『シン・ウルトラマン』+メフィラス星人登場回
2022/7/12 ユナイテッド・シネマ テラスモール松戸 4スクリーン E−10
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ご存知かも知れませんが参考にリンクを
- 映画『シン・ウルトラマン』公式アカウント/#ウルトラマン の声を演じるのは #高橋一生 さん! ウルトラマン愛溢れる インタビューを公開!
- (株)カラー 2号機/#シン・ウルトラマン での ウルトラマン初登場時のカラーリングは、 #原口智生 さんが第一号雛型に銀色を吹いただけにしていた第三号雛型の姿を見た #庵野秀明 が、「これはこれでカッコいい!」と感じた事から始まっています。
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- 高橋一生さんは役者ですから、監督に抜擢されれば、自分の演技を認めてくれた感謝の言葉を当然述べるわけですが、このインタビューでも別に、アフレコの際に樋口監督が居合わせて、高橋氏が「ゾフィ(ー)」と都合3回唱えるのを、「ゾーフィ」に直すようにと指摘されたか(あるいはその逆)はわかりません。一方でゾーフィの声を高橋一生氏のリピアの声収録とは別日にあてた(であろう)山寺宏一氏は→(前略)映画「シン・ウルトラマン」で、声優の山寺宏一さんが、ウルトラマンと同じく光の星からやってきた使者・ゾーフィを演じていることが分かった。山寺さんは「マネージャーからの連絡に〈ゾーフィの声〉とあったので『全く世代じゃないから知らないんだねー。ゾフィーの間違いだよ』と言ったら本当にゾーフィだったので再び驚きました」と話している。——とあるので、アテレコ現場ではこの確認作業がなかったんでは?(※あくまでも私個人の推測/邪推ですので念のため)
- 初登場時のシン・マン=リピアの顔が初代のAタイプで、ボディカラーがシルバー濃淡塗り分けだったのは、リアルタイム世代の「ウルトラマン」本編映像初視聴が、1966/7/10の「ウルトラマン前夜祭」番組内での、第3話対ネロンガ戦の抜き焼きを白黒テレビで視聴していたことの再現だろうと言う私の予想は、穿(うが)ち過ぎ、深読みしすぎだったことがjak77さんの御指摘で判明したが、これもまた私の見解が必ずしもいつも当たりとは限らない事の証明でもある。
- 一部で噂された4K上映ではなく、ピントはマイルドで被写体の輪郭は「丸まった」印象。
- 音声はそれなりに迫力があり、メフィラス星人の声担当の加藤精三氏の低音がド迫力で、いかにも悪魔的/威圧的/恫喝的で絶妙なキャスティング
- フジ・アキコ隊員役の桜井浩子氏は色気こそないものの、彫りの深い顔立ちにスリムな体型で、巨大化しても見事にサマになっており、改めて今さらながらに見直した。子ども時代にはわからなかった、巨大女フェチへのサービス視点も先見性がありまくり。
- ここからはツッコミどころだが、フジ隊員の弟サトル君(演:川田勝明)って、番組前半(25話まで)ならホシノ・イサム少年(演:津沢彰秀)の役どころだが、さすがにあの子には色々と試練を与えすぎたのか、「フジ隊員に弟なんかいたんかーい!」で唐突な登場になっていた。メフィラス星人も高度に知的な存在だと豪語しつつも、地球の受け渡しを迫る交渉相手役に判断が未熟な子どもを選ぶなど、色々と卑怯な点が多い。
- もう一人「お前誰やねん?」なキャスティングが、伊藤久哉の演ずるヤマモト博士で、黒いスーツ姿や背格好、役どころから察するに、平田昭彦の演ずる岩本博士の急遽の代役だろう。
