爺さんの徒然日記 -2ページ目

国民宿舎のイベント(3)

またまた久しぶりの浜名湖荘

 

 

入るとすぐのところにインパクトのある絵が

 

 

右手には4Fのお風呂から見られる 見慣れた風景

 

 

その横には絵が二枚 そこで「はたっ」気付いた

これはひょっとすると全部「水墨画」じゃないか?

 

 

いつものように中央の柱を囲んで四方に絵

 

 

小生に出来栄えの良し悪しは判断できないが

中々の絵である

 

 

これらの絵も素晴らしい

 

 

若い頃 急に水墨画をやってみたくなって

通信教育で教材とテキストを申し込んで

始めたことがあった小生であったが

第一課題であえなく自分の才能の無さ気付いて

あえなくノックアウト 諦めたことを思い出した

 

もう少し絵心があったら違った人生があったのかも・・・

なんて思っても今となっては後の祭り

 

自分の向上心と才能の無さを棚に上げて

オヤジとオフクロに文句を言おうと思っても

二人はすでに他界 それならあの世に行った時

文句を言ってやろうと思うのだが

はたしてこの文句覚えているだろうか それが問題である!

 

(^。^)y-.。o○

 

bye-bye  (>_<)

遠州入門ー浜松市天竜区 春野町の「つなん曳き」

◆『つなん曳き』は5月5日の端午の節句に行う

子供の誕生を祝う要素を含んだ

浜松市天竜区春野町犬居地区に伝わる伝統行事である 

 

 

気田川の河原で柳や竹などで作った全長40mの龍を担いで

区内を練り歩き洪水から村を守ってくれた龍に感謝する祭りである 

 

 

地域には龍にまつわる話が伝わっている 

山間部にある犬居は自然豊かな村であるが

大雨が降ると気田川の堤防が切れ洪水が起きるのが悩みの種であった 

洪水が起きると田畑や家が流され命さえ失いかねないほどであった 

ある年の事 大雨が続き堤防が切れそうになった

「これほどひどい雨は久しぶりだ 堤防が切れれば村はひとたまりもない 

何としても食い止めなくては」

村人が堤防を駆け上がると荒れ狂う濁流が今にも溢れ出しそうになっていた 

石や材木・土嚢をかき集め堤防を補強した 

村人総出で必死に努力したものの堤防は大きな音を立てて削り取られていった

 

 

「雨の勢いは増すばかりだ 堤防が切れるのは時間の問題だ 万策尽きた」

もはやどうすることも出来ないと嘆いた村人たちは天を仰いだ 

するとどうしたことか突然真っ黒な雲空を覆い

稲光がすると二匹の大きな龍が雲の間から現れた 

「雲から何か出て来た 大きな生き物が舞っている」

「おお あれこそが噂に聞く竜神様ではないか」

空を見上げた村人が叫んだ

空を舞う龍は村を見下ろすと次第に降りて来た 

崩れかかった堤防の位置を確かめた二匹の龍は濁流に飛び込んでいった 

「竜神様はいったい何をするんだろう 

まさか流されてしなうのではないだろうか」

しばらくすると二匹の龍は濁流から顔を出した 

すると切れかかった堤防の場所に長い体を横たえた 

 

 

土砂や岩 流木などを含んだ濁流が襲い掛かるが

二匹の龍はびくともしない 

龍が命懸けで堤防の役目を果たしてくれたのである 

しばらくすると雨がやみ空が明るくなると川の水も引いていった 

二匹の龍は村を見渡した後空に 昇って行った

 

 

こうして犬居の村は二匹の龍に助けられたのである 

この時以来 村では龍に感謝をする祭りを するようになったそうである

 

(^。^)y-.。o○

 

bye-bye  (*'▽')

江戸の「ことわざ」面白講座(97)

《江戸っ子の文化》

 

◆弘法も筆の誤り

 

 

弘法大師(空海)は唐風(中国風)の書に優れていて

嵯峨天皇・橘逸勢とともに「三筆」に数えられていた 

 

そんな書の名人でさえ書き損じをする 

このようにその道のプロでも時として失敗することがあるということ 

同じ意味のことわざは沢山ありそれぞれ微妙な違いがあって

使い方は一様ではない 

 

 

このことわざに近いのは

釈迦にも経の読み違い」

があり いずれも上司や先輩のような

目上の人の過ちついて言っているという解釈が正しいと思われる

 

一方

「猿も木から落ちる」

「天狗の飛び損ね」

「河童の川流れ」

は同僚や目下の者などの親しい間柄で使う 

自分のミスを

「弘法も筆の誤り」

というのはおかしいし 上司が間違えたのを

「猿も木から落ちる」

と言えば不興を買うことにもなりかねない 

 

 

大師は天皇から高僧に贈られた商号で

866年の伝教大師(最澄)に始まり以来25人いるが

大師と言えば弘法大師とされる

氏名がはっきり示されて

その活躍がことわざの内容になっているのは

釈迦と弘法大師ぐらいである 

 

 

「弘法筆を選ばず」

もよく使われることわざである

 

(^。^)y-.。o○

 

bye-bye  (>_<)