後の先(後出しじゃんけんのタイミング)は相手の攻撃に対して、いつ攻撃に移るか、五分五分の場合は動くのは危険であるし、早く動くと相手は軌道修正して来る訳で、後の先が成功するか、失敗するかはいつ動くかにかかっている訳ですから、このタイミングについて理解する必要がある。馬庭念流は後手の剣として発展したので、その伝書を参考にすると「当流には脱けと云う業あり、その脱けの業は七分三部と知るべし。敵七分打ち出す処へ我三分なる体中剣〔正眼の構え〕の正直にて、敵の太刀の右方に進めば、自然に脱けることも得」とあります。これ「七分三部の見切り」は相手がやったと思うぎりぎりの距離であり、それよりも早くても遅くても相手の次の対応を許したり、自分が対応できなかったりしてしまいます。佐川語録では「合気の剣は触られたら出る。打つ、張る、落とすなどしたときは必ず動いている。」「掛かりに対して流れるように後の先をとる。」これを頭に入れてしっかり稽古する。相手の攻撃を待つということは積極的な守りであり、呼び込むことは「気持ちに余裕のある精神力、技量」がなければなりません。
 

宮本武蔵の五輪書のなかに「よこしまなき事を思う所」つまり邪心は相手に伝わるということです。身近な話をすると、自分が嫌いな人は相手も同じだと言うことです。心当たりはありませんか。これは意識するしないに関係なく相性とか波動とか最初から合わない人がいる訳ですから、自分に危害を加えようと考える相手がいたとしたら、平常心を保てれば、達人でなくても何かを感じることは不思議でもなんでも無い事だと言えます。私は人の想念と言うものは物質的なものだと考えています。だいぶ前の話ですが、稽古時間の後に先輩と稽古をし、互いに終了後すわって挨拶をした瞬間に先輩がふざけてなぐりかかるところを押さえ込んだ経験がありますが、私の目は畳を見ていた訳〔すきだらけ〕ですが、「相手の攻撃の気配を瞬間に感じたと同時に一教で押さえ込んでいた」ということです。人の想念〔意識〕は物質でありエネルギーだと思いますので、相手に向かって何も出さないようにしています。攻撃しようという相手にたいしても普通に近づくだけです。「心は水月の如し」と言う言葉がありますが、心は何の思ふも無き物也。うつる水の上の月の如し濁たる水に映る時は、月も朧(おぼろ)也。又いさぎよき水に映るときは、月も清月也。〔自分の心を清浄に保っていれば、相手が何を考えているのか、即座に判る〕ということです。 五人肩押し崩し

 

「先」は「相手が切ってくるときには場合によればまっすぐに出て切る」「打つ、張ると同時に体は進んで切る」「体で替わり体で切る」「どんなに早く切ってきても一歩で先に入る」「払う、受けると考えない。剣に頼らず体で崩す。出るということがもっとも重要」この説明だと後の先との違いが非常に微妙だと感じますが、先〔さき〕と読むとおり結局は気持ちは先に出ていないと間に合わないということで、剣道では相手が動こうとしたところ、または起こした瞬間をねらって責める。責めに入った時は心がそこに集中しているのでそこ(脳が動く)にスキが発生する、その瞬間を責める。荒野の用心棒で解説しましたが、攻撃のそぶりを感じた時、反射で攻める。
    

攻撃の相手を待っているように見えますがこれが「写真」の欠点です。
拳が伸びた時には入り身して崩しています。

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合気道の稽古においては、裏技と表技と分けて稽古しますが、裏と表ではまったく理合が違うのですが必ず表裏一体で行っています。裏技は基本的に後の先であり、これが「相手の力を利用する武道」といわれる所以ですが〔こればかりが強調されすぎて、誤解を招いていることは残念です〕この技は相手が自分に「向かって前進してくる、打つ、突く」ことが前提条件です。 相手が若干ずれて攻撃して来た場合は、取りが修正しないとうまくいきません。あまり受けのせいにしないで稽古することが大切です。

 この技は特に打突に有効で、一教や入身投げ、小手返しの裏では円運動で押さえる練習を中心に行いますが、円に導いたあとにそのまま征するか、カウンターの攻撃を加えるのが裏技であり、その結果、自分のエネルギーと取りのエネルギーの足されたものを受けは食らうわけですからたまったものではありません。
  


