イギリスの戦争理論にランチェスターの法則と言う理論があります。太平洋戦争の日本の敗戦はこの理論に基づいて戦ったアメリカ〔連合軍〕の勝利で終りました。この理論は戦闘機の空中戦を観察していて発見した理論です。簡単に説明すると飛行機5機と5機の戦いは引き分け、100の力の人と100の力の人が戦った場合は相打ちで引き分けです。100と50の力の人が戦った場合は100の人が100%勝ちます。これが第一法則です。豊臣秀吉が小牧長久手の戦いで徳川家康軍に数では適わないことが解り、講和を結んだあと兵力を逆転して再戦して勝利したのもこの第一次法則に従ったことによる勝利です。自分は弱いことを自覚した時に強い者に対していかに対応するかという技術研究です。自分より大きくて力の強い人間に普通に戦って適うはずがありません、刃物や銃を持っていたり空手や柔道の経験者なら尚更です。もし自分より強いと思ったらどう対応するか、その答えは簡単です、逃げることです、あの織田信長さえ上杉謙信との戦いでは逃げ帰っています。宮本武蔵が生涯負けなしと言っているのも〔実際には杖術の夢想権之助に二回目は負けているが〕自分より強い相手は避けたからです。武田勝頼も一旦逃げて体制を整えて、鉄砲に対処することを考えて再度戦えば徳川時代は無かったはずです。植芝翁も鉄砲の名人の前に立ったときに、あんたには撃たれるから辞めようと素直に降参したと伝えられています。合気道に熟達しているからといって絶対は勿論ありません。長く生きるためには自分は弱いんだ、生かされているんだと言う謙虚な気持ちで日々生活することが大切になります。
分倍河原駅前の新田義貞騎馬像。たったの30騎で立ち上がり、打倒幕府の援軍を得たことで奇跡の勝利を得た幸運の人、ただし、鎌倉まで。時代の流れが読めなかった不運の人。
稽古における心得として「反撃すると嫌われる」後輩が先輩に反撃することはそこの道場での稽古はできなくなることを覚悟の上でないとできることでは無い。よほど気心のしれた相手でないと本音は吐けない。そうしながら進歩が無いまま時間は過ぎていく。しかし、級も段も上がっていくので結構楽しい。世界一平和な日本では襲われることなど「万が一」無い。万が一、あったとしても携帯で警察に連絡したり、お店やコンビニに飛び込めば助かる確率は高くなる。法律では過剰防衛は逆効果になる。、生兵法は怪我のもと、逃げるが勝ちは昔からの格言ですが、武道を極めているといざというときの判断が的確になることは「腹が据わっている」とよく言われること。たとえ、矛盾を感じても武道は精神や健康、長生きのためにやった方が良い。
宮本武蔵の五輪書の中に「物事は栄える拍子と衰える拍子がある、気を付けよう」という言葉があります。拍子ははずみという意味です。拍子とは間でもあります。良くない拍子が来たらそれを転じて、良い栄える拍子の方に持っていく。ではどうすればよいかというと、間を取るということ、危険なこと〔難問題〕にぶつかった場合すぐに反応しないで、少しの間をとって、自分が置かれている状況を客観的に把握し判断する。それは、この間に情報をたくさん仕入れること。そうすればより良い状況に自分を導くことができる。と武蔵は言っている訳で、武道で例えると、武道は危険に際して生きる道〔方法〕と考えると、危機一髪の窮地からの脱出は、間を取って良い拍子に転換することといえます。
師範の説明、解説で不足していることは「不足」つまり足の部分です。上半身の解説、説明はしやすいけれども袴をはいている部分は足りていません。つまり不足 聞いている人は不満足。撞木足、巴足、継ぎ足、転身、転換、拇指灸の説明がなされていない道場が多いようです。この動作を知らないと武道の動きは?です。
一般的な陽流は先手必勝、先に攻撃をする戦法。それに対して陰流は待ちの戦法ととらえる傾向にあります。陰流の代表格である新陰流は皮を切らせて骨を切れ、骨を切らせて命をとれと言う言葉のとおり、相手に攻撃させながら攻撃する。群馬の馬庭念流も頭を狙わせ、打たせるように誘って攻撃に転じるのも陰流の特徴と言えます。しかし、その手には乗らない武芸者も多かったようで攻撃型の陽流は幕末の新撰組で活躍しました。相手が構える前に素早い動きで叩き込めば手も足も出ないし、合気道の極意である体術(腕の動きを相手に察知させない)であれば相手が構えた瞬間に勝負は終わってしまいます。陰流も陽流もどちらが優れているとは言えませんが、両方できるのが理想だと思います。里見氏供養塔(榛名町光明寺)正面左の塔は千玄室建立 千利休は里見一族 先日里見氏の説明看板を隣に私が建立しました。
勝負の世界は確率が大切、負けると感じたら逃げたほうが良い。君子危うきに近寄らず。藪蛇(余計なことはするな)戦国時代の戦国大名の勝敗の確率で言うと、羽柴秀吉が一番良いのは、負ける戦いはなるべく避けたから。生き残りの条件は「人たらしとプライドを捨てること」その点で言うと「どこの馬の骨かわからない秀吉はもともとプライドなど無い。家柄など勝利してから名乗ればよい、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は突然、河内源氏の嫡流である新田源氏を自称して征夷大将軍に任ぜられている。その前は豊臣秀吉とともに藤原姓で官位を受けている。とにかく勝たなければならない。サッカーの試合であれこれ言っている人がいるが、生き残るためにはきれいな勝ちも汚い勝ちも無い。私たちが今あるのは、先祖が必死に生き残ったからです。先日のウクライナの選手は日本選手の服の後ろを掴んで妨害していたが審判は無視していました。汚い勝ちも勝ちは勝ち。
源義重の墓(高崎市寺尾永福寺)父は義国、祖父は八幡太郎源義家、弟は足利義康 長男は(大新田)里見義俊、娘は源義親の長男、源義平に嫁ぐ、義平の弟は源頼朝、頼朝は未亡人の義平の嫁を側室に望み義重に断られ、これを根に持って以降、遠ざけるとともに、源姓を名乗らせなかったと言われる。頼朝より源義重のほうが源氏の嫡流です。源氏の嫡流は義を名前に使用する。義宗と名乗れるのは宗家のみ。
合気道関係者は体術の上に剣術を置いている傾向があるように感じられます。確かに昇段試験の科目には二段以上に剣の科目が入ってきます。私の考えは初心者には剣の操作を体得してもらい、後に体術に進むのが良いと考えています。基礎が剣術で応用が合気道という考えもあっていいと思います。私が所持する林崎流居合目録(元禄三年発行)に「柄取りの事」つまり太刀取りが出ています。 新陰流の無刀取り、大東流も合気道も本は剣術から体術に移行した武道です。合気道はすでに体術として確立しているので剣については重きを置かない傾向が主流です。稽古の多くは公共施設ですから剣や杖を指導する環境にはありません。立ち方、座り方、入り身、転換、受けと取りの手の使い方は古武道から来ています。素手で理合を追求することはできないとは言いませんが私の道場では剣体一致が稽古の中心です。
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