- メフィラス星人の子分として、バルタン星人2代目→今回で3代目/ザラブ星人/ケムール人が登場。イデ隊員が名を呼ぶが、バルタンとザラブはともかく、ケムール人は「マン」ではなく「Q」の登場なんだから、イデは知らないはずでは?それとも世界観続きのため、科特隊の怪獣/宇宙人データにあったのか?→劇中ではケムール人らを見て「我々が倒したはずだ」とのムラマツの台詞があるが、番組内で科特隊がケムール人と遭遇するのはこれが初めてであった。のちの1992年に発売された円谷プロ公認PCゲーム『ウルトラ作戦 科特隊出動せよ!』では、科特隊がケムール人と対峙するエピソードが描かれ、時系列の矛盾は解消されている(Wikiより)。→ムラマツ隊長役の小林昭二氏は、『Q』のケムール人登場回、第19話「2020年の挑戦」に出演してるから、「我々が倒したはずだ」のセリフもいちおう理にはかなうが、当時の役柄は天野二等空佐で、ムラマツキャップとは別人だからね。
- 造形の完成度は恐るべしで、ウルトラマンCタイプの美しさ、メフィラス顔面の造形美と電飾の相乗効果等々、ほめだしたらキリがない一方で、なんでメフィラスの体形だけは、あんなにガッシリ短足なのかが悔やまれる。
————などと、初回放送の時にはサトル君とほぼ同年代だった自分は思うはずもなく、「バルタンを子分に従えてるなんてハッタリに決まってる!」「ボクだってこんな卑怯なヤツに、絶対に地球を譲ったりするもんか!」「ウルトラマンに勝てる自信がないから、物分かりの良いフリをして退散しやがって」と感じていたっけなとボンヤリ思い出した。
ここから再び『シン・ウルトラマン』に話題を戻すと、さすがに4回観れば、内容をほぼ完全理解したように思う。
ただし、Planck brane=プランクブレーン(ブランクプレーンではない)だとかマルチバース、ベーターシステムの科学的仕組みだとか構造を鵜呑みに受け取らず、それが物語でどういう役目を果たしているかを読み取れば充分で、過去の鑑賞でも途中までは把握しながら、鑑賞後にケロッと忘れてしまっていた。
プランクブレーンは、ウルトラマンリピアや
にせウルトラマン=外星人ザラブや
巨大長澤まさみ、
外星人メフィラスが
巨大化したり人間サイズに戻る根本的な仕組みであり、
その置き位置の探知に体臭をたどるというギャグもかませる。
マルチバース概念はメフィラスがしきりに口にするが、
地球人が自説に“容易に屈する”ために使う方便であり、
今自分たちがいる世界だけでなく、多層宇宙のいずれにおいてもそうなっているんだから、
抵抗しても無駄、おとなしく従うのみと洗脳する手法に過ぎない。
と言うことは逆に、山本耕史メフィラスは、
加藤精三メフィラスの失敗を教訓に、
地球侵略/支配下に置く案を練り直して、
あたかも加藤精三メフィラスも地球をサトル少年から譲り受けたかのように振る舞い、
「どの世界でもメフィラスが勝つんだから、抵抗は無駄なのでおとなしく従うしかない」と脅しのテクに使っている。
日本人はなにしろ、自分でそれが真実かどうかを疑ったりはせず、
「今度こう決まりましたから、その線で一つヨロシク」と方向性をあてがわれると盲従する愚民の群なため、
(※私の解釈が絶対の正解という保証はありません!)
ウルトラマンと禍特対の邪魔が入らなければ、山本耕史の計画はうまく行くはずと踏んでいたが、
同時に他の世界でことごとくメフィラス計画が頓挫したことも知っているため、
自分の世界でも何かの阻害要因が登場することは勘づいており、
ゾーフィの出現をチラ見して、
「なるほど、これで私の計画はオシャカになるのか」と、潔く退散したのではあるまいか。
(※私の解釈が絶対の正解という保証はありません!)
