『シン・ウルトラマン』+メフィラス星人登場回 | アディクトリポート

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『シン・ウルトラマン』+メフィラス星人登場回

2022/7/12 ユナイテッド・シネマ テラスモール松戸 4スクリーン E−10

 

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JOE
僕のコメント、日本語がヘンで申し訳ありませんでした。
しかし、作中人物の心や行動が、足し算により変化する事を合理的に台本に落とし込めない(庵野監督以外の)IQが低い多くの日本映画ドラマ脚本家監督はどうしたもんでしょうか。
何故世界の映画ドラマでは出来ていて、日本はできないんでしょうか。
ご意見ありがとうございます。
私は常日頃から申し挙げてますが、庵野秀明氏の台本だって、「作中人物の心や行動が、足し算により変化する事を合理的に落とし込めているか」どうかはさておき、「推敲の不在」という点でロクなもんじゃない気がしますが、世界のドラマでできるのに日本のドラマでできないのは、ひとえに「揉まれる機会がないから」なんだと思います。
 
いったん脚本家や映画監督としてデビューさえすれば、本当にモノになっているかは問われず、「実績があるんだからまともな脚本家・映画監督なんでしょ」と見込まれてダメ出しを喰らわない。この馴れ合い続きでは良い脚本家も監督も育ちっこないと思いますよ。
 
jak77
今回も興味深く面白いまとめでした、お疲れ様です。
ご存知かも知れませんが参考にリンクを

jak77さんは、情報収集をつぶさに、かつ幅広く行っておられるんですね。私はとてもそこまでは…。
ですから自分のブログでの『シン・ウルトラマン』分析/解釈は、あくまでも当てずっぽうでやっているため、当然読み間違いや解釈ミスもあるわけでして。
※当初はAタイプの顔でもなければ、体色ラインはブルーだったメイキング映像。
 
はてさて、この前(2022/7/9)『ウルトラマンデッカー』の第1話を、YouTubeの見逃し配信を待たず、テレ東の本放送で観たところ、見逃し配信やツブイマ(TSUBURAYA IMAGINATION)配信ではわからない、番組CMの顔ぶれを見ていささか驚いた。
その中に、なんとテレ東ニュージェネウルトラマンとは競争相手の(はずの)東宝映画『シン・ウルトラマン』があったから!(翌週放送時には姿を消していた)
 
当初の『シン』公開日は5月13日だったから、
完全に『デッカー』放送日までには劇場公開から引き上げる予定が、
予想外のヒットで夏休みまで公開が続くことになったことから、テレビで宣伝かますのも他のどこよりも「デッカー」!という判断だったんだろう。
 
とはいえ、さすがにもう『シン・ウルトラマン』の新規観客などいないため、
6月10日からはリピーター狙いの4D(4DX/MX4D)上映が始まり、
※すでに終了
それ以降は1日1回上映でも集客がきついため、
7月8日から21日までの2週間が、テレビ番組「ウルトラマン」第33話=メフィラス登場回との、
7月22日から8月4日までの2週間が、第39話=ゼットン登場回との特別同時上映になっている。
そこで7月12日のテラスモール松戸4度目の訪問を機に、
『シン・ウルトラマン』4度目の鑑賞と相成った。
 
これまたしつこいが、『シン・ゴジラ』(2016)は一度の鑑賞で食傷気味だったのに、
本作は4度も見たのは、
つきあいきれるか、きれないかの違いなんだと思う。
さとみ
↑石原さとみの、何を言ってるのか全く聴き取れないドヘタ英語は二度と聞きたくないが、
↑有岡大貴の、equal○イークォル×イコール、radius○レイディアス×ラディウスとカタカナ読みなのには、他の演技部分も含め、主役級で演技下手なのはこいつだけなのでかろうじて耐えられた。
『シン・帰ってきたウルトラマン(仮)』でも、
またこいつ(役名:滝明久)の顔と演技を拝まなくちゃならないことだけはウンザリする。
 
