喜劇 眼の前旅館 -27ページ目

喜劇 眼の前旅館

短歌のブログ

「悪魔のシスター」(1973)ブライアン・デ・パルマ。終盤混乱してると思ったけど(実際ちょっとドタバタしすぎな感じ)これは「絞殺魔」なのかと思ったら腑に落ちた。催眠術だし。回想シーンにおける、いるはずのない現場への居合わせだし。そしてもちろん前半には堂々たる画面分割があったわけだし。つまり「裏窓」(事件の目撃がもろに「裏窓」なのをはじめ、覗きネタがちりばめられてる)プラス「絞殺魔」というか「裏窓」からだんだん「絞殺魔」になっていくような映画。ちょっとしか出ない私立探偵がさりげなくいい味で、とくにブラックユーモア小噺みたいなオチがよかった。
息するように活字が飲み込めるといわれる、あのうらやましい健啖派でないかぎり読むべき本は神経を研ぎ澄ませて吟味、車庫入れのような細心さでわが元へ届けるよう読書生活はコントロールされなければならない。

読まなくていい本のページに指がもつれているあいだに見る見る幕がおり、辺りは真っ暗闇というばかばかしい事態がこっちの陣営では腐るほどくりかえされているのです。少食派は連帯を。あの野蛮な大喰らいどものけたたましいテーブルから身を引きはがし、美食と悪食、毒と栄養への最短距離の情報を交換しよう!コップの水だけ置かれたテーブル越しに、ピンポイントの小声で。
積み上げて壁をつくりその中で住もうと思えば本は買わなくてはならない。
二週間ごとに図書館で交換されてくる本では、いつまでも住むどころか床に満足な日陰ひとつ作れないから。
それでも、本を買う金がなくてもいつのまにか本は溜まって床に積まれていくけれど、そんなふうに自然に増えていく本は床を底上げして厚みを足していくばかりで、いっこうに垂直の壁を築きはしない。
壁になる本は奪い取るように不自然に衝動的に後悔さえして手に入れるのだ。
そしてあらわれるだろう本の部屋にでも住まなければ考えられないことが、人には実際かなりの数あるはずなのである。
ちょっと前に起きて、なんでこんな時間なんだろうとか考えてたら夢を見てたことを思い出した。でも内容は少ししか思い出せない。カラオケに行ったらちょっと居ただけで閉店時間になるという夢だった。すぐ閉まるのを隠して入店させたり注文を取ったのはずるい、とその場で思ったのか起きてから憤慨したのか。いや、カラオケに行ったのではなく「あと十分で閉店です」みたいなことを回ってきた店員が(もっと難解な言い回し(再現不能)で)告げた。すると部屋にいる人間があわてて曲を入れようとする、という光景とともにそこがカラオケ店になったのではないかと思う。それまではもっと曖昧に「店」だった気がする。そんな行き当たりばったりの物語はさらにもう少し先へ続き、登場人物は入れ替わり立ち代り、しかし出ずっぱりのひとつながりの場面でも途中で別人になったり、風呂から上がると片腕がなくなったりしてる。その露天風呂のようなものもちょっと前までは路面の水たまりだった。その人(知人)は混浴のその湯の中で気持ちよさげに両腕で水を掻き、背泳ぎとかしてたのに。しかし水たまりが温泉化する前は彼は小学校の同級生だった。道の向こう側から彼は(のちに混浴することになる連れの一団とともに)私に声をかけてきた。彼に声をかけられる直前、私は誰かに無視されて目の前で車を出されるという悲しい経験をしており、しかしそんなタイミングで声をかけてくれた彼のことも少々鬱陶しかったように思う。ということは数分後に彼が移行する知人(十年近く会ってない人)も私は鬱陶しいと感じているのだろうか。まあそんな感じに不安でなつかしくて馬鹿馬鹿しくて悲しいいつもの夢は続く。そして夢から覚めるとこんな時間だったのは、ご飯を食べてすぐに寝てしまったからだ。ネビル・シュートの『渚にて』の続きをご飯を挟んで読んでたら眠ってしまった。夕飯を食べると意識が落ちて気がつくと深夜、というのは私の睡眠パターンの一つで、そこから目が冴えて朝まで起きてしまい、朝少し寝るもトータルとして寝不足気味で翌晩また夕飯後に落ちる、というふうにこのパターンは延々くりかえされる。今夜はしかしもうじきパソコンの電源を落として『渚にて』の続きに戻る予定だから、朝まで持たず寝てしまうだろう。私は本を読むとたちまち眠くなるからだ。私は読書からいつも逃避したくて眠りは本から出ていく格好の口実になる。
『いじめ・虐待そして犯罪の深層』町沢静夫。犯罪と人格障害に関する話は興味あってたまに読む。この本は具体的な犯罪者や患者の紹介や分析の部分は面白かったけど、そこから話が現代社会だとかサイズがでかくなった途端ものすごい紋切り型のことばかり言い始めるので、たちまち読むところがなくなる。現代日本における、著者が嘆かわしいと思ってるものを片っ端からサイコパス認定してるように見えるところもある(大槻教授の「なんでもプラズマ認定」みたい)。まあ書き飛ばし感ありありの(というかたぶん本人書いてない)本なので多くを望むべきじゃなかろうが。


こういう、言っちゃなんだがどうでもいい(でも少しだけ面白いところもある)本の感想というのはものすごく書き易くていい。でも自他共に何も貢献するところがないのではないかと思う。虚しいかぎりである。