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遠州入門ー浜松市 隠れ里
◆三方ヶ原合戦で完敗した徳川家康は
命からがら戦場を抜けだすと浜松城へ戻ることにした
「城まではかなりある このまま大地を駆けていては
いずれ敵に見つかってしまう 一刻も早く大地を下りなくては」
南にある城を目指して駆けていた家康は突然西に向きを変えた
今の浜松市中央区花川町の辺りに谷や崖があり
平地に下りられることを思い出したからである
台地の縁には森も生い茂っていた
「ありがたい 三方原は一面野原で見通しが良かったが
この辺りはうっそうとした森が広がっている
中に入ればそうたやすく見つかることもあるまい」
森に入っていくと庄屋の八右衛門に出会った
「おやお殿様ではありませんか こんなところでお会いするとは・・・」
八右衛門は身内に家康に仕えていた者がいたためか
殿様だとすぐに気づくことができた
「面目ない 戦に負けたものの台地の上は追っ手ばかりで
城に戻ろうにも戻れない 命あっての物種だ
やっとの思いでここまで逃げて来たのだ」
八右衛門はどうしたものかと考えた
戦の後と言えば追っ手だけではなく落武者狩りが始まるかもしれない
まずは目立つ鎧兜を脱ぐことも重要である
自分が着ていた野良着を渡して百姓の祖型になってもらった
「我が家に案内したいところですが追手はきっと押しかけてきます
そうなれば十中八九見つかってしまいます
満足なおもてなしができずお殿様には失礼かと思いますが
森の奥の方が安心です」
八右衛門の言葉にうなずいた家康は森の奥へ奥へと進み息をひそめた
しばらくすると案の定追っ手が迫って来た
街道は勿論細い道まで手分けして進み家が見つかると虱潰しに調べた
しかしどこを探しても家康は見つからないので
仕方なく追っ手は引き揚げていった
無事に城に戻ることができた家康は八右衛門に
助けてくれた御礼としてお金などを渡した
「助けたのは私ではなくあの森です
お殿様のお休みいただいた森はあの日以来
『隠れ里』と呼ばれるようになりました
このお金は森からお城までの道の普請に使わせて頂きます
道ができたらお殿様も是非お出かけください」
こうしてできた道は八右衛門街道と呼ばれるようになったそうである
(^。^)y-.。o○
bye-bye (*^^*)
江戸の「ことわざ」面白講座(171)
『江戸の男と女』
◆去り跡へは行くとも死に跡へは行くな
再婚する女性に対する忠告である
先妻と離婚した男に嫁ぐのはよいが死別した男に嫁ぐなということ
死に別れた妻に対しては長所や良い思い出ばかりが記憶に残っているもので
後妻は先妻と比べたらひどく分が悪い
その点 離縁して独りになった男は別れた妻によい感情を持っていないので
一緒に暮らしやすいということ
これは江戸時代の離婚の手続きを見ても言える
当時の庶民の間では離婚は夫が妻に「三下り半」
と呼ばれる離縁状(去り状)を手渡すことで成立した
妻からは離婚できなかった
夫は妻を嫌う何らかの理由があって離婚したのである
「いやで別れた女でも三百捨てた心持ち」
ということわざのように離婚した当座
わずか三百文(約千円)損した程度の痛みしか感じていない
もっともこんな薄情な男よりは死に跡へ行く方が良いかもしれない
元禄期に再婚するのが生きがいで
結婚・離婚を繰り返す男がいて17年間に23回も再婚している
小さな両替商を営んでいたが24回目がなかったのは
再婚も度重なれば婚礼費用と手切れ金で
資産が消尽したためであった(『万の文反古(ふみほうぐ)』
(^。^)y-.。o○
bye-bye (;´Д`)
明けましておめでとうございます m(. .)m
明けましておめでとうございます
今年もよろしくお願い致します m(. .)m
年が明けて小生も73歳になりました
親父が逝った72歳を超えることを
当面の目標に生きてきましたが
無事達成することができホッとしています
次なる目標は孫の「ゆっち」が成人する
78歳まで生きて晴れ着姿を見ることですが
それに向かって邁進していきたいと思います
邁進すると言っても特別何をするというわけではなく
只々生きながらえて「おめでとう」というだけです
そのためのリハビリのために重要なのがブログで
頭を使ってボケないように
続けて行きたいと思っていますので
今後共よろしくお願い致します m(. .)m
(^。^)y-.。o○
bye-bye (*^^*)







