久しぶりに浅見帆帆子さんの著書を手にして

ふと思うあれこれ。

 

「あなたは絶対運がいい」シリーズを2009年頃に初めて手にしたときに、

「どんなに大変な時でも、笑顔でいるといいですよ」という内容があって

確かにそうなんだろうな、「笑うといい」「笑う門には福来たる」という言葉もあるし、

「いつでも笑顔」というのはやってなかった自覚があって、すぐにやり始めました。

 

その頃はかなり凹んでいて毎日毎日悲しみに暮れていたのですが

外に出てる時は出会う人に思いっきり笑顔で挨拶するようにして過ごしていたら、

色々と回復してきて心のキズもだんだんと癒えていきました。

 

しばらくはいい調子だったのですが、

この数年、下の子が産まれて24時間育児の疲れから「いつでも笑顔」が次第に遠のいてしまい、徐々にシンドイ

暗い暗い穴蔵に落ちていってしまい、深みにハマってしまいました。

どうすれば良いのか、頭でわかっているのにやらない自分。。

 

そして数年ぶりに、本を手にした時に、「ここから回復していく」と思いました。

兆しというか。

ようやく抜ける、やっと終わる。

 

2月終わり頃に本を手にして、最初から最後まで熟読し、気になる言葉を一つ一つ、着々と落とし込んでいます。

 

今の自分で大丈夫!

自分は運がいい

これを決めて、リセット&スタート。

 

ひと月を過ぎて、

運のいい私、今の私のまんまで大丈夫が少し少し染みてきました

 

およそ天然素材100%で造られた素晴らしい家、お気に入りの家具やモノたちと暮らせていることも、

ユニークな人、温かい人たちに囲まれていることも

なんだ、やっぱり私はついてるなぁと、しみじみ思いました。

 

よかった、よかった♪

 

会場の大きさに対して、人数は多すぎず、ちょうど良い感じだった

監督の吉島陽子さんの印象は、充実しているというか、充ち満ちしているというか

発酵ドリンクを作る時にシュワシュワと弾けるピチピチとイノチが弾けているあの感じというか、

細胞 体 オーラ 全体から活き活きしているという感じがしていた

 

そりゃ、自分でつくった作品を観にお客さんが来られていて、嬉しいのは当たり前だと思う

だからそういう感じを受けても当然なのかもしれない、けれども、自分自身が鬱々を脱したところにいたので

余計に生命力の溢れる人を目の前にして、そういう印象を持ったのかなぁとか思ったりした

 

主催のかっちゃんが経緯を話し、

監督が少し前に出て話をしているのを見聞きした時に、

あー、この監督さんの魂が活き活きしているということなんだと思った

 

映画の内容は、、

ぜひ観て感じてもらえたらいいなと思う

お産のこと、命のこと、いくつかのテーマが混ざっている

夫と子供と一緒に観れたのは嬉しい

 

終了後に、監督が色々なエピソードをお話しくださったのがとてもおもしろかった

ご縁、お産、助産師、開業助産師、シュタイナー教育、野口整体、レイキ、元気な子ども、手当て、アート

大好きなキーワードがあれも、これもと出てくる

変態、変人というワードも出て来て大ウケしつつ納得

 

参加者の皆さんで、まるくなって感想をシェアできたこともよかった

大好きな友達に会えたことが、とても嬉しかった

私が行きたいと思う動機の大部分に心の友に会いに行くという強い欲求がある

顕在的に忘れているけれども、潜在的にそれを求めているのだと、書きながら気づいた

 

かっちゃんが言い出しっぺの1回目か2回目のリアルの産フェスでお会いし、

その後オンラインでも1、2回会ってるかな?という、あいうみ助産院の ないとうあいり さん も一緒で

初めましてというか、どこで会ったっけ?とか言いながら再会して挨拶したのだけど

尊敬している方だったので会えたのがとても嬉しかった

 

感想シェアの際に、色々な思いを話されて泣いていて、

助産師さんの胸の裡を久しぶりに聞いた

鬱状態が長かった自分の思いと繋がることがあって、

ネガティブキャンペーンをやってて と話した言葉に救われた

以前にオンラインで数人でシェアをした時にも、同じように、とても共感したことを思い出した

 

シェア会も、片付けも終わり、駅まで残った人たちで帰る間にかっちゃんとも話して

出せば(書けば)いいんだよ的なことを言われて、

そうそう、わかってるんだよねー、でもやってないんだよね最近とか言って

そう言いながら、この感じで(この流れで)書いてみようと思った

 

だ、けども、チビさんが一緒の生活

私にべったりで、パソコンに集中する時間が取りにくい

外に出したいのに出せないので、もーいいやって捻くれて

それが重なって重なって重なって、自分の想いをぎゅうぎゅう自分の中に押し込めて

抑え込んでいくループ

 

感受性が高いとか強いというのは、物凄い才能なんだけど、

がゆえに、目の前の小さい子供を大事にしたい、しようとするあまり

自分の想いを自分で潰してしまうという現実がある

少なからず、大概の日本のお母さんは、そういう傾向があるのではなかろうか

 