 
今回は先に、テレビ番組『ウルトラマン』第33話「禁じられた言葉」の感想から。
  • 一部で噂された4K上映ではなく、ピントはマイルドで被写体の輪郭は「丸まった」印象。
  • 音声はそれなりに迫力があり、メフィラス星人の声担当の加藤精三氏の低音がド迫力で、いかにも悪魔的/威圧的/恫喝的で絶妙なキャスティング
  • フジ・アキコ隊員役の桜井浩子氏は色気こそないものの、彫りの深い顔立ちにスリムな体型で、巨大化しても見事にサマになっており、改めて今さらながらに見直した。子ども時代にはわからなかった、巨大女フェチへのサービス視点も先見性がありまくり。
さんさん
あっぷ
fyじ
  • ここからはツッコミどころだが、フジ隊員の弟サトル君(演:川田勝明)って、番組前半(25話まで)ならホシノ・イサム少年(演:津沢彰秀)の役どころだが、さすがにあの子には色々と試練を与えすぎたのか、「フジ隊員に弟なんかいたんかーい!」で唐突な登場になっていた。メフィラス星人も高度に知的な存在だと豪語しつつも、地球の受け渡しを迫る交渉相手役に判断が未熟な子どもを選ぶなど、色々と卑怯な点が多い。
  • もう一人「お前誰やねん?」なキャスティングが、伊藤久哉の演ずるヤマモト博士で、黒いスーツ姿や背格好、役どころから察するに、平田昭彦の演ずる岩本博士の急遽の代役だろう。
  • メフィラス星人の子分として、バルタン星人2代目→今回で3代目/ザラブ星人/ケムール人が登場。イデ隊員が名を呼ぶが、バルタンとザラブはともかく、ケムール人は「マン」ではなく「Q」の登場なんだから、イデは知らないはずでは?それとも世界観続きのため、科特隊の怪獣/宇宙人データにあったのか?→劇中ではケムール人らを見て「我々が倒したはずだ」とのムラマツの台詞があるが、番組内で科特隊がケムール人と遭遇するのはこれが初めてであった。のちの1992年に発売された円谷プロ公認PCゲーム『ウルトラ作戦 科特隊出動せよ!』では、科特隊がケムール人と対峙するエピソードが描かれ、時系列の矛盾は解消されている(Wikiより)。→ムラマツ隊長役の小林昭二氏は、『Q』のケムール人登場回、第19話「2020年の挑戦」に出演してるから、「我々が倒したはずだ」のセリフもいちおう理にはかなうが、当時の役柄は天野二等空佐で、ムラマツキャップとは別人だからね。
  • 造形の完成度は恐るべしで、ウルトラマンCタイプの美しさ、メフィラス顔面の造形美と電飾の相乗効果等々、ほめだしたらキリがない一方で、なんでメフィラスの体形だけは、あんなにガッシリ短足なのかが悔やまれる。

————などと、初回放送の時にはサトル君とほぼ同年代だった自分は思うはずもなく、「バルタンを子分に従えてるなんてハッタリに決まってる!」「ボクだってこんな卑怯なヤツに、絶対に地球を譲ったりするもんか!」「ウルトラマンに勝てる自信がないから、物分かりの良いフリをして退散しやがって」と感じていたっけなとボンヤリ思い出した。

 

ここから再び『シン・ウルトラマン』に話題を戻すと、さすがに4回観れば、内容をほぼ完全理解したように思う。

ただし、Planck brane=プランクレーンランクレーンではない)だとかマルチバースベーターシステムの科学的仕組みだとか構造を鵜呑みに受け取らず、それが物語でどういう役目を果たしているかを読み取れば充分で、過去の鑑賞でも途中までは把握しながら、鑑賞後にケロッと忘れてしまっていた。

 

プランクブレーンは、ウルトラマンリピアや

にせウルトラマン=外星人ザラブや

巨大長澤まさみ、

外星人メフィラスが

巨大化したり人間サイズに戻る根本的な仕組みであり、

その置き位置の探知に体臭をたどるというギャグもかませる。

 

