皆さま〜こんにちはニヤニヤ

香港在住のAsakoです。

 

 

 

今日の記事は、こういう方々に

役立つ内容だと思いますニコニコ

 

 

1人のブログ(SNS)を読んで落ち込む

 

2人から言われたことにすぐ傷つく

 

3自分はメンタルが弱いと自覚している

 

 

 

 

まずは、傷つけてるかもしれない側、

つまり、

ブログを書く側、の話からします。

ブログを書いていない方は、

「話す側」に置き換えて読んでみて下さいね。

 

 

 

 

ブログ書いてる人は思い当たるところ

あると思うんだけど、

読んでくれる全ての人に、自分の記事が

 

 

 

意図した通りに伝わっていなかった。

 

 

 

っていう経験、あると思う。

 

 

 

そう。言葉ってものは、受けとる人の

解釈のしかたで、

白にも黒にもなるからだよね。

 

 

 

 

例えば!!

 

 

 

 

ブログに、

「ウチの子ほんとよく食べるから心配」

って書いたとする。書いた人は、

(このままだと将来糖尿病になるんじゃないか)

と心では本気で思っていて、そう書いたとする。

 

 

 

しかしこれを読んだ人みんなが、

書いた人の意図をそのまま

同じように受けとっているとは限らない。

例えばこんな感じで↓

 

 

 

「ああ、胃がおっきくなって将来痩せられない体質になるとかね」

 

「食べないのも、食べ過ぎるのも、子供のことは心配になるよね」

 

「食費かかるもんねー、食費のために働くみたいなね・・・」

 

「だぁ〜いじょぶよ〜、体が必要だから食べてるんでしょ〜」

 

「みんな食べなくて悩んでるのに嫌味か、感じ悪いわー」

 

「え、うちの子食べない、どうしよう・・・私が悪いんだ」

 

 

 

てな感じで、

「共感」する人もいれば、反対に

「非難」する人もいる。そして、

「傷つく」人もいる。

 

 

 

---------------

 

 

 

みんな母親として、子供を想って

一生懸命に子育てしているのは同じ。

でも、それぞれの環境も事情も違う、

そこへ、それぞれの母親たちの

思考のクセまでが精密に関わるんだから、

解釈の仕方があちこち飛ぶのは、仕方ない。

 

 

 

 

ポジティブ傾向な人は何を聞いても、

ポジティブに。

ネガティブ傾向な人は何を聞いても、

ネガティブに、捉える。

 

 

 

よくあるよね、こんな話。

コップに半分、水が入っているのを見て

「あ、まだ半分も水がある」

って思う人と、

「あ、もう半分しか水がない!」

って思う人がいる。

 

 

 

書き手としては、自分が書いた記事で

人が傷つくのは嫌だよね・・・

それは無くしたいと思う。

 

 

 

でもね、それはムリもやもや

読んでくれる全ての人が

傷つかないような書き方をするなんて

どれだけ神経使って書いたとしても

それはムリなの。

 

 

 

だって、

普段から子供の食が細くて悩んでいる

母親がいたとして、その母親が、

ものごとをネガティブ傾向に捉える

タイプの人だったら!

「ウチの子ほんとよく食べるから心配」

なんて書いてあるのを読んだら、

「傷つく」結果にいきつくことが多い。

 

 

 

「食べない子のママには申し訳ないんだけど、私の子は食べ過ぎで悩んでるの。いや、嫌味じゃなくてほんとなの!だってこんなに小さな時から食べ過ぎたら、胃だって膨張して、沢山たべることが当たり前になるでしょ?食べたいなら食べたいだけ食べさせてあげたい、って思いもあるんだけど、食べ過ぎるのはよくない、体が心配なの。なにか病気になるんじゃないかって。胃にも負担だろうし、だいたい大人と子供の体がこんなに違うのに、食べる量が同じっておかしいでしょ?ぜったい体に悪いと思わない?だから本当に悩んでるの」

 

 

 

ってここまで書いたら、もしかしたら

(食べる子の親も悩んでるんだな)