どこかに、出口がある

明けない、夜はない

もうダメだと思っても、そこから 誰か、何か、が優しく手を差し伸べてくれる

こんな時、優しい夫がいてくれること、子供達がいてくれることに助けられてると感じる

一人で暮らしていたら、もっと大変だったかもしれない

もちろん、友人達のおかげでもある

 

一人では生きていかれない

こうして人との交流の中で、鬱も脱していくのだと思う

少しずつ、夜が明けてきた

(と言ってはトンネルだーとか戻ってをしばらく繰り返すと思うけど)

 

母が、寝たきりになりつつあると、父が話していた

すぐに行こうと思った

けれども自分がこんな状態では行くことができない

でも、もう少ししたら、母に会いに行けると思うようになった

もう少しが、3ヶ月後か半年後か、一年後になるのか

今はわからないけど、行けると思えるようになった

3月は母の、私の、弟の、祖母の、祖父の、義父の誕生日

この時期には色々な想いが交錯する

 

久しぶりに、結構な量の胸の裡を書いてほっとした

長い長いトンネルから外の世界に出たような

暗い穴ぐらから、ようやく這い出て来れたような、そんな感じ

 

朝、目覚めた時、外は明るく暖かい感じだった

なんとなく、その あわひ を観に行くことに心の中でウキウキしていた

朝にウキウキしたのはとても久しぶりだったと思う

 

映画の内容(お産まわり、命について)が、ドストライクということはももちろん

だけれども、 会いたかった友人と一緒に映画を観れること、

主催のかっちゃんに会えること、

見たことも聞いたこともないけれども、映画をつくられた監督に会えること、

誘った当初はめんどくさがった夫が、柔らかくなっていたこと

かわいいおチビさんが一緒なこと

そんなことが楽しみだった

 

と同時に、鬱が抜けてきた、今日、この機会に抜ける兆しを感じた朝の目覚めだった

さて、しばらく続いてきた長く暗いトンネルの向こうから

最近、チラチラと灯りが見えるようになってきた

ここ数日、回復の兆しがある

そもそも、こうして書いて外に出しているのだから、底からは脱したと自分でわかる

 

日曜日に 映画 あわひ を観た

 

およそひと月ほど前に、主催の安川かっちゃんに確認をしていた

私と4歳の娘と、夫と友達1−2名で参加できるかどうかと

まだまだ席があるので大丈夫という連絡だった

 

そこからもしばらく鬱々した日々だったので、名古屋(1時間くらいかかる)まで本当に行った方がいいのか

夫にも誘っていないし、友達といっても誰に声をかけようかと思った

鬱が酷くなると決断しにくくなる

決めることができない

約束がしづらい

 

基本的には、友達とした約束は守るようにしている

ここ最近は鬱が酷かったので、だんだん、約束することをしないようになっていた

 

上映の2日前に、かっちゃんから、何人で観に来る?

午前の部?午後の部? というメッセーをいただき

 

あー、

まだ夫にも話していない(←夫を誘わなくてもいい)

誰にも声かけていない(←誰にも声をかけなくてもいい)

と思い始め、あらためて かっちゃんの告知文を読んで

 

まぁ、私とチビだけでもいいし、夫も行くと言えば一緒に言ってもいいしと

あらかた行くことが決まった

 

少し前に、会いたいと私から連絡をしていた友人のことを思い浮かべて

どうなのかなー

確か幼稚園の先生をしていたとかだった気がするからいいのかな

でもなー

結構遠いしなー(2時間位かかる)

まぁメッセージして、ダメならそれでいいし、エイ!と連絡をした

 

数時間後に、友人から行きます!のメッセージ

よかった。嬉しい〜という気持ちと、本当に(誘って)よかったのかなぁという気持ちもありながら

翌日、その友達とやっと会えるという嬉しさと、何を話せばいいかという思いとを感じていた

夫には、ちょっと強引に誘ってしまったけど、娘と3人で一緒に電車に乗って行けることになった

 

1月の後半に入って、また調子の良くない日々が続いて

夫に話したら、「まだ治ってなかったの?」という。

 

おーーい!

そんな簡単に治るもんじゃない

経験してるくせになんでわからないんだ

なんで、いちいち感度も理解も浅いんだとがっかりしてしまった

 

夫は悪くない

 

もともと、かなりの過敏症な自分。HSP気質な自分が、現状の環境が悪く、自分で自分を苦しめる状況が長らく続いてしまっているということなだけで夫は悪くはないのだけど、

考察が深い自分からすると、物事を真摯に受け止めてもらえないことに対して、

理解をしてもらえない、わかってもらえないというふうに捉えてしまって、

孤独感だとか絶望という感じだとか、何かそんなような感覚になってしまった

 

人間、誰しも、全部の自分自身のことを理解する人はいないのだから、多かれ少なかれ

そんな思いを感じることもあるのだと思う

自分の状態があまり良くないと、なかなかポジティブに捉えることはできない

でも、夫は浅く捉える性格という面があるので、それはそれでよかったと思う