三従の教え
日本には 封建時代から 明治 大正と 女子を対象にした
三従の教え なるもにが 存在した
もちろん 封建時代 儒教の教えである
幼にして 父母に従い
嫁しては 夫に従い
老いては 子に従う というもんだ
この三従の教え 江戸・明治・大正の為政者(男性)にとっては
真に都合の良い 教えであった
なにせ 女子は一生 何人(なんびと)にも 逆らってはいけないというのだから
だから 男は 主家のため 国のため 会社のため と 好き放題やってこれた
だから 昔の女子は 寡黙(かもく)で 自己主張はしないもんと 思はれていた
ところが 本来は お喋り好きな おんなども
婦人参政権ができ 戦後 男女平等なるものが 叫ばれるや否や
積年の 恨みつらみ を晴らすかのごとく 自己主張しはじめ
わずか 四半世紀で 状況を 逆転してしまった
戦後 六十余年 時代は 女性の時代 ( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚
女子の三従 は 男子の三従に 。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
何百年と 封建思想に 胡坐を掻いてきた つけ が回ってきたのか
21世紀以降は 疑う余地無く 女の時代
お手柔らかに お願いしますよ (ノ´▽`)ノ ⌒(願)
でも 子供を産めるのは 女性だけって云うこと
努々 お忘れなく (・・。)ゞ
男女同権 バンザイ (^з^)-☆Chu!!
bye-bye ヽ(゜▽、゜)ノ
李下に冠?
瓜田(かでん)に履(くつ)をいれず
李下(りか)に冠(かんむり)を正さず
何となく どこかで 聞いたことがあると思う この格言
云わずと知れた 中国の 格言
瓜田とは ウリの畑 李とは スモモのこと
要するに ウリの畑で 靴を 履きなおしたり
スモモが実っている木の下で 冠をなおしたりすると
泥棒と間違われるから 紛らわしい行為は 厳に 慎みなさいということ
誤解を招く 相手も悪いが 誤解を招くような行為をした人も 悪い
と云うことだろうと思う ε=ε=ε= ヾ(*~▽~)ノ
何気なくした行為が 相手に誤解されたり 誤解したり
こういうスチュエーションは 日常生活の中に 数多くある
では どうしたらいいか
明確な答えは 小生にも わからない 。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
が しかし これだけは言える
日頃から あの人は こんなことをする人じゃ ナイ
こんなことを 考える人じゃ ナイ
っていう 信用を 得ておくことだ と思う
すると 1回ぐらい失敗しても ほんの出来心
ということで 許してくれるかも しれない (((゜д゜;)))
ただし 二度目は ダメだぞ
御気をつけ なすって ( ・д・)/--=≡(((卍
bye-bye ヽ(゜▽、゜)ノ
衣食足りて
衣食足りて 礼節を知る
小生の好きな言葉の ひとつである
これは 中国 春秋時代 斎の桓公の宰相 管仲のことばで
着るもの 食べる物が ある程度 充分あれば
礼儀を重んじ 節度を保つ生活が送れるよう 考えることが出来るようになる
と云うことだと思う
この 考えることが出来るようになる と言うところが重要である
人間の欲望は限りが無いから 周りは 衣食充分と思っても
まだまだ足りないと思う人も入る
今 世の中をさわがせている 政治家・官僚なんか この部類だろう
先週 亡くなった 伊藤君も 衣食どころか 住も満足に無い
アフガニスタンに せめて 食だけでもあれば 殺伐とした気持ちから
脱却できると信じて サツマイモを造り 茶を植えたんでは なかろうか
ところが 衣食足りて 庶民が 冷静になられることが困る連中に
命を 絶たれてしまった 。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。まことに 残念無念
こんな 時代を 桓公が知ったら さぞ嘆くことであろう ・°・(ノД`)・°・
自分にとっての 衣とは 食とは 足りるとは 問いかけなくてはいけない
何事も 腹八分目 そこそこで 満足しなくては ゚゚゚゚゚-y(^。^)。o0○
分かち合いの精神 何より増して 大切なことだと
思う 今日この頃 ( ・д・)/--=≡(((卍
bye-bye (^_^)v