50年目に明かされた真実 | アディクトリポート

アディクトリポート

真実をリポート Addictoe Report

今日のテーマは、作家・小説

Kindle Paperwhite
Kindle Paperwhite
posted with amazlet at 13.01.22
Amazon.co.jp (2012-11-19)
売り上げランキング: 2



すでに旧聞ですが、この記事から。

(以下、無断転載・笑/一部編集)

谷崎潤一郎と西脇順三郎、ノーベル賞候補に4回

 作家の谷崎潤一郎、詩人の西脇順三郎の2人が、少なくとも1958年から62年の間に4回にわたってノーベル文学賞の候補になっていたことが、同賞を選考するスウェーデン・アカデミーへの情報公開請求で分かった。

 特に60年には谷崎は最終候補の5人に残っており、68年に川端康成が日本人初の同賞受賞を成し遂げる以前に、大きなチャンスがあったことが明らかになった。

 選考資料は50年後に公開される決まりで、読売新聞が、1958~62年の資料を請求。62年分は今年に入って初めて開示された。

 同賞は当時、各国のペンクラブや既受賞作家などの推薦で40~60人前後の候補を決め、その後、最終候補にまで絞り込んでいった。資料が開示された5年間のうち、谷崎と西脇は58年と60~62年の4回、川端も61、62年の2回、この候補に入った。日米の作家、研究者が推薦書を寄せていた。

(2013年1月14日 読売新聞)


作家集団Addictoe オフィシャルブログ-きおいk

読売新聞の本記事を読み進めると、
谷崎はともかく、西脇が受賞を逃した理由の一つは、
「判断材料になる、充分な翻訳資料を欠いたから」
----とのことである。

川端康成と親交があったエドウィン・ライシャワーは、
「ノーベル賞選考委員は日本語が読めないんだから、賞を獲ったのは(獲らせたのは)翻訳者」と、親しい人には本音を漏らしていたという。
(※生前のライシャワー氏当人を知る人からの伝え聞きなので、明文化はされてないと思います)

川端康成の「雪国」を翻訳し、川端のノーベル賞受賞に貢献したのは、エドワード・サイデンステッカーで、彼は川端の他、谷崎潤一郎、三島由紀夫など、日本文学を代表する作家をアメリカに紹介している。
(部分出典は、こちら


これが意味していることは、大きく二つ。

1.翻訳者に、「これは日本語以外の言葉に訳して、是が非にでも世界に紹介したい」と惚れ込んでもらえるような、魅力のある作品を書かない限り、作品生命は日本国内だけで終わってしまう。

2.翻訳では作家個人が編み出した独特の文体や言い回しは、ごく一般的な平易な言葉に置き換えられてしまうから、グローバル展開を視野にいれれば、そうした言葉遊びは、極力廃するべきである。
同様の観点からすると、翻訳されない「どう書くか」にこだわるのは愚の骨頂で、「何を書くか」つまり具体的な話の中身の充実にこそ、注力すべきである。

この原則は、50年経過した現在でも変わらないはずだが、
このことに気づいている、プロの作家がどれほどいるか。

ましてや、小説の善し悪しを見極める出版社の編集者に、この観点が備わっている人が、どれだけいるか?

個人的な体験から言わせてもらうと、ほぼ皆無だと思いますよ。

なぜならこの視点は、母国語である日本語だけで、日本という国の枠組みの中だけで思考している限り、およそ出て来るはずのないものだが、作家も編集者も、往々にして国語だけが得意で、英語が苦手な学生時代を過ごし、その延長で、海外経験や他国の言語経験に乏しい人ばかりだから。

小説の真贋を見極められないという意味では、現在出版にたずさわっている人の大半が、適格性を欠いている。

だから、まともな作品に限って「はじかれて」しまい、ろくでもないゴミ(村上春樹とか湊かなえとか有川浩とか伊坂幸太郎とか山田悠介)が、平気で横行してしまう。

ホント、よくもまあ、あんなもん印刷して、製本して、世に出して、消費者に売りつけるよね。

出版にたずさわる者の、社会的使命とか責任ってもんを、どう考えてるんだろうか?

どうせなんにも考えてないんだよ。
作家も出版社も。

この件についてはもっと書きたいし、いくらでも書けるけど、事態の改善に結びつかないので、ここらへんにしておこうっと。

Kindle Fire HD 16GB
Kindle Fire HD 16GB
posted with amazlet at 13.01.22
Amazon.co.jp (2012-12-18)
売り上げランキング: 4