですよ」
そして、北氏は「さいたま市でイタリア野菜をつくる必然性」を解説してくださいました。
まず、現地で修業をしたことがあるなどこだわりのあるシェフの中には、イタリア料理にはその土地原産の野菜を使用しないと郷土料理とは言えないと考える人がいること。そこで専門店の多くは、輸入品のイタリア野菜を使用しているという事実があります。
次に、さいたま市の人々は「さいたま都民」と言われるほど、都内で働いている人が多いながら、都内をはじめ周りの県からさいたま市に買い物などで流入してくることはほとんどありません。だから、さいたま市で商売をする人は、地元の人からしっかりと愛される存在でなければいけいといいます。
そして、「ヨロ研」が立ちあがる4年前の2009年当時、イタリア野菜を巡る動きが一斉に起こりました。
北氏は日本ソムリエ協会の埼玉地区長をしていて、毎年例会セミナーを開催している中で、このように考えて提案しました。
「例会セミナーに加えてイベントも行いたいと思いました。では、さいたまで何をやろうかとなったのですが、関東支部の中で私だけがイタリア料理分野であったことから、『例会セミナー後にイタリアワインと料理のイベントを行ってもいいですか?』と提案しました。そして、このイベントは『SAITALY FESTA』という名称で例年開催されています」
また、さいたま市民のイタリア食の消費が「日本一」というデータが発表されました。2008年の総務庁調査によると、さいたま市の「チーズ」「ワイン」に1人当たりの消費が、県庁所在地で1位、同じく2012年~2014年における2人以上世帯の「スパゲティ」購入量が1位というデータが発表されました。北氏はこう語ります。
「イタリア以外でイタリア料理店が多い国は日本です。そして、さいたま市民のイタリア食の消費が多いというデータが揃うようになって、さいたま市をイタリア食文化の発信地としてうたっていこうと決めたのが2009年なのです」
そして、地元の種苗メーカーであるトキタ種苗が2010年4月にイタリア野菜の種の「グストイタリア」シリーズの販売を開始しました。
北氏はこのトキタ種苗の試みに感銘を受けて、新聞発表があってすぐにトキタ種苗を訪れました。そして生産者を探そうと思い立ちました。
「鮮度がいい」ものを地元の特産品とする
行政側にも農業振興に懸ける思いがありました。
農商工連携促進法ができたのは2008年のことで、これが行政側での「ヨロ研」構想の端緒となりました。前出の福田氏はこう語りました。
「さいたまは、市街地にはレストランも食品製造業もたくさんあります。車で30分足らずの郊外には畑が広がっています。これらをつなげれば何かをつくることができるのではないか、と考えていました。一般的な農商工連携では、すぐお茶とかジャムといった保存のきく加工食品の開発になりがちですが、地元の消費者が魅力を感じるのは、このような保存の利くものではなくフレッシュなものです。そこで流通インフラを探っていきました」
地元の野菜は直売所で手に入りますが、レストランの人が、ランチ営業の終わった空き時間に訪れると売り切れが多く欲しい野菜も選べない。毎日仕入れに行くことも大変です。北氏もこのように考えていました。
「われわれレストランとしては地元で野菜をつくってほしいのですが、農家さんはことごとく『全量買い取りでないとリスクが高くて栽培できない』という。これが解決できると、さいたまのレストランの価値はとても高くなる」
そこで福田さんのサイドでも、「レストランが欲しい野菜を地元で生産して、共同で購入できる仕組みができればいい」という確信を得たそうです。
しかしながら、さいたまの農業には弱点がありました。
まず、1農家当たりに耕作面積が小さいこと(2ha未満が全体の約9割)。次に、夏が暑過ぎるため、真夏の農業が難しい。さらに、地域ブランド力が低く、「京野菜」「鎌倉野菜」のように地域名で価値を付けて売り出すことができない。
また、福田氏が動き出していた当時、地元農家にインタビューをしていてこのような回答を得たそうです。
「コメや葉物野菜の産地間競争が激化している」「単価の安い従来の野菜では経営が成り立たない」「親が喜んでくれると思って農業を継いだが、仕方なくやっているので、モチベーションが上がらない」……
そこで、彼らが一様に述べていたことは「高収益の期待できる野菜に挑戦したい」「自分たちで作物の値段を決めたい」ということでした。
福田氏はこのようなさいたま農業の実態に直面しましたが、反面にある有利な点を抽出しました。
「浦和、大宮といった市街地や都心に近いことから、市場のニーズを聞き取りやすく、鮮度が命の商品を届けやすい」「葉物野菜の栽培ノウハウが蓄積されている」「生産者の畑が小さい分、手間暇をかけることができる」「地元に種苗メーカーや物流業者が存在する」……。こうして、福田氏はさいたまの若い農業生産者との連携に動き出しました。
この第一弾として、2013年1月に「イタリア料理勉強会」が開催されました。ここでは、さいたまの生産者を招いて、ノースコーポレーション総料理長の新妻直也氏が講師となり、イタリア野菜を使用したイタリア料理の勉強会を行いました。
地元の業者がバックアップし食の特徴を育てる
イタリア料理勉強会には若手生産者の小澤祥記氏(1978年生まれ)が参加していました。さらに2013年5月にトキタ種苗主催で若手生産者への説明会が行われ、そこに参加した4人がヨーロッパ野菜の栽培を行うことを表明しました。彼らはそれまで、小松菜専業、切り花専業、農協に小松菜などを卸すなどして生計を立てていました。
小澤氏によると、1年目は「何よりも難しさを実感した」といいます。
例えば、ヨーロッパ野菜が育っていても、それが作物として正しい姿なのかどうか分からない。また、種を撒いたのに芽が出ないこともあったが、それは芽が出るまでに日数のかかる品種ということも……という具合に、全てを手探りの状態で行ったそうです。
トキタ種苗は、彼らのために盛んに勉強会を開催し、1年目の生産量は少ないながらも販路の開拓を行いました。
ヨーロッパ野菜の食味はずばり「濃い」。このインパクトは日本の野菜にありませんが、そこに小澤氏をはじめ生産者メンバーは差別化のポテンシャルを実感したそうです。
物流については、北氏が地元で手広く飲食業と取引をしている関東食糧株式会社の社長、臼田真一朗氏に働きかけました。同社が「ヨロ研」野菜を扱うことは、同社の事業規模に対して微々たるものでしたが、全量買い取りを了解しました(現在は、「ヨロ研」野菜を取り扱う物流業者が増えたので全量ではない)。
この経緯を生産者メンバーも知り、作付け面積を広くすることを決意しました。そして2016年4月に農事組合法人を設立し、事務作業の効率化と独自性のある運営を行っています。現在、ヨロ研野菜は埼玉県下だけではなく都心のレストランでも有力な食材としてファンを増やしています。
「インバウンドに縁のない街」という発想のあったさいたま市ですが、ヨーロッパ野菜の地産地消は食の特徴を際立たせていることで、インバウンドにとっても魅力的な存在になることでしょう。
この記事を書いた人
『夢列伝』編集長 千葉哲幸
外食記者歴35年。2017年4月エーアイ出版『夢列伝』編集長に就任し、夢を語り、それを実現するために行動し、日本を元気にする人に出会うべく東奔西走。
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