会場の大きさに対して、人数は多すぎず、ちょうど良い感じだった

監督の吉島陽子さんの印象は、充実しているというか、充ち満ちしているというか

発酵ドリンクを作る時にシュワシュワと弾けるピチピチとイノチが弾けているあの感じというか、

細胞 体 オーラ 全体から活き活きしているという感じがしていた

 

そりゃ、自分でつくった作品を観にお客さんが来られていて、嬉しいのは当たり前だと思う

だからそういう感じを受けても当然なのかもしれない、けれども、自分自身が鬱々を脱したところにいたので

余計に生命力の溢れる人を目の前にして、そういう印象を持ったのかなぁとか思ったりした

 

主催のかっちゃんが経緯を話し、

監督が少し前に出て話をしているのを見聞きした時に、

あー、この監督さんの魂が活き活きしているということなんだと思った

 

映画の内容は、、

ぜひ観て感じてもらえたらいいなと思う

お産のこと、命のこと、いくつかのテーマが混ざっている

夫と子供と一緒に観れたのは嬉しい

 

終了後に、監督が色々なエピソードをお話しくださったのがとてもおもしろかった

ご縁、お産、助産師、開業助産師、シュタイナー教育、野口整体、レイキ、元気な子ども、手当て、アート

大好きなキーワードがあれも、これもと出てくる

変態、変人というワードも出て来て大ウケしつつ納得

 

参加者の皆さんで、まるくなって感想をシェアできたこともよかった

大好きな友達に会えたことが、とても嬉しかった

私が行きたいと思う動機の大部分に心の友に会いに行くという強い欲求がある

顕在的に忘れているけれども、潜在的にそれを求めているのだと、書きながら気づいた

 

かっちゃんが言い出しっぺの1回目か2回目のリアルの産フェスでお会いし、

その後オンラインでも1、2回会ってるかな?という、あいうみ助産院の ないとうあいり さん も一緒で

初めましてというか、どこで会ったっけ?とか言いながら再会して挨拶したのだけど

尊敬している方だったので会えたのがとても嬉しかった

 

感想シェアの際に、色々な思いを話されて泣いていて、

助産師さんの胸の裡を久しぶりに聞いた

鬱状態が長かった自分の思いと繋がることがあって、

ネガティブキャンペーンをやってて と話した言葉に救われた

以前にオンラインで数人でシェアをした時にも、同じように、とても共感したことを思い出した

 

シェア会も、片付けも終わり、駅まで残った人たちで帰る間にかっちゃんとも話して

出せば(書けば)いいんだよ的なことを言われて、

そうそう、わかってるんだよねー、でもやってないんだよね最近とか言って

そう言いながら、この感じで(この流れで)書いてみようと思った

 

だ、けども、チビさんが一緒の生活

私にべったりで、パソコンに集中する時間が取りにくい

外に出したいのに出せないので、もーいいやって捻くれて

それが重なって重なって重なって、自分の想いをぎゅうぎゅう自分の中に押し込めて

抑え込んでいくループ

 

感受性が高いとか強いというのは、物凄い才能なんだけど、

がゆえに、目の前の小さい子供を大事にしたい、しようとするあまり

自分の想いを自分で潰してしまうという現実がある

少なからず、大概の日本のお母さんは、そういう傾向があるのではなかろうか

 

どこかに、出口がある

明けない、夜はない

もうダメだと思っても、そこから 誰か、何か、が優しく手を差し伸べてくれる

こんな時、優しい夫がいてくれること、子供達がいてくれることに助けられてると感じる

一人で暮らしていたら、もっと大変だったかもしれない

もちろん、友人達のおかげでもある

 

一人では生きていかれない

こうして人との交流の中で、鬱も脱していくのだと思う

少しずつ、夜が明けてきた

(と言ってはトンネルだーとか戻ってをしばらく繰り返すと思うけど)

 

母が、寝たきりになりつつあると、父が話していた

すぐに行こうと思った

けれども自分がこんな状態では行くことができない

でも、もう少ししたら、母に会いに行けると思うようになった

もう少しが、3ヶ月後か半年後か、一年後になるのか

今はわからないけど、行けると思えるようになった

3月は母の、私の、弟の、祖母の、祖父の、義父の誕生日

この時期には色々な想いが交錯する

 

久しぶりに、結構な量の胸の裡を書いてほっとした

長い長いトンネルから外の世界に出たような

暗い穴ぐらから、ようやく這い出て来れたような、そんな感じ