ちょっと前に起きて、なんでこんな時間なんだろうとか考えてたら夢を見てたことを思い出した。でも内容は少ししか思い出せない。カラオケに行ったらちょっと居ただけで閉店時間になるという夢だった。すぐ閉まるのを隠して入店させたり注文を取ったのはずるい、とその場で思ったのか起きてから憤慨したのか。いや、カラオケに行ったのではなく「あと十分で閉店です」みたいなことを回ってきた店員が(もっと難解な言い回し(再現不能)で)告げた。すると部屋にいる人間があわてて曲を入れようとする、という光景とともにそこがカラオケ店になったのではないかと思う。それまではもっと曖昧に「店」だった気がする。そんな行き当たりばったりの物語はさらにもう少し先へ続き、登場人物は入れ替わり立ち代り、しかし出ずっぱりのひとつながりの場面でも途中で別人になったり、風呂から上がると片腕がなくなったりしてる。その露天風呂のようなものもちょっと前までは路面の水たまりだった。その人(知人)は混浴のその湯の中で気持ちよさげに両腕で水を掻き、背泳ぎとかしてたのに。しかし水たまりが温泉化する前は彼は小学校の同級生だった。道の向こう側から彼は(のちに混浴することになる連れの一団とともに)私に声をかけてきた。彼に声をかけられる直前、私は誰かに無視されて目の前で車を出されるという悲しい経験をしており、しかしそんなタイミングで声をかけてくれた彼のことも少々鬱陶しかったように思う。ということは数分後に彼が移行する知人(十年近く会ってない人)も私は鬱陶しいと感じているのだろうか。まあそんな感じに不安でなつかしくて馬鹿馬鹿しくて悲しいいつもの夢は続く。そして夢から覚めるとこんな時間だったのは、ご飯を食べてすぐに寝てしまったからだ。ネビル・シュートの『渚にて』の続きをご飯を挟んで読んでたら眠ってしまった。夕飯を食べると意識が落ちて気がつくと深夜、というのは私の睡眠パターンの一つで、そこから目が冴えて朝まで起きてしまい、朝少し寝るもトータルとして寝不足気味で翌晩また夕飯後に落ちる、というふうにこのパターンは延々くりかえされる。今夜はしかしもうじきパソコンの電源を落として『渚にて』の続きに戻る予定だから、朝まで持たず寝てしまうだろう。私は本を読むとたちまち眠くなるからだ。私は読書からいつも逃避したくて眠りは本から出ていく格好の口実になる。