マルチバース概念はメフィラスがしきりに口にするが、

地球人が自説に“容易に屈する”ために使う方便であり、

今自分たちがいる世界だけでなく、多層宇宙のいずれにおいてもそうなっているんだから、

抵抗しても無駄、おとなしく従うのみと洗脳する手法に過ぎない。

 

と言うことは逆に、山本耕史メフィラスは、

加藤精三メフィラスの失敗を教訓に、

地球侵略/支配下に置く案を練り直して、

あたかも加藤精三メフィラスも地球をサトル少年から譲り受けたかのように振る舞い、

「どの世界でもメフィラスが勝つんだから、抵抗は無駄なのでおとなしく従うしかない」と脅しのテクに使っている。

日本人はなにしろ、自分でそれが真実かどうかを疑ったりはせず、

「今度こう決まりましたから、その線で一つヨロシク」と方向性をあてがわれると盲従する愚民の群なため、

(※私の解釈が絶対の正解という保証はありません!)

ウルトラマンと禍特対の邪魔が入らなければ、山本耕史の計画はうまく行くはずと踏んでいたが、

同時に他の世界でことごとくメフィラス計画が頓挫したことも知っているため、

自分の世界でも何かの阻害要因が登場することは勘づいており、

ゾーフィの出現をチラ見して、

「なるほど、これで私の計画はオシャカになるのか」と、潔く退散したのではあるまいか。

(※私の解釈が絶対の正解という保証はありません!)

 

さてさて、『シン・ウルトラマン』と言う映画の読み違いをふり返ると、

  • (前略)高橋一生の「ゾーフィならぬゾフィー」読みだが、日本語字幕付きの上映では、ゾーフィとなってるそうなので、単に一生氏がウルトラマンの予備知識があり、ゾーフィは台本の誤植だろうと気を利かせただけだと思われる。岡田斗司夫氏は『トップをねらえ!』を参考に、マルチバースで性格の変わったゾフィーと対面したという“邪推”をしてるが、『シン』を鑑賞して「トップ!」との関連に気づく観客なんて、全観客の中でも岡田氏とへライザー総統の2人ぐらいのものだろう。
——についてだが、岡田斗司夫氏とへライザー総統以外に、庵野作品(『シン・ウルトラマン』)と『トップをねらえ1』の関わりに言及した3人目に、漫画家の山田玲司氏がおられ、
 

この方の見解はかなり的を射てるので驚き、一目置いている。

 

最後に、以前の解釈で最も物議を醸したのがこれ。

 

リピアは実際には神永との“融合”は行っておらず、斎藤工がなりすました遺体は、森の中に死亡時の状態を保って安置されていました。それが同じ森でゾーフィと初対面の時に、ゼットンと戦えば勝利の目算がないため遺体を安置できかねる可能性を鑑(かんが)みて、リピアは初めて神永との融合を果たします。

340

「リピアは実際には神永との“融合”は行っておらず、」・・・ここはちょっと賛同出来ないのですが。
融合したからこそ体色が赤に変わったのではないでしょうか。
ラストにゾーフィがベータカプセルを点灯させて、神永との融合を解除する時、小さくなるウルトラマンは、最後赤がなくなり銀の体に戻っています。
何より単に神永に変身しているだけなら、地球を消滅させる必要もない訳で、それでは話が成り立たないのでは?
あの森の神永はリピアなりの墓標なのだと思っています。
なるほどたしかに。
他星人との融合がなければ、ゾーフィはわざわざ罰則を処すために地球に飛来する必要もないですしね。
ここでついでに、劇中ではどうして当初はAタイプの顔でボディカラーが銀の濃淡なのに、
再登場時から顔がBとCタイプの折半、
ボディカラーがレッド→エネルギー消耗時にグリーンに変化したのかの説明が劇中になく、オリジナルのウルトラマンと、成田亨の原案に従っただけと劇外のオタク知識が必要だと思ってました。
ラストにゾーフィがベータカプセルを点灯させて、神永との融合を解除する時、小さくなるウルトラマンは、最後赤がなくなり銀の体に戻っています。
これには4度鑑賞しても気づきませんでした。
ただ、見苦しく言い訳しますと、二度目か三度目の鑑賞で「融合してねえじゃん!」と思ってしまうと、340さんのように、あの森の神永はリピアなりの墓標なのだと思っています。という概念には、とうていたどり着けませんでした。
 