って理解して、傷つかないかもしれない。

でも、こういうタイプの人だと

(でもやっぱり食べないよりは、食べる方が安心よね)

って、またグルグルグルグル、

ウチは食べないー

ウチは食べないー

って、悩み続ける方を選ぶのよ、けっきょく。脳のしわざでね。

 

 

 

だから、本当にあからさまに

誰かを攻撃するような、傷つけるような

書き方をしていない限り、

「ウチの子ほんとよく食べるから心配」

っていうフッツーの書き方をしても、

どこかで誰かは、傷ついてるってワケ。

 

 

 

同じく、誰からも非難されないように

書くのもムリ。

いつも脳が否定的な人は、

何を読んでも、ケチをつけるから。

 

 

 

だから、書き手のせいじゃないってこと。

書き手はいちいち、

どんな環境、事情の人が読んでるか

あらゆる立場を想像しまくって

そのあいだを取りまくって

書くことなんかできないんだから。

 

 

 

そんな無難路線目指した書き方したって

読んでる人の心には何も残らない。

ブログやSNSは個人的な場、

だから個性を出して自由に書けばいい。

それを読んで不快な感じがするなら、

読み手はそれを、読まなければいい。

きっぱりと、読まなければいい。

 

 

 

--------------

 

 

 

1人のブログ(SNS)を読んで落ち込む人

 

2人から言われたことにすぐ傷つく人

 

3自分はメンタルが弱いと自覚している人

 

 

 

これは本当に、息苦しいと思います。

分かるよ、私もそうだったから。

でも、

 

 

「私はメンタルが弱いから、周りのみんなが私に気を遣ってね」

 

 

なんて生きていくことは、不可能なのです。

 

 

 

世の中には色んな違った考えを持った

自分とは価値観の違った人たちがいて

そういう人たちがそれぞれ、口々に、

自分とは違った考えを披露しています。

 

 

 

身近な人であれば、

「私はメンタルが弱いから、私が眠れなくなるような事は言わないでね」

って伝えまわって、

協力を求めることもできるけど、

 

 

 

電波で出回ってる言葉たちは、

防ぎようがありません。

自分が気にしてしまうような、

傷ついてしまうような言葉が

自分の目に触れないようにすることは

 

 

 

ふ か の う 。

 

 

 

ってことをご理解いただきたい。

それでは短いけど長い人生、

やってらんないよ!

だからそんな時にまずやるといいのは、

 

 

 

「ブログもSNSも、見ない」

 

 

と同時に、

 

 

「思考力を鍛える」

 

 

 

または、

 

 

 

「ブログもSNSも、見る」

 

 

 

と同時に、

 

 

 

「思考力を鍛える」

 

 

 

ってとこかな。

 

 

 

つまり、

 

 

 

自分が傷つかないように

情報を遮断、または

自分が傷つかないように周りの人に

発言内容を選んでもらう、

なんてことに

エネルギーを注ぐのではなく、

 

 

 

どんな言葉に触れても、

自分を楽にさせてあげる方に

捉え方を柔軟に変化させるっていう

技を身につける、ってことに

エネルギーを注いだほうが、

長い目でみたら、自分を生きやすくしてあげられる。

 

 

 

だって怖い話やイラつく話は、

生きている間、永遠に続くんだから。

 

 

 

どうせ同じ時間を生きるならね。

 

 

 

できるよ、諦めないで。

 

 

 

1個でも上に上がって、来世にバトンタッチ上矢印

 

 

 

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この記事もね、

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伝わるかと言ったら、そうじゃない。

私はそれも経験から分かっているし、

求められることじゃないと思ってる。

 

 

 

私が持っている言葉はあなたと違うし

経験してきたことも、ぜんぜん違う。

考え方もぜんぜん違うし、

大切にしていることも、それぞれ違う。

 

 

 

そんな世界で

私たちは生きているんだから、

生きづらいのは、ある意味とうぜん。

だからどう、捉えていくかよね。

自分はどんな受信機を、持っている?

 

 

 

 

 

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