 

①正面張り紙、稽古の自粛説明、黒竹、紅葉 ②向かって左側 石は三波石、アイリス、白山吹、松

 

③入口正面の左側 腰掛石と紅葉、灯篭、つわぶき ④入口正面の左側  シャガとあやめと三波石



 

⑤正面左側 白山吹 松、多胡石灯篭  ⑥道路から見たところ 紅葉、シャガ、おだまき、八つ手

 歴史の転換点はウイルスによる病気や火山の噴火、地震等がきっかけになっているようです。今回の新型コロナの社会変化はどうなるのでしょうか。コロナ期間中の入会者は三人でした。来なくなった人は十人以上です。今までのグローバル社会の勝者は低賃金を武器にしたチャイナでした。日本からあらゆる産業、技術が隣国に移転し、日本がチャイナに合わせて低賃金に甘んじている間に他国は高物価、高賃金になっており、コロナ後の今、格安観光地日本が誕生していました。井の中の蛙状態でいたため、安い賃金の中で試行錯誤し、必死に格安を追い求めた結果、百円ショップやハードオフ等工夫して頑張り、結果として、低賃金に対応した創意工夫が世界に認められるとともに、外国の人達の観光先として「感覚、感性の西洋の絵画や彫刻他」よりも悟りを目的とした「自然との調和、一体化、宇宙法則である黄金比、白銀比」の心地よい日本文化により魅力を感じ、リピーターが増えつつあるようです。日本の精神文化は世界一だと思います。日本の伝統武道、試合のない宇宙法則に則った合気道は動く禅とも言われています。是非稽古を続けてください。
 

 

 健康維持や精神鍛練のために、武道をたしなむシニアが増えています。武道の中でも試合の無い合気道は人気が高いようです。健康のためにジョギングなどの運動を欠かさなかった人が、「一人でやるスポーツより仲間と一緒にできる合気道に興味をもつ」年齢や性別に関係なくアドバイスしあう和気あいあいとした雰囲気が気に入り、体力的な引退がなく年齢に関係なくできるのが合気道の魅力だという。こんな内容が新聞に紹介されていました。過去の運動経験は合気道につながることもあります。共通点を見つけるとより楽しくなります。

振り子とは振り子時計でおなじみの支点から横に振れる動きです。人間の手も歩く時に無意識に45度に振れています。だらりと下がった腕は平行には動いていません。合気道の動きは振り子の動きが大変重要です。腕の付け根を中心に回すと振り子360°つまり一回転します。合気道の動きは○です。全て45度から360°まで、いろいろな方向(上回転、下回転、横回転、斜め回転etc)の丸の組み合わせで成立しています。滑らかだと受けの脳は虚、そうでないと実の脳になってしまいます。実の脳は反撃してきます。

 


座取り呼吸法でなかなか倒れない人がいる、そして上手に受けを倒す人がいる。かつて、このように粘った腰を「竹の根ぶち」と表現したそうです。粘り腰はやはり鍛錬から生まれます。この腰が完成すると多人数の押しにも耐えられるようになります。粘りは腰だけではありません。粘り強い気持ちが稽古を長く続ける秘訣です。そのためには恒に疑問、探究心を持ち続ける粘り心が大切だと思います。

稽古はあくまで型稽古ですので、受けに技がかかる条件をつけて稽古をするのが一般的です。受けと取りの関係は微妙ですが、武道はあくまで身を守る護身術ですから、つねに攻撃側に対しての対応を想定しなければなりません。受けが一定の条件の基でないと技が成立しないのが稽古です。先輩ぶって抵抗する人を見ますがやめた方が良いと思います。稽古は受けもりも一定の条件を作って対応しま。型稽古では物足りないと思いますが、事故がおこると道場長が責任を追求される時代です。悪い子供が陰で他の子にちょかいを出したと大騒ぎした夫婦もいます。型稽古だけでは不満を感じる人は期待に答えるところを見つけるのが良いと思います。人生において賊に襲われる確率は低いと思われますが、武道を習っている人はたとえ確率が低くて冷静に対応できると思います。