さてさて、『シン・ウルトラマン』と言う映画の読み違いをふり返ると、
- (前略)高橋一生の「ゾーフィならぬゾフィー」読みだが、日本語字幕付きの上映では、ゾーフィとなってるそうなので、単に一生氏がウルトラマンの予備知識があり、ゾーフィは台本の誤植だろうと気を利かせただけだと思われる。岡田斗司夫氏は『トップをねらえ!』を参考に、マルチバースで性格の変わったゾフィーと対面したという“邪推”をしてるが、『シン』を鑑賞して「トップ!」との関連に気づく観客なんて、全観客の中でも岡田氏とへライザー総統の2人ぐらいのものだろう。
この方の見解はかなり的を射てるので驚き、一目置いている。
最後に、以前の解釈で最も物議を醸したのがこれ。
リピアは実際には神永との“融合”は行っておらず、斎藤工がなりすました遺体は、森の中に死亡時の状態を保って安置されていました。それが同じ森でゾーフィと初対面の時に、ゼットンと戦えば勝利の目算がないため遺体を安置できかねる可能性を鑑(かんが)みて、リピアは初めて神永との融合を果たします。
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融合したからこそ体色が赤に変わったのではないでしょうか。
ラストにゾーフィがベータカプセルを点灯させて、神永との融合を解除する時、小さくなるウルトラマンは、最後赤がなくなり銀の体に戻っています。
何より単に神永に変身しているだけなら、地球を消滅させる必要もない訳で、それでは話が成り立たないのでは?
あの森の神永はリピアなりの墓標なのだと思っています。
>「リピアは実際には神永との“融合”は行っておらず、」・・・ここはちょっと賛同出来ない
私も同意見です。
リピアの意思が前面に出た状態とはいえ、融合していたからこそ、リピアは神永の記憶を読んで利用することにより、神永に代わって支障無く勤務を続け、公安警察の元同僚に対し助力を求めることができたのでしょう。
もっとも、リピアの態度は人間としてかなり不自然で、それなのに禍特対メンバーに成りすましがバレないというのは、元の神永の性格も相当な変人であった事実を伺わせます(笑
森にあった神永の身体の意味は、私は、リピアの心象風景だと解釈していました。白黒半透明のぼやっとした姿で、現実ではないような雰囲気だったし。
リピアが人間神永を「見ている」ことを、ゾーフィも知っていたようですが、ウルトラマン同士の会話はテレパシーのため、感覚が通じていたのではないかと思います。
リピアの犠牲的精神と、ウルトラマンが地球から居なくなるという悲劇性を際立たせる狙いであり、論理的にも筋が通っていますが、
原作ファンにとっては、むしろ歓迎すべからざる改変との受け止めが多いように思われます。
原作でソフィーが命を2つ持って来た理由は、たまたまその時に命の素が2つ、ゾフィーの手許にあったたため、と解釈するのが通説です。
ゾフィーはマンが地球で死にかけたと聞いて、大慌てで、手近にあった2個をひっ掴んで、救援にすっ飛んで行った。本当はゾフィーにも深い考えは無く、成り行きの結果オーライだった可能性が大ですが、
光の国ではこの時代、命の固形化技術はまだ実験開発段階で、試作品ですから失敗のおそれもあり、2個あるなら2個とも持って行くというやり方は用意周到と賞賛されこそすれ、非難されることではありません。
それに比べて、今作のゾーフィはケチだとか準備不足だとか、ちょっと批判的に見てしまうのでありました。
まあ多分、続編でリピアさんは、何とかして復活してくれることと期待しております。
これまで、ガラケーでも閲覧だけはできた(書き込みは不可)のですが、パソコンを開かなければ閲覧さえもできないため、こちらへは縁遠くなってしまいそうです。
ガラケーのiモードで見れるサイトがどんどん減ってしまって、某巨大掲示板くらいしか、見るものがない…
しかし、作中人物の心や行動が、足し算により変化する事を合理的に台本に落とし込めない(庵野監督以外の)IQが低い多くの日本映画ドラマ脚本家監督はどうしたもんでしょうか。
何故世界の映画ドラマでは出来ていて、日本はできないんでしょうか。