白井美也子 
 
>340さん
>「リピアは実際には神永との“融合”は行っておらず、」・・・ここはちょっと賛同出来ない

私も同意見です。
リピアの意思が前面に出た状態とはいえ、融合していたからこそ、リピアは神永の記憶を読んで利用することにより、神永に代わって支障無く勤務を続け、公安警察の元同僚に対し助力を求めることができたのでしょう。
もっとも、リピアの態度は人間としてかなり不自然で、それなのに禍特対メンバーに成りすましがバレないというのは、元の神永の性格も相当な変人であった事実を伺わせます(笑

森にあった神永の身体の意味は、私は、リピアの心象風景だと解釈していました。白黒半透明のぼやっとした姿で、現実ではないような雰囲気だったし。
リピアが人間神永を「見ている」ことを、ゾーフィも知っていたようですが、ウルトラマン同士の会話はテレパシーのため、感覚が通じていたのではないかと思います。
340さんと白井美也子さんのご意見を参考に、融合したなら、なんであんなわかりにくい絵作りをしたんだろうと訝(いぶか)しんで四度目の鑑賞と相成りました。
森の中で横たわる死体状態の神永を生きている神永+リピア融合体が見つめていると、
上空からうつ伏せの姿勢で見下ろす形のゾーフィが、「融合した相手の姿形はそういうものか」風に声をかけます。
このシーンは、森に一人たたずむ神永+リピア融合体に向かい合う形でゾーフィが立ち姿で登場しさえすりゃ、
墓標や心象風景なんて用意する必要なかったんでは?
こういう、極めてわかりにくい身勝手な表現を平気でかますところに、私は庵野監督の正気を疑わざるを得ません。
 
白井さんは引きつづき、
今作で、命のスペアが1個しか提供されないことは、
リピアの犠牲的精神と、ウルトラマンが地球から居なくなるという悲劇性を際立たせる狙いであり、論理的にも筋が通っていますが、
原作ファンにとっては、むしろ歓迎すべからざる改変との受け止めが多いように思われます。

原作でソフィーが命を2つ持って来た理由は、たまたまその時に命の素が2つ、ゾフィーの手許にあったたため、と解釈するのが通説です。
ゾフィーはマンが地球で死にかけたと聞いて、大慌てで、手近にあった2個をひっ掴んで、救援にすっ飛んで行った。本当はゾフィーにも深い考えは無く、成り行きの結果オーライだった可能性が大ですが、
光の国ではこの時代、命の固形化技術はまだ実験開発段階で、試作品ですから失敗のおそれもあり、2個あるなら2個とも持って行くというやり方は用意周到と賞賛されこそすれ、非難されることではありません。

それに比べて、今作のゾーフィはケチだとか準備不足だとか、ちょっと批判的に見てしまうのでありました。
まあ多分、続編でリピアさんは、何とかして復活してくれることと期待しております。
 
——と述べておられますが、
 
白井美也子 
余談ですが、アメブロはついに2022年7月13日から、フィーチャーフォンへの対応を止めてしまいました。
これまで、ガラケーでも閲覧だけはできた(書き込みは不可)のですが、パソコンを開かなければ閲覧さえもできないため、こちらへは縁遠くなってしまいそうです。

ガラケーのiモードで見れるサイトがどんどん減ってしまって、某巨大掲示板くらいしか、見るものがない…
 
——ということで、こちらの発信者都合は受信者の最新デバイス環境に対応することだと信じて疑わなかったため、受信者都合で白井さんが、×まさかガラケーであれほど綿密なコメントを下さっているとは思いもよりませんでした。→○閲覧はガラケー、カキコミはごくたまにパソコンという環境におられるとは知りませんでした。
公開されたブログは私の手元を離れ、アメブロが消滅しない限りは存続しますので、またデバイス環境が整い次第、お越し下さいませ。これまでのご支援に深く感謝申し上げます!
 
今回は以上です。